第 3 章 度量衡統一に向けた模索―トンキンの事例―
D. 伝統的度量衡制度の使用状況
賛成グループ内からの報告をまず整理する。
バックザン省:ホップ・ボー(h p bơ)や鉢(b t)といった伝統的な計量器は規模の小さい 商業活動のなかでももはや使われていない。
カオバン省:国境付近で中国人と接触のあるベトナム人は、それぞれ大きく異なる度 量衡制度を維持している。
ランソン省:ホップ・ボーは、豆や穀類を図るのに非常に普及しており、特に容積単 位は統一するのに
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年から10
年の時間がかかることが予想される。ナムディン省:トンキンではいまだ合法的な度量衡制度が確立されておらず、また計 量検定を行うような組織もない。一般的には、売買の際、売り手も買い手もそれぞれ
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自分の計量器を持ち(特に容積と重量)、お互いの計量器で何度も量りなおして値段交 渉をする。
ニンビン省:容積単位と重量単位に関しては、まだフランスの計量器を用いていな い。
フックイエン省:ホップ・ボー、国営の工場で生産されたビンが多く使われる。
反対グループに属している省の中でこの問題に触れているのは以下の
2
省である。タイビン省:法律文書の中でも、ベトナム独自の度量衡制度が用いられている ハードン省:ダウ、バットといった単位は昔から(今に至るまで)使用されている。
バックザン省だけは旧来の制度はすでに用いられていないと回答しているが、これ は度量衡統一に対する賛成の意とその実効可能性の高いことを強調するためであろう。
賛成グループに属している省でも、その多くが依然として旧来の度量衡制度が用いら れていることを指摘しており、特に容積と重量の計量器や単位は、ベトナム固有の制 度が一般的に使用されていたことがうかがえる。
E.
その他①教育
教育に関しては、賛成グループではナムディン省、反対グループではハードン省の それぞれ
1
省が言及している。まず教育レベルの問題に関して、ハードン省が以下の ように指摘している。トンキンの教育レベルはコーチシナのそれに達していない、な ぜならトンキンはコーチシナより30
年近くフランス式教育の導入が遅れたからである。トンキンの地方では識字率が低く、このことはフランス式度量衡制度の実現に際して 大きな障害となるだろう、と。
次に、メートル法をどのように広く周知徹底させるかについて、ナムディン省は学 校、政府機関でまずメートル法を使うようにし、そこから全ての人民にメートル法を 広めるべきだと述べている。ハードン省もほぼ同じ意見であるが、加えて各企業、商 社、公共事業でも率先してメートル法を取り入れていく必要を訴え、なかでも学校で の使用・普及が最も重要だとしている。
②新度量衡制度に対する反対運動
多くの省は、トンキンにメートル法というフランス式の制度の導入によって抗仏運 動が起こる可能性について言及していない。つまり、度量衡の統一、それに伴う伝統 的度量衡制度の廃棄が抗仏運動の火種になるとは考えていないようである。フランス に対する反応について言及しているのはカオバン省とニンビン省(いずれも賛成グルー プ)、フート省(反対グループ)の
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省のみである。それもカオバン省とニンビン省は 特に大きな反対運動にはつながらないだろうという見解を示しており、フート省は「抗 仏運動」という言葉は用いず、ただ民衆に植民地統治に対する新たな不平、不満の原因 になるだろうと言うにとどめている。③1911年公布のデクレの中の各条項について
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第
7
条について、モンカイ省、タイグエン省、ハイズオン省が反対の意見を示して いる。第7
条の具体的な内容は、各市場における市場出店許可を得ている者は、新し い度量衡制度で用いられる法定計量器一式を自らの経費で整えなければならない、購 入が遅れた場合は1
ヶ月ごとに、あるいは不法な計量器を使用した場合その計量器ご とに、100ピアストルの罰金が科せられる、というものであった。モンカイ省はこの件 に関して、小規模の生産者は利潤も少なく、計量器を一式自己負担で購入させること は非常利な要求であると反対している。タイグエン省は、1910年10
月23日の法令で、
各市場における出店許可制度は廃止されたとし、第
7
条はトンキンの実情に合わない ことを示唆している。ハードン省は特に「第7
条に関して」と明言していないが、フラ ンス式の度量衡計量器は非常に高価であり、大衆は自己負担で所有することは不可能 であろうと述べている。第
2
条から第4
条、および第6
条については、ナムディン省のみ意見を示している。これらの条項では、計量器の製造方法が仔細に規定されているが、こうした特別の規 格を製造できる場所はトンキンにはないと。
以上、各論点に分けて各省知事からの回答をまとめてきたが、上記以外にも興味深 い指摘がいくつか見られる。なかでもハイズオン省は、単位名の記入方法について言 及しており、これは筆者が序で指摘したベトナム度量衡制度史研究の諸問題にも通じ るところがある。ハイズオン省は、単位名を記入する際、たとえばメートルはトゥオ ック・タイ(西洋尺
hướ )、キログラムはカン・タイ(西洋斤 cân tây)と全て
ベトナム語に訳しているが、多くの場合「西洋」を現す「タイ」を付け忘れたり、書か ないことも多く、ベトナム旧来のトゥオックやカンと混同して大きな混乱を引き起こ している。ゆえに、今後は単位名はベトナム語に訳さず、フランス語の音をそのまま 用いてキログラムはキロ(kilo)、メートルはメッ(met)、リットルはリッ(lit)と記入する のがよいと述べている。バックニン省はベトナムの農民は新しい度量衡制度を必要としていないと明言し、
フート省はカンボジアにおいても
1911
年のデクレが公布されているが、その効果につ いて疑問視している。1927
年の通達に対する回答の分析を通じて明らかになった点を、改めて整理したい。まず、度・量・衡の各制度に関しては、特に容積と重量単位が依然として旧来の制度 を用いており、統一には程遠い状況であったことがわかる。容積単位にいたっては、
コンデンスミルク缶やビンなど、日常生活の中で用いられている容器が計量器として 広く使われていた様子も見て取れる。
また、計量検定に関する条項に対しても、多くの消極的意見が寄せられている。計 量検定を行う組織がないと報告している省があることからも、北部ベトナムでは計量 器の不正を取り締まる制度や伝統がなかったこともうかがえる。規定通りの計量器を 製造できないという意見からは、植民地期のみならず、それ以前も規格どおりの計量
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器の製造・使用の歴史が北部ベトナムに根付いていなかったということができよう。
ナムディン省からの報告のように、売買にはそれぞれが自分の計量器を持参し、量り あいながら値段交渉を行う、という方法が長くとられていたと考えられる。
地域性に目を向けると、比較的農業が盛んであったり、交通網が確立されていた紅 河デルタ周辺の省でも、度量衡の統一に反対の意見が見られたのは興味深い点である。
バックニン省のように「農民は新しい度量衡制度を必要としていない」と言い切ってい る知事もいる。以上から、1927年において北部ベトナムの度量衡制度がいかに多様で あり、依然として伝統的制度が根強く残っていたかをうかがい知ることができるだろ う。
第
6
節 度量衡統一に対する姿勢・変化とその背景-各省の回答から-第
3
章では、度量衡統一に関する各省の賛否と理由を、トンキン理事長官が発信し た度量衡統一に関する通達(1898、1910、1921、1927年)に着目し、賛否とその理由 の時系列変化や、報告内容から読み取れる各地における度量衡の実態、地域性を総合 的に論じることが目的であった。まず、メートル法の導入に対しては、1898年の時点では反対意見が多数を占めてい たが、1927 年ではトンキン内の約
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割が賛成の姿勢を見せ、一見導入に対する考え方、意見が時代の変遷と共に逆転したかのようにみえる。
しかし一方で、議論されている内容は
1898
年から1927
年の約30
年間を通じて大き な変化はみられず、またメートル法が実際に使用されていたのは外国との取引や鉄道 などに限られていた状況も変っていない。つまり、メートル法導入に対する賛否は、実情に即して各省知事の意見が肯定的方 向へ転換していったというより、あくまで希望的観測、総督府やトンキン理事長官の 意向に対する表面上の賛成姿勢を示すためのものであったと考えることもできる。
しかし、1898年で多くの省が危惧していたメートル法の導入が引き起こすであろう 混乱、反対運動に対しては、1927年の時点で心配されなくなっている。多くの省で言 及されなくなっただけでなく、言及している省も大きな反乱、反対運動にはつながら ないと予測している。それは、統治の状況が安定してきた、地方行政も落ち着きをみ せてきたことを反映しているということもできよう。
各省知事によって挙げられる論点も、年を追うにつれてより具体的になり、内容も 広がりをみせていたことも確認できた。これは各省における現地社会、文化への理解 が深まっていった、また度量衡制度統一に対する興味、関心が高まっていった、つま り、度重なる度量衡に関する通達により、議論が深化していった過程を捉えられたと いえる。
個別の論点からは、大きく