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小説における指示語の文脈展開への関与

1.はじめに

日本語は英語や中国語より、指示語の使用が非常に目立ち、複雑な様相を呈している。

量も多く、使用範囲も広いため、談話・文章において非常に重要な役割を果たしている。

指示語は文章構造を明らかにするために不可欠なものであり、指示語によって文や段落相 互が関係し合い、文章は構成されている。

これまで指示語の分類や指示範囲についての研究は数多く行われてきた。その一方、指 示語の文章論的機能については、系統的な研究があまり進んでおらず、問題が多く残って いる。従来の指示語の文章論的観点の研究では、主に文脈指示用法に注目しており、現場 指示や観念指示は文脈展開とあまり関係がないとされる。しかし、文章という自己充足型 テキストでは、指示語は原則としてすべて文脈展開に関与していると考えられる。そこで、

文章において、指示語の文脈展開への関与を再検討する必要があると考えるに至った。

小説の文章には、地の文と会話文両方があり、指示語の現場指示や文脈指示、観念指示 など様々な指示用法が使われており、データが豊富であると考えられる。本章では志賀直 哉の小説「小僧の神様」における指示語の分析を通して、指示語が文脈展開にいかに関与 するかを確認したいと思う。

2.先行研究と問題提起

指示語の研究史というと、佐久間(1936)から語り始めるのが一般的である。佐久間が

「コ・ソ・ア・ド」体系を日本語研究の一対象として確立し、人称区分説を提唱して以降、

指示語研究が盛んになった(注 1)。

指示語の指示用法の分類で、もっとも代表的なのは堀口(1978a)の分類方法である。堀 口(1978a)は指示用法を現場指示、文脈指示、観念指示、絶対指示の四種類に分けている。

本章ではこの四用法について、それぞれ文脈展開にどのように関与するかを考察する。

文章論的観点から見れば、文章において、指示語の四用法は原則として文脈展開に関与

することができると考える。長田(1995)は談話では、「話の場」が先にあると、話し手と 聞き手が言語だけでなく、行動などを通して「相互に相手を確かめることができる状況に ある」ため、意志伝達のすべてを言語に頼っていない。それに対して、文章では、話し手 と聞き手が「話の場」に相当するものを同時に共有しておらず、すべて「文字言語で表現 される」故に、意志伝達のすべてを「文字言語」に頼っているとしている。

これについて、庵(2007)は文章を「自己充足型テキスト」の典型で、「脱状況的であり、

そのテキスト内部の要素の解釈はそのテキスト内部で完結する。そしてそのことによって、

解釈時から時空間的(特に時間的)に隔たったテキストが解釈可能になるのだ」と指摘し ている。

長田(1995)・庵(2007)の論に見られるように、文章中の文(節/文段)と文(節/文 段)とのつながりを示す指示語は、文脈指示はもちろん、現場指示、観念指示、絶対指示 も文字言語からその持ち込み内容を探ることができる。その際、指示語の持ち込み内容は、

直接その文章の文字言語にある場合もあれば、文字言語の提示によって、読み手の背景知 識(文化・経験)を導入し、作られた観念の場にある場合もある。しかし、いずれにせよ、

これらは文字言語と関わっているのである。

そこで、本章では、志賀直哉の「小僧の神様」という小説を通して、堀口(1978a)の提 示した指示語の四用法はそれぞれどのように言語文脈に依拠し、文脈展開に関与している のかを解明しようと思う。

3.「小僧の神様」における指示語 3.1 指示語出現の形式と総量

まず、先行研究を踏まえ、本研究では指示語の指示用法の分類を【表 1】のように規定 する。

【表 1 指示用法の分類】

指示用法 指示対象 コ・ソ・ア系列

現場指示 現場(近称・中称・遠称) コ・ソ・ア 文脈指示 言語文脈(前方・後方照応) コ・ソ

観念指示 観念に浮かべる遙かな事物 ア

絶対指示 特定の対象 *「この間」「そのうち」「あの世」等

本節の調査資料となる「小僧の神様」は 1920 年に雑誌『白樺』で発表された作品である。

この小説は「一」から「十」まで、そして最後の「追伸」の部分からなっている。この小 説における指示語の指示用法を調査し、文章中の指示語「コ・ソ・ア」の文脈展開への関 与の特徴を見てみよう。

まず調査の結果として、指示語の語形は以下のようなものが挙げられる。この表記は平 仮名のほうが多いが、「ココ」は「此処」で、「ソコ」は「其処」で、「コッチ」は「此方」

で、「ソッチ」は「其方」という漢字の表記を取るものもある。

指示代名詞:コレ、ソレ(ソン)、アレ、ココ、ソコ、コッチ、ソッチ 指示連体詞:コノ、ソノ、アノ、コンナ、ソンナ、アンナ

指示副詞:コウ、ソウ、アア

調査の対象である「コ・ソ・ア」の総量を調べ、【表 1】に従って分類すると、次の【表 2】のような結果となる。

【表 2「小僧の神様」における指示語「コ・ソ・ア」の出現】 文脈指示 現場指示 観念指示 絶対指示 合 計 コ 14 2 0 5 21(16%) ソ 86 1 0 7 94(72%) ア 0 0 16 0 16(12%) 合計 100 3 16 12 131(100%) *【表 2】の詳細は p.154 の【資料 1】で示した。

* 131 例の指示語は総計 274 字である。

「小僧の神様」は合計 6118 字(句読点を入れて)であるが、そのうち、指示語は 131 例で、総文字数で 274 字を占めている。つまり指示語だけで文章の総字数の 4.5%を占め ている。

また、指示語「コ・ソ・ア」のうちで、最も多いのは「ソ」(94 例、72%)で、「コ」(21 例、16%)・「ア」(16 例、12%)と比べると、圧倒的に多い。この結果は張・王(2010)

の日本語小説を調査した結果と一致しており、「ソ」の多用は注目すべき点である。高崎等

(2007)の調査では、社説や随筆のジャンルでも、「コ」より「ソ」が多用されることを確 認している。

3.2 指示語の各指示用法の文脈展開

文脈展開の定義については定説がないが、本研究の第一章で規定した定義を用いる。す なわち、文脈展開とは、「既存の情報を次の新しい文脈に関与させることによって、先行文 と後続文の間に、意味上のつながりを持たせることである」とする。文章における指示語 は持ち込み内容との間にあるつながりを持つことになる。そうすると、客観的に前後の文 脈にあるつながりを持たせ、文脈が展開していく。

以下は各指示用法において、それぞれどのように文脈展開に関与しているかを考察して いく。

3.2.1 文脈指示の文脈展開

「小僧の神様」においては、文脈指示用法が 76%を占め、ほかの用法より圧倒的に多い。

【表 2】に示したように、「コ」においては、14 例で全指示用法の 67%を占め、「ソ」にお いては、86 例で全体の 90%も占めている。従来の研究で、指示語の文脈指示用法の文脈展 開機能は多く論じられているため、ここでは 2 例のみ挙げて説明する。

(1)帳場格子の中に坐って退屈そうに巻煙草をふかしていた番頭が、火鉢の傍で新聞 を読んでいる若い番頭にこんな風に話しかけた。

「おい、幸さん。そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」

(志賀直哉「小僧の神様」(一))

(2)京橋にSと云う同業の店がある。その店へ時々使に遣られるので、その鮨屋の位 置だけはよく知っていた。 (志賀直哉「小僧の神様」(一))

(1)は文脈指示で、後方照応の用法である。「こんな風」で次の発話「おい、幸さん。

そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」を予告する。この指示表現は文と文 をつなぎ、内容的にも一種のまとまりを持たせる。(2)は「ソ」の文脈指示用法の前方照 応である。「その店」は前の文の「京橋にあるSと云う同業の店」という内容をここに持ち 込み、前後の文をつなぐ。「その」の使用によって、文脈が展開していく。

文脈指示用法の場合、持ち込み内容は直接、文章の先行文脈か後続文脈かにあり、いず れの場合でも、言語文脈によるといえる。

3.2.2 現場指示の文脈展開

現場指示は 2%、さらにそのほとんどが会話文か心話文に現れる用法である。

(3)「それからお所とお名前をこれへ一つお願い致します」金を払うと番頭は別の帳 面を出して来てこう云った。 (志賀直哉「小僧の神様」(五))

(3)の「これ」は会話文の中に用いられており、この会話文の発話者が発話現場に存在 する事物を対象として「これ」を用いるため、現場指示用法である。そして、前後に語や 文や文段とも関係がないから、文脈展開には直接的に関わらないと見られてきた。しかし、

登場人物である発話者も作られた発話現場もあくまでも架空のもので、すべて文章の文字 言語で表現される。読み手として、「これ」に後続する地の文の「別の帳面」という言語文 脈を手がかりにして、「これ」の内容を理解することになる。このような立場から見れば、

「これ」を手がかりとして、後続する地の文の文脈が展開していると考えられる。

(4)「中々旨かった。それはそうと、見ていると、皆こう云う手つきをして、魚の方 を下にして一ぺんに口へ抛り込むが、あれが通なのかい」

「まあ、鮪は大概ああして食うようだ」 (志賀直哉「小僧の神様」(四))

これは小説の「四」の部分にある登場人物 A の発話で、聞き手はその友人の B である。

「こう云う手つき」は一見前後に手がかりがないが、隔たった「三」の部分に「鮨の趣味 は握るそばから、手掴みで食う屋台の鮨でなければ解らない」と説かれており、A はその 部分の内容を承けて B から「聞いていた屋台の鮨屋へ行って見た」と展開する。また、(4)

の「こう云う手つきをして」の後ろでは、「魚の方を下にして一ぺんに口へ抛り込むが、あ れが通なのかい」とそれに対する B の返事「鮪は大概ああして食うようだ」という会話の 提示がある。その提示を手がかりに、日本ではネタを押さえながら寿司を横にねかせ、親 指をネタ側、人さし指と中指をご飯側にしてつまみ口に運ぶのが、伝統的で寿司を堪能で きる食べ方とされている常識が喚起される。このように、言語文脈の提示と背景知識によ って、読み手はだいたいどのような手つきかが分かる。つまり、言語文脈の提示によって 喚起された書き手と読み手の共有している背景知識が導入されている。

小説の現場指示の場合は現場と言っても、文章上の架空の場であるため、その持ち込み 内容は前後の文脈から探ることができる。持ち込み内容には、前後の言語文脈から直接内 容を持ち込むものと、言語文脈の提示から背景知識を導入し、そこから必要な内容を持ち 込むものとがある。

3.2.3 観念指示の文脈展開

観念指示用法は 12%で、多くは会話文や心話文の場合に見られる。堀口(1978a)は観