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付 録
1党 別 当 選 者 名 簿
Soh Ah Teck蘇宜徳、
Syed Esa Alwee
Haji Rahmat bin H吋iDaud Datin Fatimah binte Haji A. Majid Syed Jaafar b. Hassan Albar Dato Ismail b. Dato A. Rahman Chang Chong Wen 骨崇文 Tiah Eng Bee程栄美 Aziz b. Ishak
Seah Teng N giab 余鎮業 Dr. Awang b. Hassan Ahmad b. Arshad Ali b. Hj. Ahmad Dato Sardon b.日j.Jubir Lee San Choon 李 三 春
Hj. Abdullah b. Hj. 1 fohd. Salleh Lim Pee Hung林維翰
Harun b. Abdullah Hanafiah Hussain
Datin Fatimah bte. Hj. Hashim Mohamed Khir Johari
Dr. Mahathir b. Mohamed Haji Abdul Khalid
Tengl王uAbdul Rahman Putra Al・Haj Senu b. Abd. Rahman
Tai Kuan Yang載観陽 Hanafi. b. Mohd. Yunus Mohamed Zahir b. Hj. Ismail Dato Nik Ahmed Kamil Hussein b. Sulaiman Tan Kee Gak 陳期岳 Abd. Karim b. Abu
‑105‑ 一(153)一
「←
マ レ ー シ ア
(Malacca T engah) Tan Siew Sin 陳修信 (Malacca U tara) Abd. Ghani b. Ishak ヌグリ・スンピラン州
(Jelebu‑Jempol) Mohd. Idris Matsil (Kuala Pilah) Bahaman b. Shamsuddm (Port Dickson) T. Mahima Singh (Remban Tampin) Hj. Redza Hj. Mohd. Said (Serembau Barat) Siow Loong Hin 帯隆興 (Seremban Timor) Quek Hai Dong 郭関東 パ ハ ン 州
(Ben tong) Chan Siang Sun 陳声新 , (Kuantan) A. Rahman b. Hj. Talib
(Lipis) Abd. Razak b. Hj. Husain (Pekan) Tun Abdul Razak Dato Hussein (Raub) Hussein b. To' Muda Hassan (Temerloh) Mohd. Yusof b. Mohmud ベナもン州、|
(Bagan) Tan Cheng Bee 陳清美 (Penang Selatan) Ismail Idris
(Penang Utara) Geh Chong Keat 侃宗吉 (Seberang Selatan) Md. N oordin b. Mas tan (Seberang Tengah) Ibrahim b. A. Rahman (Seberang Utara) Hj. Ahmad b. Said
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フ 州、|
(Bagan Datoh) :Sulaiman b. Bulon (Batang Padang) Abdul Hamid Khan (Ba tu Ga jah) Ng Fah Yam呉華炎 (Barnas) Yeoh Tat Beng 楊達明 (Hilir Perak) Othman b. Abdullah (Kampar) Toh Theam Hock社 添 福 (Krian Darat) lRamli b. Omar
(Krian Laut) Abdul Rauf b. A. Rahman (Kuala Kangsar) Dr. Haji Megat Khas (Larut Selatan) Dr. Lim Swee Aun 林瑞安 (Larut Utara) Ta ju din bin Ali
(Parit) Hussein b.孔1ohd.N oordin (Sitiawan) Kam Woon vVah 甘丈華 (Sungei Siput) V. T. Sambanthan (Tanjong Malim) Lee Sek Fun 李錫財 (Teluk Anson) Dr. Ng Kam Poh呉錦波 (Ulu Kinta ) Chin Foon 1自寛
(Ulu Perak) 日:j.Mohd. Ghazali b. Jawi
一(154)一 ‑106‑
ベ ノ レ リ ス 州 (Perlis Selatan) (Perlis Utara) セランゴール州
(Bukit Bintang) (Damansara) (Kapar) (Klang) (Kuala Langat) (Kuala Selangor) (Langat) (Rawang) (Sabak Bernam) (Sepang) (Setapak) (Ulu Selangor) ト レ ン ガ ヌ 州
(Dungun) Suleiman b. Ali
(Kemaman) Wan Mokhtar b. Ahmad (Kuala Trengganu Selatan) Dato Bijaya di‑Raja (Kuala Trengganu Utara) Wan Abdul Kadir
(Trengganu Tengah) Engku Mohsein b. A. Kader Hj. Mokhtar
Othman b. Abdullah Tan Toh Hong 陳道方 Chan Wing Sum骨永森 Hamzah b. Alang
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Dato H aji Mustafa Lee Siok Yew 李孝友 S. Y. Chan 倉祥雲 Khaw Kai Boh 許啓諜
全マラヤ回教徒党(9) ケ ラ ン タ ン 州
(Bachok) (Kelantan Hilir) (Kota Bahru Ulu) (Pasir Mas Hilir) (Pasir Mas Ulu) (Pasir Puteh) (Tanah Merah) (Tumpat)
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Wan Hassan ト レ ン ガ ヌ 州
(Besut) Mohd. Daud b. Abd. Samad 社会主義戦線(2〕
ベ ナ ン 州 (Dato Kramat) セランゴール州
(Batu)
Lim Kean. Siew 林建寿 Tan Chee Koon 陳志勤 人民進歩党(2)
ベ ラ 州
‑107‑ 一(155)一
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マレーシア
(Ipoh) D. R. Seenivasagam
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1englembu) S. P. Seenivasagam 人民行動党(1 )セランゴール州
(Bungsar) Devan Nair 統一民主党(I )
ベ ナ ン 州
(Tan jong) Lim Chong Eu林蒼佑
なおマレーシアを構成するシンガポール川,サラワクチH,サパー州からの中央議 会議員は次の通り。
シンガポール州
[人民行動党 12人
7
Lee Kuan Yew 李光耀, ThoChin Chye 社進才,Goh Keng Swee 呉慶瑞, S.Rajaratnam, Ong Pang Boon 壬邦文,
Yong N yuk Lin楊王麟, LimKim San林金JJJ,Othman Wok, Jek Yuen Thong 易潤堂
〔社会主義戦線 3人
7
Lim Huan Boon, Chia Thye Poh, Kow Kee Seng サ ラ ク ク 州〔連合党 17人
1
Stephen Kalong Ni昭kan,Teme時 四ngJ時ahAnak Bar‑ ieng, Pengarah Banyang, Penghulu Jinnut Anak Attan, Penghulu Francis Umpau Anal王Empam, Aandom Anal王 Nyuak, Jonathan Bangau Anak Renang, Kadam Anak Kiai, Som Boon Liang, Edmung Langgu Edwin Tangkun, Line Beng Siew, Tan Tsak Yu, Sng Chin Joo, Abdul Rahman Yaacob, Majisunt Tuhir ¥Van Abdul Rahman Ajibah Abol〔国家党 3人,現在は連合党に算えられているj Abang Othman, Ikhwan Zaini, Dagok Anal王Randen
〔無所属
1
Awang Daud !v1atusinf
統一人民党7
SteP.hen Yong, Charles Linang, Song Thian Cheak サ パ ー 州〔連合党 16人〕 Dato Donald Stephens, Dato Khoo Siak Chiew, * Dato Aliudin bin Dato Harun, Dato Ganie Gilong, Abdul Rashid,'ド Joe Manjaji,* Francis Chia Nyuk Tong,* Mohamed Arif Salleh, Mohamed Dara bin Langnad,* Pengiran Tahir Petra,* Peter Lo Su Yin, Yeh Pao Tzu, Stanley Ho, Amadeus Leong, Ganing bin Jangkat, Fazul
Rahman* ・
〔注〕 キ は4月28日の改選による新人。
一(156)ー ‑108‑
付 録
2マレーシア・ヌガラ銀行(BankNegara Malaysia)の IncheIsmail bin Mohamed 総裁は4月1日, 1963年の年次報告を発表した。以
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2日〉 にのったその概要である。一 一 一 年 次 報 告 概 要 一 一
63年の物資生産高と貿易量は前年より増大し,公共の開発支出費と民間の投資額 は,これまでのすべての水準を上回っている。国民1人当たりの生活,消費高は比 較的安定を保っている。しかし実質所得は,人口増加率が高いためにふえていると はし、えない。
あちゆる指標は,投資,建設,生産の断続的成長と,経済活動全体の順当な発展 を示している。マレーシア連邦の結成によって国内市場は拡大され,民間投資家ば かりでなく,外国投資家にたいしても大きな投機の機会が提供され,すでに良好な 反応を生み出している。マレーシアは,とくに東南アジアにおいである程度の平和 と安定があれば,こんご何年間札経済,財政,社会の各分野で,大いなる,しか も,むくいのある開発を期待することができょう。
マラヤの主要な基本生産物であるゴム,スズ,鉄鉱石,木材,パーム油の生産高 と輸出高は62年に比べ増大を示したが,ゴムの価格が下落し,輸入のワクが増大し たため,貿易勘定の黒字が1億7500万マラヤドルで,国際収支の差額では62年とほ ぼ同額の2億2800万マラヤドノレ余の赤字を残した。しかしそれでも外貨準備は, 1 年間の輸入所要額をまかなうにたりると考えられる。一方,政府支出の増大にもか かわらず,国民1人当たりの消費と収入は比較的安定している。
シンガポールの貿易高は, 63年末の3ヵ月間インドネシアの対決政策のために若 干のとんざはあったが,それにもかかわらず62年より上回った。シンガポール国内 経済は各分野,とりわけ建築,製造業の分野で高まりをみせたのが特徴であった。
59年から62年までの聞に国民所得の面で26%の成長を記録している。
サラワクの63年の経済活動は62年とほぼ同水準を維持したが,ゴム価格の下落と,
イリプナットの輸出不能,プノレネイ石油の再輸出量の減少のため,輸出総高は3億 7400万マラヤドルで、前年より少し下回り,輸入高は3億9700方マラヤドルで、あっ た。政府の歳入は増大したにもかかわらず,国防と開発のための政府支出が増大し たため少額の赤字を残している。
‑109‑ 一C157)‑
マ レ ー シ ア
サパ(北ボノレネオ〉の経済活動はインドネシア,フィリピンとのパーター貿易に 若干不安定さがみられ,,労働力の不足があったにもかかわらず,力強い拡張を続け た。貿易量総額は62年に記録したピークを上回っている。輸入は3億0500万マラヤ ドノレ,輸出は2億7500万マラヤドルで、あった。この輸入超過は民間,公共分野で必 要な施設,機械類の輸入のためである。しかし政府の歳入と歳出はし、ずれも高水準 をいっている。
63年のマレーシアの公共支出総高は62年を17.2%(1億3100万ドノレ〉上回って8 億9400万マラヤドルになるものと推定されている。この公共支出の大半は下水,か んがい,道路,橋,給水,土地開発(とくに村落地帯)などの開発計画に向けられ た。この増加分のほとんどは公共施設,電力供給,運輸等の改善・拡張にふりむけ られた。ここで注意すべきことは,悪化する交易条件が国際収支に影響を与えつつ あるその時期にあたって,これらの公共支出の拡張が輸入支払の拡大を意味してい たことである。
62年と63年の民間投資高は,それより以前のどの年よりも上回っている。これは 主として政府が打ち出しているゴム樹,オイノレ・パームの植え変え,新しし、植え付 けの奨励,補助金,創始産業にたいする免税措置,特定商品にたいする関税保護,
産業用敷地の提供などの政策に民間投資家がこたえたためのものとみられる。
マレーシアはゴムにばかり依存し過ぎることは危険である。老齢のゴム樹地帯は オイyレ・パームやマニラ麻その他に植え替え,農業を多様化することが必要である。
ゴムの価格が下落し,合成ゴムが世界市場へはいり込むことに成功したことによっ て,生産の単価を引き下げるために生産性の高い樹木を植え付け,植え替えたり,
また,市場手続きを簡素化し天然ゴムの質の向上をはかったりして,天然ゴムの競 争的な立ち場を改善するために業界や政府がすでに進めている積極的な措置が重要
となってきている。
マラヤのスズ鉱山業はかなりいい年であった。生産高は5万9940トン,輸出高
(再輸出を含む)は8万5100トンで62年を上回った。 63年末にはトン当たり1000ポン ドを超えたが,スズ価格平均額はトン当たり909.7ポンドで, 62年より1.4%高かっ たに過ぎない。現在の価格水準で、マレーシアの64年のスズ生産高は63年の線を維持 するだろう。スズ以外の例えば,木材,鉄鉱石,バームの実,カン詰用パイナップ
lレなどの生産輸出高も好ましい発展を示した。
また,マレーシアへの輸入も量,質ともに引き続き増大した。 63年のマラヤにた いする輸入の4割ほどは工業製品,機械類,輸送施設である。食料輸入の面では国 一(158 )‑ ‑110‑
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R内米の収獲が減少し砂糖の値段が高くなったため輸入がふえ,とくに米の輸入が 増大した。
シンガポールの輸入総額は43億1400万マラヤドルと推定されて(62年は40億3500 万マラヤドル)いる。主としてインドネシアからのゴム輸入がへったため,燃料を 除いて,非食品用の原料輸入が減少した。しかし工業製品,機械類,輸送施設の 輸入量が上昇し, 11億7300万マラヤドルを記録した(62年は10億2130万マラヤド ノレ)。
サラワクの輸入高は3億9650万マラヤドル(62年は4億0060万マラヤドノレ)であ った。この輸入減少は精製,再輸出用のブノレネイ原油の輸入がへったことが原因の ーっとなっている。食糧輸入高は62年より 11.3%上回って7730万マラヤドル,一 方,製品,機械類,輸送施設の輸入は7540万マラヤドル(62年は6640万マラヤド ル〉であった。
サパの輸入高は3億0470万マラヤドル(62年は2億3890万マラヤドノレ)である。
このうち製品,機械類,輸送施設の輸入は1億1580万マラヤドルにのぼり, 62年の 8470万マラヤドルより36.7%上回っている。
マラヤの経常収支差額は61年に黒字で、あったのが, 62年に2億0340万マラヤドル の赤字となり, 63年さらに悪化して2億2800万マラヤドルの赤字となった。 63年の 輸出高は26億9000万マラヤドルで、これは,ゴム,スズ,鉄鉱石輸出量が増大した にもかかわらず,前 2年間よりわずかにふえただけに過ぎない。輸入高は増大した が輸出高の増大をやや上回る程度で,貿易バランスは1億7500万マラヤドノレに留ま
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った。 (クアラyレンフ。−,レ 4. 1)
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マ レ ー シ ア
(1) フィリピンの調停
マレーシア紛争を首脳会談の場で解決すべく,フィリピン大統領は5月12日前外相 のロベス氏を特使としてマレーシア,インドネシアに派遣したc ロベス特使は両国の 首都を2往復し, 30日にいたってやっと首脳会談開催をきめた3国声明を出すところ 主でこぎつけた。
このようなフィリピンの調停者的役割は,すでに初期のころから果されてきた。去 年春, 北ボ、ルネオ(サパ)に対して領土請求権を主張するフィリと。ンは,ブノレネイ反 乱 (1962年12月)をさかいに「マレーシア問題Jをめぐって急速に悪化するインドネ シアとマラヤの関係を調整すべく 3国首脳会談を提唱した。 フィリピンは,去年9月 のマレーシア結成後も, 紛争を話し合いによって解決しようと再三にわたって努力を つづけた。今年の2月, 3月にアメリカおよびタイの仲介にょうてひらかれた国交断 絶後初の 3国外相会談が決裂状態におちいってからも, フィリピンは妥協案をもって
3国首脳会談開催へ希望をつないでいた。
(2) パンコック会談
一方, 2月, 3月のパンコック会談で問題となったのはマレーシア領ボルネオに侵
},したインドネシア・ゲリラ(マレーシア{則では guerrilla、terrorist、saboteurなどと いい,インドネシア側では volunteerという)を撤退させるかどうかであった。当初
このゲリラはブルネイ反乱を成功させ, 北カリマンタン統一国家の建設を援助するこ とを目的としていた。ゲリラの侵入開始時期は不明だが,去年4月サラワク第1省テ ベドゥの警察署が襲撃されたのを始めとし,(当時インドネシア軍スポークスマンは,
この事件はインドネシアに無関係と発表している〕,サラワク西部を中心としてゲリラ と保安隊との衝突事件が発生しだした。 また10月に入ってからはサパ州タワウ郡の Sebatik島(インドネシアとの国境線上にある)がゲリラの襲撃をうけラとくに12月 29日にはタワウのマレーシア軍拠点が攻撃をうけ双方に多数の死傷者が出て,ゲリラ 問題は重大な局面を迎えるに至った。 1月のケネディ米司法長官, コーマン・タイ外 相らの紛争調停はこのようにさしせまった事件を背景にしていた。 1月25日には一応 停戦協定もでき, 話し合いで解決しようとする方法は成功するかに見えたが,その後 もゲリラによる事件はおさまらなかった。(2.22参照) これがためパンコック3国外 相会談では,マレーシア側がゲリラの即時全面撤退を要求しラ 結局首脳会談への道は
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