• 検索結果がありません。

マツダ株式会社(企業遺伝子の事例)

ドキュメント内 平成17年3月修了 (ページ 40-44)

 

4−1  東洋工業株式会社の設立   

マツダの初代社長である松田重次郎氏は、関東大震災による得意先の倒産、そして 工場の火災による倒産の危機にあった東洋コルク工業を自らの金策により再建に成功 した。そして、コルクだけに頼る事業展開に限界を感じ昭和2年6月に機械事業に進 出。9月に商号を東洋工業に改称し、軍工廠からの確実な注文に支えられて活況を呈 した。 

参考資料:History of MAZDA R360 Coupe http://homepage3.nifty.com/r360coupe/history.htm

4−2  戦時下での躍進   

松田重次郎氏は、昭和4年に、「企業はそれ自身の製品を持たねばならない」と考え、

自動二輪・三輪への進出を決定し、昭和6年「マツダ号DA型」を発売した。この三 輪車は、当時としては画期的なプレス鋼鈑製単一フレーム、リバース付変速機、デフ ァレンシャルギヤ(差動歯車)付リヤアクスル(DA型のDはデフ付きの意)、 アル ミ合金製シリンダーヘッド採用の強靱なエンジンを持っていた。このマツダ号DA型 は、翌年初頭からの軍需好況による中小企業の輸送力拡大に便乗して、売り上げを着々 と延ばした。 

その後、三輪トラックに対する需要の急激な増加と、販売を担当していた三菱商事 のネームバリューによって、マツダ号の名は日本 全国に知れ渡り、DA型の改良版で あるDB、DC型、その耐久性を増したTCS型、そして戦後のGB型シリーズまで 続く名車、 KC型の発表に至って、マツダはその名を不動のものにした。 

さらに、昭和 15 年には、戦時統制の厳しくなる中、1937 年型オース チン・セブンを 範とした水冷4気筒 1000 ㏄エンジンを持った箱型の4輪乗用車の試作も完成してい る。 このようにマツダは、軍部をバックアップとした技術開発に積極的に取り組み「物 づくり企業」としてのDNAを松田重次郎氏の思いとともに企業内に組み込んでいく。 

参考資料:History of MAZDA R360 Coupe http://homepage3.nifty.com/r360coupe/history.htm  

 

 

 

4−3  マツダ株式会社の復活 

 

マツダは、戦後、原爆の傷跡も生々しい昭和 20 年 12 月には、戦前のGA型三輪トラ ックを再生産し、いち早く業界復帰を成し遂げた。そして、ドッジ政策のもと不況下 にあった昭和 24 年4月に発表されたマツダ号GB型は、売れに売れ、翌年3月には タ クシー向け乗用車型のPB型、8月にはロングボディのLB型をラインナップに加え て、日本復興の立て役者となった。 昭和 26 年 12 月、重次郎社長が退任、代わって長 男の恒次氏が2代目の社長に就任した。マツダ号の草創期から技術者として活躍して いた恒次氏は、先進的なOHV2気筒エンジンを採用したCA型4輪 トラックおよび CF型消防車、CTシリーズ三輪トラック、そして密閉キャビンと丸型ハンドル、フ ロントガラスに業界に先駆けて安全合わせガラスを採用した画期的なHBRシリーズ 三輪トラックへと発展を続けた。  

さらに、昭和 35 年4月 22 日に、 東洋工業は4輪乗用車への進出第1弾「マツダク ーペ R360」を発表した。この車は、マツダの「物づくり」を遺憾なく発揮した時代の 最先端で彩られた車であった。 

当時の国産車中最も低い 1290mm(空車時)の車高と、コンパクトなスポーツクーペ スタイルは、世界的にも類を見ないオリジナリティ を持っていた。これは座席配置を 大人2人と、子供2人または荷物という2+2タイプと割り切ったからこそ出来たス タイルだった。 また、次の部品のアルミ化や三菱化成の開発した「アクリライト」と いう表面処理アクリル樹脂の使用により軽量化にも細心の注意を払っていた。 

<アルミ化部品> 

・ボンネット       ・エンジンフード  ・ヘッドライト枠 

・サイドウインドウ枠   ・ホイルキャップ     <アルミ合金化> 

       ・シリンダー ヘッド    ・クランクケース    <マグネシウム合金化> 

       ・ロッカーアームカバー  ・オイルパン    ・ダイナモドライブプーリー 

・クーリングファン    <アクリルライト化> 

・スライド式のサイドウインドウ    ・ラップラウンドしたリヤウインドウ   

エンジンは、リヤに縦置きされ東洋工業の真骨頂ともいえる強制空冷V型2気筒O HV356 ㏄4サイクルで、当時としては異例の高回転型セッティングで 16ps/5300rpm の馬力と 2.2 ㎏・m/4000rpm のトルクを発生させた。潤滑系にはレーシングカー並み のドライサンプ方式が用いていた。トランスミッションは4速MT(KRBB車)と、

トルクドライブと呼ばれる2速の補助ミッション付きAT(KRBC車)の2種類が

あり、どちらかを選ぶことができた。もちろん、軽自動車では初のトルコン設定車で ある。このトルクコンバータの開発と製造技術に関して、東洋工業は前年 10 月、日本 初のトルコン車「ミカサ」を発売した岡村製作所と技術提携を行っていた。サスペン ションは独創的なトーションゴムスプリングを使用したトレーリングアーム方式の4 輪独立懸架で、スペースユーティリティ の確保と大型車並みの乗り心地の実現に大い に貢献している。また、フロントガラスには安全合わせガラスを採用していた。頭の 先からつま先まで独創性のかたまりともいえるクーペだった。 

参考資料:History of MAZDA R360 Coupe http://homepage3.nifty.com/r360coupe/history.htm  

4−4  ロータリー・エンジンの開発 

 

世界にマツダ株式会社の名を知らしめたのは、なんと言ってもロータリー・エンジン を開発したことにはじまる。 

 

ここで簡単に、ロータリー・エンジンの説明をしておきます。 

ロータリー・エンジンが発明されたのは、1953年西ドイツのバンケル博士による。 

そして,NSU社が、現在の姿にしました。(1958年) 

ロータリー・エンジンは、繭形をした断面をもつ気筒(ケーシング)の中で、三角形 の、ちょうどオムスビのような形をした回転ピストン(ローター)が回る。 

 

このローターの中心部には車軸とつながった小さな歯車が噛み合い、ローターの回転 を車に伝える。ローターが回り出すと、三角形の頂点がケーシングの内側に沿って回る。 

これによってケーシングとローターのあいだの空間の容積が変わり、ケーシングの吸気 口、排気口、プラグと関連して、吸入、圧縮点火、爆発、排気という四つの工程で、往 復ピストン・エンジンと同じ働きをするというわけである 

 

こうして、ピストン自体が回転し、それが車軸に伝えられるから、 

(1) 往復運動を回転運動に変える余分な機構がないため、エネルギーのロスが少な く、小型軽量で大出力が得られる。 

(2) 振動がなく乗り心地がよい。 

(3) 部品が少なく、構造が簡単である。事前故障も少ない。 

などの特徴を有している。 

参考文献:「歴史をつくる人々」松田恒次 P59〜60   

また、このロータリー・エンジンの素晴らしさと新しい技術開発について、松田恒次

社長は以下のように語っている。 

ロータリー・エンジンをNSU社と技術提携するために、私が、西ドイツのNSU社 を訪れて知ったのですが、このロータリー・エンジンに目をつけた世界の自動車メーカ ーから技術提携の申し込みが殺到し、その数は百社にのぼった。その中で、わが国から は次に三十四社もあったというのだからおどろきである。 

その結果は、わが国では乗用社用として東洋工業(現マツダ)、産業用、農業機械用 としてヤンマーディーゼルが提携した。 

参考文献「歴史をつくる人々」松田恒次 P60〜61    わが国、唯一乗用車の技術提携をしたマツダは、物づくりにおける技術の高さを評価 されたと言える。 

そして、マツダのロータリー・エンジンの開発は、マツダのモノづくり精神に刻み込 まれるのである。 

4−5  遺伝子(DNA)とは 

  ここで、遺伝子とは何かを説明しておきたいと思います。 

DNAの構造 

DNAの化学的構造を明確にしたのは、 Watson と Crick (1953) である。DNA 分子は 二重らせん構造がその基本的な骨格で (図 1・13)、デオキシリボースという五炭糖の 5'C と 3'C がリン酸と交互に連なった鎖が 2 本あり、この鎖が相対して平行に並んで走 り、その五炭糖にはアデニン (A)、グアニン (G)、シトシン (C)、チミン (T) という 4 種の塩基が、一方の鎖の A に対しては他の鎖の T、G に対しては C というように結合 し て 2 本 の 鎖 を は し ご の 段 の よ う に く っ つ け た 構 造 を し て い る   ( 図 1 ・ 13) 。

 

ドキュメント内 平成17年3月修了 (ページ 40-44)

関連したドキュメント