1.研究の視点と研究方法
(1)研究の視点
前章においては、日系多国籍企業における海外現地法人のオペレーションを「多国籍内 部労働市場」という視点から大量のデータにより考察をしてきた。そこで明らかになった 点は豊富であるが、前章におけるわれわれのデータ分析の発見によると、例えば日本人派 遣者の存在が経営成果にマイナスの影響を与えているという証拠はなかった。むしろ、そ ういう消極的な意味を超えて、日本人派遣者は現地採用の大卒で内部昇進した人材が多け
れば多いほど多くなる傾向があり、日本人派遣者と現地採用の大卒者はいわば車の両輪の ように機能しているということが明らかとなった。現地法人における人材の蓄積は利益率 にプラスの貢献をしているので、日本人派遣者は本社からの技術、経営ノウハウ等の現地 子会社への移転に大きく貢献していると見ることができる。第1章、第2章で指摘したよ うに、残される問題は「日本人」派遣者という国籍的な偏りの問題が残される。そこには、
日本人スタッフに過重な負担がかかっていないかどうかという問題も含まれる。
そこで、その問題を考える1つの方法として、それでは東・東南アジアにおいて欧米多 国籍企業はどのような「多国籍内部労働市場」を構築し、また実践しているのか、つまり、
日系多国籍企業において見られるような本国籍派遣者の大きな役割を超えて、国籍等を超 えた人材の活用システムの構築がどれくらいなされているのか、なされていないのか、ま たそのシステムがどの程度まで現地に適合的に活用されているのか、その場合の課題は何 か、という点を中心に検討する。さらに、その場合の課題と日本の企業への示唆にはどの ようなものがあるのだろうか、という比較の視点も入れて、当該地域でオペレーションを 行っている欧米多国籍企業の現地法人での実態を観察することにしたのである。このよう に、本章と次章では、日系企業との比較を念頭に、ヨーロッパ系ならびにアメリカ系多国 籍企業における海外現地法人のオペレーションにおける「多国籍内部労働市場」の一端を、
事例研究を通じて明らかにする。フィールドは東・東南アジア、具体的には ASEAN と香 港である(注1)。
事例企業をヨーロッパ系とアメリカ系とに分けて考察することにしたのは、第1章の図 1-4で示した用語で表現すれば、「ローカル同形化」は東・東南アジアという点では共通 であるにしても、「クロス・ナショナル同形化」・「コーポレート同形化」においては本国に おける影響があるため、ヨーロッパ系とアメリカ系とでは相互にかなり異なった傾向を示 すであろうと想定したためである。ただし、Ferner el al. (1988) などの問題意識からすれ ば、ヨーロッパ系に含まれるイギリス系企業とアメリカ系企業はアングロ・サクソン系と しては同じ分類とした方が良いという考えもあるかもしれない。この点については事例の 中で適宜、言及する。
(2)調査方法
調査方法として事例研究を採用した。10社の現地を訪問し、ヒアリング取材と資料収 集を行った。その際に、事前に共通の設問を準備し、訪問前に当該設問を送付しておき、
ヒアリング当日はその設問に沿ってインタビューを行った(注2)。
また、簡単な企業情報等に関するアンケート調査票を事前に送付し、インタビュー時に 回収するという方法をとった。アンケート調査票(Questionnaire A)ならびに共通の設問
(Questionnaire B)は本論文の巻末に添付した。
訪問できた企業は以下の10社である。すなわち、マレーシアでは①Unilever、②
Campbell Soup、③Siemensの3社、シンガポールでは④Siemens、⑤Hewlett-Packard、
⑥IBMの3社、タイでは⑦Nestle、⑧P&G、⑨ABBの3社、さらに香港では、⑩Bestfoods Asiaである。このうち、Bestfoods Asiaのみが地域本社である。
事例企業の業種は、製造業9社と製造機能も持つエンジニアリング・サービス業1社か ら成る。また事例企業を世界本社所在地によりヨーロッパ系とアメリカ系とに仮に区分し てみると、ヨーロッパ系が5社、アメリカ系も5社となる。ヨーロッパ系の世界本社所在 国は、イギリス、オランダ、ドイツ、スイスと4カ国にまたがる。
以下の叙述は、本章の第2節から第6節まで、ヨーロッパ系現地法人5社でのヒアリン グ内容を1社ずつ叙述する。叙述は、Unilever、Siemens(マレーシアとシンガポールのオ ペレーションを別々に叙述する)、Nestle、ABBの順で行う。最後の第7節ではこれらの事 例研究に基づき、「多国籍内部労働市場」の視点から検討を加える。
また、第4章では、同様の観点からアメリカ系5社について検討を加え、最後に「多国 籍内部労働市場」の視点からアメリカ系5社をまとめるとともに、本章で行うヨーロッパ 系との比較も行い、さらに日系企業への示唆についても議論する。
2.Unilever (Malaysia)
(1)企業の概要と歴史
①親会社の概要
親会社であるユニリーバ・グループ(以下、ユニリーバとする)の歴史は1929年、
オランダのマーガリン製造業者(Margarine Unie)とイギリスの石鹸製造業者(Lever
Brothers)とが合併したときに遡り、すでに70年の歴史を有する消費財メーカーの老舗
である。
ユニリーバには、オランダのUnilever N.V.とイギリスのUnilever PLCというそれぞ れ独立した親会社が存在するが、両社は実態として1社として運営され、また連結会計表 示のために1企業グループを構成している。ユニリーバには2人の会長がおり、また 2 人 の会長と取締役は全員、Unilever N.V.とUnilever PLC双方のフルタイムの執行役員、
取締役である。かれらはユニリーバのビジネスに対する全責任を負っている。
ユニリーバの売上高は、1997年約430億ユーロ(約489億ドル)である。売上 高の地域別構成は、ヨーロッパが46%を占め最大で、他は北アメリカ21%、アジア・
太平洋15%、ラテン・アメリカ11%、アフリカ・中東・トルコ7%となっている。
製品別の売上高は、食品が50%、ホーム・ケアが21%、パーソナル・ケアが23%
などであった。
さらに、従業員数は全体で約28.7万人であるが、地域別には、ヨーロッパ地域に8.
9万人、アジア・太平洋地域に7.6万人、アフリカ・中東・トルコ6.5万人、ラテン・
アメリカ3.0万人、北アメリカ2.7万人となっており、売上高の割には北アメリカの 従業員数が少ないといえる(注3)。
②Unilever (M)の概要
Unilever (Malaysia)(Unilever (M)と略称)の正式な名称は、Unilever (Malaysia)
Holdings Sdn. Bhd.であり、イギリス(ロンドン)とオランダ(ロッテルダム)に本拠をお
く多国籍企業ユニリーバ社のマレーシアにおける持株会社である。Unilever (M)は傘下に子 会社2社を有しているが、それら子会社も含め、実質的に1社として経営されている。主 たる事業は日用消費財の製造・販売で、ホーム・ケア製品(洗剤、食器洗い洗剤)、パーソ ナル・ケア製品(スキン・クリーム、デオドラント、シャンプー)、それに食品(アイスク リーム、紅茶、マーガリン)の3つがある。1997年は、マレーシアにおける会社設立 50周年に当たっている。
1998年現在の従業員数は約1,100人(うちマネジャーは約100人)で、うち 国外からの派遣者(Expatriates)は4人である。派遣者比率は0.4%となる。
売上高は約5億マレーシア・リンギ(1マレーシア・リンギ約30円換算で約150億 円)である。1991年以降の伸び率は高いが、97年後半は従来売上高の約20%を占 めていたユニキマ社(Unichema)の売却やアジア通貨危機に伴う経済停滞の影響などによ り、伸びが著しく減少してきている。なお、税引き前利益はここ2~3年、約4,000 万マレーシア・リンギで推移している。
③Unilever (M)の歴史
ユニリーバ社のマレーシアにおけるビジネスの歴史は古く、プランタ・マーガリンを輸 出し出した1930年にさかのぼる。その後、1947年にはユニリーバ社100%出資 の会社組織を設立し、今日に至っている。この間の主な出来事を拾うと、52年、バング
サー(Bangsar)工場の開設、62年、ウオールズ(Wall’s)アイスクリームの販売開始、
65年、同アイスクリームのバングサー工場での製造開始、82年、ブキ・ラジャ(Bukit Raja)工場の開設と油化製品の製造開始(ユニキマ社)、85年、リプトン(Lipton)の併 合、87年、洗剤のブキ・ラジャ工場での製造開始、94年、現在の社名への変更と新ア イスクリーム工場のブキ・ラジャ工場での製造開始、それに97年7月、親会社の決定に 応じたユニキマ社のICIへの売却などが続いている。
なお、現在の資本構成は、ユニリーバ社が70%で、あとの30%は現地の準政府機関 と個人がそれぞれ23%、7%を保有している。既述のように当社は元々ユニリーバ社1 00%出資の形態であったが、1980年のマレーシア政府の新経済政策(NEP)、いわゆ るブミプトラ政策に応じて現地資本比率を30%にすべく変更したのである。
(2)組織と経営理念
①組織
Bartlett & Ghoshal(1989)によると、ユニリーバの組織的特徴は、フィリップス、I TTとならんで、Multi-national という点にある。つまり、世界本社の下には国ごとの独 立的子会社がぶら下がり、それぞれの子会社に自治権が与えられており、いわば「権力分 散型連合体」というようなものである(注4)。
実際、ヒアリングを行うと、世界本社の下に地域統括組織があり、その下に国ごとの子 会社があるという3段階に分かれる階層組織となっている。戦略の具体的執行と利益責任 は地域統括組織におかれている。組織上の指示・命令・報告の関係は具体的には以下のよ うである。
Unilever(M)は、シンガポールにある東アジア・パシフィック・ビジネス・グループ(East
Asia Pacific Business Group)にリポートすることになる。東アジア・パシフィック・ビ ジネス・グループは当該地域本社に当たる。元々この機能はロンドンにあったが、199 7年、より市場に近いところで世界本社から独立した形で地域をコントロールすべく移転 してくると同時に、人員規模も大きくなったのである。同ビジネス・グループの所管国は 旧ASEAN諸国、インドシナ諸国、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本な どである。同ビジネス・グループは40~50人で構成されており、半分以上はヨーロッ パからのスタッフで占められている。
なお、中央アジア、中国、中南米など世界各地域に別々のビジネス・グループが14カ 所に所在しており、全世界の国別のコントロールを行っている。これら地域別のビジネス・
グループの代表(President)は、所管地域の利益の全責任、戦略の地域的展開、経営資源 の地域内配分、地域でのユニリーバ社の代表など各種の責任を負っている。
Unilever(M)の組織図は図3-1のようである。Chairman(社長)の下に、3つの事 業部、営業、コマーシャル、技術、HRなどの部門が存在する。なお、各部門の右肩に*印 を付しているが、これはその部門のトップが国外からの派遣者であることを示している。
Chairmanにはシンガポールからの派遣者が就いている。