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に、山東省政府・都市政府に借款を供与した。ドイツ資本の独華(亜)銀行、

日本資本の横浜正金銀行、イギリス資本の香港上海銀行の3銀行は、その資本 規模・経営規模の点でトップレベルにあり、山東省の経済発展に大きく寄与し た。中国民族資本の銀行も山東省に多数の支店を設立し、青島・煙台・済南な ど地域の中小企業に資本を提供した。

このような商品流通市場の形成過程で、山東省の経済的・社会的発展が促 進された。この形成過程は非常に緩慢であったにもかかわらず、確実なもので あった。その中で最も重要であったのは、各都市の市場形成とその発展であっ た。とりわけ、煙台の開港は最も直接的な影響を受け、山東省の輸出入貿易の 新たな段階を開拓していった。この開港により山東省の家内職布業・鍛冶業・

ガラス業などの伝統産業資本が西部・中部から維坊を経由して東部の煙台へ移 動すると同時に、欧米資本および商社は山東省へ最初に進出し、山東省の市場 は世界に開放された。ヨーロッパの工業製品の輸入と農産物の輸出にともなっ て、山東省の伝統的な零細家内手工業は大きな衝撃を受け、家内手工業の合併・

再編と農産物生産から輸出商品生産へと転換していった。欧米や日本の海運会 社、商社、金融業が煙台に進出することによって、山東省の対外輸出入貿易は 拡大しただけでなく、欧米資本の近代企業が設立され、民族資本の近代農産物 加工業が新設されるなど、煙台は1900年代までに山東省および中国北部の商 品流通と商品生産の中心地となり、さらに輸出入貿易の中心的な港となった。

しかしながら、煙台の都市インフラや近代交通機関は未整備であり、都市行 政機関も十分ではなく、その管理能力は低く、資金もなお不足していたため、

商品流通と輸出入貿易のさらなる拡大は不可能となり、山東省全域の商品流通 市場形成や生産関係再編へさほど大きな影響を与えることは出来なかった。こ れについて、煙台税関も「関税十年報告1892-1901」(『山東省経済調査資料』) において、「すでに十年前に鉄道敷設が唱えられ、水路および道路改良の必要 が指摘されている。しかし、政府当局は近代交通機関の建設を軽視したため、

今の山東は全く十年前と同じ水準に停滞し、その商品流通経済の発展はほとん ど見られなかった」42)と報告し、山東省の商品流通・輸出入貿易の不振を嘆い

42) 前掲南満鉄経済調査会『山東省経済調査資料』2頁。

ていた。

このような中で本格的な影響を与えたのが青島の開港と鉄道の敷設であっ た。ドイツ資本による近代青島港の整備と膠済鉄道の開通は、山東省の対外輸 出入貿易と経済発展に大きな衝撃を与えたといえる。ドイツの青島経営を契 機として、山東省中部を東西に貫く近代的な交通機関が完成され、農業は自給 自足の状態から脱却し、商品流通市場はますます整備されていった。さらに、

1912年の津浦鉄道の開通により、膠済鉄道の恩恵を従来は受けられなかった 山東省北西部・南西部の小さな地方諸市場が青島と結ばれることで、青島市を 基点とする近代交通網が整備された。それにともなって、山東省全域に及ぶ商 品流通市場が世界経済市場と結び付くようになった。しかし、ドイツの有名な 銀行の共同出資で設立された独華(亜)銀行が、鉄道および鉱山を中心に、船 舶業・金融保険業などを経営するなど、ドイツが主要産業を経営・管理するよ うになるにつれ、青島を中心とする山東省も植民地化された。このようなドイ ツの青島進出をきっかけに、大きく飛躍的に発展してきた山東省は、第1次世 界大戦後の日本経営時代になると、綿紡績業を中心とする近代工業への投資に よって近代工業都市へと発展していったのである。

まとめ

1862年から1937年の約70年間に、山東省の輸出入貿易は次第に発展して いったが、その発展過程は概ね三つの段階に分けられる。1862年から1897年 までの第1段階では、煙台港のみが山東省全域の輸出入貿易を担当し、輸出 入貨物トン数と貿易額は安定的に増加していったが、近代交通機関の未整備お よび輸出入商品の種類と貿易量の制約によって、内陸部への影響は比較的小さ く、沿海地域の農業や主要都市の手工業には比較的大きな影響を与えた。

1898年から1913年までの第2段階では、青島港の開港、港湾と鉄道の整 備にともなって、商品流通市場が急速に拡大し、貿易額が大幅に増長し、輸出 入貿易の中心も煙台から青島へ移った。第1次世界大戦前の1913年には、青 島・煙台両港の輸出入貨物量は90万トンに達し、貿易額も9,000万海関両(約

12,420万円)に達した。この貿易額は当時の山東省全域の人口一人当たり約4

円に相当し、山東省の商品経済にきわめて大きな影響を与え、その影響は次第 に大きくなり、山東省の諸商品集散市場を通じてさらに周辺諸省へと伸ばして いった。この時期の山東省貿易の特徴は以下のとおりである。第一に、近代交 通機関の整備によって青島を山東省の主要な商品集散市場と結びつけ、これら の市場を通じてさらに周辺地域へと拡大していった。それにより青島港の貿易 額は煙台港を越え、山東対外輸出入貿易の中心地となった。第二に、対外輸出 入貿易の発展は山東省の商品経済に新たな需要と市場を提供し、それにより農 産物・手工業製品の商品化が加速されたと同時に、農業生産関係が再編され、

工業の近代化を進めるための機会を提供した。

1914年から1937年までの第3段階では、第1次世界大戦の被害により一 時的に停滞していた対外輸出入貿易が次第に回復し、近代工業の発展による 工業用原料の需要増加およびその製品の輸出にともなって、青島・煙台両港の 輸出入貿易額は最高水準に達した。青島・煙台・威海三港の貿易額は1918年 には10,000万海関両(約13,800万円)を突破し、1929年には20,000海関両

(約27,600万円)を越え、1931年には28,459万海関両(約39,273万円)に 達した。

このように、19世紀後半からの近代交通機関の整備と輸出入貿易の発展は 山東省を伝統的な商品交換社会から新たな市場流通社会へと転換させ、最終的 に近代商品流通市場システムが形成されたといえる。この発展過程で、商品流 通方式が変わり、新たな消費者と消費市場が生まれ、近代資本主義の市場経済 体制の形成が促進された。また、農業の集約化・農産物の商品化の推進を通じ て、自給自足の農産物生産者は輸出商品の生産者へと転換し、資本主義の農業 生産構造へと変化し、新たな商品生産システムが形成された。それと同時に、

従来の伝統的な家内手工業は近代工業生産システムへと転換しているうちに、

その生産方式も革新され、生産構造も一層合理的となり、近代資本主義的な工 業化の基礎が整備された。

主要参考文献

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