関する権限については、行政機関内において主体となるものと考えることが妥当である。
林知更教授は内閣が政治的指導である執政を独占すると考えることについては否定的にと
らえ、執政概念の導入によって「政治」的任務の配分という視点から憲法上の権力配分に 再解釈の必要があると指摘している
114。つまり執政を内閣に配分され独占して行使しうる 権限であるかという点を指摘し、執政が内閣のみならず国会においても執政作用が行使さ れることを示唆する。
このように執政領域の運用について権力分立の協働について言及する見解が現れてお り、村西良太准教授は、執政府である内閣と国会が協働して国家指導に従事していること から、執政はこの両者の協働によって運用されている、すなわち「協働執政理論」として 理解すべきであるという
115。村西准教授は、執政権限を内閣が独占することについて疑問 を呈した林教授の見解をさらに進め、ドイツの学説を参照しながらこの執政権限を執政府 と議会にまたがって行使される「協働権」であると位置づける。しかし現在の日本の執政 説は議会と執政府による「恊働執政理論」を採用しておらず、そのため執政に対する国会 作用について正当な位置づけがなされていないと指摘し、 「執政説」は1政治のアクターと しての国会に正当な位置づけをしていないこと、2行政統制機能の弱化、これは行政権を 執政権、行政各部に行政権と読替えることによって、内閣による行政各部の指揮、指導が
「行政権」への介入となるため、改めてこの指揮・指導を正当化する必要があるという
116。 そのため議会(国会)の執政への関与を認める「協働執政理論」を採用することによって、
執政説に対する批判のひとつである「内閣に執政作用が独占されている」ことを否定する。
執政説は「法律による行政から漏出する『統治の作用』に光を当てる」こと、そして「法 律から自由な『政治作用』を論題に据えるために持ち出された」ことが執政説の一次的な 目的であったとし、そのため執政概念の根拠として 65 条の「行政」を「執政」と読替え ることについては失当であると批判する
117。そして執政機関として内閣を強調することに よって、 「執政作用の統制とそのための権限配分を十分に主題化できな」いことが執政権の 限界であるという
118。村西准教授は従前の執政説が権力分立の厳格分離イメージから離れ ることなく、執政権の権限配分を主題化すること、つまり執政権を国会にいかに分有させ るかという問題意識が希薄であったことを指摘する
119。その上で権力分立の相互の「抑制」
は「協働」と同義であり、諸機関が協働関係にあることによって「相互の抑制」となるこ と、すなわち「執政作用に複数の機関が参画することを認めたうえで、その権限配分のあ り方を考察する営み
120」が権力分立であるとする
121。憲法 41 条で国会を国権の「最高機関」
とされるのは、内閣に「国務の総理」が委ねられているのと同様に、「執政機関としての国 会」が要請されている規定であると読み直せるという
122。
石川教授はドイツの学説を参照して執政が日本国憲法の憲法体系においてどのように 位置づけられるかについて、 「執政権」を権力分立における法治国家的行政からはみだした
「第四の領域」として位置づけ、欧米の公法学において権力分立論は実質的に「四権分立 論」として論じられているという
123。ただし石川教授は 65 条の行政権を執政権と読み替 え、内閣が執政権を有するものとしているが、「執政権」への統制として「本来は立法府で ある議会が、執政権にも手を伸ばそうとする統治形態」であると指摘するように執政が内 閣のみが独占的に行使することについては否定的である
124。
渋谷秀樹教授もまた執政を内閣によって独占されるものという見解には否定的である。
国政の基本政策が法律と歳入歳出に関して政府を拘束するルールである予算、そして国同
士を拘束するルールである条約に現れるとし、法律と予算の議決や条約の承認については
それぞれ国会の関与を要求していることから、内閣が執政を独占するものではなく議院内 閣制によって執政が内閣のみで完結するものでなく国会との協働関係にあるという
125。そ して法律執行説に対し、渋谷教授は法律の執行にあてはまらない内閣の活動について「憲 法によって付与された内閣の活動の中心を占める国政の基本方針の決定についてのコント ロールが空洞化してしまう
126」という難点があると指摘する。
渋谷秀樹教授は「権力の協働と抑制」と題して、権力分立制によって配分された機関相 互の牽制を立法部と行政部、そして立法部と行政部両者をふくめた政治部門と司法部の関 係のあり方の相関関係について述べている。ただし渋谷教授のいう権力分立における「権 力の協働」とは、従来権力分立論において用いられてきた「権力の抑制と均衡」と同義に 用いられているものと思われる
127。しかし権力分立原理において各権力を定義する意義を 単なる理論上の認識にとどまらず、憲法によって創設された政府機関にはどのような権限 が授権・付与されているのかについて検討する必要性を述べている。そしてこのような検 討の実践的な効用が、立法・行政・司法三つの権限が与えられた機関による統治活動の相 互抑制において、相互抑制の是非を測る基準となるという。
このように執政が内閣の権限であるとされるものの、内閣がこの執政権限を独占するか ということについて、内閣によって独占されるものという見解は少ない。
第2項 日本の権力分立における「協働」
日本の権力分立における協働は、執政領域の配分をめぐって生じたものである。執政領 域の権限が特定の機関に配分されていると理解するのではなく、執政領域の運用にあたっ ては内閣と国会が相互に関連して行うと理解するものである。つまり厳格分離観に基づい た一権力一機関対応型の権力分立論では、執政領域はいずれかの機関に配分されなければ ならず、また配分することが可能であるとしても、均等に権力が配分されることで相互抑 止が働くというシステムに歪みが生じてしまう。このような問題意識に基づいて執政作用 の運用を考えると、執政を執政権、または執政の権限としてとして特定の期間に配分され ていると考え、配分先を考えることは適当ではない。執政領域の作用・活動があり、その 領域に対して各機関が関与していると考えることが妥当である。
しかし、執政領域の作用を協働とすることに対して、疑問も示されている。例えば時本 義昭教授は、村西良太准教授
128による協働執政理論を「議会と執行府が執政作用の共有を とおして抑制と均衡の関係を形成し、もって最適な国務の遂行を実現しようとする
129」と して紹介し、この理論について権力分立論の理解と、執政作用の「中身」についての 2 点 から批判を加えている。まず権力分立論の理解について厳格分離型の権力分立論を本来の 権力分立論と理解することの正当性から、協働執政理論の背景である「機能的権力分立論」
について批判を加えている。 「機能的権力分立論」は、一機関一作用の配分を原則とする厳 格分離による権力分立論を否定し、協働執政理論の背景となるものであるが、時本教授に よれば「権力分立論においては厳格分離型が本来の姿でなければならないということであ る」といい、その理由として「日本国憲法の下における国会をなぜ立法機関というのか、
また、なぜ内閣を行政機関というのか。それは立法作用の主要部分が国会に、行政作用の
主要部分が内閣に、それぞれ帰属されているからであり、そうではない作用、換言すれば
形式的意味の立法権と形式的意味の行政権とは例外なのである
130」という。
続いて「執政作用の中身」は、それぞれ立法作用・外交作用・財政作用であり、執政は
「これらの作用に議会と執行府が関与することによってもたらされる効果であり、実体的 な作用ではない」といい、「執政は実体的な作用の分配・組織に伴う一定の効果・機能であ り、その意味で実体的な作用に対して scheinbar なものにとどまるといわざるをえない」
と批判する
131。
時本教授が想定する権力分立はあくまでも、一機関一作用型に基づいた権力分立構造で ある。しかし三権が均衡であることについては否定的であり、41 条の国会の最高機関性に 重きを置くため、内閣に執政への関与を認めることはあくまでも例外的であって執政を協 働で運用するという理解は否定される。ここで時本教授が協働執政に対する疑義の根拠と する権力分立観は厳格分離観であり、その理由は「権力分立の本来の姿」であるためと説 明されるにとどまる。
執政がいずれかの機関に配分し得ないものであるとする時本教授の指摘は正しいもの であり、権力分立によってそれぞれの作用の「主要」部分が各機関に配分されているとい う権力分立の理解もまた正しいものである。しかし、そもそも執政はその性質から立法に も行政にも、そして司法にも当てはまらない性質をもつ作用の領域の総称であること、憲 法上の権力として明文規定を欠いており、統治機構において権力ないしは主要作用として 一作用・一機関に対応させていずれかの機関に配分することもまた不可能である。協働執 政として執政領域の運用として捉える場合、各機関それぞれの主たる作用の性質に応じて 執政領域に関与していると考えることが可能である。
この特徴は憲法上明文規定を欠いた「執政」領域について、厳格分離観に基づいた一権 力一機関対応型から離れ、この運用が両機関の検討に基づくものであることとするもので ある。日本における権力分立の協働とは、憲法上明文規定を欠くいわば空白とも言える領 域について、その決定を二つの機関に分散することで運用されていると理解することを協 働とするものである。
第3項 アメリカの署名時声明に対する視座の提供
アメリカにおいて署名時声明を、大統領によるソフトな手法と積極的に理解・評価する ために、この日本の議論が参考となる。日本では権力分立の二面性を議論の俎上に上げる ことなく、厳格分離として理解してきた。しかしこのような古典的権力分立観に綻びが生 じ、新たな領域である「執政」の認識に続き、その領域を「協働」とする視点が導入され、
権力分立観に変化が生じた。このような権力分立の一連の変化の傾向を明らかにすること で、アメリカの署名時声明を理解する一助となる。
当初、日本の権力分立の理解は、厳格分離観に基づく古典的権力分立観によって理解さ れてきた。そのため権力分立が、権力の「区分と配分」、権力が配分された機関相互の「抑 制と均衡」という、矛盾を内包するものであると認識することは、あまり意識されてこな かった。しかし統治行為をめぐる議論と、行政権の定義をめぐる議論の二つの問題を通じ て、権力分立が二面性を有すると認識がなされるようになった。対してアメリカで、最高 裁判例を「形式主義」と「機能主義」に区分し、傾向を理解しようと試みたように、権力 分立の二面性について「認識する」こと、それ自体は大きな問題ではなかった。
日本において古典的権力分立観の限界、すなわち権力分立の二面性の認識は、厳格分離
ドキュメント内
アメリカ大統領による署名時声明の使用とその機能 ̶権力の分立と協働の視点から̶
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