2.3.1 下水処理施設の最適点検・補修戦略
2.2.1で述べたように,下水処理場システムは,直列・並列に配置されたサブシステムからなる複合的な
システムを構成している.通常,下水処理システムは年中無休で24時間稼動しており,槽内には常に処理 水が存在する.また臭気の拡散を防ぐための覆蓋を有する施設も多い.このため,コンクリート構造物の 点検の実施に際しては,槽内の処理水の排水が必要であり,当該構造物を含むサブシステム全体の稼動を 停止する必要がある.しかしながら現実には,処理システムのリダンダンシーが確保されていない場合も 少なくない.このような事情から,下水道のコンクリート構造物の劣化過程に関する情報(点検データ・
補修履歴データ等)は,これまでほとんど蓄積されておらず,また,今後においても劣化過程に関する情 報を獲得することは,必ずしも容易ではない.
今後,下水道のアセットマネジメントにおいて,適切な点検・補修計画を立案し,実施していくために は,補修工事記録として入手可能である補修タイプ別の補修工事量(補修面積)等といった限られた集計的 劣化情報を有効活用していくことが重要である.
さらに,施設の劣化過程には,多くの不確実性が介在する.このため,劣化過程の不確実性を考慮しな がら,施設の点検・補修工事間隔を適切に決定することが課題となる.
以上のような問題意識の下,3章では,集計的劣化情報に基づき,劣化過程の不確実性を考慮しつつ,点 検・補修戦略に関する意思決定支援情報を提供できるような最適点検・補修モデルを定式化する.すなは ち,まず,補修工事において観測されたコンクリート版の損傷タイプ別の補修工事量(損傷面積に関する 情報)等といった集計的な劣化情報に基づき,集計的マルコフ過程として劣化モデル(集計的マルコフ劣化 ハザードモデル)を定式化する.続いて,集計的マルコフ劣化ハザードモデルの推計結果を用いて,期待 ライフサイクル費用を最小化する点検・補修間隔を求めるための最適点検・補修モデルを提案する.
なお,下水処理施設の主な劣化機構は,硫酸系腐食と非硫酸系腐食に大別することができる.3章では,
このうち非硫酸系腐食,特に中性化による鉄筋腐食を念頭において考察する.硫酸系腐食については,後 の4章で考察を行う.
2.3.2 硫酸腐食を考慮した点検・補修戦略
2.2.2で述べたように,下水道のコンクリート構造物は,化学的な劣化因子を含め,劣化機構が解明途上
にある様々な劣化因子にさらされている.
劣化現象を硫酸系腐食と非硫酸系腐食に大別したとき,非硫酸系腐食については,遊離炭酸や弱酸の存 在により,中性化の進行が促進されたものとみなすこともできる.したがって,非硫酸系の劣化因子によ る劣化過程を記述する確率論的劣化進行予測モデルとしては,3章で述べる斉次マルコフモデルが適用可 能と考える.
一方,嫌気環境下において微生物の生物化学的反応により生成される硫酸による硫酸系腐食は,きわめ
て劣化進行速度が大きく,近年ではライニングによる防食被覆層を設けることが通例となっている.防食 被覆層を有するコンクリート構造物の硫酸腐食は,ライニングが健全の間は極めて緩慢に進行し,一旦硫 酸が背面のコンクリートに到達した後は,急激かつ加速度的に進行する性質を持つ.このように,硫酸系 の腐食は,ライニング設置時点からの時間に依存するため,3章で論ずる斉次マルコフ過程による劣化過 程のモデル化は困難であり,非斉次型マルコフ過程を前提としたモデル化が必要となる.
以上のような問題意識の下,4章では,硫酸腐食環境下にある土木構造物の最適点検・補修政策を立案 するための実践的な方法論を提案するとともに,硫酸腐食環境下にある最初沈殿池を対象とした実証分析 を実施し,提案手法の適用性・有用性を実証的に検証する.
2.3.3 劣化速度が異なる施設群の補修の同期化を考慮した点検・補修戦略
2.2.1で述べたように,下水処理施設は,直列・並列に配置された複数の施設群から構成された一連の
システムとして,その機能を果たしている.個々の施設の点検・補修を実施するためには,一時的に当該 施設の稼動を停止し,排水処理を行うことが必要となる.その際,直列に配置された水処理系においては,
点検・補修を行う構造物が一部のみであっても,当該施設を含む直列の水処理系全体の稼動を停止せざる を得ない.そして,当該水処理系の稼動停止が下水処理場の処理能力の低下につながる(リダンダンシー が確保されていない)場合も少なくない.
さらに,2.2.1で述べたように,これらのサブ施設は,それぞれ異なる多様な劣化因子にさらされてお
り,各々の劣化進行速度は大きく異なる.このため,無計画な事後的補修を繰り返せば,その度にサブシ ステムが停止し,処理能力上の大きな損失となる可能性がある.
したがって,下水処理システムにおいては,傾向の異なる各々の施設の劣化進行をあらかじめ予測した 上で,計画的に点検・補修を行うことが必要である.また,点検・補修戦略の立案にあたっては,劣化傾 向の異なる個々の施設の点検・補修の時期を,不確実性も考慮の上で可能な限り同期化し,処理能力の低 下による損失を最小限にとどめるよう配慮することが重要である.
以上のような問題意識の下,5章では,複数種別の施設群からなる水処理系統全体の点検・補修サイク ルの同期化を考慮した下水処理施設のアセットマネジメントシステムを提案する.ここでは,まず,直列 的なサブ施設で構成される水処理系の一連の施設群を対象に,3章および4章で得られた知見に基づき,
個々のサブ施設の劣化進行をマルコフ過程によって表現する.続いて,個々のサブ施設の点検・補修周期 の同期化を考慮した水処理系施設全体の点検・補修計画の立案方法を提案する.さらに,標準的な水処理 系施設全体を対象としたケーススタディを実施して,同期化政策の有用性に関する考察を行う.
2.3.4 下水道管理会計システムの構築
公共下水道事業は,地方財政法上の公営企業に位置づけられており,下水道事業の経営には,一般会計 との間の適正な経費負担区分(雨水公費・汚水私費の原則)を前提とした独立採算制の原則が適用される.
下水道事業には,本来の目的である公共の福祉の増進に加えて,「常に企業の経済性を発揮する(地方公営
企業法)」ことが求められる.
現状の下水道経営は,極めて厳しい財政状況に置かれており,一般会計からの基準外の費用繰入等によ り事業運営がなされている場合が多い.下水道事業債の借入残高は33兆円を超え,その元利償還費は下水 道管理費全体の約7割を占めるに至っている.さらに,下水道施設の老朽化が進展し,近い将来には膨大 な維持補修需要や再構築需要が発生すると予想される.経営の健全化・効率化へ向けて鋭意努力が重ねら れているが,今後さらなる財政状態の悪化が懸念されているところである.
このような状況の中で,下水処理施設のサービス水準を確保していくためには,長期的な財務計画と整 合が図れるような維持補修計画を策定し,効率的な施設運営を図ることが求められる.また,維持補修費・
再構築費の縮減,企業債償還計画の適正化,下水道料金の適正化にあたって必要となるアカウンタビリティ の確保を目的とする下水道管理会計システムの構築が望まれる.
下水道施設のアセットマネジメント問題は,一般土木構造物のそれとは異なる特殊性を有している.例 えば,下水道施設は,土木構造物,建築物,各種設備・機器等々,管理・保全方式の異なる複数の資産群 から構成されている.さらに,補修費を賄うべき下水道収入から再構築費の資金調達のための起債に至る まで,様々な財源が内包されている(2.2.4参照).下水道アセットマネジメントにおいて,維持管理計画 を最適化し,事業の安定性・継続性を確保していくためには,異なる資産管理方式と資金調達方式を同時 に考慮したライフサイクルコスト分析が必要となる.さらに,下水道事業は公営企業としての財務会計を 有する場合も多く,財務会計と有機的に連携した管理会計を構築することが重要である.
以上のような問題意識の下,6章では,下水道管理者が下水処理施設の資産管理情報に基づいて下水処 理施設の合理的補修を執行するための下水処理施設管理会計システムを提案する.さらに,シミュレーショ ン実験により,管理会計システムの有用性を実証的に検証する.