身の周りにある磁石(強磁性体)は,マクロな磁気モーメントを持っている。マクロな磁気モーメントは,固体中 の電子が持つ微小な磁気モーメントの足し合わせである。磁気モーメント M が一様な磁場 H の中に置かれると,
H とM の相互作用によって
EZ(M)=−M ·H (4.11)
なるゼーマン・エネルギーを持つ。
素粒子の1つである電子には,有限の質量と電荷*23の他に,スピンと呼ばれる固有角運動量がある*24。そのため 電子はµ0∼ 9.285×10−24J T−1の磁気モーメントを持つ。スピンに由来するこの磁気モーメントは,スピン磁気モー メント,あるいは単にスピンと呼ばれる。
*23ミリカンの油滴実験および比電荷の実験で測定したように,e=1.602×10−19C,me=9.109×10−31kgである。
*24電子の固有角運動量の大きさは 1
2ℏである。詳細は量子力学で学ぶ
4 カノニカル分布の基本的な応用 30
4.2.1 独立なスピンから成る系
z軸方向の一様磁場 H = (0,0,H)の中に電子が1つ固定されているとき,電子のエネルギー固有状態にはスピン がz軸の正方向を向いた 上向き状態(↑) とz軸の負の方向を向いた 下向き状態(↓) が存在する。スピンを表す 物理量σˆ を
σ =
{ 1, スピンが上向き
−1, スピンが下向き (4.12) と定義すれば,各固有状態におけるエネルギー固有値は
Eσ =−µ0Hσ (4.13)
で与えられる。仮にH > 0なら上向き状態のエネルギーが低く,下向き状態のエネルギーが高い。逆にH < 0なら 上向き状態のエネルギーが高く,下向き状態のエネルギーが低い。このように,スピンは磁場と同じ向きに揃おうと する傾向を持つ。
自習12. 磁気モーメントM と磁場 H のうち,示量変数および示強変数に対応するのはどちらか? また,電場 E と 電気分極 P,電位V と電荷qの組でも考えてみよ。
上と同様な電子がN 個ある場合に拡張する。各スピンに j =1,2, . . .N と名前を付け,j 番目のスピン変数σj を
σj =
{ 1, スピン jが上向き
−1, スピン jが下向き (4.14)
と定義する。全体のエネルギー固有状態は N 個のスピン変数の組(σ1, σ2, . . . , σN)で指定され全部で2N 通りある。
各スピン間に相互作用がなければ,全系のエネルギーは
E(σ1,σ2,...,σN) =
∑N j=1
(−µ0Hσj) (4.15)
で与えられる。
問題26.1つのスピンσˆ からなる系の分配関数Z(β,H,1)を求めよ*25。さらに σˆ の期待値⟨σˆ⟩β,H を求めよ。
答.分配関数は
Z(β,H,1)=
∑
↑,↓
e−βEi = eβµ0H +e−βµ0H = 2 cosh(βµ0H) (4.16) である。スピンの期待値は
⟨σˆ⟩β,H = 1 Z(β,H,1)
∑
↑,↓
σie−βEi = (+1)eβµ0H+(−1)e−βµ0H
eβµ0H+e−βµ0H =tanh(βµ0H) (4.17) となる。
問題27.互いに独立な N個のスピンからなる系において,磁化mˆ を ˆ
m:= 1 N
∑N j=1
µ0σˆj (4.18)
と定義する。これはスピン1つあたりの磁気モーメントに対応する。
27-1.この系の分配関数Z(β,H,N)を求めよ。
答.いま,σˆj は j 番目の(電子の)スピンを表す。各電子は異なる場所(原子)に束縛されていると考えるので,
互いに区別して名前付け出来る。そのため,分配関数に 1
N! の因子は要らない。よって Z(β,H,N)=[Z(β,H,N)]N = [
eβµ0H+e−βµ0H]N
=2NcoshN(βµ0H). (4.19)
*25引数の1は,スピンが1個であることを表す。
4 カノニカル分布の基本的な応用 31 27-2.磁化mˆ の期待値⟨mˆ⟩を計算しグラフで表せ。また,磁化mˆ のゆらぎσ[mˆ]を計算せよ。
答.期待値の定義より
⟨mˆ⟩=
⟨ 1 N
∑N j=1
µ0σˆj
⟩
= µ0 N
∑N j=1
⟨σˆj⟩
= µ0
N Ntanh(βµ0H)= µ0tanh(βµ0H) (4.20) と計算できる。
磁場の強弱と高温・低温極限を議論する。各スピン磁気モーメントは±µ0で中間の値を取らないことから,以下 のことが言える。
βが有限で一定のとき
• H→ 0 (弱磁場)で ⟨mˆ⟩ →0 (±1のスピンの数が同程度)
• H→ ±∞(強磁場)で⟨mˆ⟩ → ±µ0 (ほとんどのスピンが±1に揃う)
H ≷ 0で一定のとき
• β →0 (高温)で ⟨mˆ⟩ →0 (±1のスピンの数が同程度)
• β → ∞ (低温)で⟨mˆ⟩ → ±µ0 (ほとんどのスピンが±1に揃う)
まとめると
弱磁場・高温ほどスピンは,バラつく・乱雑な状態(S優先),
強磁場・低温ほどスピンは,全体で1つのスピンのように振る舞う(E 優先)となる。
次にゆらぎσ[mˆ]=
√
⟨mˆ2⟩ − ⟨mˆ⟩2を求める。
⟨mˆ2⟩=
⟨µ20 N2
∑N j=1
ˆ σj
∑N k=1
ˆ σk
⟩
= µ20 N2
∑N j=1
∑N k=1
⟨σˆjσˆk⟩
= µ20 N2
[∑N
j=1 (j=k)
⟨σˆ2j⟩+
∑N j,k=1 (j,k)
⟨σˆjσˆk⟩]
= µ20
N2[N+(N2−N)tanh2(βµ0H)]= µ20tanh2(βµ0H) − µ20
N [1−tanh2(βµ0H)]. (4.21) 従って
σ[mˆ]= µ0
√N
√
1−tanh2(βµ0H) ≤ µ0
√N (4.22)
となる。ここで(4.20)より,(H = 0でなければ)⟨mˆ⟩ ∼ µ0程度なので σ[mˆ]
⟨mˆ⟩ = 1
√Nsinh(βµ0H) ∼ 1
√N ∼10−12 (4.23)
である。期待値 ⟨mˆ⟩に比べてゆらぎσ[mˆ]が十分小さいので,⟨mˆ⟩は確定値と思って良い。
27-3.磁化率 χ(β)
χ(β):= ∂⟨mˆ⟩
∂H
H=0
(4.24) を計算せよ。また磁化率がどういった量か説明せよ。
答.上の定義と(4.20)より χ(β)= ∂
∂Hµ0tanh(βµ0H) H=0
=
βµ20 cosh2(βµ0H)
H=0
= βµ20= µ20
k T−1. (4.25)
磁化率 χ(β)は,H = 0から磁場をかけたときの磁化の起こり易さを表す。つまり χ(β)が大きいほど磁化し易い。
(4.25)より,χ(β)はT に反比例し,低温ほど磁化し易いことが分かる。これは,Curieの法則と呼ばれる。
27-4.ヘルムホルツの自由エネルギーF とエントロピーSを求め,断熱消磁について説明せよ。
答.FとZ の関係式より F(T,H,N)= −1
βlogZ(β,H,N)=−1 βlog[
2NcoshN(βµ0H)]
= −N kTlog[
2 cosh µ0H kT
]
. (4.26)
4 カノニカル分布の基本的な応用 32 N に比例するので示量性を持つことが分かる。またFとSの関係式より
S(T,H,N)=−∂F(T,H,N)
∂T = N k
{ log[
2 cosh µ0H kT
] +T(
−µ0H kT2 )
tanh µ0H kT
}
= N k {
log [
2 cosh µ0H kT
]
− µ0H
kT tanh µ0H kT
}
(4.27) を得る。S =(⟨Hˆ⟩
−F)/T から求めても良い。
4.2.2 2つずつのスピンが相互作用する系
磁性体が完全に一様ではなく,2つづつの原子がペアになって近い距離にあるとする。そのため,それぞれの原子 の電子軌道に重なりが生じ,スピンの間に相互作用が働く。このような相互作用はハイゼンベルクの交換相互作用と 呼ばれる。
問題28. スピンの総数 N を偶数とし,スピンに j = 1,2, . . . ,N と通し番号を振る。エネルギー固有状態は,スピン 変数の組(σ1, . . . , σN)で指定される。スピン1と2,スピン3と4,一般にスピン2i−1と2iが隣り合って相互作 用しているとする。この系のエネルギー固有値を
E(σ1,...,σN) =−J
N/2
∑
j=1
σ2i−1σ2i− µ0H
∑N j=1
σj (4.28)
とする。Jは交換相互作用定数といわれる物質固有のパラメータであり,物質によって正または負の値をとる。
28-1.隣り合うスピンは平行・反平行のどちらがエネルギー的に有利か? J の符号と合わせて答えよ。
答.系のエネルギー(4.28)で,第1項がスピン間のエネルギーを表し,第2項が外部磁場によるエネルギーを表 す。今,隣り合うスピンの向きに注目するので,第1項−Jσ2i−1σ2i が負になった方がエネルギー的に有利となる。
各スピンσ は±1の値をとるので
−Jσ2i−1σ2i =
{−J, σ2i−1= σ2i
J, σ2i−1= −σ2i (4.29)
よってJ > 0ならスピンが平行(同符号)のときがエネルギー的に有利となり,J < 0ならスピンが反平行(異符号)
のときがエネルギー的に有利となる。従って,J > 0ならスピンが同じ向きに揃い易く,J < 0ならスピンが反対向 きになり易い。
28-2.スピン1と2のペアからなる系の分配関数Z2(β,H)を求めよ。
答.全系を独立な部分からなる系として扱うため,基本となる一つの系を考える。この系では,相互作用し合う2 つのスピンによるペアを最小単位の部分系と考えれば良い。このペアのエネルギーは
E(σ1,σ2) =−Jσ1σ2− µ0H(σ1+σ2) (4.30) である。σ1, σ2がとる±1の値と,(4.30)の2つの項に現れる物理量σ1σ2とσ1+σ2の値およびE(σ1,σ2) の値を整 理すると下の表の通りになる。
(σ1, σ2) (1,1) (1,−1) (−1,1) (−1,−1)
σ1σ2 1 −1 −1 1
σ1+σ2 2 0 0 −2
E(σ1,σ2) −J−2µ0H J J −J+2µ0H
この表と分配関数の定義より,スピンペアの分配関数を計算すると
Z2(β,H)= eβJ+2βµ0H+e−βJ +e−βJ +e−βJ−2βµ0H = 2{eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ} (4.31) となる。J =0のとき,スピン系1個からなる系の分配関数(4.16)に一致する。
4 カノニカル分布の基本的な応用 33 28-3. 2つのスピンの和の期待値⟨σˆ1+σˆ2⟩β,H を求めよ。
答.期待値の定義と上の表より
⟨σˆ1+σˆ2⟩β,H = 2eβJ+2βµ0H +0+0−2e−βJ−2βµ0H
Z2(β,H) = 2eβJsinh(2βµ0H)
eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ (4.32) を得る。
28-4.全系の分配関数 ZN(β,H)を求めよ。
答.全系は,このペアが独立にN/2個あるので,N/2乗すれば良い。
ZN(β,H)=(Z2(β,H))N/2 = (
2{eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ})N/2
. (4.33)
28-5.スピン1つあたりのエネルギーの期待値
⟨Hˆ⟩can
β,H
N を求めよ。
答.エネルギーと分配関数との関係より
⟨Hˆ⟩can
β,H
N =−1 N
∂
∂ β logZN(β,H)= −1 N
∂
∂ β log(
2{eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ})N/2
=−1 2
JeβJcosh(2βµ0H)+2µ0HeβJsinh(2βµ0H) −Je−βJ eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ
=−J{eβJcosh(2βµ0H) −e−βJ}+2µ0HeβJsinh(2βµ0H)
2{eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ} (4.34)
となる。特に,磁場無し H =0では
⟨Hˆ⟩can β,0
N = −J(eβJ −e−βJ) 2(eβJ +e−βJ) =−J
2 tanh(βJ)= −J
2 tanh J
kT (4.35)
とまとまる。
28-6.磁場が0のときのスピン1つあたりの比熱c(T)を求めよ。
答.比熱の定義と(4.35)より
c(T):= d dT
⟨Hˆ⟩can β,0
N = J2 2kT2
1
cosh2 kTJ (4.36)
と計算できる。
28-7.磁化の期待値 ⟨m⟩canβ,H を求めよ。
答.独立な部分系からなる系の性質と,磁化の定義(4.18),スピンペアの期待値(4.32)を用いて
⟨m⟩canβ,H = 1 N
⟨∑N
j=1
µ0σˆj
⟩
= µ0 N
N/2
∑
j=1
⟨σˆ2j−1+σˆ2j⟩
= µ0 N
N 2
2eβJsinh(2βµ0H) eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ
= µ0 eβJsinh(2βµ0H)
eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ (4.37)
と求まる。
28-8.磁化率 χ(β)を求め,図示せよ。J の符号による違いを述べよ。
答.磁化率の定義(4.24)と磁化の期待値(4.37)より χ(β)= ∂⟨mˆ⟩
∂H
H=0
= ∂
∂Hµ0 eβJsinh(2βµ0H) eβJcosh(2βµ0H)+e−βJ
H=0
=
2µ20β
1+e−2βJ. (4.38)
4 カノニカル分布の基本的な応用 34