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噴水彫刻の先行作例 …

  本節では、

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世紀以降に大規模な噴水が造営される以前に制作されていた大規模な噴水の作 例を確認し、次いで

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世紀を通じてフィレンツェでつくられるようになった噴水を総括する。

2-1  中世の大規模な噴水

  そもそも噴水とは継続的に水の流れる装置を指し、その実現には豊かな水源の確保と水路網 の整備が必須であったため、イタリア半島においては中世を通じてその作例はきわめて限定的 である。早い時期に水路整備が行われた地域では、郊外から引かれた水路が到達する都市中心 部の広場に大型の噴水が造営された。ラツィオ州のヴィテルボは、

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世紀から

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世紀にかけ て多数の噴水が造営された点で、特筆すべき地域である。

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世紀末には大噴水が造営されてい たとみられ30、現存作例ではギリシャ十字型の水槽の中央に大小

2

つの水盤を備えた尖塔が立 ち上がる形態を呈している(

fig. II.2.1

)。その水盤の下部には、蛇口をライオンが咥える意匠が 施されている(

fig. II.2.2

)。また

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世紀、

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世紀には、長い蛇口を備えた尖塔が円形の水槽の 中央に立ち上がる形式の

2

基の噴水̶̶《サンタ・マリア・イン・ポッジョ噴水》(

fig. II.2.3

) と《ピアノスカラーノ噴水》(

fig. II.2.4

31̶̶が造営され、これらはそれ以降に同地に造営さ れた噴水の範例となった。装飾は中央の尖塔に施された植物モティーフやライオンの頭部に限

られ(

fig. II.2.5

)、水槽の各面は空白のままに残されている。

  こうした簡素な噴水に対して、

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世紀後半から

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世紀初頭にかけてペルージャとシエナに つくられた噴水は、装飾的な豊かさの点で噴水制作が新たなフェーズを迎えたことを示すもの である。ペルージャでは、都市の北側に位置するパチャーノ山を水源として水路網の整備が進 められ、

1254

年までにはそこから都市部への水の供給が可能になっていた32。取水後は、既存 の井戸や貯水槽を利用するかたちで人々の生活用水として用いられたが、

1275

年になると都市 の中心に位置する大広場(現在の

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日広場)に噴水を造営する計画が進められ、ニコラ・

ピサーノとジョヴァンニ・ピサーノにその制作が委嘱された。

1277

年には噴水装置が稼働し、

1278

2

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日に完成されている(fig. II.2.6)。この 大 噴 水フォンタナ・マッジョーレ

はペルージャの伝説的な 創建者エウリステオに捧げられており、大小

2

つの

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面体の水槽を重ね、頂点にブロンズの女 性像と水盤を配する構造を採る。下段の水槽は、各面が付柱によって二分され、それぞれの区 画には

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星座の表象を伴う

1

年の各月のモティーフと、自由学芸の擬人像や聖書およびローマ 史の登場人物を表す計

50

の浮彫装飾が施されている(

fig. II.2.7

)。上段の水槽は白大理石と赤 大理石によって構成され、

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の付柱には旧約および新約聖書の登場人物と、都市の執政長官や

30 1192年にはfontem Sepalisとして記録されている。

31 この噴水は、1376年に崩壊した噴水を教皇ウルバヌス5世の命で再造営したものである。

32 Ferretti 2016, p. 8.

有力市民の立像がそれぞれ

1

体ずつ配された。

  この大噴水と併せて、同じ広場には 小 噴 水フォンタナ・ミノーレも企図され、1277年から

1281

年にかけてア ルノルフォ・ディ・カンビオによって造営された。しかしながらこの噴水は後に解体され、現 在は噴水を構成していた一部の彫刻装飾のみが残されている。ウンブリア国立美術館に所蔵さ れる彫像群は、喉の渇きを訴える大理石の人物像や身体の不自由な人物像を表しており、噴水 を取り巻く縁装飾であったと考えられる(

figs. II.2.8-9

)。

  一方シエナには、都市の中心に位置するカンポ広場の一角に、長方形の噴水《フォンテ・ガ イア》が造営された(

figs. II.2.10-11

)。これは

1408

年にヤコポ・デッラ・クエルチャに委嘱さ れたもので、当時としてはきわめて長い

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キロに及ぶ水路網の整備を記念するものであった33。 制作は

1414

年頃になって着手されたものとみられ、

1419

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月までに完成をみた。長方形の 水槽内側は付柱とニッチ、装飾区画によって構成され、各ニッチにはシエナの創建者とみなさ れたアッカ・ラレンティアとレア・シルヴィア(いずれもローマの建国者ロムルスとレムスの 養母)、聖母子をはじめとする聖書の登場人物、そして枢要徳の擬人像が配され、噴水自体はシ エナ共和国の善政を象徴するものとなっている。

  本論文ではこれらの噴水の造形についての議論は割愛するが、ここに挙げた中世の噴水はい ずれも、宗教主題、あるいは噴水が造営された都市ならびにその恩恵を受ける市民に関連する モティーフによって構成されていた。こうした装飾は、図像の豊かさの点で、中世を通じて建 設された聖堂の建築体を豊かに彩った彫刻装飾に拮抗するものであった34

2-2  15 世紀のフィレンツェにおける噴水

  前節で確認したように、フィレンツェでは井戸や貯水槽の利用が長く続き、水路網の整備は コジモ

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世の登場を待つことになった。したがって

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世紀までの作例として、前項で言及した 都市に造営されたような大型の噴水は少なくとも現存例は確認されない。しかしながら、公共 あるいは私用を問わず各所に設けられた水場の変遷を辿ることにより、

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世紀に興隆する噴水 造営の素地が前世紀までに一定の水準に達していたことがわかる。

  噴水の形状としては、なんらかの建築体の壁面に付される形式と、広場や中庭、庭園など開 けた空間に設置される独立型のものに大別される。前者の壁面型噴水は、私有地のみならず公 共用にも採用された一方、後者の独立型噴水については、小型のものを私的な空間に配するこ とが多かった。まず壁面型噴水は、使用時のみ水を出すものであったため、厳密には噴水では ないが、そこにみられる造形は後年の噴水制作に繋がるものであった。ひとつめの例として、

33 Exh.cat. Boston 2014, p. 124. 尚、現在カンポ広場にみえる噴水は1858年にティート・サッロッキによって造られ

た複製であり、オリジナルの噴水を構成していた装飾は、サンタ・マリア・デッラ・スカーラ美術館に所蔵されて いる。 34 Wiles 1933, p. 3.

オルランディーニ・デル・ベックート邸(現モンテ・デイ・パスキ銀行所有地)の中庭に設置 されるものが挙げられる(

fig. II.2.12

)。コリント式の付柱に囲まれたニッチに配したライオン の頭部から、その下に置かれた蹄を模した脚部を持つ半月型の水盤に水を注ぐ形式が採られた。

尚ルスティカ様式で覆われているニッチは、後年に付されたものである。また聖堂や修道院に 置かれた聖水盤も、同様のニッチ構造のものを見出すことが出来る。サンタ・マリア・ノヴェ ッラ聖堂のためにジョヴァンニ・デッラ・ロッビアが制作した聖水盤は、壁面に設けられた水 道から、より高い脚部によって支えられる水盤に水を注ぐ形式である(

fig. II.2.13

)。ここでは 上部の半円アーチを飾る聖母子と天使のテラコッタ装飾に加え、その周囲には裸体のプットー や花綱、付柱を覆う植物紋様の浮彫装飾が配されているが、こうしたモティーフは世俗の水場 にも用いられるものだった。

  これらの聖水盤と同形式の水盤は、世俗の独立型噴水に一形式を提供することになる。独立 型噴水はまず小型のものが邸館の中庭や庭園など私的な場所に造営された。完全な形で残され ている作例は稀であり、噴水を構成していた一部の装飾のみが現存していたり、後年に別の作 品に再利用されたほか、素描あるいは版画にその全貌が記録されている(

figs. II.2.14-15

)。基本 的な形式としては、頂点に配された人物小像から、下部に置かれた浮彫装飾の施された水槽あ るいは聖水盤と同形式の水盤に水が落ちるかたちが採られていたことがわかる。人物小像には 多くの場合プットーが採用されたが、三美神や、あるいは噴水の所有者や設置場所に関連する 小像が置かれることもあった。

  こうした独立型の噴水の頂点を飾る小像は、彫像制作に新たな課題を与えた。すなわち、そ れまで彫像は何らかの建築体に従属するものやニッチに配されるものとして制作されていたが、

独立型の噴水で彫像を開放的な空間に単独で配することが出来るようになったため、彫像に多 視点からの鑑賞に耐えうる形態が求められるようになったのである。ドナテッロによる《魚を 担ぐクピド》はコントラポストの姿勢を採る古典的な優品だが、左右に向けて広げられた翼と 相まって、正面性が強い(

fig. II.2.16

)。これに対して、アンドレア・デッラ・ロッビアによる

《海豚を担ぐプットー》は、身体にひねりの動作が加えられている点で、多視点が意識された 彫像の先駆けと言える(

fig. II.2.17

)。そしてヴェロッキオがロレンツォ・イル・マニフィコの もとで、すなわち

1469

年以降、フィレンツェ郊外のカレッジのメディチ家別邸のために制作し たとみられる《海豚を抱えるプットー》において、独立型の噴水に配される彫像は全方位性を 獲得したと言える(

fig. II.2.18

35。こうしたプットーや、それに倣う多視点的な小彫像は、ワ イルズがキュリクス型として分類した噴水形式36̶̶すなわち一つの水盤を受け皿としてその 中央に設けた台座に彫像を配する噴水̶̶に用いられていたことが、現存する絵画や素描によ って確認される。

  また、ドナテッロの《ユディトとホロフェルネス》は、

1495

年に共和国政庁舎(現ヴェッキ

35 Wiles 1933, pp. 8-9. この彫像は最終的にコジモ1世統治下の16世紀中葉に、ヴェッキオ宮殿の中庭に造営された

噴水を飾る彫像として再利用されることになった。第Ⅰ章第2節第4項を参照。

36 Wiles 1933, pp. 10, 59-67.

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