母親などの養育者による乳児への語りかけには,
mothereseやinfant-directed speech (IDS)と呼ばれる音 響的特徴がしばしば観察される。この子どもに向けた 言葉の音響的特殊性の研究は,Ferguson (1964) や Snow (1977) らの報告がきっかけとなって行われてきた。その 音響的特徴は,大人同士での会話音声に比べ,基本周波 数が高くなる(McRoberts & Best, 1997),基本周波数の 変化範囲が広がる(Fernald et al., 1989),発話速度の低 下する(Fernald & Simon, 1984),語尾の上昇パターン が増加する,繰り返しが増加するなどである。この特 殊性は,文化圏の異なる国でもみられることから,人 類の母親の語りかけに共通するものと考えられている
(Ferguson, 1964)。
IDS は,父 親(Papoušek & Papoušek, 1987; Warren- Leubecker & Bohannon, 1984; Fernald et al., 1989) や 祖 母(Shute & Wheldall, 2001)にもみられることが報告さ れている。また,IDSの特徴は,乳児の注意を引きやす く(Cooper, Abraham, Berman, & Staska, 1997; Werker &
McLeod, 1989),母語の獲得を促進している(Hirsh-Pasek et al., 1987)と言われている。さらに,養育者は,IDS のような語りかけをしながらも,眉を上げたり口を大き く開けたりして誇張した表情を表出する。このような行 動は,gestural motherese(Iverson, Capirci, Longobardi, &
Caselli, 1999)やmultimodal motherese(Gogate, Bahrick,
& Watson, 2000)と呼ばれている。
また,養育者が乳児への関わり方として,乳児がぐずっ たり泣いたりしている場合に,乳児を抱き上げて,肩に
当てて抱いたり,背中をとんとんたたいたりする。こう いった動かされるという経験が乳児をなだめ(Korner
& Thoman, 1970),乳児の興奮を鎮静させる(Korner, 1969)。このように養育者が乳児の行動や情動変化に敏 感に対応することも乳児の発達に欠かせないものであ り,重要な養育者のスキルといえる。
それでは,このような行動は,母親や父親,祖母に限 られたものであろうか。育児経験がなくても出現するの だろうか。
我々は,乳児との接触経験のない大学生を対象に,養 育者にみられるあやし行動がみられるかどうか調べた
(中川・松村,2006)。その結果,乳児へ向けた音声は,
声が高くなりIDSがみられた。また,あやし行動やあ やし言葉は,何もできないわけではなかったが,乳児は ぐずることが多く,乳児への言葉かけが全くないものや 乳児がぐずった際に乳児から目をそらせたり,動きが止 まってしまったりするものもみられた。
乳児の表情の読み取りについては,一般的特性の上に 経験差が認められている(Emde & Sorce, 1983)。「泣き 声」の研究では,助産師,保育士,母親,看護師,子 どもの世話をしたことがある女性と,子どもの世話を したことがない女性を対象に乳児の泣き声(birth, pain, hunger, pleasure)判定調査を行った結果,助産師,保育士,
母親のような子どもの世話をよくしているグループが他 のグループより正解率が高く,経験差が認められてい る(Wasz-Hökert, Lind, Vuorenkoski, Partanen, & Valanne, 1968)。
乳児音声に含まれる感性情報の聴取傾向をみた研究で は,母親,保育士,学生から成る聴取者において,乳児 発 達 心 理 学 研 究
2010,第21巻,第2号,192−199 原 著
193 女子大学生における乳児へのあやし行動
の状況を変動要因として聴取実験を行った結果,聴取者 の育児体験などの経験差が聴取・評価に影響をおよぼす ことが明らかになっている(志村・今泉,1993)。母親 や保育士は,乳児の状況の違いに応じて評価を変えると いう。
乳児への関わりについては,母親でない女性は,知 らない乳児と一緒にさせられると自信がなくなり,リ ラックスできないため,ためらいがちな行動が多く,乳 児側も驚きを示す。しかし,乳児との接触経験が豊か で自信のある女性の場合なら,乳児から活発なコミュ ニケーションを引き出すことができるとの報告がある
(Trevarthen, 1979 / 1989)。
また,母親と子育て経験のない女性が,乳児,高齢 者,成人女性へ絵本の読み聞かせを行った際の音声を調 べた研究では,母親の方が子育て経験のない女性よりも 音響的特徴を示して,変化させて読み,特に乳児や高齢 者に対してはさらに変化させて読むという報告がある
(Masataka, 2002)。即ち,乳児音声の判定や聞き取り方,
乳児との関わり方というスキルは,養育者だけでなく,
子どもとの接触経験を多くもつ環境にあれば習得できる 能力といえる。
近年,中学・高等学校の授業において,乳幼児との交 流体験学習が行われている。育児未経験者における対児 感情が,このような交流学習における乳幼児との接触経 験によって影響を受けることはすでに報告されている。
高校生・大学生の男女を対象に,小・中・高校の各時期 に乳幼児と接触した経験の有無と対児感情との関係を調 査した結果,児童期から乳幼児との接触経験をもった生 徒や学生の方が,対児感情が良くなる傾向にあった(花 沢,1992)。また,松村・大路・山口(2002)の報告に よると,幼児との交流時における高校生の対児行動は,
対児感情によって異なり,対児感情の良い生徒の方が,
対児感情の良くない生徒よりも幼児と関わる割合が有意 に多かったという。
このように,育児未経験者が乳幼児との接触経験をも つことは,対児感情や対児行動に影響を与えることが明 らかになっている。しかし,乳児への関わり方の具体的 な行動を検討した研究はみられない。また,行動,言葉,
音声などの多面的な視点から関わり方を検討した研究も みられない。多面的な視点から分析を行うことで,乳児 とのコミュニケーションの方法を具体的にかつ統合的に 明らかにすることができる。そこで本研究では,育児未 経験者が乳児との接触経験をもつことで,乳児への関わ り方に違いがみられるかどうかを明らかにするために,
次の3点を検討する。1点目は,あやし行動の視点である。
乳児との接触経験をもつことで,乳児へのあやし行動生 起率や行動レパートリーは多くみられ,行動パターンも 異なると予想される。2点目は,あやし言葉の視点であ
る。乳児との接触経験をもつことで,発話生起率や発話 レパートリーは多くみられ,発話内容も異なると予想さ れる。3点目は,音声の視点である。乳児との接触経験 をもつことで,音声基本周波数の高さや発話速度などの IDSの特徴が,接触経験のない人と比較し,より明確に 出現することが予想される。
方 法
1 .実験参加者と対象乳児
実験参加者は,実験内容を説明し同意が得られた女子 大学生(18〜23歳)である。「乳児への接触経験の有無」
について事前に調査を行った結果,「乳児と関わった経 験がある」と答えた学生を経験有群(16名),「乳児と 関わった経験がない」と答えた学生を経験無群(14名)
とした。そのうち,きょうだいがいる実験参加者は,経 験有群16名,経験無群13名であった。また,対児感情 について3件法によって口頭で尋ねたところ,全員が「好 きである」と答えている。
対象乳児は,男児3名である。実験を行った時の男児 の月齢は,3ヶ月〜4ヶ月であり,すべての乳児におい て定頸を確認している。実験者は対象乳児の母親と事前 に会い,実験内容を説明し,研究協力の承諾を得た。
2 .実験手順
実験参加者が実験室の椅子に座った後,①乳児の氏名 を書いた紙を渡し,声に出して音読するよう指示し,乳 児不在時の音声を録音した。録音は実験者が,隣の操作 室に退出した後,行った。この時,乳児は母親と一緒に 別室で待機していた。次に,②別室で待機していた乳児 を実験者が抱いて母親とともに入室し,椅子に座ってい る実験参加者に抱かせた。そして,実験者と母親は,隣 の操作室に移動し,実験の様子を観察した。次に,③2 分が経過した後,実験者が実験室に入室し,実験参加者 に『赤ちゃんの名前を呼んであやして下さい』と指示し,
あやし行動中の音声を録音した。その3分後,実験を終 了した。実験後,実験者が乳児を抱き,操作室で実験状 況をみていた母親に手渡した。
実験中は,別室の操作室からズーム及び方向の自動遠 隔操作ができる箱型隠しカメラ(日本事務光機,SCB-65)4台で,実験参加者の表情,乳児の表情,実験参加 者の行動,実験室全体を撮影し,4画面合成装置(SONY,
YS-Q440)を介して録画した。音声は,ステレオマイク ロホンで集音し,Digital Audio Tape Corder(DAT)(SONY,
POC–DA12P)で録音した。
なお,実験は毎回午後15時から開始し,乳児が覚醒 時で安定している時に限定し, 1日に実験参加者2名の みの実施とした。また,乳児の機嫌が悪くなった場合は 母親の判断で中止することとした。
194 発 達 心 理 学 研 究 第 21 巻 第 2 号 女子大学生における乳児へのあやし行動 195
3 .分 析
1)行動分析 実験開始後2分間の映像からあやし 行動の分析を行った。録画ビデオ映像をコンピュータに 入力し,3秒ごとに区切って40の音声付動画ファイル を作成した。そして,各実験参加者40ファイルを再生 して,1ファイル毎にあやし行動の有無を判別した。全 ファイル数の中であやし行動がみられたファイル数の割 合を各自のあやし行動生起率として算出した。なお,判 別にあたっては,2名の判別者が個別に判定を行った。
1名は第一筆者であり,もう1名は,実験の目的を理解 している女性である。あやし行動の有無の判別の一致率
は98.0%であった。
次に,あやし行動が出現した動画ファイルについて,
あやし行動パターンを記述し分類を行った。①抱いて揺 らす,タカイタカイなどを「身体運動的あやし」,②乳 児を軽くたたく,横抱きにする,頭・体をなでるなどを
「接触的あやし」,③顔を近づける,口を開けるなどを「非 接触的あやし」として分類し,あやし行動パターン別生 起率を算出した。分類にあたっては,2名の判別者が個 別に判定を行った。判別の一致率は90.1%であった。ま た,出現したあやし行動をレパートリーとして書き出し,
各自の行動レパートリー数を出した。
その他,乳児ぐずり場面,共同注意についてもその出 現人数を算出した。
乳児のぐずり場面は,乳児が泣く,機嫌が悪くなって ぐずり声を出すといった行動がみられたかどうかを動画 ファイルから判別した。ぐずり場面が一度でも出現した 人と,全く出現しなかった人に分類し,人数比率を算出 した。分類にあたっては,2名の判別者が個別に判定を 行った。判別の一致率は100%であった。
共同注意は,実験参加者が乳児をみつめている際,先 に乳児が視線を他の方向に向けた後で,実験参加者が乳 児と同じ方向をみるという行動が出現するかを調べた。
共同注意が一度でも出現した人と,全く出現しなかった 人に分類し,人数比率を算出した。分類にあたっては,
2名の判別者が個別に判定を行った。判別の一致率は 100%であった。
2 )あやし言葉分析 実験開始2分間の実験参加者が 発したすべての発話から分析を行った。行動分析で作成 した40の音声付動画ファイルを再生して,1ファイル 毎に実験参加者が言葉を発しているかどうかについてそ の有無を判別した。全ファイル数の中で発声がみられた ファイル数の割合を各自の発話生起率として算出した。
なお,判別にあたっては,2名の判別者が個別に判定を 行った。1名は第一筆者であり,もう1名は,実験の目 的を理解している女性である。判別の一致率は93.3%で あった。
次に,各実験参加者の発話をすべて書き出し,中川・
松村(2006)の分析方法を用い,8つの発話機能カテゴ リーに分類した。なお,ひとまとまりの音声の中に沈黙 が挿入されている場合,その音声のない部分が0.3秒未 満のものは連続したひとつの音声とした。カテゴリーは,
①乳児の注意を養育者へひきつける,あるいは乳児音声 を引き出す目的の発話(「○○くん」「こんにちは」など)
を「注意喚起・音声誘出」,②乳児の音声に対する同意 や賞賛,あるいは乳児に対する愛情を示す発話(「よし よし」「はいはい」など)を「受容的表現」,③乳児の音 声や行動に対する否定的な内容を示す発話(「ごめんね」
など)を「否定的表現」,④乳児に情報を与える発話(命 名を含む)(「お母さん来るよ」など)を「情報提示・命名」,
⑤乳児音声の模倣,あるいは乳児の意図を解釈して代弁 する発話(「楽しいね」など)を「模倣・代弁」,⑥遊戯 的目的の発話(「ばあ」「タカイタカイ」など)を「遊戯 的音声」,⑦乳児に対する質問発話(「どうしたの」など)
を「質問」,⑧乳児に対する指示発話(「泣かないでね」
など)を「指示」とした。2名の判別者が個別に判定を 行った結果,判別の一致率は96.4%であった。
次に,各カテゴリーの発話が一度でも出現した人と,
全く出現しなかった人に分類し,人数比率を算出した。
また,各実験参加者の発話機能カテゴリー数についても 算出した。
3 )音声分析 DATに録音した音声をUSBオーディ オ・インターフェース(ローランド(株))を用いてコ ンピュータに取り込み,音声分析ソフトWindows版「音 声工房」(コロナ(株))を用いて,音声の周波数分析を行っ た。
IDSの特徴が実験参加者に現れるかどうかを調べるた めに,音声の周波数分析を行った。実験参加者が乳児 に対して発声した乳児の名前音声(IDS)と実験参加者 が乳児不在時に発声した乳児の名前音声(adult-directed
speech:以下ADS)をそれぞれ抽出し,音声分析ソフ
トで基本周波数の比較を行った。
音響的な分類は以下の3項目である。①F0始点:乳 児の名前「○○」と発声を開始した時点の基本周波数値,
②F0中点:「kun」と発声した時点の基本周波数値,③ 音声持続時間:音声分析ソフト上の音声波形の出現時点 から消失時点の時間。乳児の名前(「○○kun」)を発声 した開始から終了までとした。
結 果
1 .あやし行動
1 )あやし行動パターン 各実験参加者の全動画ファ イル中のあやし行動生起率の結果をTable 1に示す。両 群のあやし行動平均生起率をMann–WhitneyのU検定 で分析したところ,経験有群は,経験無群より,あやし 行動生起率が有意に高かった(p= .0073)。