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井上哲次郎における伊藤仁斎学論の理論的思考

ドキュメント内 江戸儒学の近代学問論的展開について (ページ 73-104)

一、伊藤仁斎の学問的位置づけ:古学の嚆矢

伊藤仁斎(1627-1750)は十七世紀に活躍した儒学者である。井上哲次郎は、山鹿素行(1622-1685)、伊藤仁斎、荻生徂徠(1666-1728)の三人の学者が古学派を代表する人物である、と

認識している。その中、山鹿素行と伊藤仁斎二人はほとんど同時に朱子学に疑問を懐きはじ め、古学を起こして、古学の先駆者とされている。井上が山鹿素行を「古学鼻祖」と呼ぶ所 以は、古学の思想と兵学、国体との結合により、素行の『聖教要録』(1665)の刊行が仁斎 の『論孟古義』(1720)と『中庸発揮』(1714)より早いからである。「鼻祖」の名は、山鹿 素行が最初に公然と朱子学に挑戦して、独自な古学を主唱した開拓性を反映している。

一方、井上は、「識の若きは仁斎實に之れが嚆矢たり」(井上、P.150)58という太宰春台の 言葉で仁斎を評価した。嚆矢とは、即ち、物事の始まり、ここには古学の端緒を開くことで ある。太宰春台によれば、仁斎の学は徂徠の学に及ばないが、徂徠の才は仁斎にはるかに及 ばないという。とりわけ古義学と文献実証学、及び道徳の現実化において新局面を開いた点 で、仁斎は古学の嚆矢であるといっても過言ではない。

井上は山鹿素行を古学の鼻祖としたが、素行の学問の局限性をも指摘した。山鹿素行の子 孫や門人たちは、兵学に長じた人がほとんどで、儒学に関する研究に携わっても、あまり反 響がでなかったという。一方、仁斎の学問に沈潜し、孔子の道徳をたゆまず追い求める姿を 井上は強調している。それに、仁斎の子である伊藤東涯は、仁斎の死後、仁斎学を継承して、

また仁斎の著作を相次いで編集・刊行して、家学の振興発展に努めた。このようにして、山 鹿素行は仁斎、そしてさらには徂徠と比較するとまだ不十分だったろうし、思想潮流の広が りしては、仁斎、徂徠に及ばない。仁斎は古学においては、実証的な精神を以て古典に学ぶ ことで新時代を切り拓く「嚆矢」であり、堀川一派の学風の樹立と伝承の「嚆矢」でもある と言えよう。

(一)独特の異彩を放つ民間儒者伊藤仁斎

井上哲次郎は、伊藤仁斎には「一生何人にも仕へず、民間の一儒者を以て終りしが如き、

亦當時に一異彩を放つの看なしとせざるなり」(井上、P.143)、と称して、それが吉川幸次郎 を感服させた「古学先生和歌集」のあとがきに、仁斎の「老布衣」といった自署59と異曲同 工と言ってよかろう。それは、仁斎の日々孜々として学問に勉め、淡々と暮らす生き様であ り、道徳が優先される一貫した君子の実践でもあると考える。

具体的には、まず、仁斎は民間に講説して、特に倫理、孝道を重視した。また、「一生郷

58 井上哲次郎 『日本古学派之哲学』(富山房、19265月)。以下同じ。

59 吉川幸次郎 『仁斎・徂徠・宣長』(岩波書店、19756月)。P. 580。

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里以外に出でざ」(井上、P.160)るという庶民生活には、包容的、且つ謙遜的な性格が現れ る。それが仁斎学にも貫徹されて、仁斎の学術的な特色になっている。

つぎに、仁斎は生涯出仕しなかった。その理由として、吉川幸次郎は次のように挙げてい る。

(1)「当時の藩儒なるものが、単なる技術者として扱われる」60という傾向があった。その ため、仁斎は参政の意欲があったが、そのような雰囲気で、賢人君子の道は守り難いだろう、

という消極的な考えを抱いていた。

(2)「在野の市民であることに、積極的なほこりを感じていた」61

つまり、仁斎は講説を通して、儒学が民間における影響力を広げようとしている。そらに、

それによって、人心への検束による社会の秩序を守るのである。それは「修身斉家治国平天 下」という理念が下から上へと実行することで、ある意味の「不仕而仕」(仕らずにして仕 る)であろう。

したがって、仁斎が徳川幕府の封建統治の理論的支柱となった朱子学を批判して、古学に 基づいて新しい学問を切り拓いたのは、「毫も皇室に対して不敬の念」を意味していなくて、

かえってそれは神皇正統に対する「尊之如天、敬之如神」といった姿勢の表れである、と井 上哲次郎が強調した。これも、井上が仁斎の人間性への信頼だと言えよう。

(二)教育家伊藤仁斎

伊藤仁斎は民間には講説していて、仁斎の子東涯も父を引き継いだことで、堀川学派には、

多数の門人が集まった。井上哲次郎は、教育家として成功した仁斎には、道義至上の学風の 樹立がその成功した要因である、と指示した。本論は、仁斎の教育論、及び井上の解説によ って、仁斎の教育思想について検討してみたい。

1.師たる者の規範意識

仁斎は、品性と徳行を重んじて、知徳一致を教育の宗旨としていた。知と徳の把握に関し て、仁斎は下のように述べている。

先儒或は徳性を尊ぶを専にして問學を緩となす、或は問學に道くを先んじて徳性を後 となす、俱に一偏に失して、君子の道と謂ふべからざるなり(井上、P.180)

また、

實徳ありて後、實智あり(井上、P.180)

夫れ學は人倫を明かにする所以にして己れに反求するを以て要となす、所謂欛柄手に

60 同上。

61 同上。

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入る、是れなり(井上、P.181)

このように、仁斎は、学を修めるには、訓詁詞章に専念するわけではなくて、「人倫を明 かにする」ことを学問の目標とすべきだ、という見解により、道徳と学問の結合が必要であ って、この両者の一体性を強調する、という考え方を示している。井上哲次郎は、仁斎の説 いた「学」を解釈する際に、仁斎の「人三不幸」を次のように引用している。

生れて學を知らず、一の不幸なり、學んで賢師友に遇はず、二の不幸なり、賢師友に遇 ふて、其要領を得る能はず、三の不幸なり(井上、P.272)

上述の通り、仁斎には、学を知るのが、最も大切なことなのである。ここにおける「學」

は、一般的な意味での学として考えては不十分であろう。よって、仁斎は、次のような解釈 を示している。

書を讀む時も亦學、書を讀まざる時も亦學にして後、學進む

苟も篤く信じ深く志し、念々學にあり、他事の為めに勝たれざれば、則ち起居動息、應 事接物、遊戯閑談、目撃跬歩、みな學に進むの他にあらざるなし、故に曰く、書を讀ま ざる時も亦學なり(井上、P.181)

このように、仁斎の「学」には、読書や作文などがあるが、結局同じく日常的な実践に帰 結している。つまり、実践は学問の道として必要なのである。道徳は学の最終的な目標とし て、実践によって具現化されるのである。

ただし、仁斎によれば、徳性を強調するのが、「己に反求する」即ち、自己反省するため にあるという。したがって、名利に恬淡出世を望まず、分に安んじて志操堅固な仁斎の姿は、

井上哲次郎が明らかにしようとする仁斎の師としての規範意識の表れであろう。

2.人材教育の道義精神

伊藤仁斎は宋学を批判して、儒学本来の思想と考えられるものを自身独学で体系づけた。

山鹿素行と荻生徂徠は、師授によらずして、学問を樹立した点で仁斎と同様であるが、素行 の学は体系性に欠けていて、そして徂徠の学には、仁斎の学問から受け継がれているものは なかったが、徂徠は「孟子字義」の拝読により、仁斎の古義学を意識していたのは明らかで、

古学の精神が仁斎の影響を受けている、と言ってもよかろう。したがって、仁斎学の独創性 とその功績によって、吉川幸次郎は仁斎を「教師を要しない天才」62とまで評したのである。

その「みずからによる独自の到達」である学問の実践が、仁斎の人材教育にも貫徹されてい る。

62 同上、P. 566。

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(1)天然自然の教育理念

仁斎は自分の教育理念について、次のような見解を示している。

夫れ聖人の教を設くるや、人によりて以て教を立つ、教を立てて以て人を驅らず、造作 する所なく、添飾する所なし、人心の同じく然る所に出でゝ、強ふる所あるにあらざる なり、若し夫れ孝悌忠信の人は、天下皆以て善となし、皆以て美となして、敢て譏るも のなし、此れ即ち是學此れを外にして更に所謂学問といふものなし(井上、P.270-271)

井上哲次郎は上述の「造作する所なく、添飾する所なし」ということを、ルッソーの自然 教育理論と結び付けて、「天然自然の教育」として解釈している。

自然主義はルッソーの教育思想を代表する理論である。「自然」という言葉はルッソーの 著書には頻繁に現れるが、明確に定義されていないのである。ルッソーの思想に関係する研 究には、「自然」の概念が、およそ以下のような三つの面に分類される63

① 神学的意味の自然。本源的な善と調和とを持った、しかもあらゆる人間的加工以前の状 態において見出される人及び物の本性、造物主から与えられたままの神聖かつ荘厳なる単 純性をもった人及び物の本性を言うのである。

② 自然史的意味の自然。人間の原始状態において見出される原始的な人間性を指す、即ち、

人間の原始的単純性を言うのである。

③ 心理学的意味の自然。それは、現実の人間その物の中において求むる主観的な自然概念 である。

ここにおける①と②に述べている自然は、現実の人間には全然到達できない理想であろ う。だが、③には、現実の人間を出発点とし、現実の人間の向上浄化を目指す自然は、橋本 三太郎に「内省の道」、または「復帰」「自我への還入」64と称されている。よって、この心 理学的意味の自然が、人間性における遡源には、積極的な意義をもっていて、圧倒的な認知 となるであろう。すでに述べたように、仁斎の師としての「己に反求する」意識が、その心 理学的意味の自然が伝わる趣旨と一致していると考えられる。したがって、井上哲次郎が提 起したルッソーの自然教育とは、自分自身に復帰して、純真なる人間性の世界を目指す心理 学的意味の自然を言うのであろう。

そして、心理的意味の自然は、下のように三つの側面に分けている65

① 後天的な習慣や意見によって歪曲される以前の根源的な人性としての自然。

② 内的発展の原則としての心理学的自然

63 稲富栄次郎 『ルソオ教育思想 稲富栄次郎著作集4』(学苑社、19786月)、P. 154。

64 橋本三太郎 『ルソーの教育思想研究』(明治図書出版株式会社、19822月)、P. 466。

65 同上、P. 469。

ドキュメント内 江戸儒学の近代学問論的展開について (ページ 73-104)

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