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作物 は大 した変 化はな く,畜産物は始8日が 5,8 00余 tと以前の1 5倍に増加, 和牛の淑 少' 乳牛の2 0数所から40 0余滴へ と増加があ るO家育 生菅 も和牛の淑少, 乳牛 ・成鶏の増加が 予定され るo平坦地に近い集団曲地 にはl大峨場整備計画がた て られ,大字 中泉2 0ha ・大 字草生40hc ・大字天原 15ha ・大字新庄 20ha・大字伊 田4 0ha・大字平垣4 0ha
の 占カ所を計画し,中型励 77機及び作薬扱並に コンバインを導入 し, 省力栽培に より労働の生 産 性の向上 を図 り,大型乾焼機を 5カ所に設思 し,米 の晶質向上 と労働力の節液を図 ることが, 計画されてい る。 これ は,水稲生産性の向上をめ ざ してい る もの といえよ うo次に幾家戸数を 経営規税別 薄紫菜別に考えてみよ う。オ 8襲に より,鹿家戸数 はオ 5表 に比べ2 8戸の叔少
2‑ 5 才 8表 予 想 嬢 家 戸 数 (S ・ 4 5)
専 兼 美 別 良 家 戸 数 経 営 規 模 別 農 家 戸 数
総 戸 数 専 業 オー種 牙二種 〜5反 5‑ 5 5‑ 10 10〜 15 15〜 20 20‑
1∴929 500 757 875 500 400 800 289 20
任 御津町良薬振興計画 (S ・57.5)
で淑少峯1.4啓,卑巣食家は増加す るが, ‑方ではオ 1種兼菜鹿家 の液少,オ 2種米菓姓家の 増加 となる。 次に経営観税別鹿家戸数 は5‑ 10反に4 1・4帝と1964年の49・5飾lこ比 し 大 幡に減 少傾向を示すo その渡少が5反以下あ るいは1 0反以上 の比率を高めることにな って い るO すなわち, 5‑ 10反屑の経営規榛の縮 少に よる雑業 化,他方では,大規模経営を 目指
して,安定寄集良家 たる地位 を得よ うとする二つに分かれ てい っている。
(馬 場 敢 )
ー 54‑
第 3
葦集 落
第
1
節 高 原 集 落1・ 高原の集落 の‑1投的如向 (1) 自然 的 概 況
岡山 県にかいて, あるいは広 島県東部にかいて高原におけ る鴫宵を考える場 %, いわゆ る吉 備高原状の地形を 自然的条件としてい るのが普通 であるo書偏高原と称 され る隆起準平原地物 は,岡山市北部にかいては大 体東西に8DKm, 南北 に5 0Kmの幅にか よぶ広い地域を占め,高 齢 ま南方に於 て5 0 0m以下 で,北部に卦 いては60 0‑ 70 0初に連 している.準平原面上 には元 の汲丘に相当する山頂が ところどころに突起 してい る。 この準平原面が最 もよく保有さ れている地域 として,特 に旭川 と高梁川の他に弁 いて,約50 0m〜 50 0mの高 さに波浪状
の地 形をみ るこ とができる。
御津町の高原 状の地形 もこの旭川の死域で,高梁川 との問に位置 し,舌痛高原の地形学上の 特質を具現 してい る地域であるといい うる.御津町の地形に変化を与え, 又箆菜 にも大 きな影 唖を与えている旭川は,苫備高原 の東部を流れ御津町に入 って西方 より字甘川を 合せ,金山の 東 旋よ()岡山平野に出て 円海にそそ ぐo
御津町の高原 の典落 としては,主 として大坪,山亀 飯田,勝島 間瀬を と りあげ てみた。
これ らの一般的動向を探究する ことによ19て,他 の高原の攻落 の状態 もい くらか考 え うるので はないだろ うか。
これ らの五つ の典藩は標高が2 5 0‑ 5 0 Cl初の ところにあ I),風 音, 水音 はみ られ ないが,l 干害, イノシシの等が多 く.水田の餅作では難儀 な田が多い。 どの部落 も御津町役場,駅 まで車
で一時間以 円の臣融 にあ る。
(2) 人 口の 動 措
御津町の高原 の範宵に右・ける人 口の助きを見るた 軸 こ表1をみてタ るo この表からみ てもわ か るように」 投的に めざ ましい搬村状態を示してい る。山空部落では1 0 0率,間瀬では占0 帝 と,消波枯 あるいはそれに近い柾村状況を示 してい る。山
宅
間 親 共 に戸数が少ないた め啓の上か らだけ亮附 の傾向を考 えるのには充分 の妥 当性を持ちえないが,哉田で5 2頭'勝 尾 で5 1飾とこの集落 も高翠である。商= 業,交通,連輪の発展につれ て御津町は没村一般 と して も岡山市 とい う消費 人 口をひか えて, 経営の再碑庇をはか らねはな らなか ったのであろ うo特 に=菜, I/ジャー座敷 商菜の
‑ 55‑
5‑ 1 才 1表 戸 数 の 動 態
i 昭 和 1 0年 昭 和 4 0年 増 嬢 の 車
鼓 田 5 8戸 2 6戸 5 2%
大
坪 2 D 2 0 0藤 尾 5 6 2 5 5 1
山 空 1 5
0
10 0注 昭和10年 の数は聴 き取 りに よる。
昭和40年の か ま昭和40年姓 家台帳 より作成。
めざましい発展 は蝕村か ら働 きざか りの若年層 の労働 力を引 き出 して しまったo
この表 で大坪塊啓 の離村が全 くみ られ ないのは注 目に値す るであろ う. すなわ ち,御津町の 高原の集落 は地理的に は似た集落 であるが,松村 の傾向か らは大坪 の塊落 C型 と,山空の集落 の塾 とに分け られ るのではない だろ うか。
( 3 )
産業,経 済におけ る「蚊的勧 向明治以降,点薬 と工薬の分離 ⊂自給体制の崩
壊J
,交通機関 の発達 〔特 に鉄道J.
都市人 口 の集中 〔農 産物 に対す る緊要の増加J
な どが, 商業的蝕 薬の発展を促 してきた ことは 明白であ るO御津
町 の′J、点に限 らず一般 的に小良経 営を基盤 と しなが ら変本主義 の流れ に対 処 してい く 方法 としては,農産物 の商品化とい う方法 の他 に労働 刀の商品化 ,す 表わ ち兼業 とい う遠 もあ b ,事実 この方面の発運 も苦 る しいが ,明治以 降の姓薬 の発展を特徴 っけた ものは ,やは b商 業的鹿菜 の発展で あ った といえ よ う。又 一般 に 日不及菜 の特性 では ,過度 に家族労働 に依存す る,J、姓経営 を土台 とするので あるが ,商業 的座業 の発達 につれ て自家労肋 に加 えて ,若干の屑 傭労働 刀を使用する′」、賢不主葺的経営 もあ らわれて くる。そ してこの ようを上層段 と下層姓 と の間に性虚業経営 に も相連が見 られ ,前者は専業化 ,規模の拡大 ,果樹 ,工芸作物 などへの依 存 度の強化 ,とvlう傾向に対 し ,後者は煎薬化 ,副業化への傾向を強 くしている。これ らの商射 勺点 薬の発達に ともな う鼻薬経営 の「投的傾向 は,御津町 の場 合に も津高町 赤坂町 瀬戸町' な ど県南職 的農薬 を主 とす る町村 とともに, その僻 徴の苦 るし くあらわれ てい る町であ ると言 え るのではなか ろ うか )
まず.耕作 面鼓 を水田 と畑 に分け てみ ると, 次の牙 2表 の とお りである.
五貿商 の耕地総面掛 ま= 8反 で,一 戸平均の皿は▲5:a 8反 とな t).御 津町全体の 田の平均
‑ 56‑
5‑ 1 才 2表 耕 作 両 横 と畑 作 率
戸 数 l耕 作 市 税 臼 の 平 均 畑 の 平 均 畑 作 事 御 粋 町 2.096 ll.924飼 4.65飼 8,75伝i 11 2愉
立 田 55 215 4.4 8 1.97 5 0.5
勝 尾 29 250 7.62 1.00 ll.占
間 瀬 2 1占 7.0 0 1.0(〕 12.5
大 坪 20 13 9 4.90 2.0 5 29.5
山 空 7 50 5.14 2̲0 0 28̲0
荘 昭和40年出家台帳 より作月払
4.占 5反 よ .)はい くらか多いが遜菜規模 としては大 きい方 ではないo畑作 は五つ の部落 の平均 が1.6占反で御 韓町全体の0・75反 よ りは約2倍 強 の広 きを持 ってい るO 畑作翠 では御 津町全 休で1ま 2帝 とな り五部 落ではその平均が22J 車とな るo 中で も謙 臥 山亀 大坪集落はそ れ ぞれ50̲5多, 29.5多, 28飾となって高原 の集落 としての特性をよ くしめ してい るo こ れ は吉備高 原に卦け る集落の共通 点で田地 よりも畑地か ら得 る収入に比 互が大 き くかか ってい る。 しか しなが ら,畑作の塞が商 い とい って もその耕作面萩 をみ るとこれ らの塊常 では1‑ 2 反 ほどで畑作の収入のみで生 計が 立てれ るわけでは ないO
この中では,大坪集落は,果 樹 扱培 を盛んに 行ってい るので野菜故皆は殆ん ど見 られ ず・ も っぱら果 樹栽培 によ る現金収入にその経営 の中心があ ることは,大 き く問題 とされ るところで あ る。
勝尾 では水田の割合は7 6 2反 で畑作率 は12・g帝 と比殻的畑作輩 が低 く水田農薬が 中心で あ る。
次に銘 菓蝕家 数の ようすをみると'オ 5衣a)よ うに御
津
町 全体 の漁業 峯は, 7ま 7帝 と非常 に兼菓率が高いO これは,自家労働に よる′ト経営点薬に 付随 してあ らわれ る労働 力の商 品化で ぁるが, こ とに牙一種洗薬農 家が 1・D 1l戸 と卑 菜良家教の2倍弱を 示 してい るOところが,高原 の鶴落 として とりあげた五つの集 落の洗 薬翠 は,御津町全体に比較 してはる かに低 く,束英軍 は27帝弱 であ る。
哨 兵l 店員, 人夫'臨時L な どの兼兵 としてあ る一一億 の収入 を 得 るに は,家 か ら通 い う る とい うこ とが大 きな条件 とな るo この ことの不利な高原 の年商 に如 、て・典薬 を補充 しうる には,若 年層 の都市へ の出執 あるいは水田点 薬 と並行 して商品作物 の栽培による収入に振 る
‑ 57‑
51 1 才5表 経 営 規 模 別 卑 衆 桑 戸 数
経 営 規 模 戸 数 専 菜 兼 集 エ 米 菓 Ⅱ 兼 薬 客
5 反 未 満 占 4
0
2 55.5帝5
‑
5 反 10 占 5 1 40.5
‑
8 反 57 28 8 1 248
‑
1 町 25 16 占 5 5占1 ‑ー 1.5 町 12 12
0 0 0
五 部 落 計 90 dd 17 7 26.7
御 津 町 全 2,096 552 1,0 11 555 75.7 注 昭和40年必 家台帳 よ り作成
他 ない。
牙 4表 は部 嘗別 に尊兼集客 をみた ものである。 大坪部落 の米拙 家が1戸, 山空部 落の全部 卑菓 とい うのは戸数が 少いがあ る共通 した原因が考 え うるのではないだろ うか。すな わち, ど ちらの袋帯 も地理的条件条件が閉鎖性が強 い とい う点で共遜 してい る。 これに よる妙齢 ま,山 空喚清 では, 離村 とい う形 であ らわれて くることを後に詳 しくみてい く。
5‑ 1 牙 4表 部 落 別 氷 菓 点 家 教
立 田 大 坪 勝 尾 山 王 間 瀬
計
専 業 20 1〜) 2 1 占
0
d 6米 英 Ⅰ 8 0 7 0 2 1 7
注 昭和4 0年史家台帳 よ り作成
次 に農薬 収入 の家計に 占め る割 合を五部落全体についてみた.オ 5衣 か らみ る と, 点薬所得 90帝以上が57戸で4 1・1啓,頻菜所得が90飾〜 5口車占めるのが40戸 で,全体 の44.4 序 となり,鹿 菜所得が50帝以上 を 占め る曲 家 札 85・6留とな る.曲 集所得への依 存匠 は使 いとはいえない。
一一 58‑