叢書第1巻 の『 ル ゴン家の運命』1)は、「ル ゴン
=マ
ッカール」叢書全体のいわば序曲 と して、ル ゴン家、マ ッカール家がアデ ライー ド・ フークAd61誠de Fouqueと い う女性か らい かに して発生 したのかを示 し、併せて第二帝政社会が成立す るに至る歴史的状況を描いたものである。
また、叢書20巻 に登場する人物達にあらわれ る遺伝的気質の源 を明示す るものでもある。
既に第1章 において、パスカルの視線の考察 に関連 してこの作品について既にふれたが、
ここで更めて当作品のあ らす じを記 してお くことにす る。
小説の舞台は南フランスのプラッサ ンPlassansと い う小都市 とその周辺 におかれている。
1848年 に起 こった二月革命によって、第二共和政が布かれたが、1851年12月 のルイ・ナポ レオン(ナポ レオン
3世
)のクーデ ターによるパ リの政治的動乱は南フランスにも及んだ。政治的混乱がプラッサンにも生 じ、共和派の反体制暴動が起 こる。共和派、王党派、ボナ パルティス トの権力争いに街全体が騒然 となつていく。 この争乱を機 にアデライー ド。フ ークの長男であるピエール・ル ゴンが陰謀 をめぐらし、プラッサンの権力 と富を手に入れ ようと奔走す る。 ピエールは、パ リで政治家になつた息子の ウジェーヌ
Eugtteか
ら情報 を集 め、政治的動向をいち早 く察知 しなが ら、暴走す る共和派 を相手にボナパルティス ト にな りすま し、プラッサンの実権 を握 るため策 をめぐらす。また妻のフェ リシテF61icit6も 野心家であ り、ピエール を操 る影の指導者 して描かれている。一方、 ピエールの義理の甥 シル ヴェールが共和派にカロわ り、政府軍に捕 らえられて銃殺 されて しま う。またシル ヴェ ールの恋人 ミエ ッ トも戦闘中に倒れ る。物語はル ゴン家の野望の経緯 とともにシル ヴェー ル とミエ ッ トの純粋な愛 と革命の精神が織 り込まれて物語が進展 している。以上が『 ル ゴン家の運命』の概略である。
本論文におけるこれ までの考察を踏まえて、 この最終章で、ゾラが第二帝政の成立か ら 崩壊までの歴史 と崩壊の要因を示すために、叢書全体の序論たる第1巻『 ル ゴン家の運命』
をいかに構築 しているのかを考察 してみたい。特に、叢書における歴史的側面の完結編第 19巻『 壊滅』 との関連に注 目して、ゾラが始 ま りと終わ りをどのよ うに意識 して一時代 を 描 こうとしたかを明 らかに したい と思 う。
1.歴
史的背景 と叢書『 ル ゴン家の運命』の執筆時点では、まだ普仏戦争は開戦 していない。 この作品は第二 帝政が末期 の混乱 を呈 しは じめた1869年5月 頃に書 き始 め られたものである。そ して1870 年6月28日 か ら 「ル・ シエ クル」紙に連載小説 として掲載 されは じめた。 しか し、その3週 間後の7月 19日 には普仏戦争が勃発 し、8月 10日の時点で作品が残 り4分 の1ほど発表 されな いまま連載 を中断 されて しま う。そ して情勢がやや落ち着 きを取 り戻 した1871年3月 18日 か らよ うや く連載が再開 され、1871年3月21日に完結 した。従つて、 ゾラが叢書の構想 を 行つた1868年 か ら1869年 が、政治情勢的に混乱 を呈 しは じめ第二帝政時代の終焉 を感 じさ せ る時期であったにせ よ、普仏戦争、パ リ・ コミューンの成立 と崩壊、第二共和政の成立 な どゾラが衝撃的な体験 をした直後 とでは、叢書におけるゾラの構想 に大きな変化が生 じ たことは間違いないといえる。そ して、『 ル ゴン家の運命』か ら『 壊滅』へ と流れ る叢書 諸作品を一時代の歴史 とその崩壊 を描 くとい う一貫性のもとに成立せ しめるため、常に既 に執筆 した『 ル ゴン家の運命』へ とゾラの意識は向けられてその後の作品は書き進められ た といえる。従つて、ゾラは『 壊滅』の執筆にあた り、『 ル ゴン家の運命』を念頭におき なが ら第二帝政の終焉 を描いた と考えられ る。
それではここで、大革命後の19世 紀 フランスにおける歴史的変遷について概観 してお く ことにす る。
2)ナ
ポ レオンの失脚後、ルイ18世 が王位 につきブルボン朝が復活 した。ル イ18世は、1814年 に憲法を発布 し、二院制議会の設置、言語・思想・信仰の 自由、私有財 産の保証を約束す るな ど、ある程度 フランス革命の成果 を認める体制 を採用 したのだつた。しか し議会では貴族 0僧 侶な どの保守勢力が強 く、 自由主義者 の要求は絶えず抑圧 されて いた。
1824年王の弟であるシャルル10世 が即位す ると、言論 。出版の自由は抑圧 され、亡命貴 族への多額の損害補償やカ トリックの保護 などの反動政策が強化 された。 これによつて、
1814年の憲法は踏みに じられ ることになつた といえる。1829年 には反動政策に対す る国民 の不満が増大 し、1830年3月 には政府不信任 と1814年 の憲法 を守 ることが決議 された。 こ れに対 して政府は議会 を解散 し、極端な干渉のもとで総選挙を行つたが、新議会で も反政 府派が優勢 となつたため、7月26日 に緊急勅令 を出 し、議会政治の停止、選挙権の制限、
言語出版の厳重取 り締 ま り等を命 じたのだつた。この非常手段に対 して、小市民、労働者、
学生、知識人を中心 とす るパ リの民衆が武装蜂起 し、7月27日 か ら3日 間、市街戦が行われ
た。 この結果、シャルル10世は亡命 し、オル レアン家のルイ
=フ
ィ リップが議会 に よつて 国王 に推 され た。 この3日 間の革命 が七月革命 で あ り、新 しく成 立 した王政 が七月王政 で ある。七月革命 によつて成 立 した七月王政 (1830‑1848)は 立憲君主制 を とつていたが、実権 は 銀行家な どの大ブル ジ ョフジーが に ぎ り、制限選挙制 を と り、決 して民主的 な ものではな かつた。 しか も、貴族 。僧侶 な どの王党派 は国王ルイ
=フ
ィ リップ を王位纂奪者 と して攻 撃 してブル ボ ン家の復活 を企てていた。一方 、中小市民・ 労働者 を中心 とす る共和主義者 は、民主的共和政の実現 を 目指 し秘密結社 を組織 して反政府運動 を展 開 した。 また この頃 フランスで も産業革命 が進行 し、資本家の精力が増大す る一方 で労働者階級 の貧 困が表面 化 し、 フー リエFollrierやルイ・ ブ ランLouis Blancな どの社会主義 思想 が急速 に普及 して 労働運動 も盛 んにな つた。各 地で改革宴会Banquet de refome(1847年 の夏以来 、フ ランス の各地で開 かれた政治集会)力 `開かれ 、政府攻撃 が活発 になつた。特 に1846年 には全 国的 凶作 (農業恐慌)に
見舞 われ 、1847か ら1848年 には工業恐慌 も起 こつて失業者 が増 大 し社 会 不安 が深刻化 した。 1848年2月22日 にパ リのマ ドレーヌ広場 で開かれ た全国的改革宴会 を政府側 が武力で弾圧 しよ うと試 み たのを機 に、パ リに革命的暴動が起 こ り市街 戦へ と発 展 した。いわゆる二月革命 であ る。この結果 、国王ルイ=フ
ィ リップはイ ギ リスに亡命 し、パ リに臨時政府 が組織 され、共和政が宣言 されたのである。 これが第二共和政 であ る。
しか し、急進的な社会主義政策 はブル ジ ョワジーや フランス革命 に よつて土地所有者 と なつた農民 に不安 を与 えた。その結果 、1848年4月 の立憲議会 の選挙 (4月総 選 挙
)は
プル ジ ョワ共和派の勝利 に終 わ り、一方王党派 も進 出 したた め、労働者勢力はまた も抑圧 さ れ る。 これ に対 し労働者 は市街戦 を展開 して反抗 したが鎮圧 され (六月暴動)、 二月革命 に よって一時史上初 めて政権 に参加 した労働者勢力 も敗退 した。革命 は反動化 し、ナ ポ レ オ ン3世 の出現 に道 を開 くことにな る。
1848年
H月
に、普通選挙 による一院制議会 と人民投票 に よる大統領選 出を内容 とす る共 和 国憲法 が制 定 され 、翌月 、大統領選挙が行 われ た。 ナポ レオ ン1世の甥ルイ=ナ
ポ レオ ンがナポ レオ ン1世の栄光 を背景 に、政局の安定 を求 める農民の支持 に よって圧倒 的多数 で大統領 に当選 した。その後彼 は国内の政治的対立 を巧み に利用 しつつ政権 の強化 を図 る。彼 は、1851年12月 の クーデ ター によつて独裁権 を握 り、人民投票 によつて帝位 につ き、ナ ポ レオ ン3世 と称 した。 こ うして二月革命 の成果 は完全 に踏み に じられ て第二帝政時代 が は じまつた のであ る。
以上概観 してきたよ うに、フランスの政体はフランス革命以後、非常に短いサイ クルで 政変 している。 ゾラが『 ル ゴン家の運命』 を執筆 した時点では、第二帝政は崩壊 していな いが、それ以前の歴史的変遷 を考 えあわせて も、フランスの社会 自体が理想的な社会 を目 指 して夢想 し、理想が うち砕かれては政体が代わることを繰 り返 していることが理解 でき る。
帝政はナポ レオン1世とその甥ナポ レオン3世 が樹立 した。三度 とも共和政の後でクーデ ターによつて成立 し、戦争によつて崩壊 している。共和政はフランス革命 を発端 として展 開 し、第二共和政の成立によつて最終的にブル ジョワ共和政が確立す る。第四共和政は第 二次世界大戦後に成立 し、第二共和政 よりさらに共和主義的な憲法が定め られたが、アル ジェ リア問題 を機 に ド・ ゴールの登場 とな り、憲法が改正 され大統領 の権限が強化 された 第五共和政 となつた。 このよ うな流れ を踏まえると、フランスは革命 と戦争 とい う激動 を 通 じて民主政治が発達 していつた といえる。そのいわば近代フランスの創世期 といえる激 動の時代にゾラは生 きた。そのため、人間が創 り出そ うとす る理想の社会にフランスを導 くためには、現在の状況を赤裸々に提示 し、また過去に繰 り返 されてきた革命における失 敗の原因を明示す ることをゾラは強 く意識 したにちがいない。
なぜ1848年 の革命は成功 しなかったのか。その原因には市民階級の未成熟があげ られ る。
産業革命の進展が遅れていたフランスをは じめ とするヨーロッパ諸国では、革命勢力の主 体 となるべ き市民階級、それ と繋がる小市民、労働者階層の成熟が充分なものでな く、 し かも市民階級 と労働者の結合は弱かつた とい うよ りも、革命の進行 と共に両階級間の利害 対立が表面化 し、革命勢力が内部分裂を起 こして強力な保守勢力に圧倒 されたことも挙げ られ る。また、都市におけるこの革命勢力の内部不統一に加 えて、地方の農民 との結びつ きの欠如 も指摘できる。従つて、ゾラは、叢書において市民階級の無教養や未成熟 さを教 化す る必要性 を感 じていた もの と思われ る。第1巻の『 ル ゴン家の運命』執筆時点では、
第二帝政は崩壊 していないが、この作品に示 されたものは、結局それ以前の歴史 と同様 な 結末を迎えた第二共和政崩壊の要因を指摘す るものとなったのである。
先ほ ど述べたよ うに、第二帝政崩壊前 と崩壊後では明 らかにゾラの叢書構想 には、変化 が生 じている。彼が体験 した時代 の激変は、一時代 を描 く上での想像力 を刺激 し、彼 自身 の中に大きな変化 を生 じさせた といえる。
『 ル ゴン家の運命』は単行本 として1871年10月 14日 にラクロワ書店 よ り出版 された。 し か しその後1873年 にシャルパンテ ィエ書店 よ り出版 された第二版で、ゾラはテクス トの修