• 検索結果がありません。

現在の チャ ンパイ 朝鮮族は, 朝鮮半島から 流A ᄂ た朝鮮民族の本ᄉあるいは彼 ら の 後代 であるo チャンパイ朝鮮族ᄉ口の流入につレ、ては清代の統制時代まで通ることができる0 東北地域で勢力を拡ᄎᄂたマン族は 1644 年に明を滅ぼう ᄂ, 清代を樹立する。 この時 期,大部分のマン族部落は軍隊と いっ ᄂ ょに関内地域に移動 ᄂた0 1677 年に清政府はチャ ンパイ 山周辺と ヤᅳルー江,ト ゥᅳメン江の北部の地域を民族発祥地と ᄂて定め,封禁ᄂ,

他民族の流入を厳重に警戒 ᄂた。ヤᅳルᅳ江の北部の広い地域のᄉ ロは減少 ᄂ,荒涼地域 となったo

1820 年代の中葉,朝鮮北部のヤᅳルᅳ江の上流に位置するハムギヨン ド (咸鏡道) 一帯 には,数年にわた って自 然災害が発生 ᄂ, 百姓の生活は維持 ᄂてい くこと ができ なくなっ た。 そこで,朝鮮ᄉたちは生存を求め,ヤールᅳ江の上流から川を越えて, チャンパイ境内 に流入ᄂ始めた0 初期には朝に越境ᄂて一日耕作ᄂ,日暮れと ともに帰っていく「朝耕暮 帰 J に始まり,次第に春に越境 ᄂて農作を続け,秋の収獲後に帰っていく「春来秋帰」へと 移行 ᄂ,徐々 に長期的農作のための移住へ と 移っていったと I 、われている。

このよう にヤᅳルᅳ江と トゥーメ ン江南岸の朝鮮ᄉは絶え間なく 封禁の地に流A ᄂた ため, 清政府と朝鮮政府との間で外交紛争が発生ᄂた0 清政府は巡視を強化する措置をと たが,朝鮮ᄉの越江私塾を阻止する こ と ができなかっ た。

『チャンパイ状況』( 日本版) の記載に よれば,1831 年,モーアル (帽儿) 山の北湯河ᅳ帯 に 2 世帯の朝鮮ᄉが居住を始めた0 1845 年 18 名の朝鮮ᄉが リ ンチアン市に移住 ᄂ, 翌年 は 20 名 以上の朝鮮ᄉがチᅳタオコウ (七道溝) に移住 ᄂた0 1852 年,ハムギヨン ド地域か ら 10 名以上の朝鮮ᄉが移住 ᄂて開塾ᄂ始めた。 これらの朝鮮ᄉたちが近代朝鮮からチャ ンパイに流 A ᄂ た初期の移住民と されている。

清政府のヤᅳルᅳ江と ト ゥーメ ン江北岸に対する封禁政策は 1845 年に至って徐々 に緩 んできた。この時期において朝鮮政府は「三政」政策2を実施ᄂ 農民たちは残酷に捧取さ れた。さらに,1861 年,1863 年, 1866 年朝鮮北部地域でᄎ水害が発生 ᄂた 0 また, 1869 年と 1870 年は 2 年にわたり 干害が発生 ᄂ,生きていく ことが困難になり, 多く の朝鮮ᄉがチャ ンパイ 地域に越境 ᄂ,移住を始めた 0 これによ り,1881 年,チャンパイ に移住 ᄂた朝鮮族は 1,350 戸,시 H が 5,630 ᄉ以上に達ᄂた 0 そ ᄂて,1910 年以降からチャンパイ 朝鮮族 自治県 の朝鮮族ᄉ ロは急増ᄂた。1925 年時点におけるチャンパイ朝鮮族は 2,452 戸で,ᄉᄆは 12,620 ᄉ に達ᄂた 0 さらに,1936 年から抗日 戦争に よ り , チャンパイ に移住 ᄂ た朝鮮ᄉ移 住民は 4’ 257 戸,総ᄉ 口 は 24’ 349 ᄉ (1937 年) に達 ᄂた3。

1945 年に 日 本が敗戦 ᄂ, 1949 年に 中華ᄉ民共和国が成立 ᄂた40 新 中国の成立の際,チャ ンパイ 朝鮮族 自治県の総ᄉ ロ は 33,692 ᄉ,その内,朝鮮族は 12,924 人で,総시 3 38. 4%

を占めていたo 共産党の民族政策のもとに,また当地の実況に応じて,次々 に 自治区, 自治 村, 自治郷などが成 立 니 958 年 9 月 15 日にチャンパイ朝鮮族 自治県が成立ᄂた。

図 2-8 をみると,1945 年から 1978 年にかけてチャンパイ朝鮮族 自治県の朝鮮族ᄉᄆ は 不安定な数値を示ᄂている0 この時期の歴史背景を考える と, 光復の初期,中華ᄉ民共和 国の成立初期,朝鮮戦争の開始, 中国の文化ᄎ革命などの歴史事件があげられる0 これら の歴史背景による社会の不安定性が朝鮮族ᄉロの発展に影響を与えたのである0 そ ᄂて, 1988 年から 1998 年にかけてᄉ ロは増加 ᄂているが 2004 年から減少 ᄂている。2010 年に おける朝鮮族の総시 =1 は 1945 年より 多く 示されているが,その割合をみると,2010 年は 当時の华分ᄂか示されていない。さらに,チャンパイ朝鮮族 自治県国民経済と社会発展状 況統計資料によれば,2009 年と 2010 年のチャンパイ朝鮮族 自治県の朝鮮族ᄉロの増加率 は- 3. 8% と -3. 7% で ある。すなわち チャンパイ 朝鮮族 自 治県朝鮮族ᄉ □ はマ イナ ᄌ の傾向を 示 ᄂ,朝鮮族ᄉD は減少 ᄂている。

第 5 節 チャンパイ朝鮮族 自治県における朝鮮族教育

チャンパイ 朝鮮族の教育については 1910 年の民国時期まで さかのぼる ことができ るが, 本論文ではチャンパイ 朝鮮族 自治県における朝鮮族の教育の発展について主に 1986 年〜

2005 年までの段階の発展状況につし、て触れる。

まずチャンパイ朝鮮族 自治県の朝鮮族教育の歴史について見てみよう0

表 2-7 はチャンパイ朝鮮族 自治県における朝鮮族教育の発展過程歴史をまとめたもの である0 この表が示すとおり朝鮮族教育には以下のような特徴がある0 第一に,学校の数 から見れば,チャンパイ朝鮮族 自治県内の朝鮮族の独立学校は不変化であるが, 漢朝合ᅳ 学校ᅳすなわち農村部に設置されている学校は 1986 年の 38 校から 2005 年には 9 校に減 少 ᄂている0 また小学校の児童数は 1986 年の 1,121 ᄉ よ り 2004 年の 617 ᄉに減少 ᄂてい る0 これは農村部における朝鮮族のᄉ ロの減少と疲弊化によるものである。第二に,小学 校の児童数が減少 ᄂている一方,中学校の生徒数は 1986 年の 580 人よ り 2004 年の 818 ᄉに増加 ᄂている 0 そ ᄂて, 県内の朝鮮族の独立学校 (中学校と小学校) の規模もますます 拡ᄎᄂてきた0 これは,チャンパイ朝鮮族 自治県において教育の中心が農村部,すなわち 郷 と 村の レベルか ら県の レベルの都市部への集中 と,市場経済の発展やグ口 ᅳバル時代の 中 にお け る 朝鮮族の学歴の レベルア ッ プに対す る 要求が いっそう高く なったということ を示ᄂている 0 そ ᄂて, 小学校の児童数が減少する理由な どを分析すると,主に出稼ぎや ᄉ □移動によって朝鮮族の出産年齢人口が減っていく ことと関係ᄂている と考えられるo

表 2-8 はチャンパイ朝鮮族 自治県の幼稚園における朝鮮族の幼児数について整理ᄂた ものである0 チャ ンパイ朝鮮族自治県には農村部に設置された幼稚園を合わせて 8 つの幼 稚園がある。その中で,県幼稚園と二実小の幼稚園はチャンパイ朝鮮族 自治県内に設置さ れているため,相対的にᄉ数が多い0 ところが, 県内の幼稚園と農村部の幼稚園の共通点 は ,1986 年より 2005 年にかけて幼児数が減っているという ことである。特にロンカンの 幼稚園は 2001 年からの幼児数は 0 ᄉである0 チンホワ郷の幼稚園は 1986 年の 37 ᄉから 1998 年には 5 ᄉ, 1999 年と 2000 年の幼児数は 0 ᄉで, 2002 年には 5 ᄉ,2003 年に再び

38

0 ᄉ, 2005 年は 5 ᄉ というよ うな変化がみられた 0 また,シᅳサンタオコウ郷は 1986 年 より 1997 年まで幼稚園の朝鮮族ᄉ数は 0 ᄉで, 1998 年は 32 ᄉになり, 1999 年の 7 ᄉ よ り 2001 年は 3 ᄉに減少 ᄂ,2002 年より 2004 年は再び 0 ᄉになり,2005 年には 9 ᄉにな っている o

以上の数値から見れば,チャ ンパイ朝鮮族 自治県の農村部における朝鮮族の幼児数は急 激 に減っている0 そ ᄂて県内の二つの幼稚園の朝鮮族の幼児数は相対的に多いが,やはり 減少 ᄂ ている 0 このよう に農村部 に お け る 朝鮮族の幼児数が減っ ている ことから 判断で き

るのは, 朝鮮族の再生産年齢ᄉロが急激に下がっているという ことである。

表 2-9 はチャンパイ朝鮮族 自治県における朝鮮族小学校の児童数を統計ᄂたものであ る0 全県には9 つの小学校がある0 うち,二実小学校は唯ᅳの朝鮮族の独立小学校でチャ ンパイ朝鮮族 自治県內位置する。全体の児童数の変化をみれば,1986 年の 1,121 ᄉ より 1998 年が ピᅳ クで 1,218 ᄉに増えたが,2005 年には 541 ᄉに減少 ᄂた0 農村部の小学校 はすべて児童数の減少を表ᄂている 0 その中で, シンファンツᅳ中心学校は 1986 年の 13 ᄉから 1999 年に 1 ᄉ, 2000 年からは 0 ᄉになっている。また, パᅳタオコウ中心学校も 1986 年の 20 ᄉから 1995 年の 5 ᄉに減少 ᄂ,1996 年からは 0 ᄉである0 チ ャ ン パ イ朝鮮 族 自治県内に位置するに二実小学校の児童は 1986 年は 289 入, ピᅳク時の 1998 年には 700 ᄉであったが, 2005 年は 427 人に減少 ᄂている。

表 2-10 はチャンパイ朝鮮族自治県における朝鮮族 中学校の生徒数につレ、て集計ᄂたも のである。チャンパイ朝鮮族 自治県には県內に設置されている朝鮮族の独立中学校ᅳ チャ ンパイ朝鮮族 自治県第二中学校と農村部の中学校を合わせて 6 つの中学校が設置されて いるo農村部の中学校の朝鮮族の学校数は減っているが,生徒数は増えている。すなわち, 5 つの農村部の朝鮮族数は減少ᄂている。その中でもチンホワ郷 中学校とシᅳサンタオコ

ウ郷中学校は 1996 年より 生徒の数は 0 となった 0 農村部の中学校の朝鮮族の クラスが,

生徒数の減少により廃止されることで,第二中学校に転校する現象が多かった。また, クラ スが存在 ᄂて も,農村部の教育条件は県内の第二中学校よ り よくないので, もっといい環 境で勉強ᄂよう とする生徒が増え,転校する場合が多かった。 このような現象の繰り返ᄂ が, 結局は農村部の朝鮮族の生徒の減少を促進ᄂ,チャンパイ朝鮮族 自治県第二中学校に 生徒が集中するよう になったといえる。

以上の状況からチャ ンパイ 朝鮮族自 治県の朝鮮族の教育に存在する問題をあげる と,次 のようになる0 第ᅳに全体的において,チャンパイ朝鮮族 自治県の県政府の所在地である チャンパイ鎮 と農村部の幼児,児童, 生徒のᄉ数は減っているo 特に農村部は 1995 年〜

1998 年をかけてᄉ数が急激に減少ᄂている0 第二に農村部の出生率は県内の出生率より 低いという ことが推測される。 これは,90 年代以降から,出稼ぎな どによる朝鮮族のᄉ □ 移動が原因であると考えられる0 特に農村部はお金を稼げる場が非常に少ないため,요部 分の若者は外で仕事を求めるようになった o 第드にチャンパイ 朝鮮族 自治県において教育 の中心は農村部から都市部に移す現象が現れている。農村部において,被教育者の数の減 少 も 1 つの問題であるが, 朝鮮族のクラスが存在ᄂていても教育の設備や勉強の環境の面 から考える と,チャンパイ 鎮内の独立の朝鮮族学校とは比べる ことができない。それで,

関連したドキュメント