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10.平城京跡(四条条間路)の調査 第 652 次

西壁土層図(縦 1/40 横 1/80)

0.5m

0 0 1m Y=-146,465 Y=-146,470

Y=-146,475

L.H;61.7m 1 1

2 2 2

3 3 3 3 3 3

3 3

4 4 6 7 8 5

10 9 11

12 14 13

15 16

17

18

1 黒褐色土(耕土)

2 黒灰色シルト質土(耕土)

3 淡灰色砂質土(床土)

4 淡灰色砂質土

・黄灰色粘質土粒混合(耕作溝)

5 黄灰色粘質土

11 茶褐色粘質土 12 灰茶色粘質土 13 灰茶色粘土 14 茶褐灰色粘土 15 14・地山混合

16 淡灰色粘質土(杭跡) ※ 6~11:四条条間路北側溝SD02  12~17:四条条間路南側溝SD03 6 灰黄色シルト質粘土

7 灰茶色粘質土 8 明茶黄灰色粘質土 9 茶灰色粘砂土 10 灰黄色砂質シルト

・茶褐色粘質土ブロック少量混合

17 淡灰色粘質土・茶褐色粘土 ブロック・地山ブロック混合 18 淡黄灰色粘土~粘質シルト(地山)

 

発掘区位置図(1/5,000)

HJ652

0 200m

 同南側溝SD 03 の埋土は大きく上下に分かれる。下 位の埋土は茶褐灰色粘土であるが、南肩は地山ブロック を含む土で埋め戻され、この部分には南肩に沿って打ち 込まれた杭の痕跡が数カ所残る。護岸のためのものと思 われるが深さ約 0.1 mと浅く、地山まで杭の先端が達し ているものは2カ所しかない。埋土から8世紀の土器類

が出土したが少量で小片のため詳細な時期は不明。上位 層については発掘区壁面の土層観察によって確認し、幅 は 1.5 mになる。杭の痕跡が上位層にまで続かないこと から、SD 03 は下位の溝の埋没後に幅広く掘り直され た可能性がある。なお、表に示した値は下位の溝のもの である。

平城京跡(四条条間路)の調査 第 652 次

発掘区遺構平面図(1/200)

発掘区全景(西北西から) 発掘区全景(南西から)

四条条間路北側溝(東から) 橋SX 04(南から)

10m 0

-146,465

-146,470.0

-146,475

-18,930 -18,925.0 -18,920 -18,915.0 -18,910 -18,905.0 -18,900

SD02

SF01

SD03

SX04

 橋SX 04 は、SD 02 の南北両肩でそれぞれ柱穴を 2つずつ検出し、SD 02 に架かる橋と考えられる。柱 間は南北1間(東側 1.9 m・西側 1.8 m)、東西1間(北 側 1.7 m・南側 1.6 m)。柱穴の深さは 0.45 〜 0.55 m。

柱材は北側の2つが腐朽してほとんど残っておらず、南 側の2つは抜き取られたものとみられる。埋土から8世 紀の土器類が出土したが、小片のため詳細な時期は不明。

二坪の四周の条坊道路側溝の内側で坪内を東西に分割し た場合の東から 1/3 付近に位置する。

Ⅳ 出土遺物

 奈良時代後半〜末の土器・瓦類などが遺物整理箱5箱 分ある。土器類は四条条間路南側溝SD 02 底部の皿状 の窪みと橋SX 04 西側のSD 02 埋土から出土したも のを除くと小片ばかりである。各遺構の出土遺物の内訳 は下記のとおり。

 四条条間路北側溝SD 02 の皿状の窪み(淡灰色粘質 シルト)から8世紀後半の土師器皿A・杯か皿B・杯 か皿・椀C・甕、須恵器杯A・杯B・杯Eか椀C・杯蓋・

壷・甕、平瓦、流紋岩製砥石、燃えさし、木炭の破片 が出土した。燃えさしは、幅約 0.3 〜 0.5㎝、長さ約 5.0

〜 10.0㎝の細棒状に割り裂いた木片で、一端が炭化し ており、20 点以上出土した。SD 02 の茶灰色粘砂土 などからは8世紀後半〜末の土師器杯A・杯B・皿A・

高杯・甕・カマド、須恵器杯A・杯B(転用硯1点あり)・ 杯E・杯か皿A・杯か皿B・杯か皿(墨書底部外面 「古」・

底部内面 「□」 各1点あり)・皿C・杯蓋・椀Aか壷・

壷A・壷M・壷・壷蓋・甕・鉢か盤、製塩土器、軒丸瓦(型 式不明1点)・丸瓦・平瓦の破片が出土した。

 同南側溝SD 03 埋土から8世紀の土師器杯か皿・甕、

須恵器杯か皿・甕、丸瓦・平瓦の小片が少量出土した。

橋SX 04 の柱穴埋土から8世紀の土師器杯か皿A・甕、

須恵器甕の小片が出土した。

Ⅴ 調査所見

 今回は四条条間路SF 01 とその北側溝SD 02・南

側溝SD 03 を検出した。

 北側溝SD 02 では、宅地側となる北肩に比べ、道路 側となる南肩には崩れたり水が溢れたりした痕跡がある。

このことから、宅地側には護岸のために何らかの施設が 存在していたか、宅地側の北肩より道路側の南肩が低い など、路面が浸食されやすい状況であったと考えられる。

 同様のことは南側溝SD 03 にもあてはめて考えられ、

三坪の宅地側の南肩に沿って杭を打ち込み護岸した痕跡 を検出したが、宅地保護のために計画的に施工されたも のであるのか、部分的な補修に留まるものであるのかは 明確ではない。

 周辺の市HJ第 328・344 次調査の成果と比較する と、路面幅と側溝幅が調査ごとに異なるものの、側溝 心々間距離は大きく変わることがないことがわかる。こ れは調査地ごとに、他の溝との合流点からの距離や合流 する溝の大きさなどによる影響の他、改修などにより規 模が異なっていても、側溝の中心の位置はほぼ踏襲され ていることを反映するものと考えられる。道路側溝心々 間から求めた道路心の座標上の傾きは、当調査地とHJ 第 328 次調査地とでは東に向かって北に 0°10′30″、H J第 344 次調査地とでは東に向かって北に 0°9′3″ 傾い ている。

 また、北側溝SD 02 には、坪内の東から 1/3 付近に 橋SX 04 が架けられており、今回の調査では検出でき なかったものの、橋の北側には二坪から四条条間路に開 く門があったと想定できる。二坪の北西部で実施したH J第 594 次調査では、坪内を南北 1/4 に区画する溝や掘 立柱塀が検出されており、坪内を南北に分割して宅地利 用していたことが判明している。このほかに西から 1/6 に位置する掘立柱塀、西から 1/8・3/8 に位置する溝が 検出されており、今回の橋SX 04 の位置から東西方向 にも坪内を分割して宅地利用していた可能性が高まった。

なお、当初想定していた古墳時代以前の遺構はなかった。

      (原田香織)

市HJ第 652 次調査地周辺で検出された四条条間路の概要

調査地 部位 規模(m) 側溝心・路心の座標値(m) 側溝心々間 備考

深さ (m)

市 HJ 第 652 次

(右京四条一坊)

北側溝SD 02 1.8 〜 2.0 0.4 〜 0.5 −146,466.45 −18,927.00

8.57 朱雀大路西側溝との合 流点より約 45 m西 路面SF 01 7.1 −146,470.735 −18,927.00

南側溝SD 03 0.9 0.4 −146,475.02 −18,927.00 市 HJ 第 328 次

(左京四条一坊)

北側溝 3.0 0.6 −146,466.18 ※ −18,804.30 ※

8.36 朱雀大路東側溝との合 路面 5.5 −146,470.36 ※ −18,804.30 ※ 流点付近

南側溝 2.6 0.8 −146,474.54 ※ −18,804.30 ※ 市 HJ 第 344 次

(左京四条一坊)

北側溝 0.9 0.3 −146,465.45 ※ −18,562.30 ※

8.65 東一坊坊間路東側溝と の合流点付近 路面 7.9 −146,469.775 ※ −18,562.30 ※

南側溝 0.6 0.1 −146,474.10 ※ −18,562.30 ※

※測量法改正(2002 年 4 月)にともない換算した数値を表示

Ⅰ はじめに

 調査地は能登川扇状地の扇端に位置し、平城京の条坊 復原では左京六条三坊九坪の南西部、十坪の北西部およ び六条条間北小路にあたる。周辺では条坊の遺存地割が 道路や水田の畦畔等で認められ、六条条間北小路の遺存 地割は水路となっている。

 九坪内では、過去に本市教委が実施した試掘 91 - 26 次調査(平成 3 年度)で坪内の中央を南北に貫流する奈 良時代の東堀河の一部が検出されているのみである。

 十坪内では、東半部で過去に本市教委が市HJ第 52 次(昭和 58 年度)・第 284 次(平成 5 年度)の 2 件の 発掘調査を実施している。ともに坪内の中央を南北に貫 流する奈良時代の東堀河と掘立柱建物が検出され、東堀 河の東肩から 4 〜 8 mの空閑地を隔てて建物が建てら れていたことを確認した。東堀河の底部に堆積した砂層 からは 8 世紀後半を主とする多量の土器や木製品、金 属製品が出土した。なお、市HJ第 284 次調査地では 古墳時代以前の土坑も検出されている。

 六条条間北小路については、調査地の西約 220 mの 市HJ第 45 次調査地(昭和 58 年度)で路面と南北両 側溝が検出されている。

 今回の調査は、開発区域の西辺にA〜Cの 3 箇所の 発掘区を設定して実施した。A・B発掘区は十坪北西部 の土地利用、遺存地割の水路を挟んで北側のC発掘区は 九坪南西部の土地利用及び六条条間北小路の路面・側溝 の様相の把握を目的とした。

Ⅱ 基本層序

A発掘区 発掘区の北寄りでは、造成土(盛土、厚さ 0.1 m)、黒褐色シルト質砂の水田耕土(厚さ 0.1 m)、

暗灰黄色や灰色のシルト質砂の水田床土(2 層あり、厚 さ 0.2 m)の下で、灰黄色砂質粘土混じりシルトの沖積 層(以下、「地山」)となる。同中央部では、造成土(盛 土及び改良土、厚さ 0.5 m)、黄灰色シルト質砂の水田 床土(厚さ 0.1 m)の下で地山上面となり、同南寄りで は水田床土と地山の間に暗灰黄色砂質シルトの遺物包含 層(8 世紀の土器片等を含む、厚さ 0.1 m)をはさむ。

奈良時代の遺構面は地山上面(標高 57.0 〜 57.2 m)

で、北から南に向かってわずかに下る。

B発掘区 造成土(盛土及び改良土、厚さ 0.5 m)直 下で灰色砂質シルトの地山となる。

奈良時代の遺構面は地山上面(標高 57.2 m)である。

C発掘区(図4) 発掘区の南寄りでは、造成土(盛土、

厚さ 0.2 m)、黄灰色や暗灰黄色の砂質シルトあるいは シルト質砂の水田床土(2 〜 3 層あり、厚さ 0.1 〜 0.2 m)

の下で黄褐色砂質シルトの地山となる。それより北では 地山上面が 0.2 m程度低くなり、水田床土との間に地山 のブロック土層をはさむ。

 奈良時代の遺構面は、水田床土直下の地山及び地山の ブロック土層の上面(標高 57.2 m)である。なお、地 山のブロック土層は、層相や遺構、地形との関係からみ て、凹地か緩斜面上の整地層と判断される。

事 業 名 宅地造成 調 査 期 間 平成 23 年 11 月 17 日〜 12 月7日 届出者名 株式会社 八州エイジェント 調 査 面 積 154㎡

調 査 地 奈良市大安寺三丁目 77-1 他 12 筆 調査担当者 安井宣也