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哲・誓

ドキュメント内 真宗研究7号全 (ページ 44-68)

T

証・二

文?干

類 逼

t E フ ロ

右のうち︑教と証とは抹消されて︑﹁行文類二しと読ませるようになっている︒これは原初の﹃教行証文類﹄が︑

本来一巻であったのを︑後に﹁行巻Lとして使用し﹃教巻Lと守証巻﹄とを別開した経路を︑明示するものであ

る。

は﹁行巻﹄の末尾に﹁正信念仏偏﹂が置かれてある︒元来︑

﹁倍

Lは﹁長行Lの段落として︑その末尾に配され

るの

であ

って

長行の内容を要約し整理する意味を持っている︒然るに﹁正信備﹂の内容は︑聖人が顕わそうと

したであろう所の浄土真宗の真実教行証の一切の歴史的展開を包含するのである︒故にこれが︑最初に企てら

れた﹃真実教行証文類﹄全体の︑末尾のしめくくりであった事が︑知られるのである︒

このように︑原初の﹁真実数行一証文類﹂は︑現在の﹃行巻﹄一部の巾に縛められていた事は明かであるが︑その事

から直ちに︑これが原初の一﹁本典﹄の全部であったと考えることは︑出来ないのである︒

原初の寸真実教行証文類﹂だけでなく︑これと共に原初の﹃方便化身土文類﹄を

何故

なら

ば︑

原初

の﹁

本典

﹄は

具備したものとして立案せられ︑この真化二巻を以て︑原初の﹃本典﹄が形造られていたと認むべき︑理由があるか

らで

ある

﹃本典﹂製作の原意

原初の﹁本典﹄が︑如何なる構想の下に着手せられたかを推考するための︑大きな手がかりは︑

﹃行

巻﹂

長行

の終

方に偏文に移ろうとする所に置かれている所謂﹁偶前文Lである︒これは原初の﹃本典﹄が︑何を顕わそうとしてい

たかを示すものとして︑重要な記述というべきであるが︑そこには次の如く記されている︒

凡社誓一良子真実作信

1

亦有

一か

骨一

作信

二人

真空

九一

願パ

者諸

仏称

会見

リ共

真唯

夫信

府ず

至心

信楽

岡町

リ斯

j

正択 本早 乙

行信

也︒

共勝

者則

子一

切善

悪大

小凡

愚ナ

ゼ︒

斯札誓願不可思議一実真如陀

査。住。

宣 生 。問 。

呈 者 八

~則手。・−−−.

i , 耳 。

J

. 田

歪議。

刊 住 。

生。

他 也リ

力 真

F

之 土1

正 者 意ナ則テ 也 リ 報

イ ム

報 土 也リ

量。て

寿。十

経。七 願 機 を

は 挙大。げ

凡。

愚。

真実の信の願として十八願を挙げ吏に その真実行信については︑真実の行の願とし

コ二経・三機・一一一往生しの思想体系に触れて︑経は大無 ここに︑誓願について﹁真実行信﹂と﹁方便行信L

との

存在

を一

不し

往生は難思議往生と明かしている︒これは三往生の思想体系に於いて︑真実行信に相当する

部分

であ

る︒

このように︑真化二種の行信を挙げて︑その真実行信については詳しく言及しながら︑未だその方便行信について︑

何ごとをも述べられていない︒これは次に執筆すべき﹃方便化身土文類﹄を予想して︑これに譲ったものとして︑始

めて正当に理解される事柄である︒

そして又︑この推定は実際に於て︑

方便行信なる十九願と二十願の究明にあてられているが︑ ﹁化身土巻﹄に於て実一証されているのである︒即ち守化土巻﹂の主要諸分は︑

その事は︑巻頭の標挙に

至 心 発 願 之 願 邪 定 索 機

双樹林下往生

無量寿仏観経之意也

至心廻向之願

不 定 索 機 難 思 往 生

阿弥陀経之意也

とあることによっても︑明かである︒

﹃教

行証

文類

﹄の

成立

過程

にお

ける

﹁一

万仁

元年

一 五

﹃教

行証

文類

L

の成

立過

程に

おけ

る﹁

一克

仁一

克年

J、、

便 本往 文

生トの

f、中 者 に

. f t n  

是 ム

瞥九

エ 願辺 I r

地 九市 つ. ,  0 

話主し、問。

林。て

l 主

往。

生。

と示し︑二十願については︑

就レ

機有

レ定

有レ

c

往生者此難思往生是也

G

と明かされている︒

愛に︑双樹林下往生と難思往生とが見えているが︑これは﹃行巻﹄備前文に一不された難思議往生と相倹って︑

往生﹂の思想体系を形造るもので︑との点から見ても︑原初の寸行巻﹄と原初の﹃化土巻﹄とは︑一具のものとして

執筆されたことが︑知られるのである

では

この三往生の思想体系が︑何故﹁本典﹄製作の基本的骨酪となったのであろうか︒思うにこの思想体系は︑

聖人が士口水の門下に於て善導の教学を学んでいた頃から︑持ち続けて来た懸案の課題であって︑その思想の源が善導

大師にあったことは︑

﹁田

思禿

紗﹄

上巻

に見

える

次の

一記

文に

よっ

て︑

明か

であ

る︒

法事

讃有

一一

二往

U

一難思議往生

二双樹林下往生 三難思往生

弥 観 大 陀 経 , 経

経ノ宗

L

示十

そしてこの同じ謀題が︑士口水時代及びこれにつづく越後・関東時代にまで持ち越されていたことを示す文献がある︒

それは聖人真筆の﹃観経・阿弥陀経集註﹄︵西本願寺蔵︶を存覚上人が書写したものの中に見出される﹁開三往生﹂

の図式であるωこの写本は高田山専修寺に現存するが︑その観経から阿弥陀経に移る中間の余白に︑次の図式が書き

込ま

れて

いる

O

至心信楽之願也

l

証大浬繋惣迎来也

一|

摂取

益|

一|難思議往生・住正定緊之機他力化生

開一

一一

往生

l

l

双樹林下往生・自力胎生機定散之善人

﹁難思往生・他カ之中方便自力機修諸善本胎宮往生之機

この図式は︑西本願寺の原本には見られなくなっているが︑ぞれは恐らく岡本が﹃観﹄﹃小﹂二経に分離装頓され

た時に失われたもので︑本来は写本と同じ所に存在したと︑推定されるのである︒

右のうち︑難思議往生の条下には﹁住正定豪之機︑他力化生﹂と標した外︑更に横線を以て︑﹁摂取益L

と示

し︑

更に叉横線を設けて﹁証大浬繋惣迎来也﹂と記入し︑猶その外に一行そ設けて一至心信楽之願也しと顕わしてい

る︒これらは最初の図形に︑折にふれて増補を加えたものが︑次第に拡大して行った経路を示すものであって︑

聖 人

は士

口水

時代

から

引続

いて

この

図形

と取

組み

これと共にその思想を深めて行ったと︑思われるのである︒

そしてその思想的追求の永い期間︵恐らくそれは吉水時代より︑越後時代を経て︑関東時代の前半に至る十七︑

}¥ 

年を含むであろう︶に於いて︑仮なるもの権なるものそ棄てて︑ひとえに真実報土への難思議往生を問い求めたので

あったが︑遂に時来って︑至心信楽の願機たるの自覚に到達し︑その到達の地点に於て︑新なる思想的分野の展開を︑

見出されたと推せられるのである︒

それは︑今までの思想的追求の歩みに於いて︑仮なるもの権なるものとして廃棄して来た︑双樹林下往生や難思往

﹃教

行証

文類

﹄の

成立

過程

にお

ける

﹁元

仁一

元年

寸教

行証

文類

﹄の

成立

過程

にお

ける

﹁一

万仁

一万

年﹂

生の教行も︑実は今日の真実行信即ち難思議往生への︑大なる道途であり︑遠き導きの方便であったという︑広大な

回顧

的展

望で

ある

との大なる眼から見れば︑今まで箇々に分立していたコ一種の往生は︑実は真実の行信と︑これに誘引せん為の方便

の行信との関係に於て︑統一せらるべきものであり︑

かく

する

こと

は︑

一切の浄土教学を体系づけるものであるとの

確信に︑到達されたと推せられるのである

そし

この確信の下に﹁真化二種の行信しという指導理念によって︑浄土の教学を体系化せんとせられたのが︑

守顕浄土真実教行証文類﹄編述の︑根本動機であったと︑思われるのである︒

原初の

﹁方 便化 身土 巻﹄

﹂の

推測

を一

裏付

ける

もの

﹁方便化身土巻﹄に示されている﹁一二願転入﹂の自叙と︑知恩造書の記文とである︒

一二

願転

入の

文は

︑次

の通

りで

ある

是正

ケ愚

禿札

驚︑

飢一

論主

﹁解

義ヲ

一札

ム白

木肌

勧化

一九

ク此

一万

行諸

主之

仮門

イ寺

山⁝

賦二

股⁝

酢枠

T Z

ι

︑ヲ

廻一

一人

−吉

本徳

本真

門ヤ

偏五

日賂

尻町

佐岳

叫ん

心♂

仲ル

ニ今

特一

昨一

一方

便真

J

転一

人選

抗願

海一

γ

賦−

一難

思往

t

︑仇

レ品

一→

婚貯

静九

r t

ザ果

迭之

誓向

ん 有 レ 由 哉

Q

これは正しく三往生の段階を︑身を以て経験した体験的記録であるが︑とこにその選択の願海への転入を︑

﹁果

の誓願﹂のたまものと︑深く讃嘆のことばを捧げていられるのは︑方便引入の遠い願心を感得された︑何よりの証拠

であ

この三願転入の自叙につづくのが︑所謂知思造書の記文である@即ち︑ る

号一

九ク

ん汀

願海

午深

紅一

仏因

叫つ

丸レ

報抗

力−

宇佐

1

川一

主民

問究

吋恒

常称

二ふ

不可

思議

之徳

一民

1

喜受

札︑

特一

頂一

部駅

也︒

﹂れ

は正

しく

願海転入の喜びによって

一予

徳を

報謝

せん

が為

﹃本

L製作の意図を発されたことを述べてい

るのであって︑原初の守本典﹄の結語である事は︑明かである︒

﹁行巻﹂即ち原初の﹃真実教行証文類﹄L﹂ ︑

従って︑原初の守本典﹄は原初の﹃方便化身士文類﹄によって形成

せられ︑原初の﹃化土巻﹄は︑この知恩造書の記載の所で︑その主文を了っているものと︑見られるのである︒

但し

主文は此所で終るが︑これまでを正宗分として︑これに対する流通分の一小節が附随していたと思われるの

である

ぞれ

は右

に続

く︑

正像末三時の時代勘決の文であって︑上の正宗分に広説された浄土の行信念︑広く一般に勧めると

共に︑特に聖道に訪律する諸人の為に︑時代が既に末法に入って年久しいことを︑知らしめんとするものである︒

原初﹃化土巻﹄の流通分と﹁元仁一万年﹂

原初守化土巻﹄の流通分と推せられるのは︑

次の

諸文

であ

る︒

信知︑聖道諸教為一在世正法−全非一一像末法減之時機吋己失L

時手

レ機

也︒

蔚 斉 悲 引 也

浄土真宗者︑在世正法像末法減︑潤悪群

以下少しく飛んで︑︵この部分の説人差別と四依釈の文は恐らく後の増補︶

然拠

一一

正真

教意

一披

一一

古徳

伝説

﹁顕

↓一

開聖

道浄

土真

仮﹁

教コ

誠邪

偽異

執外

教﹁

法旨

際吋

是以

勘ニ決如来浬梁之時代1

間一

一不

正像

末 玄忠 寺紳 和尚 云︒

然修道之身︑

相続

不レ

絶︑

運二万劫寸始証一一不退位刊当今凡夫︑

現名

工信

想軽

毛︑

乃至

守教

行証

文類

﹄の

成立

過程

にお

ける

﹁一

苅仁

一万

年﹂

ドキュメント内 真宗研究7号全 (ページ 44-68)

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