以上で見てきたエンフォースメントの強化は,早急な対応が求められる短期的な課 題である。一方,長期的な課題としては,中国の実情にあった適切な知的財産権制度 をデザインしていくことがある。中国の知的財産権制度の構築はいままで常に外圧に 動機づけられてきた。1979年に調印された米中貿易協定では,米国は知的財産権条項 の導入を強く主張した。そこから中国は一から知的財産権制度についての検討をはじ めることになり,1983年に商標法,1985年に特許法を施行した。特許法についていえ ば,その後2回の改正が行なわれるが,第一回改正は米中知的財産権協定,第二回改 正はTRIPS協定について,その要求を満たすことが改正の大きな目標であった。
エンフォースメントの側面において問題を残してはいるものの,中国はおおむね TRIPS協定の要求水準を満たす知的財産権制度を構築した。TRIPS協定の最低基 準を満たしている限り,中国は自由に知的財産権制度をデザインできる。新興工業国 である中国に適した制度となるよう,その制度をデザインし,微調整を続けていく必 要がある。特許についていえば,その保護の範囲をどのように設定するか(均等の要件 など),特許の対象をどこまで拡大すべきか(動植物特許やバイオ特許,ソフトウェア
特許やビジネス方法特許など),権利保護とのバランス(強制実施権の設定要件など)
といった問題である。例えば,中国は国内消尽の立場をとるものとされているが45), これは権利者側に有利な考え方である。こうした問題は先進国でも議論の分かれると ころであるが,解決すべき問題である。
一方,中国の産業発展水準という観点からは,前にも述べたが,実用新案制度の積 極的な活用も検討に値しよう。中国の長い伝統に培われた地理的表示(例えば,景徳 鎮磁器)の保護についても,その保護が産業発展に結びつく形で活用できるかもしれ ない。農業分野においても,地名商標の活用が農民収入に結びついた成功例が報告さ れているが46),これは知財の活用が農村の活性化や農産物輸出の拡大に結びつく可能 性を示すモデルケースと考えられよう。
最後に,何より重要なことは,市場における競争環境の整備である。イノベーショ ンの促進という目的は,知的財産権制度のみによっては達成し得ない。イノベーティ ブな企業が自由に参入でき,イノベーションの競争が活発化する市場環境が確保され ていなければ,知的財産権制度は市場支配力の強化という独占の弊害のみを生む結果 となろう。知的財産権制度を強化してきた中国において,その弊害をできる限り顕在 化させないためには,中国は独自の競争体制について十分に検討・整備し,競争的な 市場環境を確保しなければならない。最も直接的には競争制限的なライセンス契約に 対する規制であるが,これらを含めた競争政策の整備をはじめ,貿易・投資の自由化,
規制のあり方の再検討などが必要となろう。
注
1) この保護水準は既存の国際条約(パリ条約およびベルヌ条約)よりも高度なものであり,
「パリ条約プラスアプローチ」「ベルヌ条約プラスアプローチ」と呼ばれている。
2) その主な内容は,知的財産権の保護範囲の拡大,保護レベルの強化,起訴前の司法的救済措 置,司法審査機会の確保,損害賠償算定ルールの確立などである。詳しくは,遠藤(2006), 中島(2003)を参照のこと。
3) 経済産業省通商政策局編(2005)p.98を参照。
4) 中国知的財産権にかかわる法体系の構成は,最高の法的効力を持つ「憲法」のもとに,全国 人民代表大会が発効する「法律」(狭義の法律),すなわち特許法,商標法,著作権法,反不
正当競争法などが制定されており,さらに,これらの法律に基づき国務院は,各種の「行政 法規」,例えば特許法実施細則を制定している。
5) 詳しくは朝比奈(1998)pp.735―751を参照。
6) 経済産業省通商政策局編(2005)p.96を参照。
7) 米国などは使用主義であり,使用実績に基づいて商標登録される。登録主義のもとでは,実 際に使用していなくても一定の要件を満たせば商標登録できる。
8) 中国商標法の改正内容について,詳しくは中島(2003)pp.282―293を参照。
9) 経済産業省通商政策局編(2005)p.97を参照。
10) 張輝・韓登営(1999)p.4を参照。
11) 中華人民共和国国務院報道弁公室(2005)を参照。
12) 張立岩(2003)より引用。
13) 日中経済協会(2005)p.203を参照。
14) 他に特別人民法院として軍事人民法院,海事人民法院,鉄路運輸人民法院,森林人民法院と いう専門人民法院がある。
15) 確定判決に明らかな誤りがある場合には,再審手続きをとることができる。中国の再審制度 について,詳しくは中島(2003)pp.342−344を参照のこと。
16) 詳細については,日本貿易振興機構(2005)pp.103―117を参照のこと。
17) 1986年スタートの863計画(中国ハイテク研究発展計画)は,生物,宇宙,情報,レーザー,
自動化,エネルギー,新材料,海洋(後に追加)の8部門,20のテーマから構成されている。
一流大学や有力な研究機関などの15の重点実験室,7つの研究開発基地,49の産業化基地 が建設され,ハイテク技術開発と研究成果の産業化が実施されている。開始から15年で,こ の計画の成果として国内外で得た特許は,エネルギー,新素材,海洋の6つの領域だけで 2,000件以上,発表論文は4万7千篇を超えたという(中国新語流行語辞典(http://www.e-kampo.org/neword/index.html))。1988年スタートのタイマツ(火炉)計画(中国ハイテク 産業発展計画)は,ハイテク研究開発成果の産業化と国際化の促進や,研究機関や大学の研 究活動への支援も行う総合的な計画である。北京の中関村科学技術園,上海の張江科学技術 園,深Sの深S高新科学技術園をはじめとするハイテクパーク,国家ソフトウエアパーク,
大学科学技術パーク,留学生創業パーク,ハイテク企業インキュベータなどの設置や,補助 金交付,融資,企業基金の設立など,ハイテク産業の創出に有利な環境整備が行われている。
また,1997年には973計画(中国国家重点基礎研究発展計画)がスタートしている。詳しく は,蔡林海(2002)を参照。
18) 技術取引市場については,安藤他(2005)が詳しい。
19) 岸(2005)p.53を参照。政府統計には,企業や政府機関の駐在をへて留学したものや直系親
族として海外訪問し,その後留学生になるケースなどが含まれないためである。
20) 岸(2005)p.54を参照。
21)『人民網日本語版』(2006年2月9日)によれば,マイクロソフトの他,IBM,モトローラ,
シーメンス,ノーテル・ネットワークス,デュポン,GE,GM,フォルクスワーゲン,プ ロクター・アンド・ギャンブル,本田,日立などが中国に研究開発センターを設立している という。
22) より正確には,SITC 112(アルコール飲料),SITC 553(調製香料および化粧品類ならびに 製油の水性蒸留物または水溶液),SITC 665(ガラス製品),SITC 784(自動車部分品なら びに付属品),SITC 821(家具とその部分品),SITC 831(旅行用具,ハンドバッグ,その 他(革製,プラスチック,織物製に限る)),SITC 84(衣類およびその付属品),SITC 885
(時計),SITC 8942(玩具,室内遊技用具)である。
23) 1997年における商標出願件数は,米国234,610件,中国145,994件,日本133,116件であった。
2001年においては,米国の216,308件に対して,中国は259,924件と米国を抜いた。日本は 123,788件であった。
24) 中国政府の行ってきた具体的な取り組みについては,中華人民共和国商務部ホームページ
(英語)中のIntellectual Property Rightの項目に詳しい。
25) 2004年には,国家知的財産権保護作業グループが設立されている。
26) IIPAは米国の著作権産業を代表するロビー活動団体であり,この調査結果に基づいてスペ シャル301条適用推薦国のレポートを出している。
27) 特許庁(2005c)によれば,権利侵害品を通関させるためにとられる手段の主なパターンとし て,①授権証明書を偽造するケース,②輸出製品の虚偽申告を行うケース,③他の商品に模 倣品を紛れ込ませるケース,④権利侵害品を分解して部品ごとに輸出するケース,⑤旅行者 に海外に持ち出させるケース,⑥郵便(簡易通関)を使うケースがあるという。
28)『CIPIC ジャーナル』Vol.166,pp.42−49を参照。
29) この点については,特許庁(2005b)が詳しい。
30) 佐竹他(2006)によれば,我が国製造業企業の海外事業展開に関するアンケート調査におい て,企業が指摘した中国の課題の第一位は「法制の運用が不透明」(69.2%)であり,第二 位は「知的財産権の保護が不十分」(53.2%)であった。
31) 日本弁理士会近畿支部弁理士制度普及委員会(2003)を参照。
32)『日経産業新聞』2006年3月26日付け朝刊。
33) 合 資 は合 弁 企 業 (Equity Joint Venture),合 作 は契 約 式 合 弁 企 業 (Contractual Joint Venture),独資は100%外資系企業(Wholly Foreign Owned Enterprise)である。
34)『日本経済新聞』2006年3月8日付け朝刊。
35) こうした政策と並行して,中国は中国独自規格,国家規格化の戦略を積極的に進めている。
中国はDVDレコーダ,携帯電話端末,テレビなどの世界最大の生産国であるが,それらの 技術のほとんどは外国のものであり,多額の特許料の支払いを強いられている。組み立てを 中心とする薄利多売の産業構造から脱し,独自技術を核に産業を発展させ,技術のライセン