モンゴル経典に現れているサンスクリット語について、金岡秀友博士は次のように述べ ている1。
「モンゴル文『金光明経』と『金剛般若波羅蜜多経』に出てくる部分サンスクリット 語を取り上げて、サンスクリット語原文と漢文とチベット文と比較してある。そして、
モンゴル文経典には、チベット文経典にないサンスクリット語が存在することを知り えた。その理由は次の一つ、またはそのいくつかによるものと書いてある。①モンゴ ル文への翻訳者がサンスクリット語に練達の士で、随意それを插入した。しかし同じ 事情にあるチベット仏教にこのことはない。②チベット訳によりつつ梵語を対照した。
③モンゴル文字の母胎となっているウイグル文字のなかに、古くからいわゆる「胡化 梵語」として普及浸透していたサンスクリット語が外来語としてモンゴル語に承け継 がれた」という三つの可能性を指摘している。
しかし、モンゴル文への翻訳者がサンスクリット語に練達の士で、随意それを插入した と考えるのは、十分ではないように思われる。元朝時代の著名な仏典翻訳者シャラブセン ゲのモンゴル語訳P(五護呪)とS(金光明経)の奥付には次の ように書かれている。「サキャ派の僧シャラブセンゲがチベット文字(テキスト)とウイグル 文字(テキスト)からモンゴル語に翻訳した。仏や菩薩の名称はモンゴル語の発音に馴染 まないので、ウイグルの仕方に従ってサンスクリット語化した。サンスクリット語とチベ ット語に通じたフニャシャリスト氏と一緒にサンスクリット語音、チベット語音、ウイグ ル語音の各テキストを引き合わせてその音形と意味とを誤らずに決定した2」と書いてある。 この記録によれば、モンゴル語に入ったサンスクリット語は随意で挿入されたものでは なく、サンスクリット語音、チベット語音、ウイグル語音の各テキストを比較しながら、
採用したことを明示している。
同様に、モンゴル国の言語学者スへバートル氏が、モンゴル語に入ったサンスクリット 語についての本を書いている3。また、内モンゴルの学者マン・ムレン氏はモンゴル語には 五百以上のサンスクリット語借用語があると推定している4。ここでは、これら先学者たち の成果を参考しながら、モンゴル語訳『八千頌般若経』に入ったサンスクリット語の音訳 語を中心として分析してみたい。
第一節 モンゴル仏典用語
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モンゴル仏典のモンゴル語とは、モンゴル文字で表記された文語で記された仏典を指す。
中期モンゴル語資料として意義を有する仏典としては、他にパクパ文字で表記された仏典 があるが、その数は極めて少ないのである。そこで本論では、資料も比較的豊富なウイグ ル式モンゴル文字で表記された仏典について述べる。そこには、モンゴル仏典のもつ特殊 な性格が反映されているのである。
モンゴル仏典のほとんどは、基本的にチベット経典に依拠しているのであるが、そこに 使用されている仏典用語の多くは、チンギス・ハーンの時代からモンゴル人が文字を学ん だウイグル語からの借用語であり、これら両言語以外の言語の影響も反映されている。
一般的に、モンゴル語の歴史は大きく三期に分類される。第一期は13世紀までのモンゴ ル語、第二期は13 世紀から16世までの中期モンゴル語、第三期はそれ以降の近代モンゴ ル語の三階段である5。
また、モンゴル語には口語とは別に書写語として用いられる文字、所謂ウイグル文字を 改良したウイグル式文字がある。モンゴル文語の歴史は、モンゴル学者ポッペ氏の所説に よれば、17世紀初頭までの先古典期モンゴル文語、以後20世紀初頭までの古典期モンゴル 文語、そしてそれ以降近代モンゴル文語の三階段に区分される6。
モンゴル語訳『八千頌般若経』の奥付に基づいて成立した時代を分析すると、16 世紀末 から17世紀の中期までに翻訳されたことをわかる。つまり、モンゴル語時代区分において 分析すると、中期モンゴル語時代と近代モンゴル時代の両時代を経て完成したのである。
また、モンゴル文語の時代区分において分析すると、先古典期モンゴル文語時代と古典期 モンゴル文語時代の両時代を経て訳されたことがわかる。
第二節 モンゴル語訳『八千頌般若経』における仏教用語 第一項 モンゴル語仏典の外来語
モンゴル語訳『八千頌般若経』の第一章は 106 の問答セクションから成り立っている。
勿論、第一章において仏教用語の特徴を見ることができる。モンゴル語の中の特定な外来 語・モンゴル語と、或いは他国語との関係も、主として歴史学者、言語学者の研究によっ て明らかにされている。しかし、これらの研究業績は主に東洋史の視点から出されたもの であったため、その扱われる国語は、ウイグル語、トルコ語、朝鮮語、匈奴語、ツングー ス語、満州語などの近接民族の言語が多く存在する。
また、言語学の視点からウラル・アルタイ語の総合研究として注目してきた。これらに 対して、モンゴルの文化の上で決定的な影響を与えた、仏教文化圏の諸言語との比較検討 は、ほとんど研究されてない状態である。
その主な原因は、仏教学者が、モンゴル大蔵経はチベット大蔵経の重訳になるため、資
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料的にも思想的にも価値がないとして顧慮しなかったと考えられる。しかし、モンゴル仏 教は資料的にも、或いは思想的にも、単にチベット仏教の模造品として扱われるべきでは ない。すなわち、モンゴルという共同体の成立にともなって、モンゴル仏教も成立したと 考えるならば、その由来についても当然考察されなければならない。その実体は実に多種 多様であり、民族的、歴史的、文化的な諸要素以外に、当時のモンゴルと複雑な関係を持 っていた各国と地域の仏教宗派とも関連することになる。これはあたかも中国仏教の源流 を考えるさい、西域仏教の観察なくては何事も語りえないと同様の事情である。
1204年、チンギス・ハーンはウイグル人タタトンガに命令して、ウイグル文字を改造し てモンゴル文字を創ったと、歴史研究者たちは認めている。そのため、元朝時代、ウイグ ル語仏典とチベット仏典を対照しながら翻訳することができたのである。
モンゴル人が最初チベット経典のほかに、ウイグル経典との関わりをもった記録は『佛 祖歴代通載』第卅六、「妙善寺比丘尼舎藍八哈石伝」である。そこに「仁宗ノ世(1312~1320)、
(師八哈石)・・・黄金ヲモツテ蕃(チベット)字経典、般若八千頌、語護陀羅尼十四部、オヨ ビ漢字華厳、畏儿(ウイグル)字法華、金光明二部ヲ繕寫ス云々」と記している7。
これはウイグル語経典の存在に関するもっとも古い記録であるが、種々の観点からそれ 以前にこの種の経典が西域に存在していた可能性は極めて高い。したがって翻訳の際に、
当時に成立しつつあったウイグル文経典が直接或いは間接的に参照され、影響を与えたこ とは想像できる。そしてこの翻訳にあたっては、すでに創られていたパスパのチベット式 モンゴル文字は採用されず、代わりにウイグル式モンゴル文字が用いられた。
これがウイグル系文化浸透の一因となったことは明らかであり、またこの翻訳にあたっ ては、チベット、中国、ウイグル、サンスクリットの諸言語に通じた多数の学者が動員さ れ、単にチベット大蔵経からの直訳ではなく、他の諸言語で書かれた仏典との校合、改訂 を経て翻訳されたのである。
もちろんモンゴル語訳『八千頌般若経』にもそのような特徴をみることができる。例え ば、アルタン・ハンとその後継者の時代に活躍したシレート・グーシは、1578年にダライ・
ラマの直弟子として、内モンゴルのフフホトにやって来た。彼は、『八千頌般若経』を始め とする多くの経典を翻訳する際に、古来(元朝時代)の翻訳方法を重視した。つまり、元朝時 代に定着した多くの外来語を用いたのである。これは、モンゴル語の特徴を重視している 証しである。
第二項 四種の外来語区分
モンゴル語訳経典のなかには、サンスクリット語を起源とする数多くの仏教用語が存在 する。これは、モンゴル文字の母胎となっているウイグル文字が、古くから西域諸国の言 語、所謂ソグド語、漢語などの影響を受けたことによる。これによって、現代モンゴル語 に入ってきた多くの外来語を主に四種に分けることができる。