(1)民営企業の概念
中国における民営企業といわれる企業形態は1990年代半ば以降、実務家と専門家の間に おいて頻繁に使われるようになったが、民営企業についての定義は必ずしも一様ではない。
一例として、「民営企業は所有制とは関係なく、経営主体を区分する概念であるという認識 がある。具体的には、民営企業は経営形態上の特徴に着眼し、官営に対して使われる概念 である。すなわち、個体、パートナーシップ、私営、株式企業など以外に、外資系、中国 企業と外資系企業との合弁企業を指す。伝統的な公有制経済、すなわち、国有企業、地方 政府および農村末端政府の出資集団制企業を含まないという見解である」。
一方、「所有制によって民営企業を理解する場合は、民営企業は非国有企業であり、主と して新モデルの集団制企業(伝統的な集団所有制企業を含まない)、一部の郷鎮企業(郷鎮 政府が経営している企業を含まない)、個体企業、私営企業、聯営企業、株式制企業、外資 及び香港、マカオ、台湾系などを含む企業形態である」1)。
他人の搾取労働に依存する私営企業という経営形態は1980年代でも禁句であったが、事 実上の私営企業の急速な発展に応じて1987年に私営企業は党中央により公認されることに なった。1987年中国共産党第13回全国代表大会において、趙紫陽報告では「実践が立証 しているように、私営経済がある程度発展すれば、生産を促し、市場を活気づけ、就業を 拡大し、人民の多方面の生活需要をより満たすのに有利であって、これは公有制経済の必 要かつ有益な補完物である」2)とされ、1988年には改正憲法において「社会主義公有制経 済の補完物」として規定された。これを踏まえて1988年「中華人民共和国私営企業暫定条 例」(以下、「私営企業暫定条例」と略す)が採択され、公的制度としての私営企業が認知
されることになった。
1992年登阿・平の南巡講話を契機として改革・開放政策が推進され、中国共産党第14回 大会は社会主義市場経済化の確立を打ち出し、「所有制構造において、全人民所有制と集団 所有制を含む公有制を主体として、個人企業、私営企業、外資系企業を補充として、多種 の経営体が長期間共同発展し、異なる経営体はまた多くの形式の連合経営を実施すること ができる」3)と指摘した(第3章参照)。
1993年中国共産党中央委員会は「社会主義市場経済体制の若干の問題に関する決定」に おいて、公有制を主体とし多種の経営体が共同に発展する方針のもとに「個人経営、私営、
外資系企業の発展を奨励し、法に基づき管理を強化すること」「国家は各種の所有制経営体 が市場競争に平等に参入するために条件を創造し、各種企業に対して一視同仁の扱いをす べきこと」を明確にした。
1997年の「パートナーシップ企業法」、1999年に「個人独資企業法」では、民営企業を
法律によって保護し・急速に発展する中国経済の重要な産業の担い手として位置づけてい
る。
企業形態からみれば民営企業は私営企業、個体経営、一部の集団制企業、連営企業4)・郷 鎮企業(郷鎮政府が経営している企業を含まない)・外資系企業などの企業といえる・
1988年に施行された「私営企業暫定条例」によれば、私営企業は企業資産が私的所有に 属し被雇用者が8人以上の営利的組織を指しており・企業資産が個人・家族の単独出資に 属し被雇用者が8人未満の場合は「個体工商戸」(個人企業)と分類されている・私営企業 の資本形態として三つの形態が規定されている。すなわち、「個人企業」(単独出資企業)・
「パートナーシップ」(共同出資企業)、「有限責任公司」(有限会社)である。
本論においては私営企業、個人企業、郷鎮企業を中心に民営企業の発展及び現状を整理
しておこう。
(2)民営企業の発展
現代中国は1950年代に社会主義的改造(社会主義化の推進)をすすめる過程において民 営企業が廃止され、公有制企業のみが公認される経済体制をとってきた(第1章参照)。計 画経済体制下の中国においては、私有財産の保有は認められなかったが、1978年の改革・
開放政策導入直後は、民営企業に関する政府の方針・政策が明確に示されていなかったが、
私有財産を追求する大衆の要求に応じて、私有財産を保有することが認められることにな り、民営企業発展の方針が打ち出された。多くの民営企業は創業当時、イデオロギーの壁 を乗り越え、また政府の支援を得るために、集団企業という所有形態を取らざるを得なか った。民営企業として位置づけられる私営企業、個人企業、郷鎮企業などの創業は、改革・
開放政策後の個人経営、家族経営及び郷鎮経営企業の復活が背景にある。
郷鎮企業は元来、農村の人民公社と生産大隊レベルで経営されていた集団所有制の「社 隊企業」と呼ばれていた。1978年中国共産党11期3中全会以来の農村における人民公社 解体過程で「政経分離」(政治の末端機構である郷政府と生産組織の分離)が実施され、そ れ以降、郷・村の共同経済組織が従来の社隊企業を経営するようになった。また、郷・村 の農民が連合経営等の方式で合作企業を興したり、さらには農民個人が経営する私営企業、
個体企業が各所に創業された(第2章及び第3章参照)。
1981年共産党第11期6中全会では「建国以来党の若干歴史問題に関する決議」が採択 され、「国営経済と集団経済は中国の基本経済形式であり、一定範囲内の個体(私営)経済 は公有制経済の必要な補完である」5)と提起している。そして1982年共産党第12期大会 において「長期において多種経済形式は同時に存在することが必要である」ことが強調さ れ、農村と都市のいずれにおいても個体経済を奨励するように指示した。
農村における余剰労働力の累積が深刻な状態になり、少しでもこれを吸収すべく国務院 は文化大革命が終わった直後の1977年に、手工業合作社・組などを人民公社の指導監理下 におく通達を出した。この通達の中で国務院は、社隊企業の「三奉仕」経営方針を打ち出
した。それは①農業生産に奉仕すること・②現地の人民の生活に奉仕すること・③大工業 と輸出に奉仕することという3原則であった6)・この時期は就業問題等を解決するために・
民営企業の回復を図ることになったものの・民営企業に対する様々な制約があり・業種と しては修理業、飲食業、サービス業、手工業などに限定されていた。
その後、人民公社の廃止によって、1984年に社隊企業は郷鎮企業に改称されたが、これ を契機iとして郷鎮企業は飛躍的に拡大し、同年132万社であった企業数は翌年には1,223 万社に増加していた。郷鎮企業の増加は、当然のことながら総従業員数、総生産高増加の 要因となったが、郷鎮企業従業員数を工業、農業、建築業、商業・飲食業・交通・運輸業
に分類すると、工業労働に従事する従業員が最も多く、郷鎮企業従業員数の6割を占めて いた。それに反して農業に従事する者は減少し、建築業、交通・運輸業、商業・飲食業に 従事する労働者の全体に占める割合が増加した。
1g87年中国共産党中央委員会は「農村改革の深化について」を公布し、「社会主義初級段 階における商品経済の発展ではかなり長期間、個人企業と少量の私人企業の存在が不可避 である」「私営経済は社会主義経済構造の一種の補充形式であり、資金、技術、労働力の結 合を実現し急速に社会生産力の形成、多方面での就業機会の提供、経営人材の成長を促進 するうえではいずれも必要である」とした。そして「存在を認め、管理を強化し、利点を 伸ばして弊害を抑え、一歩一歩誘導する」7)との方針をとるべきであるとした。これは1950 年代の社会主義改造後、中国政府が初めて私営企業の存在を承認した公式の所見である。
1987年共産党13回大会において「公有制を主体とする前提のもとで各種の所有制企業を 引き続き発展させることが社会主義初級段階における党の活動指導方針」であるとし、私 営企業の発展政策をより明確にした。
1988年第7期全国人民代表大会第1回会議において憲法が修正され、憲法(第11条)
に「国家は私営経済が法律規定の範囲内で存在し発展することを承認する。私営経済は社 会主義公有制経済の補充である。国家は私営経済の合法的権益を保護し、私営経済に対し 指導、監督と管理を行う」ことを明記している。同年「私営企業暫行条例」が施行され、
その後、私営経済に関する法規定、政策措置が次々ととられ、私営企業が合法化されるこ
とになった。
1993年中国共産党中央委員会の「社会主義市場経済体制の若干の問題に関する決定」に より、私営企業は急速に拡大発展し、民営企業が市場経済化を促進する中国経済の原動力 としての役割を担う存在となったといえる(第2章及び第3章参照)。
(3)国民経済における民営企業の経済的位置づけ
1978年から1992にかけて民営企業の工業総生産額は国有企業より低かった。工業総生 産額をみると、民営企業は1978年の948億元から1992年には14,141億元に増加し、工 業総生産額の比重は22.4%から40.9%にまで増加した。1994年には工業総生産額は33,554 億元になり、総生産額の比重が国有企業の37.3%を越え47.8%を占めるまでに拡大してい