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帰属意識の再生産の場としてのイスラーム教育

第一節 国家統合と近代教育

主権国家の成立以降、政治における主要な問題は、一定の地理的領域内の秩序の再生 産であった。どのような主権国家も、いかに統合を強化するかという問題を抱えている。

一たび主権を有するものとして認知された国家が、その後、内部崩壊と外国からの侵略 の双方の脅威に晒される事はよくある。国民的感情が発達する程度に応じて、これらの 脅威は減少していくとされる。93民族や宗教は、秩序の維持や再生産という機能を果た すとともに、国家統合を正当化するために用いられてきた。

列強諸国による植民地支配を受けることが無かったタイでは、仏教徒の国王ので下で 国家主義的かつ中央集権国家的な国家を形成してきた。19 世紀後半に周辺諸国が植民 地化されていくと、タイは北はインドシナを影響下に治めたフランス、南はマレー半島 を支配下においたイギリスと対峙することとなった。タイでは、近代国民国家の確立と 不平等条約の改正が喫緊の課題とされた。この時、イギリスとの領土確定条約に基づい て引かれた国境線によって、南部のマレーイスラーム地域は仏教王国であるタイの領土 に組み込まれたのである。

深南部問題は、ナショナリズムと宗教の問題が複雑に絡み合う問題である。国民とい う共同体は、まさに定義しようとした瞬間にその定義から逃れてしまう94といわれるよ うに、国民を概念的に捉えることは困難である。先行研究は深南部問題の本質をマレ ー・ナショナリズムに見出しており、主権国家タイと、マイノリティ集団であるマレー ムスリムを前提として議論が進められている。また、ナショナリズムといった時に、タ イの国家としてのナショナリズムを指すのか、マレーの民族としてのナショナリズムを 指すのかといった点も注意して見なくてはならない。こうした状況は、学術的ブームと してのナショナリズム研究の乱立と、日常会話のレベルから学術レベルまで「ナショナ リズム」という言葉の持つある種の利便性を反映したものでもある。

近代的国民国家の形成過程において、国民を作り出すための諸装置が導入されてきた。

国民を作り出すためのイデオロギー装置として重要な役割を果たすのが、学校という場 であり、制度である。教育機能を教会から奪取するために熾烈な争いを経たヨーロッパ 諸国とは異なり、非西欧諸国の多くでは国民教育と宗教が密接に結び付く形で実施され てきた。

タイでは、1878年にチェンマイで生じたキリスト教布教妨害事件に際して、ラーマ5

93 バリバール,エティエンヌ、イマニュエル・ウォーラーステイン(1997)『人種・国民・

階級 揺らぐアイデンティティ』大村書店、149頁。

94 大澤真幸(2007)『ナショナリズムの由来』講談社、78頁。

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世(チュラロンコーン、1853-1910、在位1868-1910)はキリスト教の布教の自由を認め る、「宗教寛容令(Edict of Religious Toleration)」を発布し、国民の信仰の自由を認めて いる。95国民の信仰の自由を認めていたとはいえ、国民国家の創出にあたっては、仏教 徒である国王のもとで、既存の仏教寺院のネットワークを用いた国民教育の導入が行わ れた。1902 年「仏教サンガ法」を施行し、全国の僧侶に対して寺院への登録を義務付 け、中央を頂点とする階層組織に組み込んでいった。96さらに、全国の仏教寺院を中心 として、男子に対する国民教育を開始している。

一般に、国民教育制度は近代的国民国家を形成するプロセスの一部分として作られた。

「国民教育制度の歴史は、国民国家の形成史」である。97国民教育の目的とは、政治的 には国民意識の育成、経済的には工業化社会に相応しい人材の育成である。工業化にあ たって、最低限の読み書きができる能力や、時間通りに行動できる、集団行動ができる、

といった行動様式の獲得が必要とされるようになった。現代社会の学校は、①校長、教 頭などの職位の階梯をもち、②権限の階層化がみられ、③一定の専門的訓練を経て(教 員養成)、資格をもったスタッフ(教員)が、④分業して(教科担当制など)職務を遂 行している、という特徴をもっている。98制度としての学校の特徴を挙げることは可能 であるが、学校制度が生み出すものは決して価値中立的ではない。

学校制度を用いた国民教育の普及は、国民の管理統制を目指したものである。学校教 育が全ての国民に開かれており、価値中立的であるかのようにみえる先進諸国において も、教育は就職や収入、そして社会階層の再生産と深く結びついていることが明らかに なっている。深南部においては、教育と政治・経済的地位の関係は顕著となる。マレー ムスリムは、パタニ・マレー語を母語としている。現在でも、一定の年齢以上の人の中 にはタイ語を話すことができない者もおり、行政関係の事務処理、例えば免許取得のた めの試験が受けられずバイクの免許が取れない、という話が現地でよく聞かれた。タイ 語を話すことが社会進出の条件となるタイにおいて、マレームスリムが長らく周縁化さ れ続けてきた原因でもある。

学校とは、公然とした支配、統制の方策を用いることなく、日常的活動の中で支配体 制に相応しい意識形態の再生産を行う装置である。99そこでは、学校における「かくれ たカリキュラム」、すなわち「表立っては語られることなく、暗黙の了解のもとで潜在 的に教師から生徒へ伝達されるところの規範、価値、信念の体系」の存在が指摘される。

95 Kenneth E Wells. History of Protestant Work in Thailand 1828-1958. (Bangkok: Church of Christ in Thailand, 1958), 59-64.

96 石井米雄(1975年)『上座部仏教の政治社会学―国教の構造』創文社、(1991)『タイ仏教 入門』めこん

97 アンディ・グリーン (2000) 『教育・グローバリゼーション・国民国家』太田直子訳、東 京大学出版会、174頁。

98 柴山昌山・菊池城司・竹内洋(1992)『教育社会学』有斐閣ブックス、76頁。

99 M. W Apple. Ideology and Curriculum. (New York: Routledge Curzon, 1979)

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言語は単なるコミュニケーション手段ではない。101深南部においてタイ語は他者の言 語、人によっては支配者の言語とも捉えられる。深南部では、パタニ・マレー語と音声 記号として、アラビア語のアルファベットを使うヤーウィ文字を用いている。村落部で は、パタニ・マレー語とヤーウィ文字をイスラームの言葉(Phasa Islam)と呼ぶ者が多 い。深南部において、宗教と言語とは人々の認識レベルで深く結びついている。

軍や警察力の投入といった意味ではあからさまではなくとも、日常レベルにおけるヘ ゲモニーの行使という要素は、少なくともタイ語を用い、タイの文化を反映したカリキ ュラムで教育を行う公立学校においては明らかである。逆にいえば、伝統的な宗教教育 機関においては、この「かくれたカリキュラム」は、マレームスリムとしての民族意識 の再生産、強化という役割を果たしたといえる。

人や場、環境を媒介にして伝えられる「かくれた」カリキュラムにも、社会構造・意 識構造の再生産という機能がある。「かくれていない」カリキュラムに関わる決定事項 はなおさら、共同体の再生産に影響するものである。教育社会学の分野で明らかにされ てきたように、教育の問題は、知識の社会学、権力に関する哲学など、社会学の重要な テーマとして扱われてきた。社会全体を支配するような権力のみではなく、権力の諸関 係が存在しており、それらは多様な形態をもつ。家族関係の中で、制度、行政の中でも 作用しうるのである。こうした意味において、日々行われる国家教育は、遂行されてい る権力であり、国家による戦略の一部でもある。「教育の形態、内容、アクセス、機会 における諸格差は、経済的に重大な結果を持つだけでなく、これらの格差は、自己革新 や動機付けやイメージを生み出す働きにも影響を与える。こうしてそれらの格差は、民 主主義に対する経済的・文化的な脅威となりうるし、しばしばそうなっているのである」。

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学校制度が社会学において重要な論点となったのは、社会構造の再生産とメンタルな 構造の再生産に力をもつメカニズムに迫ることができるからである。「メンタルな構造 は、客観的構造と生成的かつ構造的に結びついているが故に、客観的構造の真実の誤認、

そしてそのことを通じてそれらの正統性の認知=承認を、促進するのである…(中略)

…分化した社会において観察される社会空間の構造は、経済資本と文化資本という二つ の根本的な差異化の原理の産物であるので、文化資本の分布=配分の再生産およびその 再生産を通じての社会空間の構造の再生産において決定的な役割を果たす学校制度は、

100 柴山ほか、1992、61頁。

101 Imitiyaz Yusuf. “The Southern Thailand Conflict and the Muslim World”, Journal of Muslim Minority Affairs, Vol.27, No.2 (September, 2007): 319-339, 325. 本研究でも見ていくように、マ レームスリムの同化・統合政策の過程で、タイ語を話させるということがいかに重視され てきたかという点からも明らかである。

102 バジル・バーンステイン(2011)『〈教育〉の社会学理論―象徴統制、〈教育〉の言説、ア イデンティティ』久冨善之、長谷川裕、山崎鎮親、小玉重夫、小澤浩明訳、18頁。

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