前章では、19 世紀 50 年代前後から 20 世紀 30 年代日中戦争前において近代企業家の誕生 に関する探索、そして、国の産業発展の背景下に近代企業家の経営理念の特徴を分析した。
特に、日本の企業家大倉喜八郎と中国の企業家張謇を比較し、当時の企業家が活動していた 時代背景と経営哲学の特徴を導き出した。
本章では、まず、1945 年の終戦後における日本の企業経営と 1978 年の中国における改革 開放後の企業経営の歩みと商業文化を説明する。そして、日中経営に関する影響力が強く、
かつ著名な企業の企業家理念を分析する上で、現代企業家の経営哲学を概観する。さらに、
今日のグローバル時代に最も影響力を及ぼしている日本と中国の代表的な企業家の一人で ある孫正義と馬雲の経営哲学を倫理、社会貢献、商人教育という三つの視点で比較しなが ら、現代の企業家の経営哲学の特徴を究明する。
1 経済発展の進展
近代以来、日本と中国は西洋から先進技術を導入し、同じ頃からテイラーの「科学的管理 法」1の普及によって、1930年代における各企業の経営合理化・管理の進展は著しかった。
しかし、1930年代は満州事変(1931年−1933年)、日中戦争(1937年−1945年)の勃発などで 戦乱に引き込まれた時期でもある。
1937 年に始まった日中戦争は日中両国の経済に甚大な打撃を与えた。企業経営の方面か ら見れば、企業の経営目的、経営方針にも影響を及ぼし、戦時経営体制に変わっていった。
当時の企業家たちには、自分の企業がどのように生き残るかを考えるだけではなく、民族の 存亡にも関わる戦時をどのように乗り越えるかが求められていた。
日本では、1930 年代の深刻な昭和恐慌(1930 年−1931 年)を境に、政府による経済関与 は益々強くなった。宮本(2007、pp.227-230)によれば、低為替・低金利・財政拡大によっ て特徴づけられる高橋是清蔵相財政(1931 年−1934 年)の前半期の経済運営によって、産業 構造に占める金属、機械器具、化学工業の比重が一挙に高まった。さらに主として中小零細 企業・家内工業によって生み出される各種雑貨製品も世界各地に販路を拡げた。この時期に は製品輸出だけでなく、資本輸出も拡大した。特に、日本の対中国・朝鮮向け投資の伸びが 著しかった。しかし、1936 年末以降、国際収支の悪化に対応するため、財貨・資本・労働市 場に対する全面的な戦時経済統制が展開されることになる。
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また、下谷(1994、pp.1-3)によれば、日本の 1930 年代戦時期には、重化学工業の進 展に伴い、民需とともに軍需の拡大が日本経済を促進した。企業の多くは証券投資を通じ て既存企業の系列下、子会社の設立を推進し、自らが持株会社化することによって、産業 コンツェルン体制、企業グループ化、新型財閥系企業を形成した。これらの具体例として は、日産・日窒・日曹・理研などがあげられる。
1945 年 8 月 15 日、終戦を迎えた日本では 1945 年から 1949 年までの戦後復興期、1950 年 から 1955 年までの高度成長への離陸期があった。特に、1947 年以降の冷戦体制の急展開と 朝鮮戦争による特需を契機に、日本経済の戦後復興は実現することができた。
一方、中国では、中華民国政府が 1928 年から 1937 年にかけて、国家主義を提唱、企業家 を孤立させた。1938 年から 1948 年までの戦争時期に、戦争は企業に対して重大な損害を与 えた。1949 年に中華人民共和国が成立してから、政治面で、企業制度と企業家の運命が劇 的に変わった。1949 年から 1958 年にわたる計画経済体制の構築は多くの「国有企業」を設 立し、これは中国経済発展の土台となった。この期間中、鉱業、重工業、軍事工業において はソ連の援助を得て実施されたプロジェクトの推進が経済発展の中核的な役割を果たした。
例えば、鞍山鋼鉄公司、本溪煤鉄公司、吉林化学公司などがあげられる。これらは主に、東 北部と内陸部に集中していた。
大橋(2009、pp.42−45)によれば、第一次五カ年計画はソ連の全面的援助を得て、ソ連モ デルの国有企業をそのまま中国に移植したものであった。ソ連モデルの国有企業の特徴は 独占と垂直統合である。すなわち、ソ連は一つの業種には原則として一つの国有企業だけを 設けることを基本とする。計画経済に競争は必要がないと考えられたからである。
その後、1959 年から 1978 年の間は経済の低迷と文化大革命の時代である。1979 年から 対外進出の時代を迎えて、民間企業、中国型多国籍企業などの創業が増えるようになった。
日中両国の経済発展の経緯を見ると、日本は終戦後の 1945 年から経済復興に取り掛かっ たが、中国では内戦、中華人民共和国の成立、社会主義計画経済の実施、文化革命などを経 て、改革開放へ政策転換をした 1978 年から、私営企業制が導入され、国有企業および集体 企業などにおける改革がなされている。
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2 日本現代企業家の経営哲学
2−1 日本戦後の企業経営
宮本(2007、p.251)によれば、終戦後間もなく GHQ による安田、三井、住友、三菱に対 する財閥解体が進められた。続いて解体対象に指定された三井・三菱・住友・安田・日産・
大倉・古河・浅野・富士・野村の 10 財閥、家族 56 名が退陣を強制され、財閥傘下企業間の 役員兼任も禁止された。それにより、戦後の一連の改革を経て財閥は完全に解体され、経済 の民主化と中小企業の設立や成長を促進させた。
一方、1950 年代に入ると①系列融資、②株式の相互持合、③社長会、④同系商社が媒介 する集団内取引などを基本的特徴とする戦後型企業集団の原型が形成されるようになった。
2例えば、三井、三菱、住友が典型的な例である。そして当時、技術者、経営者である川崎 製鉄の西山弥太郎、松下電器の松下幸之助などは自分の企業を率いて、50 年代初に急成長 を遂げていた。
その後、日本の企業経営の構築は、1956 年から 1973 年までの経済高度成長期、1974 年か ら 1990 年までの安定成長期、1991 年から 2005 年までのバブル崩壊による長期不況期、そ れから 2006 年以後の再構築期の段階を経たというのが一般的な認識である。
経済高度成長期では、自動車産業、電気機械業、化学工業、造船業などのメーカーが、海 外から生産管理、品質管理、労働管理、技術、整備などを導入し、企業の規模を拡大してき た。金融業はこれらの成長を続ける企業を力強く支えた。
宮本(2007、pp.302-307)によれば、日本経済が実現した世界史上稀な高度成長は、1973 年から 1974 年にかけての第一次石油危機によって終焉した。高度成長から安定成長への移 行である。第 1 次石油危機後も日本経済が安定成長を成し遂げた理由は、良好な労使関係 と、継続的な企業間関係に支えられた日本の企業が長期的な視野に立つ経営戦略を展開し、
省エネルギー等の市場のニーズに合致した製品の開発、生産工程の徹底的な効率化や高度 化などで成果をあげたからであると述べている。
安定成長期には、電気製品や自動車、半導体などのメーカーが海外市場への進出に力を入 れた。日本から海外への輸出拡大は、日米貿易摩擦などの通商問題に発展したので、現地や 迂回輸出のできる第三国へ進出し、生産・輸出するというグローバル戦略を展開した。従っ て、日本企業のグローバル化が進んでいた時期でもあると宮本(2007、pp.307-308)は指摘 した。
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1980 年代に入ると、日米貿易摩擦問題に対応するため日本の自動車会社とアメリカの自 動車会社との提携、規制緩和が求められる電電公社と専売公社の民営化、1985 年 9 月の G5 による「プラザ合意」と急激な円高が生じた。これらの一連の出来事によって、日本経 済には未曽有のバブル景気が発生した。1991 年度以降、日本経済は長期にわたり低迷する ようになったが、順調に成長し良好な業績があげた企業も存在した。
宮本(2007、pp. 303-305)によれば、1999 年 3 月には、日本を代表する自動車メーカ ーである日産自動車が、事実上、フランスのルノーの傘下に入ることが発表され、「第 2 の敗戦」という言葉が盛んに使われるなど、日本経済を「失った 10 年」と呼ばれた 90 年 代が終わっても取り払われることはなかった。しかし、企業が努力を重ねた結果、順調な 成長を実現した企業が少なからず存在した。具体的には、トヨタ自動車、日本電気、ソニ ー、豊田自動織機製作所、富士写真フイルム、キャノン、ブリヂストン、武田薬品工業、
王子製紙、京セラ、住友電気工業などがあげられる。
日本の「失われた 10 年」と呼ばれた 90 年代に直面した危機の本質が、経済システム全般 あるいは企業システム全般の危機ではなく、金融システムあるいは企業金融のシステムの 危機であったことであると宮本(2007、pp.387-388)が述べた。日本経済あるいは企業の再 構築へ向けた課題は、「金融システムの改革と生産システムの維持」ということになる。そ れを発展させて、宮本(2007、p.391)は以下のように指摘した。
⑴ 事業会社が、エクイティ・ファイナンスのノウハウを身につけること。
⑵ 金融ビジネスの改革を進め、国際競争力を持つためにニバーサル・バンクときめ細か なモニタリング能力を発揮する優良地方銀行という、2 本柱を確立すること。
⑶ 製造業が、高付加価値化と結びつけて、国際分類を深化させること。
⑷ 製造業とサービス業との新たな結合を実現すること。
⑸ 市場に潜在する民需を顕在化させるサービス・ビジネスや流通ビジネスを開拓するこ と。
また、宮本(2007、pp.391-392)によれば、バブル崩壊後、大企業は株主重視と短期的利 益の追求という視点から見直し、中長期的に株主利害(株価上昇)と従業員利害(待遇改善)
とを一致させる成長戦略を立てた。そして、投資抑制メカニズムからの脱却するため、必要 な投資を行い、多くの企業は経営者企業から資本家企業へ変化した。