3.5.1 データベースの作成
本研究では,3.3で開発した集計的マルコフ劣化ハザードモデルを用いて,コンクリート版の劣化予測を 試みる.マルコフ劣化ハザードモデルの推計方法に関する既存の研究16)Ä19)は,すべて個別の部材や施設 に関する損傷度の履歴データに基づいて,マルコフ劣化ハザードモデルを構成する多段階指数ハザードモ デルのパラメータを推計する方法論が採用されている.しかしながら,多くの下水処理池の点検・補修過程 では,損傷が発生した面積に関するデータのみが利用可能な場合が少なくない.しかも,個々のコンクリー ト版は面積が異なる場合が少なくない.そこで,このような異質なコンクリートの損傷度別面積データに 基づいて,マルコフ推計確率を推計することが必要となる.いま,下水池の劣化過程に関する情報が,点 検・補修時における損傷度別補修面積データとして記録されていると考えよう.施設管理者は,複数の下水 処理池を同時に管理しており,これらの下水処理池は,面積が異なるK個のコンクリート版で構成されて いる.いま,コンクリート版k(k= 1;ÅÅÅ; K)に関して,初期時刻ñt0を含めた時刻ñtrk (rk = 0;ÅÅÅ; Tk)で点 検・補修工事が実施され,合計Tk回の工事実績データが残存しているとしよう.ここに,記号「 」は,実ñ 績値であることを意味する.点検・補修時刻ñtrkにおいては,前回の点検時刻ñtrkÄ1からの経過時間zñrkと,時 刻ñtrkにおける損傷度別面積añrk,および補修後の損傷度面積a~rkに関するデータírk=fzñrk;a(tñ rk);a(t~ rk)g が入手可能である.さらに,すべての点検履歴データの集合をÇ =fírk:rk = 0;ÅÅÅ; Tk;k= 1;ÅÅÅ; Kgと 表そう.劣化予測を行うためには,これらの過去の点検履歴情報から,マルコフ推移確率を推計すること が必要となる.
3.5.2 マルコフ劣化モデル
マルコフ推移確率は,マルコフ劣化ハザードモデルを用いて推計できる.マルコフ劣化ハザードモデル の詳細は参考文献8)に譲り,ここではモデルの概要のみを説明する.いま,説明の便宜上,再びコンクリー ト版kのあるメッシュの劣化過程に着目しよう.メッシュの添え字sの記述を省略する.コンクリート版k の損傷度i(i= 1;ÅÅÅ; MÄ1)の寿命(その損傷度が継続する時間長)を確率変数êikで表す.損傷度iの寿命 が,確率密度関数fik(êik),分布関数Fik(êik)に従うと仮定する.対象とするメッシュにおいて,損傷度が変 化した時刻tki (i= 0;ÅÅÅ; MÄ1)を起点とする時間軸(以下,サンプル時間軸と呼ぶ)を考えよう.損傷度 iのサンプル時間軸上で,カレンダー時刻tkiÄ1からの経過時間をyikと表記する.定義より,時刻tkiÄ1では yik = 0となる.ここで,時刻tkiÄ1に損傷度がiとなり,そこから時間ykiが経過した時刻において損傷度が
i+ 1に変化する確率密度を指数ハザード関数
ïki(yki) =ïki (3.23)
を用いて表現する.指数ハザード関数を用いることにより,劣化過程が過去の履歴に依存しないというマ ルコフ性を表現できる.指数ハザード関数を用いれば,損傷度iの寿命がyik以上となる確率F~ik(yki)は,
F~ik(yki) = exp(Äïkiyki) (3.24) と表現できる.したがって,時刻trkにおいて損傷度がiと判定され,次の検査時刻trk+1=trk+zrkにお いても損傷度がiと判定される確率は,
pkii = exp(Äïkizrk) (3.25)
となる.ただし,zrkは2つの点検・補修時刻の間隔を表す.さらに,検査時刻trkとtrk+1の間で損傷度が iからj (> i)に推移するマルコフ推移確率pkij(zrk) (i= 1;ÅÅÅ; MÄ1;j =i;ÅÅÅ; M)は,
pkij(zrk) = Prob[h(trk) =jjh(trkÄ1) =i]
= Xj m=i
mÄY1 s=i
ïks ïksÄïkm
jÄY1 s=m
ïks
ïks+1Äïkmexp(Äïkmzrk)
(i= 1;ÅÅÅ; MÄ1;j=i+ 1;ÅÅÅ; M) (3.26) と表すことができる8).ただし,表記上の規則として,
8<
: QmÄ1
s=i ïks
ïksÄïkm = 1 (m=iの時) QjÄ1
s=m ïks
ïks+1Äïkm = 1 (m=jの時) が成立すると考える.さらに,表記の便宜上,
jÄ1Y
s=i;6=m
ïks
ïksÄïkmexp(Äïkmzrk)
=
mÄ1Y
s=i
ïks ïksÄïkm
jÄ1Y
s=m
ïks
ïks+1Äïkmexp(Äïjmzrk)
と簡略化する.また,pkiM(ztk)に関しては,マルコフ推移確率の条件より次式で表せる.
pkiM(zrk) = 1Ä
MXÄ1 j=i
pkij(zrk) (3.27)
(i= 1;ÅÅÅ; MÄ1)
3.8 14.3
6
4.2 5 7.3
8.8 12.5
4
3.8 3 9.7
5.3 2 9.3
6.3 1 9.7
液 相 部 気 相 部
3.8 14.3
6
4.2 5 7.3
8.8 12.5
4
3.8 3 9.7
5.3 2 9.3
6.3 1 9.7
液 相 部 気 相 部
8 .7 11 9.0
8 .7 15.3
12
6 .7 11.7
14
6 .7 13 8.7
8 .0 10 9.7
11 .0 9 8.3
10 .0 14.0
8
9 .3 7 7.7
液 相 部 気 相 部
8 .7 11 9.0
8 .7 15.3
12
6 .7 11.7
14
6 .7 13 8.7
8 .0 10 9.7
11 .0 9 8.3
10 .0 14.0
8
9 .3 7 7.7
液 相 部 気 相 部
2
1
3
5
4
a池
7
10
17 9
b池
8
11
12 15
6
2
3 4
5 6
7 8 9
10
1 1 1 2
13 1 4
2
1
3
5
4
a池
7
10
17 9
b池
8
11
12 15
6
2
3 4
5 6
7 8 9
10
1 1 1 2
13 1 4
18 .4 10~20
873.8 1~10
面 積[m2] 劣 化 厚[m m ]
18 .4 10~20
873.8 1~10
面 積[m2] 劣 化 厚[m m ]
最 初 沈 殿 池a 劣 化 部 除 去 深 さ[m m ]
最 初 沈 殿 池b 劣 化 部 除 去 深 さ[m m ]
工 事 内 訳 :劣 化 部 除 去 工
図3.4 工事実績データの事例
3.5.3 モデルの推計方法
マルコフ劣化ハザードモデル(3.25),(3.26)を,点検履歴情報Çを用いて推計する方法を提案する.いま,
あるコンクリート版k(k= 1;ÅÅÅ; K)に着目しよう.コンクリート版kの劣化過程を特徴づけるハザード率 ïki (i= 1;ÅÅÅ; IÄ1;k= 1;ÅÅÅ; K)は施設の特性ベクトルに依存して変化すると考え,ハザード率ïkiを特 性ベクトルxkを用いて
ïki =xkå0i (3.28)
と表そう.ただし,åi= (åi;1;ÅÅÅ; åi;H)は未知パラメータåi;h(h= 1;ÅÅÅ; H)による行ベクトル,記号「0」 は転置操作を表す.また,xk1= 1より,åi;1は定数項を表す.ここで,前回の点検時刻ñtrkÄ1における損傷 度別相対頻度分布を
ôrkÄ1=Ä
ôr1kÄ1;ÅÅÅ; ôrMkÄ1Å
(3.29) と表そう.ただし,ôrikÄ1(i= 1;ÅÅÅ; M)は,点検時刻ñtrkÄ1において,コンクリート版kの総面積に損傷度 iの損傷箇所の面積が占める割合を表す.時刻ñtrkÄ1と時刻ñtrk = ñtrkÄ1+ ñzrkにおいて点検・補修間隔zñrkに おける推移確率行列を
pk(ñzrk) = 0 BB
@
pk11(ñzrk) ÅÅÅ pkM1(ñzrk) ... . .. ... pkM1(ñzrk) ÅÅÅ pkM M(ñzrk)
1 CC
A (3.30)
と表せば,時刻ñtrkÄ1で評価した時刻ñtrkにおける損傷度別相対頻度の予測値ôrikは
ôrik =ôrkÄ1pk(ñzrk) (3.31)
表3.1 損傷度ランクの定義 損傷度ランク 劣化過程 劣化過程の定義
1 潜伏期 中性化深さが鋼材の腐食発生限界に到達するまでの期間 2 進展期 鋼材の腐食開始から腐食ひび割れ発生までの期間 3 加速期 腐食ひび割れ発生により鋼材の腐食速度が増大する期間 4 劣化期 鋼材の腐食量の増加により耐荷力の低下が顕著な期間
と表される.式(3.31)を具体的に書けば,
ôjrk = Xj
i=1
ôrikÄ1pkij(ñzrk) (r= 1;ÅÅÅ; I) (3.32) と表される.行和と列和の順序を入れ替えれば,相対頻度ôjrkに関して
XI j=1
ôjrk = XI j=1
Xj i=1
ôrikÄ1pkij(zrk)
= XI i=1
XI j=i
ôrikÄ1pkij(zrk) = XI
i=1
ôrikÄ1= 1
が成立する.ここで,時刻ñtrkにおいて観測された損傷度別頻度分布の観測値をeñrjkと表そう.この時,観測 値ベクトル
erk= (ñer1k;ÅÅÅ;ñerMk) (3.33) が生起する確率密度(尤度)Lrk(írk :å)は,多項分布
Lrk(írk) =f(ñerk)
= Sk! ñ
er1k!ÅÅÅeñrMk! YM j=1
(ôrjk)ñerkj (3.34) と表される.したがって,観測値が生起する同時生起分布は
L(Çrk) = YK k=1
Tk
Y
rk=1
f(ñerk)
/ YK k=1
Tk
Y
rk=1
YM j=1
(ôjrk)ñerkj (3.35)
と表される.ただし,ôjrkは式(3.32)で表される.さらに,式(3.32)に含まれる推移確率pkij(ñzrk)が,マル コフ劣化ハザードモデル(3.25),(3.26)を用いて表現されることに着目しよう.推移確率pkij(ñzrk)が,ハザー ド率(3.28)の未知パラメータå= (å1;ÅÅÅ;åMÄ1)の関数であることを明示的に示すためにpkij(ñzrk :å)と 表記しよう.したがって,対数尤度関数は(定数項を省略すれば),
lnL(Ç :å) = XK k=1
Tk
X
rk=1
XM j=1
ñ erjklnôrjk
= XK k=1
Tk
X
rk=1
XM j=1
ñ erjkln
(Xj
i=1
ôrikÄ1pkij(ñzrk :å) )
と表される.対数尤度関数(3.36)を最大にするようなパラメータ値åの最尤推計量は
@lnL(Ç : ^å)
@åih = 0 (3.37)
(i= 1;ÅÅÅ; MÄ1;h= 1;ÅÅÅ; H)
を同時に満足するå^ =( ^å1;1;ÅÅÅ;å^i;h;ÅÅÅ;å^MÄ1;H)として与えられる.さらに,パラメータの漸近的な共分 散行列の推計量Ü^(^å)は,
Ü^(^å) =
"
@2lnL(Ç : ^å)
@åih@åi0h0
#Ä1
(3.38) と表すことができる20);21).ただし,上式の右辺の逆行列は@2lnL(Ç : ^å)=@åih@åi0h0を要素とする(MÄ 1)HÇ(M Ä1)H次のFisher情報行列21)の逆行列である.パラメータの最尤推計量は,(MÄ1)H次元の 非線形連立方程式(3.37)を解くことにより得られる.本研究では,ニュートン・ラフソン法により最尤推 計量を求めることとした.最尤推計量å^を求めれば,共分散行列の推計量Ü^(^å)を用いてtÄ検定統計量を 推計できる.
3.6 適用事例
3.6.1 適用事例の概要
本研究で提案した最適点検・補修モデルの有効性を検証するために,下水処理施設のアセットマネジメ ントを分析対象としてとりあげる.下水処理施設は,処理前の下水が流入する着水井から,処理の最終段 階にあたる消毒槽までの一連の施設により構成される(図3.1)が,本研究では損傷として非硫酸系腐食の 劣化過程をモデル化するために,好気型の反応タンク,最終沈殿池のコンクリート版を具体的な対象とす る.残念ながら,現時点において下水処理池のコンクリート版の劣化過程に関するデータはほとんど蓄積 されていない.コンクリート版の補修工事実績に関するデータのみが利用可能である.本研究では,これ まで蓄積された数少ない工事実績データに基づいて,集計的マルコフ劣化ハザードモデルを推計した.工 事実績データは,図3.4に示すように,コンクリート版における補修箇所ならびに損傷の程度,補修工法 が記載されているのみである(ただし,図3.4はあくまでも工事実績データの記載事例を示したものであ り,モデル推計に用いた実績データとは異なっていることを断っておく).現在のところ,工事実績デー タも1つの下水道処理場に関するコンクリート版に関するデータのみが入手可能である.このように本研 究で用いるデータベースは,試行的に作成したデータベースのプロトタイプとも言うべきものである.今 後,工事実績データが増加すれば,下水処理施設の劣化過程を表す本格的なデータベースを作成すること が可能である.このように,本研究では極めて限られたプロトタイプ・データベースを用いて集計的マル コフ劣化ハザードモデルを推計する.当然のことながら,本モデルの実用性を検討するためには,今後工 事実績データを蓄積して,マルコフ劣化ハザードモデルの推計精度を向上させることが必要である.
対象とした下水処理施設は,4つの汚水処理池で構成される.1つの処理池は,5つのコンクリート版で 構成されている.各コンクリート版k (k= 1;ÅÅÅ;20)に関して,初期時刻と補修時刻ñtkにおける損傷度別
表3.2 損傷度ランクと中性化深さの関係 損傷度ランク 中性化深さ
1 0~3.5cm
2 3.5~6.0cm 3 6.0~8.0cm
4 8cm以上
表3.3 マルコフ劣化ハザードモデルの推計結果 損傷度 定数項 利用目的
åi;1 åi;2
1 0.1119 -0.0835 (59.08) (-32.69) 2 0.0770 -0.0476 (17.55) (-7.24) 3 0.1006 -0.0736 (16.01) (-8.89) 注)括弧内はtÄ値を示している.
の延べ面積ベクトルa~kに関する情報が入手可能である.ただし,初期時点からの経過時間はzñkと表される.
本来であれば,説明変数として,コンクリート版の構造特性,環境条件などを表現する指標を取り上げる べきである.しかし,データの入手上の制約から,好気型反応タンク(以下,タイプAと呼ぶ),最終沈殿 池(タイプB)という処理池の利用目的を表すダミー変数のみを採用することとした.下水処理場のアセッ トマネジメントの実際を考えれば,コンクリート版が液相部にあるか,気相部にあるかといった環境条件 を採用することが望ましいが,データの制約で環境条件を説明変数として取り上げることは断念した.な お,本研究では下水処理施設の非硫酸系腐食,すなわちコンクリート版の中性化を念頭においているため,
下水処理施設の損傷度は,土木学会コンクリート標準示方書22)に従って,表3.1に示す4段階(M =4)と する.また,実際の中性化に対する損傷度については,腐食状態の指標として中性化深さが採用されてい る.損傷度と中性化の関係を表3.2に示している.
3.6.2 推計結果
前節で設定したプロトタイプ・データベースに基づいて,マルコフ劣化ハザードモデルを推計した.同 データベースでは損傷度が4段階のレーティングで評価されている.したがって,損傷度4の状態を除く合 計3つのレーティングに対して,3つのマルコフ劣化ハザードモデルを定義できる.コンクリート版の構造 特性や環境条件を表す説明変数xk = (xk1; xk2)として,xk1 = 1:定数項,xk2:処理池の利用目的という説明 変数を採用した.これより,マルコフ劣化ハザードモデルは,
íik=åi;1+xk2åi;2 (i= 1;ÅÅÅ;3;k= 1;2) (3.39) と表される.また,xk2は,
xk2=
( 0 好気型反応タンクのとき
(3.40)