転を三月いっぱいで終了したが︑他の学部に先がけて近代的な施設を持ち︑昭和三十二年度をもって新しい時代にはいつ
たと
いう
こと
がで
きる
︒
竣功した新営工半は︑研究棟・管理棟・図書館などを含む鉄筋コンクリートの建造物と講義棟・演習棟の木造建築から
成っていた︒この五福キャンパスは︑戦後に旧富山師範学校が大学昇格に備え︑戦災で焼失の校舎再建地として︑富山M
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と大蔵省に交渉し︑旧聯隊跡地の転用を許可されたもので︑四万八千坪の広さがあ
った︒ジョンソン氏は大学敷地を一ケ所に集中統合するのが望ましいと力説し︑隣接の旧練兵場跡の転用をも示唆したが
長谷川師範学校長もさすがそこ迄は気が引けたという︒師範学校は富大教育学部に昇格し︑新しく木造モルタル塗の校舎
が建ち︑焼け残った旧兵舎と共に︑教棟と管理棟に充てていた︒
そこへ正門に近く︑教育学部の旧兵舎部分に向い合う地点が経済学部の敷地として選定され︑校舎建築は県の手で施工
せられた︒それは鉄筋コンクリート建造物︵計二九八
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平方
米の
四階
建︑
一部が三階建︶と木造建築物から成り︑五福原
頭にそびえて大学らしい偉容を現わした︒当時として富大唯一の鉄筋校舎であった︒木造部分は︑
め︑計二八四三平方米に達し︑講義室と演習室が一七を数えた︒この新営建造物は研究と授業に益することが頗る大であ 図書館の管理棟を含
っ た
当時は資格面積の基準も弛やかで︑しかも文部省予算によらぬ県負担という関係もあり︑県サイドの配慮も活かされ︑ ︒
学部のスケールから見てゆったりした結構を思わせた︒その後︑地方財政法の改正により︑地方公共団体の予算で国立学
校を建造することは認められなくなった︒
教官組織の整備とカリキュラムの改正
五福移転に先だっ昭和三十一年には大熊教授︑柴田篤蔵助手が退職し︑経営学1の野崎富作教授︑経済学1の内田穣吉 講師︑法学3の中村一彦助手がそれぞれ蓮町キャンパスに着任した︒昭和三十一年度の第四代学部長には渡植彦太郎教授が就任した︒昭和三十二年度の初に竹林助手が転任したが︑経営学1の飯原慶雄助手︑法学2
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︒
昭和三十二年度の第五代学部長には土生滋穂教授が就任し新校舎への移転を完了した︒一方︑すでに助手として着任した
諸教官の多くが講師または助教授として講義を実施していたので︑五福時代の閉幕は教官組織が実質的に整備された段階
からということになる︒後に述べるように︑経済学部経済学会や富山大学北陸経済研究所などの学内の重要な研究機関も
昭和三十二年度に基礎ができ上ったのである︒
授業科目については昭和三十二年十月四日に中規模の改正が行われた︒改正の要点は次の如くである︒
三 十 二 年 度 学 科 目 表 の 改 正 点
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︒ 以上の改正の結果︑必修科目は従来より四単位増えて五四単位︑選択科目は従来より四単位減って三
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単位を履修することが必要となった︒すなわち︑昭和三十一年学科目表が選択科目をより重視する立場をとっていたが︑昭和三十二年度
学科目表では必修科目を重視する方針への転化がみられる︒また︑新学科目表では各講座に選択科目として特殊講義をお
くことができる旨が備考として明記された︒特殊講義は昭和三十一年度科目表から外されていたが︑教授会の中合せとし
てはおくことができることになっていた︒新学科目表はこの点を明記することになったのである︒学科目表は昭和三十二
年度以降は基礎的に変更されることなく推移した︒ただ︑昭和三十八年度入学生から︑専門課程に進入の直後から実施さ
れていた従来のプロゼミナール制度は廃止された︒したがって︑ゼミナール制度は三年次から始まるわけであり︑単位に
ついても演習および卒業論文一
O
単位が演習4単位︑卒業論文六単位と分けて認定されることになった︒次に昭和三十一年度入学生に対する講義実施計画表を掲げる︒同表から知られるように︑学科目のほとんどすべてが三
十一年度入学生に対して開講することが可能になっており︑しかも︑専門課程の聞に開講される学科目の単位は合計一九
︒︵演習および卒業論文の一
O
単位を含まない﹀単位であるが︑そのうち学部外の非常勤講師に依存するものは僅かに二四単位に過ぎず︑他の一六六単位はすべて専任教官の手で認定することができるようになったのである︒
当時は教養部が未だ独立しておらず︑完全横割制も確立していなかった︒そこで本学部は二年次の後期から専門課程の
講義を自由に実施していたのである︒
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