本章では、主に各自治体が行った地場産業実態調査に基づいて、地場産業がどのように生成し たかを検討する。ここで特に問題になるのは、その担い手、人材であり、その形成に適していた 自然環境、立地条件、資源の賦存状態である。何らかの地場産業が新たな産業分野の生成を促 し、また異業種との相互作用を通じて、多角的、複合的な産業の展開を齎し、もってその地域特 有の多種多様な産業集積を形成する。そうしたダイナミックな産業展開に失敗すれば衰退は免れ ない。
尤も、ほとんどの大工業都市も多かれ少なかれ地場産業からスタートしているには違いない。
そこからは外生的な発展、つまり外部からの産業の移植によって発展する場合もあれば、内生的 に発展する場合もある。但し、前者の場合もその受け入れを可能とするような産業的基盤や人材 が存在していなければならない。後者の場合は地域資源を活かしうる能動的な人材と技術の蓄積 が前提となる。
以下、地場産業の事例をみてみよう。
1.地場産業の事例
北海道
北海道の工業は北海道開拓使により、その農林水産資源などを活用するために、官営工場として 発足したものが多い。例えば、水産物缶詰の製造は開拓使により明治10年、石狩町に官営工場 が設立されたのが始まりであり、鮭、蟹などの当地特産物を原料とする季節的産業であった。明 治
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年頃には石狩町のほか、別海町、厚岸町などにあった官営工場が民営事業に移行し、その後 の需要拡大を背景に発展を遂げた。第2次大戦直後は戦時の缶詰統制が引き継がれたことや、漁 場の喪失、漁労施設の破壊により壊滅的打撃を受けたが、昭和27年の対日講和発効によって北 海母船漁業が再開され、大手水産会社の缶詰進出も始まった。そのことはしかし、地元企業との 水産資源獲得競争を激化させた。そのため地元企業は秋刀魚、鯖などの未利用の雑缶詰生産を拡 大したり、農産物缶詰などの多角的生産へ移行し、特に中小パッカー(packer:缶詰業者。梱包 業者)においては経営の近代化を図ったり、企業合同も進められた。製材工業は明治時代の屯田兵入植による公共建築物や兵舎などの建設のため機械化木挽工場を 設置した時から誕生する。製材企業の創業も明治時代から始まり、戦前には現在の企業の
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割程 度が生産活動を開始していた。木製家具の製造も明治5年、開拓使が札幌に官営木工場を設立したのが始まりである。旭川で は明治36~37年頃、兵舎建設のため道外から多数の建具師、指物師たちを集めたが、その大 半が兵舎完成後も当地に留まり、開拓民の家具・建具を生産したことが始まりといわれる。産地 の形成は昭和30年代で比較的新しいが、それには優れた指導者の努力が与って力があった。昭 和29年、産地問屋の北島吉光やメーカーの岡音清次郎がリーダーシップを発揮して生産業者と 販売業者が参画する「旭川木工振興協力会」が設立され、これを契機にそれまでの生産業者の零 細規模の非近代的経営体質から脱皮し、業界独力による豊岡木工団地の設立によって集積効果を 実現し、家具の流れ作業によるロット生産方式の導入、接合の加工精度や量産化を高めるダボ構 造の採用といった技術革新を実現した。昭和34年に設立された旭川木工芸指導所も業界の技術
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力向上を後押しした。昭和45年には木材人工乾燥室、共同利用・配送可能な倉庫を備えた旭川 家具センターが完成した。こうして地場資源立地型家具産地が確立された76。産地形成が成功した のは関連企業や諸組織の立地がある程度進んでいたことによる。原材料及び設備供給者に限って も木材業者、合板業者、突板業者、塗料業者、鏡・ガラス業者、梱包資材業者、布地・皮革業 者、金具業者、接着業者など、数多い。それ故、地域内での経済循環過程で多くの所得と雇用を 生み出すのである77。
青森 八戸経済圏
鋳物工業の勃興は足利時代に遡る。豊富な砂鉄を利用し、茶の湯釜類、鍋釜類を鋳造したのが始 まりである。発展の兆しがみえたのは大正年間以降であり、漁業の発展に伴う漁船関係の機械部 品の修理需要が増えた。製品種類は異形管、水道関係部品、漁船用船舶部品や下請けによる機械 部品など、多種少量生産で長年、手込手式による生型乾燥により造形してきた78。
こうして地場産業の振興による生産波及により地域内の関連企業が育つことになり、これが就 業機会の増加と所得の向上に結び付いてきた79。
岩手県・宮古市
宮古では、江戸時代から豊富な漁業資源を利用した水産加工が盛んであった。水産加工業は、宮 古を代表する伝統的な地場産業であり、現在でも事業者数、従事者数が多く、地域の基幹産業の ひとつになっている。
宮古の近代化工業は、1936年のラサ工業田老鉱山所、1939年のラサ工業宮古精錬所の 操業から始まる。田老鉱山から産出される鉱石を原料として、1942年には、宮古精錬所は国 内第
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位の精錬所になった。また宮古精錬所では、銅や硫酸を利用した肥料を生産した。戦後 は、肥料生産の拡大を図るとともに、石膏プラスターの製造を開始するなど、ラサ工業、宮古吉 野石膏、コープケミカル等の小山田コンビナートを形成した。1937年には、刈屋地区で岩手林産加工販売利用組合が、東北で初の合板工場として操業し た。1968年の神林木材港の完成を契機に、磯鶏地区や藤原埠頭工業団地への合板企業の集積 が始まった。その後、ホクヨープライウッド、カリヤ、宮古ボード工業、岩手県合板事業協同組 合、北星などの合板企業や、桐製品製造の丸石商事などの企業が集積し、東北で有数の生産拠点 になっている。
1974年以降、電気機械組立産業の立地が始まり、宮古マランツ、ウエーブクレストなどが 立地した。1974年に、コネクター製造最大手のヒロセ電機の子会社として、東北ヒロセ電機 が赤前地区で操業を開始した。東北ヒロセ電機の立地以降、宮古地域には、和田工業、モルデッ ク、ジュピター工業、エムアイテイー、富士工業、エム・アイ・エスなどの企業が立地し、ま た、宮古パンチ工業、日立ケーブルプレシジョン、多加良製作所、ノバセイコーなど金型部品製 造の企業も立地した。さらに、コネクターと金型の分野では、エフビー、中村電子、菊地電子、
76 『地場産業実態調査報告書:北海道編』38-41頁。『北海道地場産業の地域内生化に関する研究』
1983年、94-95頁。『北海道の特性を生かした産業の展開』1994年、62-3頁。
77 『北海道地場産業の地域内生化に関する研究』285頁。
78 『青森県地場産業実態調査報告書』69頁。
79 同上133頁。
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エムデーなどの新規創業をする地元企業も相次ぎ、コネクターと金型の分野で、大きな産地に成 長してきた。
こうして、宮古市では、水産加工業を中心とする食料品産業、合板産業を中心とする木材産 業、微細金型と微細加工を得意とするコネクター・金型産業を中心とする電子部品・デバイス製 造業が、地域の主力産業となっている80。
秋田県
角館の樺細工産地
樺細工は桜皮(かぱ)を材料として使用した工芸品である(茶器、菓子器、盆類など)。角館がほぼ 唯一の産地である。城下町産業として江戸時代から、武士の内職として発達してきた。明治末期 までは原料立地型性格が強かった。明治期に問屋制家内工業として現代の生産システムの基礎が 作られた。戦後、昭和40年代の民芸ブームに乗って活況を見るが、バブル崩壊後、沈滞した。
産地の販売額は1981年度の14憶6千万円から2000年には11億1千万円に減少した。
現在の生産・流通構造も職人が生産を行い、問屋が販売するという形態が続いている。木地製作 や文様付けを除くと地域内分業は進んでいない。製作者はほとんど1~2人で生産しており、零 細な個人事業である。基本的に問屋の注文に応じて生産しており、見込み生産はほとんどない。
産地問屋は自社工場を所有している所もあるが、多くは10~70の事業所に外注し、社内で検 品と包装を行って出荷している。販売先は県内向けが三分の一から半数であり、次いで東北、関 東の順である。主要な原材料は桜皮だが、安定的供給は確保できていない。1973年から町内 で植林事業も始めたが、不十分である。ほとんどは県外(岩手、宮城、福島、栃木産が大半)で ある。各問屋は2~3の桜皮採取業者(農家の副業が多い。一部は製材所)から購入している。
従来は産地問屋が職人を抱え込んで賃加工形態をとっていたが、10年ほど前から取引先を複数 化する職人が増えた。系列構造が緩んだのである。とはいえ、依然、職人は産地問屋に対する従 属的地位を脱してはいない。高柳長直はその理由として次の3点を挙げる。第1に、樺細工は原 料仕入れから代金回収まで長期間掛かり(すくなくとも1年半)、職人にはそれをしのぐ資本力が ない。第2に、分業が進んでおらず、職人の一貫生産が基本的である。製作工程は大きく段取 り、細工、仕上げに分けられるが、それぞれの工程が専門の事業者によって営まれることは皆無 である。従って規模を拡大してもそのメリットを享受できない。第3に販売先が多数で多岐に亘 るため、職人が顧客管理を行うことは困難である。こうした状況からの脱却のためには職人たち が協同して、新商品を開発したり、地元の農林業と連携して植林事業を拡大する必要がある、と 提言する81。
山形県 米沢織物
米沢の紡織工業は安永
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年(1776年)、当時の米沢藩主、上杉鷹山が凶作による民間経済の疲 弊と藩財政の窮迫を打開するため、養蚕を奨励すると共に、縮布織技術を越後小千谷より移入し80 宮古市HP『宮古の工業の歴史』:『宮古市 モノづくりができる、人づくり』
81 高柳長直「景気低迷期における地場産業の産地構造―秋田県角館における樺細工産業の事例―」『農業 研究』第97号(2003)、43-53頁。2001年12月から02年3月にかけて行われた27事業 者、5社の問屋及び協同組合に対する聞き取り調査に基づく研究。