第一節 パタニ地域
深南部に関する研究は、主にパッターニー県のソンクラーナカリン大学パッターニー 校を中心として展開されている。ソンクラーナカリン大学パッターニー校は、コミュニ ケーション科学学部、教育学部、美術工芸学部、人間社会科学部、看護学部、政治学部、
科学テクノロジー学部、イスラーム学研究所を擁する国立の総合大学である。194南部国 境3県のみならず、アッパーサウスの仏教徒の学生も多く学んでいる。とくに、大学内 に設置する形で置かれているディープサウスウォッチ(Deep South Watch: DSW)195が ハブとしての役割を果たす形で、多くのNGOが各種セミナーやプロジェクトを実施し ている。内容は、平和構築、エンパワーメントといったテーマに集中している。
2004 年の紛争激化後、DSW を中心に、数々の研究プロジェクトが実施されてきた。
紛争、平和構築、正義、エンパワーメント等に関する膨大な量の質的・量的研究が積み 重ねられているものの、いずれもパッターニーを中心として実施されている。農村部か らインフォーマントを200バーツから300バーツ程度(1,000円弱)支払って大学に招 待し、インフォーマントに研究者が講義を行う形式でデータ収集を行っているケースも みられた。データを利用する際は、注意する必要がある。パッターニーを中心とした紛 争関連の研究の劇的な増加は、まさしく「平和産業」、「セミナー産業」と呼びうるほど の規模となっている。日本からは、笹川平和財団が2005 年以降、DSWや草の根 NGO であるピープルズ・カレッジ(People’s College)との協力のもと、平和構築や現地NGO のエンパワーメントに対する支援を継続的に実施している。
果たして、こうした活動が草の根まで届いているのかと問われると、人々に認知され ているとは言い難い。世界銀行をはじめ、様々な国際機関からの支援を受けたセミナー や研究に懐疑的である、あるいは、その存在さえ知らない一般市民も多い。研究者や現 地有力者などエリートによって構成される活動が存在する一方で、草の根のエンパワー メントを地道に行う市民団体も一部存在する。しかし、NGO 同士の連携が取れている とは言い難く、むしろ組織間の政治、利害関係から対立している事例もみられる。さら に、アクセスの困難性から政府によりレッドゾーン(Phuenti Si Daeng)指定された地域 に直接データを取りに行く研究者は多くはない。
194 ソンクラーナカリン大学パッターニー校ホームページ。
http://www.pn.psu.ac.th/web2555/index_main.php。2016年1月20日アクセス。
195 Deep South Watch ホームページ(http://www.deepsouthwatch.org/)では、タイ語、パタニ・
マレー語、英語の3か国語で、和平交渉関連のニュース、各種セミナー情報等が随時アッ プデートされている。
73 深南部の文化
パッターニー県、ヤラー県、ナラティワート県、ソンクラー県西部、並びにマレーシ ア北部クランタン州は、かつてマレー系のスルタン王国パタニの故地である。深南部地 域は歴史の中でランカスカ王国、シュリーヴィジャヤ王国、ナコンシータンマラート王 国(マレー語でリゴール)などの影響下に置かれた。ヒンドゥー、仏教、マレー、タイ からの影響が入り混じって、独特の文化を形成してきた。
マレーシアでもとくに保守的な地域として知られているクランタン州と深南部は、文 化や慣習を共有している。196女性は色鮮やかなヒジャブ(ヘッドスカーフ)と手首足首 までを覆う丈の長いドレス、男性はコピヤ、ソンゴックと呼ばれる帽子、シャツとサロ ン、パンツといった服装をするのが一般的である。ヒジャブを被らない女性は仏教徒、
非イスラーム教徒であるとみなされ、実際にそうである場合がほとんどである。
深南部がタイのその他の地域とは大きく異なることがよくわかる時期が、ラマダン月 である。ラマダンはバンコクにあるタイのイスラーム行政機関であるチュラーラーチャ モントリの計算に基づいて開始されるが、ラマダン期に深南部全体が包まれる祝祭的な 雰囲気はバンコクや他の地域では見られないものである。ラマダンはムスリムにとって、
重要な月である。ラマダン月には、世界で起こっている悲劇や恵まれない人々に思いを 馳せ、自らの日々の行いを正し、家族や仲間との紐帯をいつも以上に大切にする月でも ある。深南部では、この時期ムスリムの経営するレストランのほとんどが閉店する。ラ マダン月にのみ売られるおかずや菓子も多く、ラマダン月のみに立てられる市場も存在 する。夕方の5時ごろになると断食明けに飲む、サトウキビジュースやココナッツジュ ースを売る店が、市場の近くや大学前の目貫通りに立ち並ぶ光景がみられる。市場は、
おかずや食材を買う老若男女で溢れかえる。毎日の断食明けが祭りの様相を呈している。
ラマダン月にムスリムは、日が昇ってから沈むまでの間一切の飲食が許されない。子 供や老人、病人、旅人、妊娠中又は月経中の女性は断食を行う必要はない。子供は、家 庭によって異なるが、10 歳前後から大人と同様に断食できるようになるまで徐々に慣 らしていく。旅行や月経と重なったことによって断食を行わなかった期間は、ラマダン が終わったのちに、追加で断食を行うことで清算される。
ラマダン明けのハリラヤ(Hari Raya)の日は、日本でいう正月のような日である。ハ リラヤの日には親族を訪問し、文字通り朝から晩まで飲食を行う。ハリラヤの日にはコ コナッツミルクで煮たもち米をバナナの葉で巻き、蒸した「トゥパ」と呼ばれる粽と、
米を発酵させた「タペ」と呼ばれる食べ物が必ず振る舞われる。農村地帯では、伝統的 にハリラヤの日の早朝にクーボーと呼ばれる墓地に集まり、男性は墓の掃除を行う。そ の間女性は食事を準備し、昼頃コミュニティの人々が集まって飲食を共にする。さらに、
196 クランタン州は、マレーシアで唯一、国政レベルで政権党である国民戦線(UNMO)で はなく、野党である全マレーシアイスラーム党(PAS)が政権を握る州である。
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ハリラヤの日の6日後には現地でラーヨーネーと呼ばれるハリラヤ・エナム(Hari Raya Enam)を祝う風習が存在する。ラーヨーネーには、ハリラヤの日と同様に、朝から晩 まで親族や友人・知人と飲食を共にする。クーボーで会食を行う事や、ラーヨーネーを 祝うことは、サーイ・マイ(イスラーム改革派)の人々にとっては、非イスラーム的で あるとして否定される傾向にある。
パッターニー
パッターニー県は、12のアムプー(Amphoe, 郡)と115 のタンボン(Tambon, 町)、
629 のムーバーン(Muban, 村)を擁する。パタニ王国時代の交易の要衝であり、宗教 教育の中心地としても名を馳せていた。現在のパッターニー市街地から3キロほど離れ た、かつてパタニ王国時代の中心地だった場所に、クルセ・モスクという400年以上の 歴史をもつモスクが存在する。このモスクには、ある伝説が存在している。リムコウニ ャウという女性にまつわるものである。リムコウニャウは、兄を連れ戻すべく、中国か らパタニ王国を訪れた。彼女の兄は、パタニで現地の女性と結婚し、イスラーム教徒に 改宗していた。兄が帰郷の説得に応じることなく、中国に戻らないことを悟った彼女は、
兄が建設を進めていたクルセ・モスクの近くの木で首をつって自殺を遂げた。このモス クが永遠に完成することのないように、と呪いの言葉を残して死んだとされる。
この後、彼女が自殺を遂げた場所に、兄が廟を建てた。この伝説とともに、彼女を祀 る廟や彼女の墓とされるものは、華僑の間で信仰を集めるようになった。紛争が激化す る前には、シンガポールやマレーシアからも観光客が多く訪れた。リムコウニャウの廟 が、クルセ・モスクのすぐ隣にある。設立年については明らかになっていないが、仏歴 2065年から仏歴2109年(西暦 1422年から西暦1556年)の間とされる。現在の廟は、
パタニにおける華僑系の名家カナルラック家によって1864年に改築されたものである。
197今にも壊れそうな煉瓦作りの荘厳なクルセ・モスクとは対照的に、新しいカラフルな 中国式の造形物に見える。モスクから見て、メッカの方向に建てられた廟は、地域のム スリムたちにとってはタイの植民地主義の象徴であり、屈辱的なものとして捉えられて いる。
クルセ・モスクには、今一つ深南部問題を語る際に欠かすことのできない象徴的なも のがある。実物は、バンコクの防衛省に飾られている、パヤーターニー大砲である。パ ヤーターニー大砲はパタニ王国が1785年の戦役でシャム王国に負けた際に、パタニか ら持ち去られたものである。2013 年6月2 日にクルセ・モスクに設置されたレプリカ
197 「Kret Khwamru Kiawkap Sanchaome Limkoniaw(リムカウニャウ廟に関する歴史)」カナ ルラック家ホームページ。
http://www.kananurak.com/mcontents/marticle.php?headtitle=mcontents&id=74894。2016年1月 19日アクセス。