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八 十

ドキュメント内 日本佛教學會年報 第42号(全) (ページ 116-200)

一 O 八

0  八 十

王子

仏 土

八0 

千四

妙仏

O九

十二 億の 衆生

::

::

:j

i−

− −

ji

−−

勝妙

仏土

O宝

海党

志・

・・

・・

・・

・・

釈迦

如来

最長

子︵

海地

尊︶

宝山

如来

・:

:−

j

i−

−・

::

:願

愛世

第二

子会

一婆

婆︶

月華

如来

::

・:

J

J・

−:

::

同右

七十

九子

::

:︵

略︶

j

i−

− j

−i

−:

・:

::

同右

最小 子︵ 離怖 悩︶

::

:無 垢燈 出王 如来

::

:同 右

O宝海究志三億の弟子中︵但し参考 1 

樹提

摩納

・・

・・

・・

宝蓋

光明

如来

・・

・・

・・

和合

音光

明世

火重

摩納

・・

・・

・・

拘留

孫如

来・

・・

・・

・・

・・

裟婆

世界

虚空 摩納

︵第 二摩 納︶

::

:伽 耶迦 牟尼 如来

::

:裟 婆世 界 4 

昆舎

掬多

︵第

三一

摩納

︶・

:・

・・

迦葉

如来

・・

・・

. . . . . . .

. . .  

・同

毘舎

耶無

垢︵

第四

摩納

︶:

・・

・・

弥勤

如来

・・

・・

・・

・・

・同

師子

光明

︵第

五摩

納︶

・:

・・

・そ

の最

小子

持力

捷疾

・・

・・

・・

楼至

如来

如上︑悲華経においては︑数多の大乗諸菩薩によって

ω c

w E

ロ﹁安楽﹂なる清浄土を首めとして︑各種の清浄

S

荘厳仏土が摂取せられるわけであるが︑それら浄土は概してその荘厳内容の清浄性と光明性に充ちた仏凶土である

﹂と を立 証し てい る︒

なお︑この経においては︑この経の前半を構成する中心人物である無諦念﹀

E A v g M E

王が未来成仏して︑

ダ仏

︵無 量寿 如来

︶と なり

いわゆるωロWF

動︿

釦仲

間な

る﹁

安楽

l

楽有

﹂と 一一 一一 口う 名の 浄土 を摂 取す るこ とを 第一 主眼 点

とすることになるので︑いわゆる﹁安楽﹂浄土は浄土中の浄土︑つまり浄土中の代表的浄土であると言ってよかろ

︑ ﹁ ノ ︒

楽 浄 土

悲華経の秦訳には︑

悲華経の浄土︵宇治谷祐顕︶

O九

悲華経の浄土︵宇治谷裕顕︶

一 一

O

η善男子︑爾時宝蔵如来︑応供︑正遍知︒告離誇玉目︒善哉善哉︒大王︒所願甚深︒大主取浄仏土浄意衆生︒汝

観大王︒西方過百千仏土︒有世界名帝無塵︒其仏号帝明自在王如来応供︑正遍知︑現在住世:::是故大王︒字

為無

量浄

:−

j

i−−:・於彼世界無量無数諸仏世尊成仏而入浬繋彼世界未曽成敗︒汝無量浄於当来世過一恒河沙数

阿僧祇︒始人二恒河沙数阿僧祇︒彼世界当名安楽︒汝無量浄︒於中当成阿碍多羅三親三菩提︒名阿弥陀如来応

供正

遍知

︒︵

大︑

三︑

目︒

げ ln

とあって︑無誇念王︵秦訳︑離誇王︶大願発趣して︑一切の菩薩学道を宝蔵如来の下において修習し︑浄土を摂る︒す

なわち西方百千仏土を過ぎて帝無塵位界があり︑帝明自在王如来が説法する︒そこで大王は無量浄︵無識訳l

無量

消 浄︶ と名 づけ られ る︒ かく て︑ 1 

帝明 白在 王如 来:

:: 一小 劫入 浬繋

︵帝 無塵 世界

その王の正法住世十小劫︸十計七十一小劫経過後正法滅減後六十小劫

不可

思議

意徳

王如

来・

・・

・・

・弥

楼光

世界

正 こ 法 の

住 如世 来

の 寿

十 六

六 十

小 小 劫 劫‑‑v‑‑‑'

千ノ、十

小小劫劫

正 法 滅 後

宝光

明如

来・

・・

・・

・無

楽世

その仏の寿命︑正法住此前のごとし

宝憤

自在

鳴如

来・

・・

・・

・裟

緩位

住法

その仏の住世説法三十五小劫︶

十一

計四

十二

小劫

七小 劫﹂

この間に無量の諸仏世尊成仏し入浬探する︒

当米世一恒河沙数劫︵阿僧祇劫︶を経過し︑第二恒河沙数阿僧祇劫に入るのとき︑その惟界が﹁安楽﹂

ω c w E

︿m注 目

世界と名づけられ︑無量浄菩薩はそこにおいて正覚を成就し︑アミダ仏となるとの授記を︑つける︒異訳の無識

訳もこれと殆んと同じ説相であるが︑ただアミダ仏が無量寿如米と訳出せられているちがいにすぎない︒

このほかには︑﹁無識﹂訳巻十︑

入定 三味 門品

︵第 六︶ にた だ一 ケ処 だけ

﹁復

有=

世界

一名

日目

安楽

一︒

是中

ν

口万

一暑

日如

来一

﹂︵

大︑

一二

︑自

由円

とあって︑安楽位界の名が出てくるが︑このところ﹁秦訳﹂には

﹁有

日没

利︑

仏名

智日

﹂︵

大︑

一ニ

N∞ 日

σ︶

と見えて︑﹁無識﹂訳の﹁安楽﹂附界に相当する一請は見出し得られない︒これをs・k・t木に照合してみると︑

ω

m w

f F A

A U F

− −

f m

w σ

F mw W

A

ω

σv

b

w m

円 相w

戸 ﹂

となっているので︑﹁無識﹂訳の安楽枇界は一応誤訳と見なされてよい︒

ところが︑この悲華経では︑この大王成仏に引き続いて︑大王の第一王子不向が︑無量寿仏般担喋後︑かの土転

じて﹁一切珍宝所成就世界﹂となり︑種々荘厳無量無辺の仏国土において成仏するが︑その傍国土の荘厳はよく﹁安

楽﹂浄土に及ぶべきところではないことを述べている点は注目を要する︒

悲華経の浄土︵宇治谷祐顕︶

悲華

経の

浄土

︵︷

子治

谷祐

顕︶

四 安 楽 浄 土 と 極 楽 浄 土

悲華経におけるアミダ仏の摂取せる浄土はω己岳雪−三回なる安楽と名づけられる浄土であるけれども︑浄土経典

をはじめ余他の大乗諸経典中には︑いわゆる

ω c w y m Z

m E

なる聖典語の訳語例として︑

音訳語例

須摩 提︵ 般舟 三味

・元 量清 浄平 等覚 経・ 方等 般泥 湿経

須摩

題︵

大阿

弥陀

経︶

須阿

摩提

︵慧

印三

味経

・コ

一長

陀政

陀羅

菩薩

経︶

須河

摩持

︵主

同薩

受斉

経︶

須阿 提︵ 無量 消浄

A

等覚

経︶

意訳語例安

楽/

﹀︵

主と

して

漢訳

・制

鍋訳

加熱

量寿

経︶

安建

\ 極楽

︵唐

・宋 訳無 量寿 経・ 羅什 訳阿 弥陀 経・ グ

観無

量寿

経︶

妙楽

︵大

方等

陀羅

尼経

なとが見出し得られるが︑沢経史上からみると︑須摩提等の音訳語と安楽とか安長と︵士一日ノ意訳語は概して訳経史上

トけ

い時

代の

沢正

川例

に属

し︑

いわゆる寸極楽﹂の名義は羅什ぷ﹁阿亦陀経﹂をはじめ︑無山且寿経の店︑山本訳などには︑

安楽に代えて﹁極楽﹂の名義が用いられているので比較的新しい時代の訳語例と見倣されてよい︒

いま問題の悲華経には︑無識訳・秦訳共に﹁安楽﹂と同一語で訳出せられ︑極楽の名義は一ケ処も出てこない︒

ただ無識訳に一ケ処だけであるが︑さきにあげた意沢活例中の﹁妙楽﹂位界が見出し得られるけれども︑これに相

当する原語はω

E

Z E Z σ E j a g

−内 叩開 昨日 であ るし

︑秦 訳に はこ れを

﹁日 没刺

﹂と 訳し

その仏国土の出現

仏は

﹄出

動ロ

m w σ

町営

wm E

︵知 甘日 如来

︶で ある から 問題 外で ある

︒ 五

悲華経浄土の特質 1 

浄 土 と 不 浄 土 悲華 経所 説の

﹁浄 土﹂

なかんずくその浄土摂取の志願について言えることは︑大乗菩薩の本願思想と密接不離

の関係において説き出されていることが特に注目せられてよい︒このことはなにも悲華経において︑殊更に取り立

てて言えることでもなく︑かのアミダ仏経典における法蔵菩薩因位の発願も浄土建立という無上殊勝の大誓願によ

るものであることは今更申すまでもないから︑悲華経独自の持つ特異な説相というわけのものでもあり得ない︒け

れどもこの悲華経における浄土は本一経構成上の特質として︑浄土摂取のアミダ仏と不浄土摂取の釈迦仏との二大

仏対比の上に説き出される大経巻であるだけに︑浄土と不浄土とがいつも対比的に取り扱われ︑釈迦仏がごとき不

浄土の摂取さえも大悲比丘の大願によるものであることを鼓吹し︑一つにそれは苦悩の群盲をして救済せずばやま

ぬ菩薩利他行実践の身を以てする証左と受けとめられてよかろう︒つまりアミダ仏による浄土摂取の大願と釈迦仏

悲華経の浄土︵宇治谷祐顕︶

一 一

悲華経の浄土︵宇治谷祐顕︶

による有情教化をモットーとする不浄土摂取とが︑あたかも対瞭的に説示されるこの悲華経の本旨は浄土と不浄土

との一見相対立する摂取が︑双方とも菩薩の本願という一点に収約せられているわけだから︑その両者の発願の内

容を具さに眺めてみても︑大乗菩薩の殊勝な悲願のほか何ものでもなく︑次下の経文に見られるごとく全く不即不

離の関係にあることを略墜するものであると受けとめても敢て無理な解釈ではなかろう︒すなわち︑

①  仏告

=寂 意菩 薩−

︒善 男子

︒菩 薩摩 詞薩 以= 本願 一故 取= 浄妙 国一

︑亦 以

ν

故取

=不

浄土

一︒

何以

故︒

善男

子︒

菩薩摩

百薩 成−

−就 大悲 一故

︒取

=斯 幣悪 不浄 土一 耳︒ 是故 吾以 一示 願可 処= 此不 浄積 悪世 界一

︒成 一両 縛多 羅三 窺三 菩提

−︒

﹂︵ 大︑

一一一︑同吋仏門︶

②  諸菩 薩等 以= 何業 一故 取

z

浄世

界−

︒以

=何

業一

故取

=不

浄世

界−

︒以

=何

業一

故寿

命無

量︒

以=

何業

一故

寿命

短促

︒仏

告=

聖 王−

︒大 王当

v

︒諸

菩薩

等以

一一

願力

一故

取=

清浄

土一

離=

五潟

悪九

復有

一一

菩薩

一︒

以一

顧力

一故

求=

五濁

悪九

﹂︵

大︑

一二

︑口

C

⑤ 

善哉善哉大王︒今者所願甚深己取一一浄土九是中衆生其心亦浄︵大︑三︑

H E C

悲華経の浄土と﹁寿経﹂の浄土

悲華経所説の浄土は菩薩の本願建立の立場からみて︑﹁寿経﹂所説の浄土とこれを対比してみると︑かなりよく

整理按配せられている︒即ちその初願から第三十八願までの前半を摂浄土の願として︑﹁寿経﹂所説中に散在する

摂浄土願を多少の増減補欠︵2

︶を 試み なが ら集 約一 括し

︒︒

︒︒

世尊よ︒わが願うところの仏国はかくのごとし︒大徳世尊よ︒われはかくのごとき功徳を以て仏国を清浄な

らしむるまでは菩薩難作の行を行ずベし︒大徳世尊よ︒かくのごとくわれは難行を修し︑しかるのちに無上正

等覚 を得 ん︒

︵焚 木和 訳︶ と述 べて いる

チベット訳も概ねこれと説相を同じくするが︑無量寿仏が摂取する仏国土は︑その仏国を清浄な

らし

むる

ゲロ

仏門

戸町

ω 5 2 3

1

∞苫 一せ しむ るま では と結 び取 って

﹁寿経﹂所説のアミダ仏四十八願より

もかなり明確にその仏国土の清浄性︑つまり浄土の思想を力強く高揚しているとみてもよい︒

またその摂浄土願も︑純粋に清浄仏国の様相をしてかくあらしめねばならぬ諸願と︑その仏国土の徳用をしてか

くあらしむるべきものとの諸願からなっていて︑

それ ら諸 願が

﹁寿 経﹂

悲華経ともそのアミダ仏摂浄土願中に散

在する嫌いがあるが︑後者悲華経の無詩人忽王第七王子善管︵光明堅呑豊王仏︶願には︑その浄土の様相と徳用とを概

ね選 別分 判し

かつまた適宜合楳整理して説き出していることを蕊に改めて報告しておきたい︒

たとえばアミダ仏本願文初頭に掲げる無三悪趣︑不更悪趣願は﹁大阿﹂の説相に因んで一願に掬意合楳し︑その

上に無有女人願を添加し︑それに引き続いて転女成男願を列示していること︒またそれに続いて悲華経独自の無諸

山海願及び﹁大阿﹂二十四願中に見出し得られないで︑﹁寿経﹂︑悲華経両経中の摂浄土願中に無雑作に散在する国

土清浄・宝光合成願のごとき浄仏国土荘厳の様相を秩序正しく列願しているのはその顕著な一例である︒

純一大乗の浄土

悲華経所説の浄土は純一大乗菩薩の浄土であって︑

﹁声 聞菩 薩其 数難 量︑

不可称説︑彼仏初会戸聞衆数不可称計

菩薩亦然﹂と説く﹁寿経﹂所説のアミダ仏国土よりも︑この悲華経においては︑﹁彼界無v

−−

声聞

肝支

仏一

亦無

νT

説 一 − 小乗 法一 者占 純一 大乗 清浄 無雑

︑其 中衆 生等 一化 生︑

亦無

=女

人及

其名

字こ

︵大

︑一

二︑

H E

︶C

と説

いて

弥陀の安楽世界

悲華経の浄土︵宇治谷祐顕︶

ドキュメント内 日本佛教學會年報 第42号(全) (ページ 116-200)

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