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1. 丸広百貨店飯能店

最初に,観測値がオフィス・住居であったにも関わらず,予測値では異なったものを 2 店舗取り上げてみていきたい.1 店舗目が丸広百貨店飯能店の跡地利用の事例を取り上げ たい.丸広百貨店飯能店が立地していた跡地に埼玉りそな銀行飯能店が立地した.つまり 観測値はオフィス・住居だが,予測値では施設名=店舗の業態になっている例である.オ フィス・住居と予測されたものと各変数の数値を比較したものが表 21 になる.オフィス・

住居と予測されたものの数値は,予測された店舗の平均の値となっている.オフィス・住 居と予測されたものに関しては,元の百貨店の店舗面積があまり大きくないことがわか る.また人口が多いところで跡地を利用していることもわかる.これと元丸広百貨店飯能 店を比較すると元の百貨店の店舗面積は大きいが,周囲の人口や商業施設が少ないこと からオフィス・住居と予測されなかったのではないかと考えられる.では,実際にどのよ うな要因でこのような跡地利用を行ったのかみていきたい.

予測値と観測値が異なる要因として,飯能市における丸広百貨店の立地とリーマンシ ョックが関わっていることが分かった.まず,飯能市における丸広百貨店の立地から要因 を述べたい.2000 年,飯能市には丸広百貨店が二つ立地していた.一つがここで取り上 げている丸広百貨店飯能店で,もう一つが東飯能駅の近くに立地している丸広百貨店東 飯能店である.この小さな商圏内では互いの相乗効果による売り上げの倍増ができず,両 店舗同士で売り上げを奪い合った結果 2009 年に飯能店が閉店した.そしてそこに新たな 商業施設を立地させる計画が出ていたが,リーマンショックの影響で土地を買収した企

業が出店を断念したことにより,しばらく跡地利用が未定のままになっていた.そこに埼 玉りそな銀行飯能店が 2013 年に跡地を利用した形となる.計算的には商業施設が跡地を 利用する条件がそろっていたが,このように当時の経済状況や,企業の立地場所の選定に よって跡地利用が商業施設ではなくなったことが分かる.

2. 丸井横浜関内店

二店舗目は丸井横浜関内店の跡地利用の事例を取り上げたい.元々,丸井横浜関内店が 立地しており,閉店後に横浜シティータワーという高層マンションが建っている.つまり 観測値はオフィス・住居だが,予測値は施設名≠店舗のものである.表 21 は,オフィス・

住居と予測されたものと各変数の数値を比較したものとなる.オフィス・住居と予測され たものの特徴は前述した通りである.それと比較すると店舗規模に関しては,近い値を取 っているが,周囲の環境は人口が少なく商業施設が多いことが分かる.この数値の結果か ら,跡地利用がオフィス・住居とは予測されなかったのではないかと考えられる.ではど のような過程で跡地利用がオフィス・住居となったのかをみていきたい.

元々この土地は三丸興業株式会社が 1978 年から所有しており,そこに三丸馬車道ビル が建っていた.そして 1980 年に丸井がそのビルを賃貸する形でそこに丸井横浜関内店を 立地させた.その際に契約期間が決められており,2000 年までとなっていたことからそ の期間が満了した際に丸井が撤退した.それと同時に,三丸興業株式会社も土地の所有権 を三井不動産株式会社に売却した.そして,三井不動産株式会社が株式会社大和地所と共 同で横浜シティータワーを竣工させた.このように,土地の所有権者がどのような企業に なるかによって跡地利用の方針が変わっていくことが分かった.また,三丸興業株式会社 はビルの建設や賃貸事業を展開している会社であるため,その後の所有権者も不動産関 連の会社になったのではないかと考えられる.

このように当時の経済状況や土地の所有権者の業種によって計算値とは異なる結果が 出たのではないかと考えられる.しかしリーマンショックによる経済不況の中,商業施設

が跡地を利用したものもあれば,所有権者が不動産業関連であっても商業施設が跡地を 利用した場合もある.このように一概に言えないため,外れ値を個別事例で見ていく必要 があると考えられる.

3. 三越新宿店

次に,観測値が施設名=店舗であったにも関わらず,予測値では異なったものを 2 店 舗取り上げてみていきたい.最初の店舗は三越新宿店の跡地利用の事例を取り上げたい.

三越新宿店の閉店後の跡地を利用したのが,ビックロ(ビックカメラとユニクロの複合型 商業施設)となる.つまり,観測値では施設名=店舗であるが,予測値では施設名≠店舗 となっている例である.施設名=店舗と予測されたものの各変数の平均値と比較したも のが表 22 である.施設名=店舗と予測されたものと比較して,店舗規模にあまり差はな いが,都心に立地していることが分かる.また,周囲の商業施設数が多く,さらに買い回 り品に特化した店舗が多い事から,施設名≠店舗と予測されたのではないかと考えられ る.では,実際にどのような要因でこのような跡地利用を行ったのかみていきたい.

三越新宿店が閉店した背景には企業の戦略があったと考えられる.それは,三越と伊勢 丹の合併の影響である.2008 年に両社が合併したことにより三越伊勢丹ホールディング スが誕生した.その後すぐに行われた不採算店舗の処理によって,三越は都心にある池袋 店とこの新宿店を閉店することになった.しかしただ閉店するわけではなく,土地を賃貸 させる外部一括賃貸のための閉店である.そこに目を付けたのが当時都心進出をうかが っていたビックカメラであり,閉店することを発表した同日に 10 年間の賃貸借契約を結 んだ.その後ユニクロの親会社であるファーストリテイリングが余ったテナントに入居 することになり,ビックロとして出店することとなった.当時の不動産登記簿ではいまだ に土地の所有権は株式会社三越がもっていることからも,百貨店業として収入を得るの ではなく不動産業としての収入を得ている.元来の百貨店というものは,土地を所有しそ こに店舗を構えることである.この土地を持っていた強みを,企業側が生かして跡地利用

を行わせたのではないかと考えられる.このように,跡地を利用する側の企業戦略や跡地 利用される側の企業戦略によっても,跡地を利用する店舗というものは変わってくると いうことが分かった.

4. マルイミニ立川店

次に取り上げるのがマルイミニ立川店の事例である.マルイミニ立川店の閉店後跡地 利用を行ったのが,ロフト立川店となる.つまり,観測値では施設名=店舗であるが,予 測値では雑居ビルとなっている例である.雑居ビルと予測されたものの各変数の平均値 と比較したものが表 23 である.雑居ビルと予測されたものと比較して,店舗規模はとて も小さくなっており,より都心に近い場所に立地していることが分かる.また,周囲の商 業施設数が多く,さらに買い回り品に特化した店舗が多い事も分かる.また,これが丸井 という企業であったことから,雑居ビルと予測されたのではないかと考えられる.では,

実際にどのような要因でこのような跡地利用を行ったのかみていきたい.

この店舗は 2007 年に立川モディに名称を変更しており,業態は百貨店のままであるが モノ消費である百貨店に対して,コト消費の特徴をもった百貨店としてリニューアルさ せた.しかし,他のモディに比べ店舗規模が小さい事や,立川駅から徒歩 2 分と集客は見 込めそうであった.しかし,立川駅には伊勢丹立川店やルミネ立川店といった大型商業施 設が駅のロータリーと直結している一方,モディは直結していないことも関係してあま り集客が伸びず 2012 年に閉店した.その時に丸井はこの土地の所有権者であったことか ら,土地賃貸業の方に目を向け,そこに目を付けたロフトがビルを賃貸する形で入店する 形となった.しかし,そのロフトも 2019 年 9 月をもって閉店することになり現在は 100 円ショップや薬局など様々な店舗が入居している雑居ビルとなっている.

このように土地自体を持っていることによって,企業には賃貸業という選択肢が生ま れ,そうすることによって跡地を利用する施設にも幅が出てきていることが分かった.ま た,今回のケースはもともとの店舗規模が小さかったことや,周囲にすでに駅直結であり

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