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年に思う

ドキュメント内 金沢医科大学報第137号 (ページ 61-65)

随想・報告

勤続 20 年に思う

看護学部教授 

森河  裕子

こ ち ら の 大 学 に 赴 任 し た 年 に 生まれた子が今年20歳なりまし た。子供の年齢は数えてきました が、自分の勤続年数は忘れていま した。多くの方に助けられてきた と改めて感謝しております。また、

内灘は子育てをしながら仕事をす るものにとって、とても良い環境 であったことも有り難いことでした。

20年勤めたということは約2000人の学生さんと出

会ったことになります。医学部において公衆衛生学は あまりに地味な学問で、学生の目に公衆衛生学の教員 は特異な存在に見えたのではないかと想像します。私 は学生時代の公衆衛生学実習で社会学的調査を行った のがきっかけでこの分野を専攻しました。新設大学で したので先生方は若々しく意欲的で、良い影響を受け たと思います。この20年間、私は受け継いだ公衆衛 生の思想を学生さんたちに伝えることができたかどう か。疑問符がたくさん付きそうです。

2年前から主務が看護学部になりました。これまで 中川秀昭教授のもと複数の教員体制で講義実習にあた ってきましたが、看護学部に異動して長い教員歴のな かで初めて公衆衛生学を系統的に学生に教えることに なりました。準備に相当時間がとられ苦労する反面、

公衆衛生発展の歴史を再学習し初心に帰る良い機会と もなっています。結核や脳卒中に真正面から闘ってき た多くの人たちの努力と熱意はまさにプロジェクトX で感動ものです。翻って昨今では経済的効果を優先し た予防医学が重視される傾向も見受けられます。ロン ドン大学教授であったジェフリー・ローズ先生は『予 防医学のストラテジー(曽田研二ら監訳、医学書院)』

という本のなかで、予防医学についてこう述べてい ます。 病気や死よりも健康であることがよいのです。

このことが予防医学の本当の議論の最初であり、最後 であります。これで十分なのです 。

気持ちを新たに教育、研究等に励んでいきたいと願 っております。

勤続 20 年

勤続 20 年

職員課課長代理 

風端  英樹

この度は勤続20年の表彰をいた だきありがとうございます。諸先 輩方をはじめとし、多くの方々の 支えがあってこその辿れた道と感 謝しております。まだまだ至らぬ 点が多々ございますが、今後とも ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお 願いいたします。

振り返ってみますと、光陰矢のごとしといいますが、

まさに「あっ」という間の20年間だったというのが実 感です。20年前、時代は昭和の頃。医事課入院係を 振り出しとし、以来病院部門での勤務ですが、何かし ら追われるように、せかされるように過ごしてきたよ うな気がします。それだけ時代の変化していく速度が 速くなってきているのでしょうか。1日に3度の反省 をすることもないまま、右から左に流れゆく川面のう たかたの、消えてはかつ結ぶ様をただぽかんと眺めて いるうちに「えっ、表彰?」。果たして積み重なった と言えるのでしょうか。とにかく、これまではこれま でとして、今から新たなるスタートを。

Tomorrow is another day.

20 年を振り返って

医療情報課主任 

中村光宏

20年永年勤続ということで、今 まで大過なくやってこられたのも 皆様のおかげだと思っています。

昭和63年4月、就職当時私を最 初に迎え入れてくれた部署が施設 部設備課でした。今ではエネルギ ーセンターが稼働し、病院新館、

第二新館が新築され、その姿は大

きく変わりましたが、当時ボイラーや冷凍機、水処理 などの大学の施設・設備をどれだけ私が理解して仕事 をしていたかと考えると、今更ながら周りの上司、先 輩方がどれだけ支えてくれていたのかと思い、感謝の 気持ちで一杯になります。

その2年後には情報部門(当時電子計算課)に配属替 えとなりました。その頃はまさしく大型コンピュータ の時代でしたが、数年後にはマイクロソフト、インテ ルに代表されるパーソナルコンピュータを使ったシス

テムへと移り変わりました。ネットワークもLANか らWAN、そして現在のインターネットへと変化し、

その変遷の中で、今では当たり前になった大学のイン ターネットドメインkanazawa-med.ac.jpは、私が図 書館の方と一緒にシステム構築を担当した時に取得し たもので、大変思い出深い仕事の一つです。

現在は病院の情報システムを担当していますが、今 後も自分の殻に閉じこもることなく、変化に挑戦する 気持ちを持ち続け、より一層大学のために頑張りたい と思います。

最後になりますが、皆様に心より感謝を申し上げ、

これからもよろしくお願いいたします。

20 年勤続に思う

薬剤部主任 

政氏  藤玄

縁あって、昭和63年に薬剤部に 籍を置かせていただき、気が付け ば20年も経っていたというのが、

率直な感想です。

私が、勤めだした頃は、薬剤師 が病棟に出向いて患者さんに服薬 指導を始めたばかりでした。薬剤 管理指導業務について基礎知識が

乏しく、患者さんに対する指導は未知の領域でした。

今では病棟での業務は、多岐にわたっており、隔世の 感を禁じ得ません。なかでも、小児科の先生からのお 誘いで今も開催されている、小児喘息患者のためのサ マーキャンプに参加させていただいた経験は、患者さ んを身近に感じ、ともに学ぶことができ、何事にも変 えがたい経験となりました。

この20年の間に、薬剤部門システムのダウンサイ ジング、オーダリングシステム稼動という大きな転換 期に立会い、医療情報について多少なりとも学ばせて いただきました。

充実した業務に携わらせていただき、多くの方から ご指導、ご支援をいただいたことによって今日を迎え ることができました。

医療を取り巻く環境も変化していく中で、自分の果 たす役割を認識し、患者さんに安全な医療を提供し、

満足していただくことが最大の務めではないかと思い ます。そして地域の信頼を得る病院を目指し、本院の さらなる発展の力となるよう、微力ではありますが勤 めさせていただきたいと気持ちを新たにしておりま す。

永年勤続の表彰をいただき真にありがとうございま した。

20 年勤続に思う

看護部(本館6階B) 

岩川  佳子

周囲の人たちに 「 大学病院勤続 20年 。 す ご い ね 」 と 言 わ れ る が 、 何がすごいのか 、 自分では分から ない 。 自宅から近く 、 ここでしか 働いたことのない私には辞める理 由がなかっただけだった 。 結婚、

出産 、 配属換え 、 事あるごとに退 職を考えたこともあったが 、 結局

は主婦業を完璧にこなす自信がなく 、 その言い訳とし て仕事を続けてきたようにも思う 。 けれども 、 改めて 振り返ってみると、いろんな症例に出逢い日々刺激的 であった 。 また 、 新人を迎えるのも楽しかった。今で は 、 わが子であってもおかしくない年齢差の子たちだ が 、 自分の新人時代を思い出させ 、 初心に帰らせてく れる 。 そういう何気ない日々の業務を積み重ねて、人 生の約半分をこの病院で過ごしてきたことになる 。 そ れはそれですごいことなのかもしれない 。 核家族で看 護婦業を続けられたのは 、 やはり家族の理解と協力に 他ならない 。 また 、 そんな家庭環境でも働かせてくれ た職場の協力があってこそだった 。 今後も家庭と仕事 の両立に悩みつつも 、 楽しく働いていきたいと思う 。

20 年勤続に思う

看護部(新館6階東) 

斎藤  広美

20年といえば私のこれまでの人 生の約半分、すごい! の一言であ る。

就職してもう20年たったという ことと、20年間続けてこれたとい うことに驚きである。中学生の頃、

部活の顧問の先生から「継続は力 なり」と書かれた色紙をいただい

た。座右の銘とまではいかないが、就職後ちょっと立 ち止まって考える時々にこの言葉を思い出した。

看護師という生命に携わる仕事に就き、いろいろな 人と出会ってきた。なるほどと考えさせられたり、疑

問に思ったことや思わず涙したこともあった。その出 会いや感じたことは私にとってとても大切なもので、

それはこの仕事を続けてきたからこそ得られたものだ と思う。

今までのいろいろな出会いに感謝し、「継続は力な り」という言葉を胸にこれからもこの仕事を続けてい きたい。

年月

中央滅菌材料部 

金子  政義

私 が 就 職 し た 日 は 昭 和62年 の 夏、息子がちょうど1才の誕生日 でした。

また、手術部配属と聞き緊張と 不安でめまいがしそうだったこと を、今でもその日をしっかりと覚 えています。

あれから20年間、いろいろ周り

は変わってきました。年号が平成に変わり、またサン セットブリッジもでき、そして職場も新館に移転しま した。それに伴い機械も新型になり、便利になりまし た。

今、医学の進歩は著しく速いです。自分達の分野で ある洗浄滅菌もその一つです。はっきり言って10年 20年前は、この分野がここまで発展するとは思って もいませんでした。今の時代に付いて行くためにも学 会や研究会などに参加しています。

そこで学んだことを実践した時に最初は苦労するこ とは付きものですが、品質向上のためにこれからもガ ンバっていきたいと思います。

ドキュメント内 金沢医科大学報第137号 (ページ 61-65)

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