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―第3章『服従 』研究の成果 を念頭 に一

第1節

 

『倫理』におけるキリス トとこの世概念

第2節

 

『倫理』におけるキリス トとこの世概念の関係理解 第3節

 

キ リス トのかたちを生きる『倫理』 一第I期から中間期一 第4節

 

キ リス トのかたちを生きる『倫理』 一第Ⅲ期から第V期 一

前章の『服従』研究によって『倫理』への眺望は確かに見出された。来たる次の第5章の研究 が、本研究全体で得 られた内容を基礎・背景としてボンヘッファー思想の射程を問い、その現代 における意味を明 らかにするところだ とすれば、 この第4章は本論中心部のひとつの結びである と言える。 ここまで本稿は、ボンヘッファー研究 とボンヘッファーをめく゛

る読みにおいて課題 と なってきた、「『服従』と『倫理』の間」の問題―一そ こではこの世理解 とボンヘッファーの一貫 性の問題が複合的に問われていた―― をめく゛

り諸点か ら研究を展開してきた。そ して実際に、そ れ らの問題は諸点か ら解かれ、前章では『服従』の側か ら「キ リス トとこの世」をめぐり事柄が 明 らかにされ、言わば神学的な視座か ら『倫理』に向かうキ リス ト集中の思惟の、 この世をめく゛ る思想的ダイナミズムは見出されたのであった。中期のキ リス ト者 としての実存を生きるボ ンヘ ッファーは、

 

ドイツ教会闘争の限界性を認めざるを得ない中で、ついに政治的抵抗運動に加わる 一歩を歩み出し、事実国防軍諜報部に嘱託として配属され、彼の独 自のエキュメニカルなネッ ト ワークを用いつつ、また抵抗運動のメンバーたちの精神的な支えを提供する役割 を担いつつ、そ の課題を果た していくのである。スパイさなが らの 「二重生活」の中で秘密の旅を彼が重ねる、

その定住地さえ定められないような歩みの中で、断片的に『倫理』の草稿が、ゲシュタポによる 逮捕の時に至るまで綴 られ続けたのである。既 に、ボンヘ ッファーのキ リス ト論 における基本的 な連続性の側面は明らかにされた (第2章)。 ボンヘッファーの初期の時代の終わ りに生じた 「大 いなる解放の経験」346以降、ますますキ リス ト論的に傾斜する思考は深め られ、思索の基礎、動 因、ないし目標 に見据え られ、前章で見 られた とお り『llR従』にあってもその思索のこの世へ向 かう激 しい動態はキ リス ト集中か らこそ もた らされていた。では、果た して『倫理』の諸草稿に おいては、 どのような理解が以降展開されるのか。 これが本章の中心問題である。

上記の課題の自覚の下に、本章の研究は副題が示すように『服従』研究で得 られた成果を念頭 に入れつつ、次のように展開される。ボンヘッファーが『倫理』においてキ リス トヘの集中をい かに果た しているかを意識 しつつ、まず

(1)ボ

ンヘッファーが『倫理』においてどのような こ の世理解 を示 しているかを取 り上げ、明 らかにし、次いで

(2)前

章で課題 とした この世理解 を めぐる 「関係」の観点か ら研究を進める。内容的な結論については両方の論述を待 とう。本章の

346 DBW14,S。112‑114。 1936年 1月、フィンケンヴァリレデにて記されたエリザベス・ジンヘの手紙。

結びとして、(3、

4)本

論文に添付される別紙 「『倫理』諸草稿の執筆時期、内容、時代状況の 対応表」をもとに、ボンヘ ッファーが各草稿執筆時期にあたる折々の時代状況の中でいかに思索 を展開しているか、その意味について彼のキリス ト集中の思索との関わ りをも意識 しつつ明 らか にしたい。

第1節

 

『倫理』におけるキ リス トとこの世概念

『倫理』においてボンヘッファーは、我々が第3章の研究で明 らかにした『服従』の、キ リス ト(論

)集

中か ら展開されるこの世理解、職務理解のあの思想をあたかも振 り返るように述べ ている。自らの『服従』(期)のキ リス ト集中の経験 についてさなが ら要約をするように次のよう に語 られるのである。

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・芋 グズ ハの始 ヽま、 み 寡 つ べき広スな資誼豫物笏坊 ることを経 萩卜ιたノ347。

実際に、既 に我々が見出したように、ボンヘッファーは『llR従』の第 Ⅱ部において、キ リス ト に排他的なまでに内的に集 中し、そのところか ら自らの理解 を動的に、外へ向けて促されていた。

彼のみを見つめ、彼の後 にこそついていく (Nach‐fOlge)と ころで、彼が どこに進み給 うか、誰 のところに歩みを寄せ給 うのか、そ して自分が どこに、どこまで行かねばな らず、行 くことを許 され るかを知 らされる。人はもはや私 とキ リス トとの関係に留まることは出来ず、自らに託され た職務の場所を恣意的に狭 くすることは許されないのである。キ リス トのみを見るところで、彼 の眼差 しはあの時代における人間的思惟によるキ リス ト者の職務、証、奉仕の制限ばか りがなさ れているところで、自らの教会の職務の、事柄に即 した 「広大な領域があること」を見出してい たのであった。 しか し『倫理』を読み進める者は、知 らされずにはおれない。先に引用された、

『服従』(第Ⅱ部

)の

ボンヘッファーを思い起 こさずにはおれないあの言葉は、『月晨従』の経験の 単なる振 り返 りなのではな く、今まさに『倫理』のボンヘ ッファーにおいて、いよいよ本当に進 行的に経験 され、会得されているキ リス ト集中の世界なのである。

『服従』のゲッ トー的な、閉鎖共同体の雰囲気さえ時に感 じさせるこの世理解、換言すればそ のような この世関係理解を持つ教会理解に、もちろん時代史的な意味、教会闘争の現実か らくる 積極的な次元があることは重々理解 されるとして も、それを読み、理解 した ところにおいて我々 は、『服従』第 Ⅱ部に展開されるキ リス ト集中によってダイナミックにこの世に向けてひ らかれて いく彼の思想の展開を見出した時、その思想的集 中の豊かさを思わずにはおれなかった。 これは 率直な印象である。 しか し『倫理』について歴史的コンテクス トを念頭にして読むな らば、あの 347 DBW6,S.347.邦訳 『倫理』2003年235頁

『服従』第 Ⅱ部の内容さえ、キリス トヘの内的集中がもた らす世界への広が りの、なお萌芽的な 側面であ り、十分な展開はなお残されていたことが分かる。『服従』においても確かに見出され、

また この世理解 と、そ して職務の理解 をこの世に向けて動的に導いていた、あの内的に集中され るところのキ リス トが、『倫理』の時代にあってこそボンヘッファーの思想を確かに、よ り展開的 に、よ り具体性の深まりの中に開か しめていく。

梓 グズ ハの宇 クだ〃該 え られ η 、罪悪の世の現実にばか り目を注 く゛

こと、そのような意味 での現実の世の有 り様に対 しただ隔絶的に反応することを離れ、『倫理』のボンヘッファーはこの 世の

  知

の二現実をつぶ さに、キ リス トを見つめることか らいよいよ力強く見出している。す なわち、人が この世の究極の現実と見なす ものを、究極者キ リス トを見つめることによって、究 極以前のものとして見出すのであリーー『服従』ではそれは 「影」 と表現された一一キ リス トの 和解 に即する究極の現実が眼前に据え られるのである。この世が既にキ リス トによって担われ、

克服 され、勝利 されていることはもちろん『服従』で知 られていた。人間憎悪に、あるいは虐げ られた者を愛することか らの逃避に陥ることの起 こり得る、危 ういあの時代状況の中で、何人た りとも漏れることな く /至ヌ斎のためノ α丼1リス トについて語 られ、またそれを基礎 として全人 類までを包含する教会の職務理解についても『服従』において語 られたのであった。ただ、ボン ヘッファーが 「ナチの世」を先鋭に、論争的にこの世概念に重ねたゆえであろう、そ してそ こか らの 「距離」の確立、すなわち裏返せば、キリス トヘの排他的な徹底集中・固着 こそ、あの時代 状況での彼の第一の課題であったか らであろう、ボンヘッファーは、以 業のたク のキ リス ト

348とは語 り得ても、同様 にしてこの世のためのとは『服従』において語 り得なかった。 しか し、

ここにおいては、教会闘争の戦線か らボンヘッファーがその一歩を歩み出たところにおいて神の 愛の現実を発見するように、荒れ狂 う世界のただ中への歩みをまるで促 し励ますように、もはや この世における主の支西己に何 らの隙間も見出さないような、この世のすべてを徹底して包み込む ような神の愛の現実と、そ こか ら導かれるこの世の理解が、キ リス ト集中的に見出されるのであ る。

に のス参 議 /ο……障界}こ対 するこの神錮 ′ま、どの協 錫 黎 を離れ 瘍 藷 ″ 需 爵 錫 ″ クこ逃避 ιた クせバ 神クま愛だおいてごの″の現実をその周彩さの″みまで経験ι〕″ιみを身

│こ受 笏 衡 。 ごの世ヤまイ ̲Iズ ・芋 グズ ハの本tこ激 ιぐ襲 ク〕″ン〕る。 ι″〕ι〕 ごの責め 苦を身=こ受 グた方が こ の 物 罪 を赦 ι務トラ。・……陣の愛 の深淵 クまごの世の最 も,ダク〕」紹″″の淵を うその申だ 包み入れる。 ……吟 や神 との あ ぎを受 ゲダ ″との購の平″を与え られ ていな いま うな いかな る場 裂 嫁 ぐ障界 うな い ノノ349。

眼の前にはキ リス トを否むばか りの、悪徳の、放縦に尽きるこの世の有 り様が広がっているの である。「ドイッの政治情勢は、ますます恐ろしいテンポで展開し・……キリス トヘの信従の神学…

…といえども、その間に、ヒ トラーの戦争政策やユダヤ人政策の欲せざる共犯者 となることを妨

348 DBW4,S.228,235,301.傍点は引用者による。邦訳 明及従』

リス トにおいて、全人類を自ら引き受け、担い給 うた」(S.228.

349 DBW6,S.69.非『訳『倫理』2003年22‐23頁

1966年263、 273、 351頁。神の憐れみは 「キ 邦訳263頁)ともある。

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