第 3 章 スピンオフと事業譲渡
3.3 企業インセンティブと社会的余剰
cS >2c−aのときに,企業インセンティブによる選択基準と,社会的余剰による選択基準との乖 離を調べるためには,企業インセンティブにかかる(3.8)(3.9)式,社会的余剰にかかる(3.10)(3.11) 式を同時に見る必要があるが,cSが低いケースから順次考察していく.
cS ≤2c−aのとき スピンオフ独占vs事業譲渡独占
2c−a≥0という市場構造の時のみスピンオフ企業の独占が発生するので,aの取りうる範囲は 1< a≤2である.
社会的余剰の観点からは,cT ≥cSならばスピンオフ独占が,そうでなければ事業譲渡が望まし いことが分かるが,企業インセンティブによる(3.8)式と比較すると,後者の方が前者よりも大き いこともありうるので,社会的には事業譲渡が望ましいのに,企業1がスピンオフ独占を選択して しまうケースがある.
cS
cT
0 2c−a a
a
c c
cT =cS
cT =√
2cS+ (1−√ 2)a
図3-3 cS ∈(0,2c−a]における乖離
社会的には事業譲渡が望ましいが 企業1はスピンオフ
cS >2c−aのとき スピンオフ複占vs事業譲渡独占 A.cSに関する分析
社会的余剰の観点からは(3.10)式を境界ラインとし,企業インセンティブの観点からは(9)式を 選択基準の境界ラインとしているので,閾値について以下の分析ができる.
F(cS) = 13c2S−(16a+ 10c)cS−2a2+ 20ac−5c2= 13(cS−8a+ 5c
13 )2−90(a−c)2
13 (3.12)
と定義した時に,F >0であれば社会的余剰の観点からはスピンオフが望ましいが,企業インセ ンティブの観点からは事業譲渡を選択してしまうケースが存在することが示され,逆にF ≤0で あれば,社会的余剰の観点からは事業譲渡が望ましいが,企業インセンティブの観点からはスピン オフを選択してしまうケースが存在することが分かる.
よってそれぞれの定義域におけるF の値の正負を調べると以下のようになっていることが分かる.
F(2c−a) = 212(a−c)2
13 −90(a−c)2 13 >0, F(c) = 13(8c−8a)2
132 −90(a−c)2 13 <0, F(8a+ 5c
13 ) =−90(a−c)2 13 <0, F(a) =25(a−c)2
13 −90(a−c)2 13 <0.
これを図にすると以下のようになる.
cS 8a+5c
13
c 2c−a
事業譲渡が過剰に選択 スピンオフが過剰に選択
F(cS)
図3-4 cS ∈(2c−a, c)における乖離
これを解釈するならば,スピンオフ時の限界費用の削減度が十分に大きいケースではスピンオフ 複占が過剰に選択される場合があり,限界費用の削減度がそれほど改善しないケースでは事業譲渡 が過剰に選択される場合があることが分かる.これは直感に反しない.
前ページの図から分かるように,初期状態の限界費用cが小さい場合には社会的にはスピンオフ が望ましいが企業1は事業譲渡を選ぶという乖離の領域が大きくなり,事業譲渡による独占を防ぐ ことが社会的に重要であることが分かる.限界費用が十分小さいということは,当該産業において 複数企業による競争状態がある程度確立され,十分効率的に生産活動が行われている産業であると 解釈できる.この場合に独占状態とすることは,消費者余剰にとっての負の効果が生産者の利益と 比較して大きくなっているために,社会的余剰の観点からも,消費者保護の観点からも,この独占 を防ぐ事には意義がある.
命題3.1
(1)スピンオフによる限界費用の削減効果が大きいケースでは,スピンオフ複占が過剰に選択さ れる可能性がある.
(2)スピンオフによる限界費用の削減効果がそれほど大きくなければ,事業譲渡が過剰に選択さ れる可能性がある.
(3)当該産業における初期状態の限界費用が小さい場合には,企業インセンティブによる選択基 準(事業譲渡を選択)と社会的余剰による選択基準(スピンオフが望ましい)との乖離が大きく なる.
(1)(2)については直感的に理解しやすい.
(3)については,初期状態の限界費用cが小さいほど2c−aという閾値が左に移動する.社会的 にはスピンオフが望ましいが企業1は事業譲渡を選択するという乖離の範囲が広くなることが分か る.よって当該産業における限界費用が十分低い場合には現行の独占禁止法に対しある理論的根拠 を示すことができる.
B.aに関する分析
(3.8)〜(3.11)式について微分すると,簡単な計算から以下のことが分かる.
補題3.4
aが大きくなるにつれて,
(1)cS ≤2c−aの範囲では,企業インセンティブの観点からは事業譲渡が望ましい範囲が小さく なり,スピンオフ独占が望ましい範囲が大きくなる.
(2)cS >2c−aの範囲では,企業インセンティブの観点からは事業譲渡が望ましい範囲が大きく なり,スピンオフ複占が望ましい範囲が大きくなる.
(3)cS ≤2c−aの範囲では,社会的効率性の観点からは事業譲渡が望ましい範囲と,スピンオフ 独占が望ましい範囲は変化しない.
(4-1)cS >2c−aの範囲では,aが十分大きければ(a≥ c2S +(3
√3+8)c
16 ならば)社会的効率性の 観点からは事業譲渡が望ましい範囲が大きくなり,スピンオフ複占が望ましい範囲が小さくなる.
(4-2)aが十分小さければ(a < cS+c2S +(3
√3+8)c
16 ならば)社会的効率性の観点からは事業譲渡 が望ましい範囲が小さくなり,スピンオフ複占が望ましい範囲が大きくなる.
これらをまとめると,次の命題が言える.
補題3.5
需要曲線の切片aが大きくなるにつれて(すなわち市場の潜在的規模が大きくなるにつれて),
(1)cS ∈(0,2c−a)の範囲では,社会的には事業譲渡が望ましいが企業インセンティブの観点か らはスピンオフ独占が過剰に選択される範囲が大きくなる.すなわち乖離が大きくなる.
(2)cS >2−aの範囲では,aが十分大きければ(a≥ c2S +(3
√3+8)c
16 ならば)社会的には事業譲 渡が望ましいが企業インセンティブの観点からはスピンオフ複占が過剰に選択される範囲が広くな る.すなわち乖離が大きくなる.
(1)のとき企業インセンティブによる選択基準だけ変化する.スピンオフの費用削減効果が十分 大きいので,企業1は事業譲渡して独占利潤をわざわざ等分するよりもスピンオフして独占状態と した方が利得が高い.aが大きくなるほど潜在的需要は大きくなるので自企業だけで独占しようと いうインセンティブが高くなる.
(2)のときaは十分大きい必要がある(a≥ (3√163+8)cかつa >2−cS).また当該産業の潜在的 需要が大きいので,企業1は事業譲渡して独占状態として等分され利潤を減らすよりもスピンオ
フにより複占状態としても十分利潤は高くなる.社会的な観点からはaが十分大きいということは (2)を許容するcSの範囲も大きくなり,相対的に事業譲渡の削減効果の方が大きくなる可能性が 高いので事業譲渡が望ましくなる.