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ドキュメント内 企業権力と社会的責任 (ページ 36-41)

が,考えられるかもしれない iどのようにして達成されるにしろ,われわ れは大会社における新しいタイプの取締役会を必要としているO それは経営 者から独立的であるべきであり,会社の内部もしくは外部の単一ク勺レープに 対して忠誠を負うべきでなし

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取締役は広いヴ、ィジョンをもっ有能な人間で あるべきであり,会社の業務にかなりの時間を捧げることに対して適切な報 酬を与えられるべきである。取締役会は,会社を引運営"しようと試みるべ きでないO そのメムパーは,勧告者としての資格で行動するであろう。かれ らは,理由があれば経営主脳者を更迭し,新しいそれを任命するという権力 を有するであろうD かれらはまた,経営監査人として行動し,綿密な経営知

(22)  識に基づいて経営者の業績に関する詳細な報告を定期的に出すであろうo

かれの見解は,取締役会を改草し機能化せしめることによって経営者への チェックを実現せんとするものであるが,それは,経営機能の円前'な遂行の 可能性に配慮を行なっている点で有志設であるといえようo

3)

また,ゴイダーは,巨大企業をしてその責任を確実に遂行せしめるための 手段として,各和:の利益代表による経営参加を提案する。つまり,かれは,

株主,顧客,労働者,および地域社会の利益に関して利益代表制が設けられ るべきであると考え,労働者,消費者,および地域社会の代表もまた企業の 年次総会に出席しそこでそれぞれの利益代表を1名或いはそれ以上,取締役 会に選出するべきであると主張するのであるD そして,このためには現在の

凶)

会社法の改正がなされねばならないとする。

なお,ゴイダーは,社会監査制度の必要性も指摘しているD すなわち,そ の労使関係,価格政策,および地域社会関係、の諸領域で大企業がその社会的 責任をどのように果しているかをパブリックに定期的に知らせるような制度 が考えられねばならないとされるo そしてゴイダーはかかる監査制度はさし

問) あたり,企業によって自主的に引き受けられるべきであるとしているO

ゴイダーは責任体制を乙のように考えている。かれの捉案は,各種の利益 代表的取締役によって構成される取締役会による企業迩営体制を特色とす

四)

る。ところで,責任体制に関しては,パーリのつぎのような見解も存在す るO パーリは, ;f!J~ 関係者が企業による責任の遂行に関して,企業に訴え出 て善処を願う乙とを可能ならしめるような,なんらかの手続き的制度が大企 業において確立されることが必要であるという。そしてパーリによると,そ のような機構は,経営者が自ら自発的に設けるものであり,経営者に対して はそれ自体ではなんら強制力をもつものではないとされるoかれは,とうし た体制の実例として,ジェネラJレ・モーターズ社におけるケースを挙げてい るoそれによると,同社ではその販売代理屈との代理契約の解消に関しては 審査部門が設けられており,その契約を解消された代理日は,契約解消に反 対して会社に訴え出る権利を与えられ,上記の部門がかれの訴えを聴取す る。そしてこの部門は,企業による契約解消を取消すことも許されているの であるO パーリは,乙の例は,現われつつある企業体制の趨勢を示している

(27) 

とみるo

責任体制についてのパーりのこのような見解は,経営者の良心に専ら依存 する見解であって,それは,現存する株式会社機構の制度的な改革は考えて いないといえようo

これまで, リーガンの所説をはじめとして責任体制をめぐる代表的見解の

うちの幾っかを眺めてきたD そこにおいては,さまざまな角度から企業権力 のコントローjレのための提案がなされていた。問題は,そのような諸提案の 怠義であり,より根本的には,現代の大企業の責任体制のあり方をどう考え

るべきかである口

現代の大企業における責任体制の具体的なあり方をどのように理解すべき かということは,甚だ困難な問題であるO そのような問題を考えるにあたっ ては,なによりも,つぎのことが念頭に置かれねばならないであろうoすな わち,第ーに論議が理論的たりうるためには,考えられる責任体制の実現可 能性のいかんが,また,第二に,責任体制と効率的な経営との両立可能性の

いかんが念頭に置かれねばならないと思われるのであるo

イーノレズは,国家における統治を正当化し拘策せんとしてアメリカで歴史 的に展開されてきたところの立憲制のパターンのうちに企業立憲制のあり方

(28) 

に対する手掛りを求めているO かれは国家における統治の場合,国民の自由 を守り専制政治を阻止するための方法として,憲法を制定し法による支配 (rule of law)を存在せしめること,権力を地域的・機能的・時間的に分離 せしめること,責任支配ないし代表制支配によって統治者に責任を負わせる

こと,および個人の権利を保護することという四種の方法が,歴史的に展開 されてきているとみる。そしてかれは,国家における統治に関連してアメリ カで展開されてきたところのこのような立憲制のパターンが企業に対しても 適用されるべきであると考えるO すなわち,法の支配を意味するところの企 業憲法,企業内部における権力の分離,代表制文配,および言論・探究・出 版・団体化の諸自由に関する従業員の個人的な権利の保護という四種の権力 拘束策が企業をめぐって存在すべきことを主張する。

イーノレズは,アメリカ国家における立憲的支配のパターンを現代の大企業 の責任体制として採用せんとするが,もっともかれにあっては,そのような 体制の具体的な内容は必ずしも明確には主張されていない。企業憲法に関し てはイーノレズは,その具体的形態として定款,社是・社則,労働協約,法律 と行政規則,更には国家憲法,等を念頭に置き,乙れらの条項のうちに企業 内外の諸利害関係者の基本的な権利が記されるべきことを主張していると思

われるが,そのような諸方法のうちのいずれが主として選択されそしてそこ においていかなる内容が記されるべきかについては,明確には述べていな い。また,権力の分離および代表制支配に関しでも,イーノレズはそれらが具 体的にはいかなる形で展開されるべきかについて明言を避けているのであ る。しかしながら,現代の大企業の責任体制のあり方に対する基本的な手掛 りをば立志制なる国家統治形態に求めようとするイーノレズの所説は,それが 企業の責任体制のあり方というものを総合的に展開せんとしている点では興 味深いものがあるO

結局のところ,企業における責任体制もしくは立憲制は,イールズのいう ように,総合的に展開されねばならないと思われるoつまり,第ーに,いわ ば企業憲法といいうるものを確立しそのうちに,企業をめぐる諸ク勺レープの 正当な権利を確立することである。この場合,デヴィスらのいうような正当 な手続きも確立されねばならない。第二に,権力の分離であり,とわけ,経 営者に対するチェック機能を確立することであるO 第三に,企業経営の権力 を正当たらしめるための代表支配制度の確立であるo

このような観点に立ってリーガンはじめ諸論者の見解を眺めるとき,かれ らの見解は上述の三点についてそのいずれをも,もしくはそのいずれかを強 調するものである乙とが判明するO リーガンの所説は,チャーターの改正と 法的規制の強化,経営政策に関する検討委只会の設置,および取締役会への 利害関係者の参加を主張する点で,企業志法,権力分離,および代表支配の 三つの面の全てに触れているといえようD 他方,ゴードンの見解は権力の分 離の側面に焦点を当てているO ゴイダーの見解は代表支配の側面を,またパ ーリの見解は企業憲法のうちの正当な手続きの側面を強調するものであるo

かれらの見解はいずれも,現代の大企業の責任体制を考えるに際して有 意義であるといえようD かれらの見解における諸要素のかなりのものが,将 来の責任体制の確立に際して導入されねばならないと思われるO ただ,将来 の責任体制の具体的な論述は困難な問題であり,かれらの見解以外の角度か らも接近がなされる必要があろうO 例えば,企業憲法の側面についていうな らば,企業憲法は法やチャーターという形でのみならず,企業とその利害関

ドキュメント内 企業権力と社会的責任 (ページ 36-41)

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