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 昭和6年8月5日付の『東京朝日新聞』に,田中隆三文相の学制改革 案(資料②)が発表された。田中文相は,かねてから学校制度全般にわ taる根本的改革を断行するつもりで,たびたび文部省省議を開いており,

4日の省議においてその大綱が決まり,今回の発表となったのである。

『東京朝日新聞』の伝えるところによると,学制改革は学年短縮と完成 教育を目標としているものである。(D

 この田中文相の学制改革案に対して,阿部重孝は, 「学制改革案を評 す」(2)において批評を加えている。

 阿部は,新聞に発表された案そのものは改革案の大綱だけであるから,

これだけでは「立ち入った批評さえも出来ぬほど」のものであると云う。

しかし,そこを敢えて批評することにしたのには,2つの理由があると している。その1つは,改革案の発表にともなって教育者の反対運動が 起こったが,その反対運動において「言論が十分につくされていないこ

とを遺憾とする」からである。他の1つは,阿部重孝自身が教育研究会 に参加しており, 「一見、文部省案に似た改革案を既に発表している」

からである。(3)

 文部省案に似た改革案というのは,昭和6年5月に明らかにされた教 育研究会の「教育制度改革案」 (資料⑦)のことである。

 「教育制度改革案」の「例言」のところで,18名の同人が相集まり

「昨夏(昭和5年夏)来十数回の会合を重ね討議研究」の結果成った一一 案であることを述べている。

 この点について阿部は,教育研究会案は比較的多数の人々によって作 られているために,1つ1つの点ということになると「必ずしも凡ての 人の意見の一致をみることが出来なかった」と述べている。そのことに 関して阿部自身も1,2の点については「同意出来ないところ」もある

としている。しかし,教育研究会の作った「教育制度改革案」は,文部 省案と「かなり異る精神」をふくんでいるとするのである。そして,そ の異なる精神を明らかにすることが,「この批評を企てた一つの動機と なった」と述べている。従って,新聞の伝えているところをもとにして,

文部省案の根本精神と,それと学制改革案との関係する点を問題として 取り上げて批評することになったのである。(4)

 『東京朝日新聞』は,田中文相の学制改革案の目標の1つは,学年短

縮であることを伝えている。(5)

 この年限短縮について,阿部ぼ2つの見解があると云う。即ち,1つ は「大学や専門学校卒業者のみを眼中に置いての年限短縮論」である。

他の1ヒ)は「特定の学校卒業者を必ずしも問題とすることなしに,学校 系統全体の上から無駄を除く意味の年隈短縮論」である。後者について は,学校系統全体に亙って無駄があってはならないことであり,その意 味における年限短縮論は是認されるべきものである。しかし,前者は大 学や専門学校の卒業者はごく少数であり,学制全体からみて,それほど 重要ではないとしている。特に,これら少数者のtaめに他の学校組織を 犠牲にしてまで年隈短縮を企てることは,現代の教育制度においては,

「断じて許されない」ことであると述べている。そして,阿部は,田中 文相の学制改革案にみられる年限短縮は前者の短縮論であると云う。そ れは中等教育における改革をみれば明かであるとしている。(6)

 田中文相の学制改革案(資料②)の中で,初等教育,中等教育に関す

る点について次に挙げる。

一、小学校の名称を国民学校と改め修業年限は現行通り六ヶ年とする   こと

一.高等小学校、中学校、実業学校はこれを高等学校と称し修業年隈   を二ヶ年乃至四ヶ年とすること

      (資料②)

 阿部は,現制の小学校を国民学校と改称しその修業年限を6年として いること,そして,それ以上を中等教育としていることについては,異 論はないと述べている。{7)

 この点については,教育研究会案(資料⑦)にも現れている。 「第三 改革案の要領」の「三、小学校に」みられる。それは,小学校の修業年 限を6年としているが,その理由として述べられている。

義務教育を八年に延長すべしとする論は教育界に於て極めて有力なる が、義務教育年限の延長は必ずしも小学校の年隈延長を意味するもの に非ず。それ故、たとへ義務教育を八年に延長する場合に以ても、小 学校は之を六年とし其以上は中等教育となすが適当なり。

      (資料⑦)

 即ち,現行の高等小学校を廃止して,小学校6年に続く学校はすべて 中等教育の学校にするものである。

 田中文相の学制改革案では,高等学校の修業年隈を2年ないし4年と しているが,この点に関しては「議論の余地がある」としている。例え

一61一

ぱ,現制では,中学校の修業年限は5ヶ年となっている{8)が,これを4 年で打ち切るか,5年を維持するかという問題である。つまり,阿部に

よれば,中等教育の年限を何年とすべきかの問題は,1つは「その国の 維持せんとする中等教育の標準」によって,1っは「中等学校生徒の心 身の発達」によって決まると云う。ところで,第1の観点から文部省案 を批評することは不可能であるとしている。なぜなら,高等学校の4年 制を原則とするようであるが,その教育の内容を示していないからであ

る。つまり,文部省が4年制の中等学校において「如何なる教育の標準 を維持せんとするのか」を知ることができないからである。しかし,第

2の観点からみると,文部省案は満16歳までで一般の中等教育を打ち 切ろうとするものである。阿部によれば,一般の中等教育を原則として 16歳までで打ち切ることは,その教育能率をあげる上で不経済である とするのである。そして,その不経済は青年期における生徒の心身の発 達情況から生じてくるとしている。(9)

 先述のように阿部は,国民学校の修業年豆を6年とすることに賛成し ている。それは大体12歳が児童心身の発達の翠帳であることからであ る。また,共通の基礎を有し,かつ同時的取り扱いを必要とする「知識 や技能や態度や理想に穿ての教育」は,6年をもって一段落をつけるこ とができると考えているからである。児童の心身の発達の転期に応じて 生徒の色々に異なった興味や必要が顕著になる。中等教育はその異なる 興味や必要を満足させるために,学業の分化を必要とする時期に開始す べきであるとする。即ち,学校系統をどこで区切るかについては,「生 徒の心身発達の段階に深く注意する所」がなければならない問題であり,

専門学校や大学に進む少数者の立場からのみ決定される問題ではないと する。従って,今回の田中文相の意図するような学制改革全般にわたる

一62一

根本的な改革が企てられる場合には,現在の学制の不合理な点を改革す べきである。比較的に多数を占めている中等学校生徒の学習の機会を1

年短縮し,青年教育上生産的な時期にある17,18歳の青年を中等教

育の圏外に置くことは,合理的な改革とは云えない。それにも拘らず,

高等学校の修業年限を4年としているのは,多数者の教育的利益を「等 閑に附し、一国民の平均的向上を犠牲に」した,少数者のための年限短 縮であると批判しているのである。(le)

 田中文相の学制改革案の目標の他の1つは完成教育である。(11)

 この点について,阿部は,各段階の学校教育がそれ自体において完成 することは「学校教育の性質からして当然のこと」であると云う。(12)

 では,現行の制度では完成教育に関してどのような欠陥があるのであ

ろうか。

 教育研究会案は,次のような欠陥があるとしている。

現在に於ては小学校は中等学校の準備機関となり、中等学校は高等学 校及び専門学校の準備機関となり、高等学校は大学の準備機関となり、

その結果、多数の学校は上級学校の準備教育を与うることを以てその 任務とせるかの如くにして何れも其機能を発揮し得ず。かくして少数 の大学及び専門学校入学者の為に大多数の生徒の教育は犠牲にぜられ つyあり。

      (資料⑦)

 即ち,現制においては,それぞれの段階における学校がその段階にお ける教育の完成を目指しているのではなく,それに続く上級学校の準備

教育となっているのである。小学校は中等学校の,中等学校は高等学校 及び専門学校の,高等学校は大学の準備機関となっているのである。従 って,それぞれの段階における学校の機能を発揮することができず,大 学及び専門学校に進学する少数者のために,大多数の教育が犠牲にされ ているのである。

 ところで,阿部によれば,完成教育の「完成」には少なくとも2つの 意味があると云う。その1つはある程度の教育を終わって社会に出て行 く者に対してする「完成せる教育」であり,他の1つは更に高い程度の 学校に進む者に対してする「完成せる教育」である。いずれの場合にお いても,その教育が完成するかどうかは教育の内容によって決まるもの であり,修業年限や名称によるものではない。まず,その教育が完成す ることができるように内容を決定し,その内容に相当する修業年限と名 称とを決定すべきであると述べている。この完成教育の観点からすると,

田中文相の学制改革案は各段階の学校教育の内容を示していないので,

完成教育が行われるか否かは「斜なる疑問」であると云う。従って,学 校の名称をどのように変更しても,その学校教育の内容が示されない限

りは「完成教育とみることは出来ない」としている。(13)

 この点について中学校を例に挙げて説明している。現制の中学校は,

その性質上,中学校卒業後上に社会の実務に就こうとするものに必要な 教育や,更に高等の学校に進もうとする者に必要な教育をしなければな らない。それにも拘らず「従来の中学校は上級学校に進む者の必要とす る教育のみを授けて、社会の実務に就かんとする者の教育的必要を等閑 に附して」いるのが現状である。即ち,ここに予備教育とならざるを得 ない自然の成行きがあるのである。従って,これら両者の教育的必要を どのようにして満たすかが問題となるのである。そして,それは学科課

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