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Find Life, Death in Waters,”San Diego Union Tribune, September 7, 2005;http://
legacy.utsandiego.com/news/nation/katrina/20050907-9999-1n7guard.html.
292「クリスチャニティ・トゥディ誌のレポーター」:メモリアル病院の教会内部を写したトニ ー・カーンズの写真は衝撃的で、ニューヨークタイムズ紙に掲載された。http://www.
nytimes.com/imagepages/2005/09/18/national/19victimsCA01ready.html.
292「地獄のようでした」:ハイ・マッケナリー牧師がCNNに語った(2005年9月16日)。
293「バトンルージュのテレビ局のインタビュー」:WBRZで2005年9月12日に放映された。
のちにその一部がCNNで放映。
293「セントリタで……介護ホーム」:セントリタの介護ホームのケースについては以 下がくわしい。Cobb, James, Jr., Flood of Lies:The St. Rita’s Nursing Home Tragedy (Gretna, LA:Pelican Publishing, 2013);Junod, Tom, “The Loved Ones,”
Esquire(September 2006);http://www.esquire.com/features/ESQ0906 NEWORLEANS_216;Mead, Robert A.,“St. Rita’s and Lost Causes:Improving Nursing Home Emergency Preparedness,”Marquette Elder’s Advisor (Spring 2006).
298「『モダン・ヘルスケア』誌のエッセイで」:Hirsch, Les,“‘We had to Evacuate Soon,’”
Modern Healthcare (September 12, 2005);http://www.modernhealthcare.com/
article/20050912/NEWS/509120323.
303-304「ポーはグーの携帯に電話をし……雇うように助言した」:アンナ・ポーの宣誓供 述 書(2006年1月13日)及び審 理 記 録による。“In re:Doctor Anna Maria Pou,”
Orleans Parish criminal district court, the Honorable Calvin Johnson.
304「ネットワークは……シモンズに……弁護を頼むことになった」:ポーの弁護士がフェ ルプス・ゲイとローレン・マックヒューに送った電子メールより。“Re:Dr. Anna Pou’s Claim for Reimbursement of Legal Fees.”Attachment A,“Memorandum from Richard T. Simmons Jr. counsel for Dr. Anna Pou,”4. Documents filed with the Attorney Fee Review Board, Louisiana State Legislature and obtained by author through public records request.
304「まずシモンズは」:ポーが最初にテネット社の幹部と話をした日である2005年9月19日 に、ポーはシモンズを雇ったと言ったが、シモンズは報酬に関する調査でルイジアナ州 に対して2005年10月はじめから雇われたと話した。
305「ルイジアナ州南東部を管轄する連邦検事も」:情報公開法にもとづく筆者の要求に 応じて、連邦保健福祉省監察総監室が公開した調査記録による。
312「正当性を訴えた」:Cobb, Flood of Lies.
312「3人の死が確認されている」:Ferncrest Manor Living Centerの調査記録、 HHS OIG case 6-05-00497-9, September 17, 2007.
312「介護ホームに避難を勧告」:連邦上院議会報告書、 Hurricane Katrina:A Nation Still Unprepared, Chapter 16, p. 248. ネイギン市長の避難命令の草稿では、介護ホ ームは対象外になっていた。市の国土安全保障及び市民の安全を担当する責任者 であるテリー・エバート大佐が、介護ホームの脆弱性に気づき、市長に提案して、変更 させた。
312「約3分の2が……命を落とした」:Hull, Anne and Doug Struck,“At Nursing Home, Katrina Dealt only the First Blow,”Washington Post, September 23, 2005;http://
www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/22/AR2005092202263.
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NOTES
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312「シャトー・リビングセンター」:この介護ホームにおける死亡事件をめぐる訴訟で、介 護ホームの代理人は、旅行会社にバスの手配を断られたあと、大手バス会社から避 難用のバスを借りようとしたが、すでに高速道路は閉鎖され、あたりは強風域に入っ ていて、まにあわなかった、と主張した。保健福祉省監察総監室がおこなった調査の メモ(2006年9月25日)には次のように記されている。「大手バス会社が介護ホームか らバスのレンタルの申し出を受けたのがすでに遅かったのか、あるいは、バス会社のほ うで準備に時間がかかり、まにあわなかったのか、双方の証拠がある」。のちにこの調
査は終了した。
316-317「殺人罪よりも軽い」:氏名不詳者対チャールズ・フォティ等の審理におけるアー サー・シェーファーの証言(19th Judicial District Court, Parish of East Baton Rouge, State of Louisiana, case 558,055, August 28, 2007)。シェーファーはどの罪状を適用 するか結論には至らなかったと言った。
326「シャルメット病院」:シャルメット病院での出来事は以下のソースによる。筆者が2011 年8月3日にインタビューをしたボン・ムイ医師の話、2006年9月10日に〈オーラル・ヒス トリー・プロジェクト〉のためにムイ医師が子息のグエンからベトナム語でインタビュー をされた文章の一部を翻訳したもの。“Surviving Hurricanes Katrina and Rita in Houston Collection”(AFC 2008/006), Archive of Folk Culture, American Folklife Center, Library of Congress, Washington, DC (interview SR05, accession no. SKR-SNU-SR05). 公文書請求で入手したルイジアナ州メディケイド不正管理部門によるシ ャルメット病院に対する捜査記録からは、病院幹部が病院を開けておくよう決断した ことがわかる(患者を運んだ救急車が戻って来られなくなったのも一因である)。ハリ ケーンの前に一部の患者を、ニューオリンズにある姉妹病院(ペンドルトン・メモリア ル・メソジスト病院)に移したが、そこも洪水と電源喪失でひどい状況になった。
326「チュレーンも停電し」:Hamm, L. Lee,“Personal Observations and Lessons from Katrina,”The American Journal of the Medical Sciences, vol. 332, no. 5 (2006):p245-50;チュレーン病院はカトリーナの被災体験を本にした。:Carey, Bill, Leave No One Behind:Hurricane Katrina and the Rescue of Tulane Hospital (Nashville, TN:
Clearbrook Press, 2006).チュレーン病院を経営するHospital Corporation of America (HCA)は折にふれて、自賛の言葉に満ちたその本を新規採用者に贈っている。
328「水や食料が不足するなかで」:Hurricane Katrina:A Nation Still Unprepared, p 11.
328「アンダーソン・クーパーが言った」:“Euthanasia Performed in Aftermath of Hurricane Katrina?,”CNN, Newsnight with Aaron Brown, October 12, 2005, ten p.
m.;http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0510/12/asb.01.html.
331「どうして……計画を立てられなかったのでしょうか?」:“Accusations of Mercy Killing in New Orleans,”CNN, Newsnight with Aaron Brown, October 12, 2005, eleven p.m.;http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0510/12/asb.02.html.
331「我々の文化が」:同上
332「死の天使が徘徊」:“Louisiana AG Orders Autopsies of 50 Memorial Medical Patients,”CNN, Nancy Grace, October 14, 2005;http://transcripts.cnn.com/
TRANSCRIPTS/0510/14/ng.01.html.
336「不完全なものだった」:テネット社は2009年8月18日に追加で次のような返答をしてき た。「これは正しくない。わが社は要求のあった医療記録を、所持しているかぎりにお
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いて、電子記録とプリントアウトで州司法長官オフィスに提出した。多くの機会で、メモ リアル病院は所持する記録すべてを捜査機関の要求に応じて開示してきた」
339「キャスティングは2009年になって」:2009年の本書の元となった雑誌の事実確認に おけるキャスティングの発言。彼は2013年に筆者との2度の電話と1通の電子メール でそのことをくり返した。キャスティングによれば、その会合はメモリアルのスタッフの 事情聴取の段取りを決めるためのもので、彼はメモリアルの看護師全員について、不 起訴か訴追免除を求めたが、かなわなかった、と言った。その会合の様子を、数日後 に捜査員がメモにまとめたことを筆者が告げると、キャスティングは、自分も「いつも」メ モをとると答えた。筆者がそのメモを見せてくれないかと頼むと、調べてみると答えた あとで、あのときにメモはとっていなかったと言った。
339「連邦法が適用される余地は少なく」:Williams, C. J.,“Making a Federal Case out of a Death Investigation,”United States Attorneys’ Bulletin, vol. 60, no. 1 (January 2012);http://www.justice.gov/usao/eousa/foia_reading_room/usab6001.pdf.
344「ジョン、今夜のうちに全員がここを脱出しないといけないわ」:レネ・グー本人と、弁護 士を通じたスーザン・マルデリックは、退去期限は指示されておらず、自分たちの目標 はスタッフを避難活動に集中させることだったと言った。グーは筆者のインタビュー
(2009年8月17日)で、次のように言っている。「ヘリによる救助活動が一時中断したこと を経験していたので、それが二度と起きないことを望んだのだ」
348「DMAT」:カトリーナのときのDMATの活動については以下にくわしい。“Nine Days at the Airport” (unpublished manuscript). Sanford, Christopher, Jonathan Jui, Helen C. Miller and Kathleen A. Jobe, “Medical Treatment at Louis Armstrong New Orleans International Airport After Hurricane Katrina:The Experience of Disaster Medical Assistance Teams WA-1 and OR-2,” Travel Medicine and Infectious Disease 5 (2007):230-235;Klein, Kelly R. and Nanci E. Nagel, “Mass Medical Evacuation:
Hurricane Katrina and Nursing Experiences at the New Orleans Airport,” Disaster Management and Response vol. 5, no. 2 (2007):56-61;“Hurricane Katrina─After Action Report:OR-2 DMAT,”September 25, 2005;Dentzer, Susan, “Hurricane Hospital Challenges,”PBS NewsHour, September 8, 2005;http://www.pbs.org/
newshour/bb/weather/july-dec05/hospitals_9-8.html;Barringer, Felicity and Donald G. McNeil Jr., “Grim Triage for Ailing and Dying at a Makeshift Airport Hospital,”New York Times, September 2, 2005;http://www.nytimes.
com/2005/09/03/national/nationalspecial/03hospitals.html;Smith, Stephen,
“Patients Evacuated in Massive Airlift:LA Airport Used as Field Hospital,” Boston Globe, September 4, 2005;Allison, Cody, “Untitled,” Hurricane Digital Memory Bank, object no. 39470;http://www.hurricanearchive.org/items/show/39470. The US House of Representatives report on Hurricane Katrina(カトリーナに関する連邦 下院議会報告書)(A Failure of Initiative:The Final Report of the Select Bipartisan Committee to Investigate the Preparation for and Response to Hurricane Katrina, February 15, 2006, p. 269; www.c-span.org /pdf /Katrinareport.pdf). この報告書は、
医療チームの指揮命令構造に悪影響を与えた「混乱」について言及している。2001 年9月11日の同時多発テロのあとで、大規模な政府組織の組み換えがおこなわれ、D MATもその一部を構成する国家災害医療システム(NDMS)の所管が保健福祉省か らFEMAと国土安全省に移っていた。カトリーナ後に、NDMSは保健福祉省の所管に
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戻された。同省は非常時に国家応急対応フレームワークに従って、連邦政府の持つ 医療リソースを調整する(緊急支援機能8)。連邦下院議会の医療分野に関する報 告書(pp. 267-309)は連邦政府の医療対応がなかったことを批判し、空港での医療 努力は「無秩序」だったと記した。ティールのようなDMATの一員でない医師が協力 を断られるなか、多くの人が死んでいった。1人の医師の話では、重病の者は「黒いタ グ」をつけられ、隔離されて、「そこで死ぬように」されたという(p. 288)。カトリーナで 教訓を学んだものの、物資の調達方針が厳格すぎることと、サプライチェーン(供給 網)の問題が、2010年のハイチ地震でふたたびNDMSの救命活動を阻害した(アメ リカ国内よりも物資輸送ははるかにむずかしい環境ではあったが)。たとえば、一部の 物資貯蔵所にはクーラーではなくヒーターが届けられた。酸素ボンベや燃料、手術に 必要な物資が不足していた。本書のエピローグでは1つの事例を紹介している。保健 福祉省の準備対応担当次官補オフィスの広報責任者であるグレッチェン・ミッチェル が2013年8月に電子メールで答えてくれたところによると、近年のNDMSは、どの医療 チームでも利用できる物資貯蔵所を国内に設け、極度の肥満者用のベッドなど特定 の需要に対応するなど、「物資の供給、補給、輸送プロセスをいちじるしく改善してい る」という。DMATは2012年の大型ハリケーン・サンディのときには、より小規模な急派 チームでより柔軟に対応していた。また、メンタルケアをする保健福祉省のチームは、
2012年と翌年に起きた銃撃事件や爆発事件(ボストン・マラソン爆弾テロ事件など)
に対応したファースト・レスポンダー〔訳注 現場に最初に駆けつける医療的訓練 を受けた人〕や、恐怖におびえるコミュニティをサポートした。
349「ボルツは手がかりを求めて自分の記憶を探り」:Baltz, Horace, The Kat’s Paw:
Memorial Medical Center─Katrina (unpublished manuscript)及び筆者によるインタ ビュー。
350「ボルツの担当患者も……死んでいた」:担当患者の死について真相を究明しようと したボルツの動機をコケモールは推測したが、その推測をボルツは全面否定した。
351「シャトレインは……約束したが」:シンディ・シャトレインの夫アルフレッド・リー・モー ゼズと娘のキャサリン・シャトレインは、シンディのアルコールとドラッグの摂取量が増 え、その結果、看護師資格を失い、50代はじめに急性膵臓炎で死んだことを、担当患 者であるエメット・エヴァレットを死なせてしまった心痛のせいだと考えている。娘のキ ャサリンは2013年のインタビューで、「母が今、この世にいないことはそれが大きな理由 だと思います。なぜなら、あのあとで母はひどく落ちこんでいましたから」と語った。
355「捜査員は調べた」:捜査員は2005年11月終わりにインターネットで次の文献を見つけ、
同僚に伝えた:Perkin, R. M. and D. B. Resnik,“The Agony of Agonal Respiration:
Is the Last Gasp Necessary?,”Journal of Medical Ethics, 28(2002):164-169, from http://jme.bmjjournals.com/cgi/content/full/28/3/164;Whonamedit? A Dictionary of Medical Eponyms, “Cheyne-Stokes Respiration,”from http://www.whonamedit.
com/synd.cfm/1159.html;“Central Sleep Apnea:Details,”from www.apneos.com/
csa.html.
355「また、あえぐような呼吸は」:Perkin and Resnik, 同上
358「CNNニュースがスクープとして」:“New Orleans Hospital Murders?,” CNN, Anderson Cooper 360°, December 21, 2005, ten p.m.;http://transcripts.cnn.com/
TRANSCRIPTS/0512/21/acd.01.html. 他のバージョンも放送された。
360「権威あるテキスト」:Randall C. Baselt, Disposition of Toxic Drugs and Chemicals in
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