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第 4 章 長野県における健康長寿に向けた取組について

4.3 医療活動

4.3.4 医療活動(高度成長期)

(1) 医療提供体制のさらなる充実

昭和36(1961)年の国民皆保険の実現と所得向上による医療需要の拡大に伴い、本県にお

いても全国同様に、病院数・診療所数・病床数は増加し続けた。また、病院の診療科目や対応 領域もその種類を増加させていった(小児科、泌尿器科、皮膚科、整形外科、眼科、リハビリ テーション科、救急指定、ICU設置、人工透析等)。専門医療の受療体制が整うことで、様々 な傷病に対する急性期の治療、慢性期の療養が可能となった。

(2) がんの早期発見・治療の体制づくり

昭和20年代後半から、「悪性新生物(がん)」による死亡の割合が増加した。こうした変化 を受けて、関係団体が主体となり、県下でもがん検診が行われた。

具体的な実践事例を挙げると、長野県成人病予防協会による胃集団検診が、昭和46(1971)

年、県からの受託事業としてスタートし、そのうち撮影フィルムの読影などを医師会が受け持 ち、県下22の郡市医師会に読影委員会を設けて判定を行った。受診者数は、時代を経るに従 い増加し、胃がん発見者数、発見率も増加していった43

また、昭和58(1983)年に、長野県は、長野県がん検診・救急センターを松本市に開所し、

管理運営を長野県成人病予防協会に委託した。同センターでは、4臓器(胃、乳房、子宮、肺)

のがんの早期発見、早期治療の促進に取り組んだ44

(3) 地域医療の取組

この時期の地域医療の取組として、諏訪中央病院の取組が挙げられる。昭和 50 年代以降、

「より合い」と呼ばれる健康教育を始めた。また、地域住民のための多面的な勉強会である「ほ ろ酔い勉強会」を実施するなど積極的な地域医療を展開した。(諏訪圏域に記載)

(4) 健康管理手法の普及とシステム化

厚生連北信総合病院の支援のもと、昭和 40(1965)年に 40歳以上の住民を対象に下高井 郡木島平村で全村健康管理が行われた。同時期に東筑摩郡朝日村でも信州大学医学部の支援の もとで全村健康推進事業が展開されており、様々な健康管理の取組が県内各地で行われた。(北 信、松本圏域に記載)

また、昭和50(1975)年に厚生省の「健康増進センター」構想に基づき、従来の疾病予防 と治療を主目的とする医療サービスの枠を越え、運動・栄養・休養を三本柱として積極的に健 康を保持増進し保健衛生の向上に寄与することを目的に、「長野県総合健康センター」が設置 された。A型(都市型)としては、全国二番目のセンターであった。昭和56(1981)年には、

「伊那健康センター」が設置され、全県にわたる県民の健康づくりを支援した。なお、同セン ターの健診は、各種検査や運動負荷を与える負荷心電図などの結果をもとに、医学的指導のほ か、運動・栄養・休養の専門分野から個々の指導を行うなど他の健診と違う特徴を有していた。

43 長野県医師会:長野県医師会史:350,2002.

44 長野県がん検診・救急センター編集委員会:長野県がん検診・救急センター10年誌:1,1995.

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また、同センターにおいて「長野県における脳卒中、がん、心疾患死亡率の分析」(昭和 50

(1975)~平成元年(1989)年が刊行され、市町村における成人病予防対策の基礎資料とな った45

(5) 長野県医師会の活動

県医師会は、昭和30年代半ば以降、各年度の事業に「癌・高血圧相談所の設置」など、「が ん、高血圧対策」を掲げた。昭和35(1960)年には「長野県対癌高血圧協会」を設立し、が ん対策を始めとする成人病予防に取り組んだ46

昭和40年代後半、各保健所単位で共同保健機構(地域包括医療協議会)をつくり、各郡市 医師会を中心に、保健所及び市町村行政が一体となって診療活動、保健予防活動、アフターケ ア活動を推進する構想が掲げられた。昭和48(1973)年に長野県地域包括医療協議会が設立 され、本部及び支部での活動が開始された47。(飯伊地区包括医療協議会の取組を飯伊圏域に 記載)

一方、この時代は、モータリゼーションが急速に進展し、長野県下でも交通事故が急増し、

昭和47(1972)年には県、県医師会、県警察本部等の委員からなる長野県救急医療連絡協議

会が発足し、救急医療体制の確立や救急医療の円滑な実施への取組が進められた48

また、我が国経済が急速な発展を遂げる中で、労働災害や職業病も多発した。昭和47(1972)

年の労働安全衛生法の制定により、産業医の選任が義務付けられるとともに、県医師会では、

頸肩腕症候群の調査研究などを行った49。昭和50年代後半には、県下の産業医が各職場に出 向き、この時代に増加した疲労やストレスの問題も含め、健康相談・診断等を実施した50

昭和40年代半ばからは、四大公害訴訟がいずれも患者原告側勝訴となるとともに、昭和42

(1967)年には公害対策基本法が制定された。県内では、諏訪湖の重金属問題、北信地域の カドミウム汚染等が問題となった。これらの課題に対し、県医師会では公害問題の研修会や健 康診断などに取り組んだ51

(6) 長野県歯科医師会の活動

県歯科医師会は、長野県とともに昭和42(1967)年、長野県口腔衛生協会を発足させ、県 内の口腔衛生を推進した。同口腔衛生協会が運営主体となって、へき地巡回歯科診療が開始さ れた。昭和 51(1976)年には、フッ素洗口について県教育委員会と懇談会を持ち、両者は、

う蝕の予防には歯磨きと甘味制限が大切であり、これを抜きにして論ずることはできないこと を確認した。その上で個人の努力に期待する予防には限界があり、社会的レベルの予防法とし

45 長野県長野総合健康センター:開所20周年記念誌,1995 長野県長野総合健康センター:健診成績第28号,2004

長野県、長野県地域包括医療協議会、長野県長野総合健康センター:長野県における脳卒中死亡率の分析,1981 / 長野県における「が ん」および心疾患死亡率の分析,1982. / 脳卒中・がん・心疾患死亡率の分析,1987. / 長野県における市町村別成人病標準化死亡比の 分析,1993.

長野県伊那総合健康センター:記念誌 20年のあゆみ.長野県伊那総合健康センター,2001.

46 長野県医師会:長野県医師会史:30,2002.

47 長野県医師会:長野県医師会史,181‐187,2002.

48 長野県医師会:長野県医師会史:194‐195,2002.

49 長野県医師会:長野県医師会史:201‐205,2002.

50 長野県医師会:長野県医師会史:398‐400,2002.

51 長野県医師会:長野県医師会史:206‐209,2002.

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てフッ素の応用を考える必要があるため、県教育委員会はフッ素洗口を積極的に推進する方向 で努力し、県歯科医師会はこれまでどおり協力していくこととなった52

(7) 長野県薬剤師会の活動

高度経済成長にともない、河川の水質汚濁などの環境汚染が問題化したため、県からの要請 により、各保健所において飲料水検査や河川水汚濁などの観測等に薬剤師会員が援助して手伝 うことが多くなってきた。この社会ニーズに応えるため、昭和47(1972)年から県薬剤師会 は独自に検査センターを開設し、昭和47(1972)年8月~48(1973)年7月までの1年間 で、実績検体数は1,711件にのぼり、検査実績は年々増加の一途を辿った53

(8) 長野県看護協会の活動

看護職の質の向上をめざし教育研修等継続教育を行うとともに、高血圧を含めた生活習 慣病予防活動の取組を行った。また、母子保健、老人保健への対応

、精神衛生法への対応 など、その時代の健康課題に対応した活動を行った54

(9) 信州大学医学部公衆衛生学講座の活動

昭和34(1959)年、信州大学医学部公衆衛生講座が開設され、初代教授として釘本完教授

が就任した。釘本教授は「public health mindな医師」の育成を教育目標に掲げ、また研究面 では「地域の健康管理に関する研究」をメインテーマとして、多くの教育研究活動が展開され た55

また、松本市近郊の東筑摩郡朝日村における「朝日村健康村建設活動」にも取り組んだ。(松 本圏域に記載)

(10) この時代の長野県の特徴

この時代は、全国的に平均寿命が延伸する中にあって、長野県の都道府県別順位が男女とも に上昇し、全国上位の水準に改善、3大疾病の死亡率の順位も全体的に改善された。これは、

戦後から続いてきた様々な予防活動の効果が顕在化してきたことに加えて、生活習慣病の早期 発見と治療体制の整備が進んだことによる相乗的な効果が数値に現れたことが示唆される。こ のほか、県内の各地で培われた住民一体となった地域医療の取組が県内へ広まっていった時代 でもあった。

また、経済が成長する中で、医療機器や設備の高度化に対応した取組が見られるとともに、

一方で成長の側面で発生した公害や労働衛生問題など新たな課題に対してそれぞれの主体が 対応に追われた時代でもあった。

52 長野県歯科医師会:翔け未来へ脈々と ―県民の歯科医療を支えて一世紀―創立百周年記念誌:157-188,2006.

53 長野県薬剤師会百二十年史編集委員会:長野県薬剤師会百二十年史:74-81,長野県薬剤師会,2010.

54 50周年記念誌編集委員会:看護のあゆみ-50周年記念師編集委員会-:193-197,長野県看護協会,1998.

55 記念史出版委員会:信州大学医学部50年史:90,信州大学医学部創立50周年記念事業実行委員会,1994