─ カテケーシスの観点から
原始キリスト教会のなかに、使徒、預言者などとならんで「教師」の機能 をになうディアコノス(奉仕者)が存在し、彼らが「教え」のつとめを果し た事実は疑われないであろう1
。
しかしその教育内容はどのようなものであろ うか。以下において、われわれはこの広範な問題を取り扱うために、先ず新 約聖書における「伝承」成立の場とその意義について一言し、福音の「パラ ドシス」と呼ばれるものの実質を明らかにすることからはじめたい。1 伝承の場と動機
新約聖書の
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文書の成立年代からみて、最初期のいわば第一グループに 属するパウロの手紙(50-60年頃)の中に、われわれはすでにパウロ的特徴 のほとんどみられない、したがって彼以前に成立していたと思われる原始教 会のケリュグマの骨組や告白定式あるいは「主の言葉」など、数多くの引用 を見出すことができる2。最近の新約学研究は、キリスト、神の子、主など
1 使13:1; Ⅰコリ12:28(ロマ12:6); エフェ4:11; ヤコ3:1; Ⅰテモ2:7; Ⅱテモ1:11にお ける「ディダスカロス」の用法を参照。
2 若干の例をあげると、リタージカルな告白形式を示すロマ8:34、10:9、またⅠコリ
15:3b-5にみられるケリュグマの断片、「主の言葉」と呼ばれるⅠテサ4:15のほか、キ
リスト論的定式(ロマ1:3以下)や讃歌(フィリ2:6-11)などが取り出される。なお パウロにおける伝承についてはとくにK. Wegenast, Das Verständnis der Tradition bei Paulus und in den Deutropaulinen, 1962を参照。
種々なるキリスト論的な称号やその用法も原始教団が彼らの信仰内容の伝承 として保有
・
継承していた事実を確認している3。これは、イエスの死後もっ
とも早い時期、すなわちAD30
年頃から約20
年ほどの間に、教団が自らの 存立の可能根拠としてのイエス・キリストの出来事を解釈しかつ意味ぶかく 表現・伝達するために非常に積極的な努力を試みたことを裏付けるものであ る。第二のグループである共観福音書と使徒言行録(60-90年代)
、ことに前者
については、様式史的研究以来、著者が各文書を執筆するに当って用いたペ リコーペの背後に、口頭によるあるいは書かれた伝承資料の存したことが明 らかになった。すなわち、福音書記者はそれぞれの状況と関心に基づく異っ た神学的アクセントを伴いつつ、しかも伝承された資料から全く離れる仕方 でなく、むしろこれを再編・改変する仕方によって信仰の思想的表現を生み 出したのである。例えば、マルコ福音書は「ケリュグマとしての歴史4 4 4」とい
う形で総括されうるし、ルカはその序詞で「わたしたちの間に成就された出 来事を、人々が伝えたとおり4 4 4 4 4 4、順序正しく
4 4 4 4 4書きつづる」(口語訳)意図を明 らかにし、マタイの結語に従えば、イエスの命じてきた教え4 4 4 4 4 4 4をすべて伝承し、これを守ることと伝ミッション道が不可分に結合しているのである5
。
かかる各著者にお けるイエス伝承もしくはhistoria Jesu
の重視という基本性格については、伝 承史的─編集史的方法6による近時の研究に照らして、もはや否み得ないも のになっていると言ってよいであろう。ヨハネ文書や牧会書簡などに代表される第三のグループ(95-110年代)で は、イエスの福音にかかわる「使徒的」伝承がやがて異端とのたたかいを通 3 F. Hahn, Anfänge christologischer Tradition im N.T., 1963.
4 W. Marxsen, Einleitung in das Neue Testament, 19642, 120.(渡辺訳、234頁)Cf. J. Roloff,
“Das Markusevangelium als Geschichtsdarstellung,” EvTh 72, 1969, 73-99; idem, Das Kerygma und der irdische Jesus, 1970.
5 H. Conzelmann, Die Mitte der Zeit, 1954. (田川訳『時の中心』21頁)G. Strecker, Der Weg der Gerechtigkeit, 1962, 192f.
6 J. Rhode, Die redaktionsgeschichtliche Methode, Einführung und Sichtung des Forschungs-standes, 1966; N. Perrin, What is Redaction Criticism?, 19713.(松永訳『編集史とは何 か』1984年)
して「信仰の規準」また
Credo
として発展する方向が徐々に明確化され、「わたしから聞いた健全な言葉
4 4 4 4 4を手本としなさい」(Ⅱテモ1:13)、そして「ほ
かの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい」(同2:2)な どと勧告される。ヨハネ文書では「初めから聞いてきた」教えにとどまらな いものは「反キリスト」と呼ばれているほどである(Ⅱヨハ7節)7。
では、いったい何故にパウロをはじめ新約聖書の著者たちがそれぞれこの ような伝承のフォルムを尊重しかつしばしば引用したのであろうか。いわゆ る「信仰定式」Glaubensformelの成立した理由もしくは「座」については、
クルマンも指摘するように、通常、⑴ 教団内のカテケーシス的・典リタージカル礼的な 動機と、⑵ サタン・迫害・偽教師・異端に対する論ポ レ ミ カ ル争的な動機という二つ の側面があると考えられる8が、しかし根本から言えば、このいわば導入的
(inductive)と弁証的(apologetic)の二つのモティーフは、初代キリスト者た ちが、共通の言語表現によって志向した信仰内容のシンボル化という一つの 盾の両面、あるいは人間の多次元的構造から要求される本質的作業の異った 機能的あらわれと解されえよう。すなわち、キリスト者がそれぞれ生かされ ている時と状況のあらゆる多様性にもかかわらず、しかもキリスト信仰の現
7 E. Schweizer, “Scripture and Tradition,” Essays on Heidelberg Catechism, 1963, 125.
8 O. クルマン『原始教会の信仰告白』由木訳、1957年、28頁以下。なお信仰告白の定
式成立のモメントについては、とくに松木治三郎「新約聖書の信仰告白」『イエスと 新約聖書の教会』、1972年、156頁以下を参照。カテケーシスの方面については、す で に 今 世 紀 初 頭A. ゼ ー ベ ル ク が 重 要 な 業 績 を 出 し て い る。Alfred Seeberg, Der Katechismus der Urchristenheit, 1903. なお新版(1966年)には、F. ハーンが序文を書 き、内容の要約とともにその研究史的位置づけと評価をこころみているが、問題全般 にわたる最近の研究として、以下の文献がある。
Vernon H. Neufeld, The Earliest Christian Confessions, 1963; H. Conzelmann, “Was glaubte die frühe Christenheit?,” SThU 25, 1955, 61-74; E. Käsemann, “Formeln II, Liturgische Formeln im NT,” RGG3, II, 1958, 993-995; Werner Kramer, Christos Kyrios Gottessohn, 1963; Gottfried Schille, Frühchristliche Hymnen, 1965; Reinhard Deichgräber, Gotteshymnus und Christushymnus in der frühen Christenheit, Untersuchungen zu Form, Sprache und Stil der frühchristlichen Hymnen, 1967; Jack T. Sanders, The New Testament Christological Hymns, Their Historical Religious Background, 1971; Klaus Wengst, Christologische Formeln und Lieder des Urchristentums, 1972.
実を、けっして個人の神秘的体験や主観的・恣意的な解釈によってではなく、
彼らを結びつける同一4 4のザッヘを承認し、礼拝・バプテスマという信仰の共 同行為の中で告白・賛美することが、抑もホモ・ロゴス(o`mo,logoj)の一つ の重要な意味であったに相違ないのである9
。もとより、
共通の言語表現を求 めるということが、たんなる文学的な技術問題に留まらず、当初から証人共 同体(生けるコイノーニア)とその信仰告白の形式にかかわる神学的な本質 問題と直結していたことについても言を俟たないであろう。歴史的コイノー ニアとしての教会は、Credoを継承する主体もしくは伝承成立の場である10 とともに、また逆にCredo
が教会を形成する上での不可欠の要件・目的でも あった。何故なら、信仰の象徴化としての伝承がそこで成就される交わり(礼拝と生活の場)をほかにして、真のエクレシア・ミリタンス、すなわち信 仰によってたたかう規範的な教会の使命は全うされないからであり、事実、
教会は自ら直面する新しい状況の動きのなかで信仰告白の実質を堅持しかつ また再表現しつつ、生き育ってきたのである。したがって、カテケーシスや リタージーにおける伝承の意識化というすぐれて教団内向的な自己形成の道 が、実際はこの世に生きる教会の他者志向的なミッションを必然たらしめ、
生命的に機能してきた点が看過されえないのである。
2 「パラドシス」の形式
そこでわれわれは、信仰の伝承が、どのように意識化されかつコミュニケ ートされたかを明らかにするために、いわゆる「パラドシス」の形式に注目 してみたい。この問題についてはすでにクルマンの基本文献のほか荒井献氏 による研究報告がある11が、以下そこで確認されたところを前提としながら、
9 ホモロゴス(o`mo,logoj)の動詞形ホモロゲインにはto say the same thing as another とい う基本的含意が認められる。J. H. Thayer, Greek-English Lexicon of the New Testament, 19554, 446.
10 Cf. W. Marxsen, Das Neue Testament als Buch der Kirche, 1965.
11 クルマン『原始教会の伝承』、荒井訳、1958年。荒井献「パウロにおけるパラドシス
とくにカテケーシスの観点から多少とも立入った検討をこころみたいと思う。
「パラドシス」
(para,dosij)というギリシャ語は、パウロの名を冠せられて いる手紙の中で5
回使用されている(Ⅰコリ11:2; Ⅱテサ2:15; 3:6; ガラ1:14; コ ロ2:8)。
ガマリエル門下のファリサイ派(使22:3; 23:6)であるパウロは、回心前に おける自らの律法遵守への徹底ぶりについて、「先祖からの伝承(para,dosij)
を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ 教に徹しようとしていました」(ガラ1:14)と述べている。同様の内容はフ ィリ
3:5
以下にもみられる。かくパウロにおける「パラドシス」の形式は、ユダヤ教ミシュナのハラカー的伝承の中に先行のパラレルが求められ12
、そ
こでは、当然ながら律法とその解釈・実践が中心内容であった。回心前のパ ウロは、この律法を静止的に神聖視しこれに固執する立場をひたすら追求し ていたのである。が、回心後、つまり、み子・キリストの啓示という出来事 を体験してからは、「血肉に相談するようなことはせず」また「エルサレム に上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせ ず、アラビアに退いた」(ガラ1:16以下)と語り、今や昔の「言い伝え」に こり固まった生活から脱け出て、直接神の召しに応える新しい生活をはじめ たことを宣明している。同様の消極的な意味における「パラドシス」が、コロ
2:8
ではとくに「人4 間の4 4言い伝え」(para,dosij tw/n avnqrw,pwn13)と表現されている。イエスもまた、の形式」『追想小塩力』1959年、77-86頁。なおF. Büchsel, “para,dosij,” ThWNT II, 171-173. K. Wegenast, “paradi,dwmi” “para,dosij” TBLNT II, 1969, 861ff.をもあわせ参照。
12 クルマン、前掲書18頁以下、荒井、前掲論文、80-81、83頁。B. Gerhardsson, Memory and Manuscript, Oral Tradition and Written Transmission in Rabbinic Judaism and Early Christianity, 1961, 302-304. ただしラビ的ユダヤ教と原始キリスト教の伝承理解・経路 の間に一直線の発展の跡を証明しようとするゲルハルトスンの立場には有力な反論が あることをつけ加えておかねばならない。小河陽「原始教会の伝承についての一考 察」『聖書学論集』9号、1972年、496頁、注(4)に挙げられたものを参照。
13 人間の言い伝えに基づくとは、すなわち「キリストに敵対し」(ouv kata. Cristo,n)か え っ て「世 の 霊 知 に 従 う」(kata. ta. stoicei,a tou/ ko,smou)こ と を 意 味 す る。Cf.
Wegenast, 864.