第 3 章から第 5 章では、日本と中国における近世、近代、現代の商業文化と企業家の経 営哲学を倫理、社会貢献、商人教育という三つの視点で比較を行った。本章は、同じく倫 理、社会貢献、商人教育の三つの視点を切り口としてアンケート調査とフィールドサーベ イを実施する。これを通じて、成功している中国進出の日本企業の経営哲学・経営理念の 特質を明らかにし、企業の現地化に適応可能な経営哲学は何かを論じたい。
経営哲学の歴史的な変遷からみれば、日中両国ともに近世においては「家」という観念が 強く、近代では「国益」、「ナショナリズム」という自国的な発展を中心としている。現代 では、人間性を強調している「人々の幸せ」、「グローバル」など他人や世界の面で考える 傾向がある。
近代以来の商業文化や企業家の思想と実践の中に、日本企業家の経営哲学が中国の企業 家に影響を与えていることがわかった。その中に、主な原因としては、近代化に成功した 日本財界が早くから中国市場に進出することであったといえよう。
したがって、現代日中経営哲学を深く理解するため、そして、実務的な面で、ダイバー シティーな社会における合弁企業さらに日中企業の経済連携を促進するため、本章では、
中国進出する日本企業の現地化と経営哲学について検討する。
1 日本企業の中国進出の歴史と現状
李廷江(2003、p.42)によれば、中国辛亥革命の革命派からの経済援助の要請をきっかけ として、日本財界は革命派と接触でき、中国進出を実現する好機を得た。中国進出の主な指 導者は大倉喜八郎、渋沢栄一などである。
大倉喜八郎などを代表とする日本財界では、「日中連帯」、「アジア主義」の思想が広く 受け入れられていた。日本人の対外活動を支えた思想的な核心である「アジア主義」は中国 進出の経済活動との関連において極めて重要であると李廷江(2003、p.34)は研究の中で指 摘した。
1913 年、孫文そんぶん(1866 年−1925 年、政治家、革命家)1は日本を訪ねた。その目的の一つは 中国の革命運動に対する日本各界の援助に感謝するためで、もう一つは孫文の「実業救国」
を実現するために必要な外資を得るためである。孫文は「実業救国、中日友好」という両国 の経済協力が必要である理念を持ち、日本の各界から熱烈な歓迎を受けた。2
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その後、渋沢栄一、大倉喜八郎、益田孝と孫文は中央銀行設立と中国興業公司の設立を通 じて、日本は中国に最初の経済協力を実現することになった。日中合弁企業の計画を立てた 時は、三井財閥、大倉財閥、住友財閥、渋沢財閥などが参加していた。中国興業公司は、日 中の政府間で初めて成立された合弁企業である。3
李廷江(2003、p.238)によれば、中国興業公司は当時臨時大総統を辞任した孫文の実業 救国の主張と日本財界の対中進出とが結びついた結果でもあった。そして、日本財界では、
「日支合弁事業論」の中で日中合弁企業を設立するなどの形式で経営に参加するのは急務 であるとし、その理由は以下の通りであった。
「一、中国の資源は豊富だが、中国は資本が不足しているために、久しく開発が行われて いない。列強諸国は対中投資に熱中し、巨利を貪ろうとしている。外資が流入した後には起 業ブームが起きているが、こうした状況の下では融資によって利益を得る方法よりも、合弁 の形で中国企業に参入する方法を取るべきである。そうすれば列強諸国と違って、日本は投 資者としての利益と経営者としての利益も得ることができるようになり、これほどうまい 話はない。
二、今回の革命の結果、起業ブームが起きたが、失敗に終わる危険もある。投資だけして 管理しないというようなやり方では大きなリスクを伴う。そこで経営に参加し、日本での経 験や技術を中国側に授けることによって長短補い合い、互いに利益を得るようにすべきで ある。
三、我が国は国土が狭く、商工業によって国を立てるしかないが、商工業立国を実現する ためには、中国市場が不可欠である。革命後に現れた起業ブームを見れば、対中政策の確定 が焦眉の急務であることは火をみるより明らかである。日中合弁企業を起こすことに、もは や躊躇は許されない。中国の原料、労働力と日本の豊富な資金を結びつけることは、欧米列 強に対抗するための有効な方法である。
四、外国人や資の侵入に伴って排日の気運も次第に高まっており、日本人が中国で各種事 業を展開することは中国人の反感を招くであろう。合弁の形を採って中国人名義で事業を 展開するやり方は有益である。」4
以上によって、1910 年代における日中最初の合弁企業が取り組んだのは、両国にとって も有利であり、「国益」になる事業であった。中国興業公司は 1913 年 8 月 11 日に中国の 不安定な政局と日本財界の激しい議論と調査の中に成立した。
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渋沢栄一は「経済に国境無く、実業に南北(の区別なし)」5を提出し、「彼我両国民一 般に遍く行き亘るべき、共同の資金を供給して、一方我が国の強固なる経済的基盤をつく るとともに、支那の国富を増進セしむべき、機関を創設すること」6という日本と中国の経 済に貢献するという思いが理念に込められている。
一方、「アジア主義」の思想は、当時アジアの立場で日中両国同文同種、共存共栄のた めであった。しかし、李廷江(2003、p.303)によれば、「日清以前、渋沢が日中両国は 互いに長短補い合うべきだと考えていたが、その後の両国の力関係の変化に伴い、次第に 日本を東亜盟主とすべきだという考え方へと転換していった。日露戦争後、理念では日中 両国が経済提携を目指す共栄を原則としたが、実際には中国に親日政権を扶植することが できれば、中国においてより多くの経済、政治、軍事的な利権を獲得することができると 考えていたのである。」
前述によれば、中国興業公司の設立は日本財界が中国進出する起源であった。改革開放 以来、中国企業は日本から技術や資本などの支援が大きく、1978 年後半から「カラーテレ ビ国産化プロジェクト」と「上海宝山製鉄所プラント」7は日中経済連携のもっとも注目さ れた出来事であった。
1978 年 10 月 28 日、鄧小平は大阪府にあった松下電器(現パナソニック)を訪ね、「近 代化をお手伝いいただきたい」と松下幸之助に伝えた。松下幸之助は「なんぼでもねえ、お 手伝いいたします」と答え、「21 世紀はね、世界の繁栄の中心はアジアに来ると思う。中 国と日本が中心になります」と言った。そして、パナソニックの中国事業を初期に手がけた 青木俊一郎は「創業者は、繁栄による幸福について真剣に考えていた」と振り返る。8
廖婉婷(2014、p.107)は「中国政府は外国企業の製造業直接投資を 1980 年代当初は合 弁に限って許可しており、日本企業の中国向直接投資としては 1980 年代前半までは日立 製作所の福建省でのカラーテレビ製造合弁事業、松下電器の北京でのブラウン管製造合弁 事業など、限られたものでしかなかった」と述べた。そして、天野(2005、p.116)によ れば、1980 年代は、中国側の要請に応じて、「日本の部材メーカーは現地の国有企業と合 弁事業を行い、基幹部品の輸入代替化に寄与した」のであった。
その後、1992 年鄧小平の「南巡講話」9をきっかけに、対外開放政策を本格化し、新た な対中投資ブームを招いた。
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2001 年、中国 WTO 加盟以来、中国市場の開放につれて、外国企業の中国への直接投資が 急増している。一方、グローバル化に対応するため、世界市場の競争が激しい中、資源や 労働力などが比較優位である中国は外国企業の進出対象として注目されている。
現在、日本企業の対中投資の現状について、日本貿易振興機構(ジェトロ)の海外調査 部が 2018 年 6 月に実施した「2017 年の対中直接投資動向」の結果は以下のようであっ た。
「2017 年の対中直接投資実行額は、前年比 4.0%増(ドルベース)となった。前年の 2016 年は 2012 年以来 4 年ぶりに前年比減少に転じたが、2017 年はプラスの伸びを回復 し、実行額も過去最高を記録した。業種別にみると、製造業が 5.6%減となる中、非製造業 は不 動産、卸・小売りなどが減少したものの、情報通信・コンピュータサービスの大幅 増などを受けて 7.5%増となった。国・地域別では、1 位の香港が 13.5%増となり、構成比 は 7 割を超えた。日本は 2012 年以来 5 年ぶりにプラスの伸びとなり、順位も 2016 年の 7 位から 5 位へ上昇した。」
浦上(2018、p.27)によれば、世界の対中直投資実行額の推進(金融業向けの除く)は 以下のようである。
図表 6-1:世界の対中直投資実行額の推移(金融業向けの除く)
(出典:浦上清(2018、p.27)「中国企業との連携を考える−ビジネス連携の今日的意 義―」株式会社東レ経営研究所)
以上の表に示したように、世界の対中直投資実行額(金融業向けの除く)は全体的には 推進し、2017 年は 2016 年より 4%増加している。その中で、独資企業とその他の企業形 態別による対中直投資は前年より増加しているが、中国市場環境と政府の政策の変化によ る合弁企業の企業形態に基づく投資は減少している。