今回の調査及び事例研究は、同胞葛藤における一般(genera1)と個別
(personal)の両面からの接近によって、その実態的分析と臨床的分析を 行い、その諸相を明らかにするとともに、克服への方途、学校現場にお
ける対処等を考察することであった。第2章で述べたように、同胞葛藤 は、自己評価意識と関係があり、葛藤を強く感じれば、自己防衛的にな る可能性があることがわかった。とくに、2人きょうだいの「姉」は、
その関係が強いことが明らかにされた。この「姉」の立場の同胞葛藤に ついて、臨床的にも分析が行われ、親などによる偏愛が学校不適応とい う形で発症する例が示された。
不登校等の学校不適応は、様々な原因があると考えられるが、その一 因である同胞葛藤について、学校現場では認識を新たにする必要があろ う。すなわち、不登校という現象形態の背後にある子ども達の同胞関係 である。史上希にみる現在の少子化傾向の下、同胞関係が人格形成に果 たす役割は大きいと考えられるが、このような視点から、系統的に研究
し、克服の方途を追究する実践は稀少だからである。
同胞葛藤の発生因として、乳幼児期の親の態度が極めて重要であろう。
次子の誕生による長子の見捨てられ経験は、心的外傷になる。二人きょ うだいでは、下の子が保育所に行き、やっと手がかからなくなると、母 親は働きに出ることが多く、上の子は、下の子と二人で母親の愛を平等 に分け合う機会を逸する場合が多いのではないか。また、親自身の同胞 関係の不足から、扱い方が分からなかったりするため、この時点での配
等分に振り分けられていることが必要であろう。ところが、実際には親 が等分にと心がけていても、場合によって子どもはひがんだりすねたり する。対等に扱われていることを、はっきり態度で示して安心させる必 要があろう。一入ひとりの子どもに、自分は親に愛されているのだとい う実感をもたす方法として、詫摩(1981)は、休日等に、親は子どもを一 人ずつ連れて外出し、その日は他のきょうだいのことは話題にせず、そ の子どものことだけを聞き、話したという例を紹介している。
本研究において、明らかになった同胞葛藤の諸相を契機として、子ど もたちのおかれている、厳しい現実に目を向ける必要がある。それは、
単に子どもたち一般がたいへんな状況にあるというのではなく、一人ひ とり、思春期における「姉」として、「弟」として、 「兄」として、
「妹」としての立場があるということを、教師は認識を新たにし、子ど もたちを理解していく必要があるのではないか。
現在、学校現場においては、友人関係の問題をきっかけとする不登校 や、集団による陰湿ないじめが後を絶たない。衆をたのんで、異端とさ れる者をいじめ、その苦しむ様子を見て喜ぶ、というのは、悪しき平等 主義の弊害であり、他を蹴落とし、出し抜く競争原理の所産でもあろう。
また、いじめに加担する側の劣等感の補償(Adler, A.,1932)であるともい える。その意味で、いじめる者の側にも生きがい感はなく、自己受容と 対人的な信頼感が形成されていないのではないか。
このような子ども達の様子については、一旦、いじめ出すと、加減を 知らないこと、平気で相手を傷つけるようなことを言ったりするのに、
同様のことを自分が言われると極めて弱いなど、対人関係の距離をとる すべを知らないことが指摘されよう。社会性の発達に貢献する同胞関係 についての従来の研究から考えると、幼児期からの多様な同胞関係で学
ぶことが少なくなってきていることが、一因かもしれない。
対人関係においては、協力関係はもちろん、よい意味での競争によっ て得るものが多いであろうし、切磋琢磨の中での対立や葛藤によって成 長していくことは事実であろう。さらに、相手に対する愛と憎しみのア ンビバレントな感情を統合できれば、自分自身の心や感情を見つめ、そ れが相手の気持ちを察することにつながっていくかもしれない。同胞関 係は、その発生初期から、これらのことを日常的に繰り返すのである。
人間はひとりでは生きていけないという社会的存在であると同時に、
それぞれ一人ひとりは他と決して交換できない世界で唯一の存在でもあ る。したがって、仲間とともにいる喜びこそ人間を安心させ、また、互 いに個性ある異なった存在であることを認め合うことによって、自己受 容とともに、他者をも受容できる。これらの関係は、まさに家庭という 世界の中の同胞関係において見い出されるものではなかろうか。
学校現場においては、少子化による同胞数の減少に伴う影響を認識す る必要がある。自主性の発達が阻害されたり、社会性が育ちにくかった
り、互いに切磋琢磨することがなく、たくましさが失われる等のデメリ ットが指摘されているからである。
また、学歴主義は厳然としてあり、画一的な指導の下で子どもたちを 没個性化に追い込む状況は変わってはいないこと、このような中で、
「良い子」 「悪い子」あるいは、「できる子」「できない子」の2種類 に、子どもをステレオタイプに見る傾向があるのは事実である。少子化 による親の過干渉、同胞比較などの影響に、教師側が知らずと加担し、
相乗効果によって今よりも偏愛が起きないか、同胞葛藤による学校不適
る教育」のために、複雑な生徒の内面を共感的に理解する教師の態度が 大切であると述べている。カウンセラーとしての教師が、生徒を理解し ていく上で、つい見落としがちな生徒の同胞関係及び同胞葛藤と学校不 適応の関連性について考えていくことは、今後、極めて重要になってく
るのではないか。
第2節 今後の課題
従来、同胞関係の研究は、出生順と性格という観点からすすめられた ものが多い。しかし、本研究は、出生順が直接性格形成に影響を与える のではなく、同胞関係のあり方が個人の性格と関連するのではないか、
と考えてすすめられた。その関係の質は親子関係に大きく影響される、
とみなされた。また、臨床的要請から、本研究の目的は、同胞関係一般 ではなく、同胞葛藤に焦点化し、個人の自己評価との関係を求めること
であった。
同胞と自己評価については、長田(1992)が、MMPIの等疑反応の出 現頻度による分析を行い、長子の自己概念が次子よりあいまいであり、
自己評価が低く他者を意識しやすいという報告をしているが、同胞葛藤 と自己評価との相関を求めるという研究は、殆どなかった。本研究は、
新たな知見と方向性を指し示したといえよう。
とくに、二人きょうだいの「姉」である者は、今後もその心理機制に ついて分析していく必要がある。思春期に至り、心身の変化とともに自 己を強く意識しはじめるとき、容姿等で比較されることは、葛藤と自己 評価に大きく影響すると思われる。本研究では、この「姉」の立場の同 胞葛藤について、臨床的にも分析が行われ、親などによる偏愛が学校不 適応という形で発症した一例が示された。
面接の中で、母親は、「子どもが『どっちが歌がじょうずやと思う』
と聞いてくる」など、子どもの他者意識について語った。同胞間の葛藤 によって、子どもの自己評価が不安定になり、他者の評価が気になって くるのではないか、と考えられた。また、親の偏愛による同胞比較は、
一方の子どもに、負けまいとして、何事も完壁にこなそうとする完全主 義傾向や家族に味方がいないための孤独感を身につけさせるのではない か、と考えられた。
本事例では、今まで、同胞の一方を偏愛してきた家族にとって、急激 な変化は新たな葛藤を生むことになり、その解決は一直線にはいかなか った。McGoldrick,M.(1989)は、女子が二人いる家族では、一人は「良い 子」、もう一人は「悪い子」という姉妹関係の両極化がみられるのは珍
しくないと述べている。そして、このような相補的関係は、両親間の葛 藤が原因だったり、母親がもつ二面性を姉妹二人が分担していたりする
ことがあり、また、何世代かにわたる家族内緊張が同胞抗争という形を とって現れることもあるという。心理的援助を行うには、このような、
一人は「良い子」、もう一入は「悪い子」という役割分担を止め、悪い 子という役まわりにさせている状況について考えていくとともに、まず、
きょうだいを味方にし、治療に積極的に参加させていくことが大切であ ろう。 「良い子」という過剰適応からも自由になることも大切であると 考えられるからである。しかし、本研究では、このような援助の有効性 は確認できなかった。同胞葛藤を要因とする学校不適応等の心理的援助 において、今後の更なる研究が望まれる。
今回、同胞葛藤については、質問紙による調査研究と面接による事例 研究の両面から分析することによって、全体の傾向から個の理解へ、ま