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コジモ 1 世時代の噴水制作の意義

Ⅴ  コジモ

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世時代の噴水制作の意義

  前章までにコジモ

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世による委嘱で計画された

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基の噴水を取り上げ、各噴水について先行 研究において看過されてきたトピックを設定して検討した。その結果、各噴水を君主およびそ の善政の象徴とみなす従来の大枠的な解釈に対して、コジモ

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世の治世を通じて連続的に造営 された噴水の各図像プログラムは、同君主が実現した具体的な功績とそれぞれ結びつけられる ものであることが確認された。一方でこうした大型の噴水制作は、フィレンツェではこの時代 に初めて興隆し、それゆえ同地で活動した彫刻家に新たなフィールドを準備するものになった と言える。本章ではコジモ

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世時代の噴水制作の意義について、君主による文化政策、そして

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世紀のフィレンツェ彫刻史という

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つの文脈から考察を加え、本論文の締めくくりとしたい。

1  コジモ 1

世の文化政策と噴水制作

  本論文にて考察したフィレンツェの噴水群は、研究史においてはコジモ

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世の水路整備とそ れによって同地に恩恵をもたらす君主の善政の象徴として解釈されるにとどまっていた。実際 にコジモ

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世の統治下にあるフィレンツェで新鮮な水が安定的に供給されるようになった点、

その水路網の形成の上に噴水制作が成り立っている点、そして噴水には往々にしてコジモ

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世 ならびに公妃エレオノーラの表象が用いられている点に鑑みて、それは言わば当然の帰結であ る。しかしながら、一連の噴水をコジモ

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世の治世を通じてなされた連続的な委嘱という観点 から捉え直すと、それらは公国の栄華に直結する君主の具体的な功績を反映した同時代性の強 いパブリック・モニュメントとして造営されたものとして読み解くことが出来る。ここで改め て、各噴水と、その構想ならびに制作時期におけるコジモ

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世の動向との連動性を整理しよう。

  前提として、すべての噴水はコジモ

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世のもとで整備された水路網の要所に位置しており、

郊外から都市中心部へという水路網形成の展開に沿って造営されてきた。まず郊外のカステッ ロの別邸とオルトラルノのピッティ宮殿にそれぞれ付属する庭園は、いずれも水源から取水し、

都市の中心部へ水を供給するために水量を調節する貯水槽を配備する場所として整備された。

その中核となる庭園装飾として、前者には《迷宮の噴水》と《ヘラクレスとアンタイオスの大 噴水》が、後者には《オケアヌスの噴水》が計画されたのである。その次の段階として、庭園 に集められた水は都市の中心部へ向けて供給され、最終的な到達地である公爵夫妻の私邸̶̶

当時改築が進められていた旧政庁舎、現ヴェッキオ宮殿̶̶とそれが面するシニョリーア広場 に、《ユノの噴水》と《ネプトゥヌスの噴水》が造営された。《ヘラクレスの

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功業の噴水》の 設置場所については不明だが、これがデ・ロッシに委嘱された

1560

年末の時点で郊外の別邸に て水路整備を伴う新たな庭園造営が企図されていた事実が確認されないことに鑑みて、やはり

都市内部のための噴水として構想されていたのだろう1

  カステッロの庭園はコジモ

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世が登位した翌年の

1538

年より整備され、そこに造営された

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基、すなわち《迷宮の噴水》と《ヘラクレスとアンタイオスの大噴水》は、コジモ

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世の統治 するフィレンツェの表象として立ち現れる(

figs. V.1.1-2

)。すなわち山や河の擬人像を配する 複数の壁面型噴水やグロッタを水が順を追って流れることで、庭園ではフィレンツェにそそぐ 水脈が地誌的に再現された。そこにおいて、中央に植林された「迷宮の森」のなかで《フィオ レンツァ》を頂点に据える前者の噴水はそれ自体がフィレンツェを、ヘラクレス図像を頂く後 者の大噴水が君主の象徴として構想されていることは明白である。一方で、コジモ

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世が登位 する直前のモンテムルロの戦いでの勝利が記念されていることもまた確認された。すなわち庭 園に流れ込む水がグロッタに配されたネプトゥヌス像によって鎮められ、邸館に所蔵されてい たボッティチェリの《ウェヌスの誕生》と《春》を庭園内に置き換えた存在と解される《フィ オレンツァ》へ到達するという庭園構成に、モンテムルロの戦いの勝利によって混乱を平定し たコジモの功績が重ねられたのである。加えて、この時期に制作された《迷宮の噴水》が海洋 モティーフの装飾で豊かに彩られ、なおかつ頂点に置かれた《フィオレンツァ》が「海から出 現するウェヌス/アナデュオメネ」として表された。これは、同時期にコジモ

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世がオスマン 艦隊の撃退を成功させたことを契機として、地中海での覇権を手にすることを画策していた文 脈において理解される(

fig. V.1.3

)。すなわちコジモ

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世は、自身の統治のもとに栄華がもたら されるフィレンツェを表す庭園において、その後実際に展開することになる地中海進出への野 心をも表明していたと解釈することが出来るのである。

  次いで

1550

年に公妃エレオノーラの資金でピッティ宮殿が購入されると、付属のボーボリ庭 園を拠点として南部の水源からの水路網が整備された。その際、庭園の中心的モニュメントと して計画されたのが《オケアヌスの噴水》である。噴水は最終的にフランチェスコ

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世のもと でジャンボローニャによって完成されたが、コジモ

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世のもとでトリーボロ次いでバンディネ ッリに委嘱されていた初期構想の段階から「オケアヌス」の主題が選択されていたかどうかは 不明である(

fig. V.1.4

)。しかしながら、同時期に計画が浮上していたシニョリーア広場のため の《ネプトゥヌスの噴水》との関連において、ボーボリ庭園の噴水が同庭園造営の実質的な委 嘱者であったエレオノーラの権威を示すものであったとみなす文脈が示唆された。つまりエレ オノーラの経済的支援によって入手ならびに整備が進められたピッティ宮殿およびボーボリ庭 園を拠点として、君主の私邸の建つシニョリーア広場へ向けて、同じ南部の水源からの水が供

1 先行研究において《ヘラクレスの12功業の噴水》の設置場所についての議論が看過されているなかで、ガルディ は可能性としてヴェッキオ宮殿大広間を挙げているが(Gáldy 2009, p. 402)、根拠は示されていない。同大広間の天 井高や設置面積、重量との兼ね合いから考えても、この噴水を室内に設置することは現実的な案とは言えないだろ う。一方で筆者は、フィレンツェのカント・デイ・カルネセッキを設置場所の候補として考えているが、史料によ る裏付けには至っていない。この場所は、1565年の結婚祝祭の際にデ・ロッシが弟子のイッリアリオーネ・ルスポ リとともに勝利門の制作に携わった場所であり、その後1599年にはジャンボローニャによる《ヘラクレスとケンタ ウロス》が設置された(現在はロッジャ・デイ・ランツィに移設)。東側で大聖堂と結ばれ、南側ではサンタ・トリ ニタ橋からマッジョ通りへ伸びることで君主の私邸であるピッティ宮殿と結ばれるこの場所は、伝統的なヘラクレ ス・モティーフを用いた君主の象徴としての《ヘラクレスの12功業の噴水》の造営地として好適と考えられる。

給されたのであり、双方の場所にモニュメンタルな噴水が造営された。後述するが《ネプトゥ ヌスの噴水》がコジモ

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世の表象であることに鑑みれば、ボーボリ庭園の噴水をエレオノーラ の表象とみなすことで、同公妃の尽力が公爵の功績ならびに公国の栄華を支えていた事実が、

水路ならびに噴水によって視覚的に示されていると考えることが出来るだろう。つまりそこで は、カステッロの庭園において物理的な水の流れが図像プログラムに組み込まれていたのと同 じように、ボーボリ庭園とシニョリーア広場に造営された

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基の噴水を繋ぐ実際の取水経路そ のものが、公爵夫妻のシンボリズムの読解を促していたと言える。

 

1550

年代に入ると、ボーボリ庭園から都市の中心部への取水が見込まれたことに伴い、改築 中であった君主の私邸に複数の噴水が企図された。このうち実際に着手された新規の大型噴水 は、大広間南壁のための《ユノの噴水》とシニョリーア広場のための《ネプトゥヌスの噴水》

であり、いずれもアンマンナーティが制作を請け負った。《ユノの噴水》はコジモ・バルトリの 助言のもと、アルベルティの記述に基づく「水の生成」をテーマとして制作されたことが史料 によって確認された。また噴水の円環の頂点に君臨する女性擬人像《ユノ》にエレオノーラが 重ね合わせられており、ここにおいて、公国の発展に不可欠な公妃の助力が公的な空間におい て図像として明示された(

fig. V.1.5

)。加えて、噴水には類似する先行作例の見出せない特殊な 図像である別の女性横臥像《パルナッソスの泉》が挿入された(

fig. V.1.7

)。学芸の寓意である この擬人像は「水の生成」の帰結としてフィレンツェを潤す《アルノ河》(

fig. V.1.6

)と併置さ れることで、公爵夫妻のもとでフィレンツェに学芸が興隆したことを顕示する存在とみなしう る。実際コジモ

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世がこの噴水が計画される直前の時期までに、アカデミア・フィオレンティ ーナを公的に認可していたことに照らすと、《パルナッソスの泉》には、公爵によるこの具体的 な学芸のパトロネージが投影されていることが強く示唆された。

  次いで、

1560

年以降に計画されたヴィンチェンツォ・デ・ロッシの《ヘラクレスの

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功業 の噴水》およびその代替案と想定された《ヘラクレスとケルベロスの犬の噴水》は、まさしく コジモ

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世の統治における転換期に位置づけられる(

figs. V.1.8-9

)。それは内政改革や経済活 動の推進、学芸保護を通じて、フィレンツェ公国がこの時までにコジモ

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世のもとで安定した 国家として確立していたことに加え、

1559

年にすべてのシエナ共和国領をフィレンツェ共和国 に併合し、コジモ

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世がルッカ共和国を除くトスカーナ一帯を支配下に治めた歴史的事実によ って確かめられる。実際にコジモ

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世は、第Ⅰ章第

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節第

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項にて概観したように、

1560

年を 境として自身の栄誉の獲得へ向けて政策の転換を図るのである。この文脈において、デ・ロッ シによる《ヘラクレスの

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功業の噴水》が、まさしく

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功業に勝るとも劣らない君主の功績 を讃える目的で構想されたものであることは明白だろう。この噴水構想に関連して現存する素 描群では、同噴水の水槽側面を飾るブロンズ・レリーフのための構想を示す素描(

fig. V.1.10

)、

ならびに代替案としての噴水の構想(

fig. V.1.9

)のいずれにおいても「ヘラクレスとケルベロ スの犬」の主題が強調されている点に着目すべきだろう。すなわちここでは、ヘラクレスがケ ルベロスの犬を手なずけて冥界から地上に連れ出した物語に、コジモ

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世がシエナ共和国の併

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