4.1 はじめに
本章では、日次のPoint-of-Sale (POS) データを用いた消費税の転嫁に関する検討を行う。
前章では、価格の持続期間が短い特売価格の存在と、それが消費税の転嫁に影響している可 能性を指摘したが、研究に用いた月次データからはその詳細が分からなかった。現在の日本 では、青果品、食料工業製品といった食料品の多くはスーパーで販売されており、経営手法 と情報技術が進歩するなかで、スーパーは頻繁に値付けを変更している。このなかで価格分 析には期間をより細分化したデータの利用が望まれている。本章では、新たに入手した日次 データを使用することにより、短期的な価格変動の把握を可能とさせ、定価と特売価格を分 離したうえで2014年4月の消費増税に際しての価格転嫁の動きを分析していく。
日次データを使用するため個々の価格や数量のデータは変動しやすく、また、検討対象と した商品数は食パン1商品のみとしており店舗数については後述する通り5店舗となってい るので、本章が分析する消費税の転嫁の性質は限定的なものに留まる。そのなかで店舗の性 質、日次変動の特徴、販売数量の動きを調べることにより、転嫁の性質に関する分析を試み た。データを子細にみたうえで、クロスセクションモデルを推定することにより、データ分 析の結果をさらに確認することにした。
また、本章における研究では、価格の持続日数(duration)に着目する。これは価格の硬直性 研究における分析手法を転用したものである。価格の硬直性は、従来からマクロ経済学にお ける一大テーマであったが、長期にわたるデフレ経済により日本でも関心が高まりつつある。
ここでの問題意識は価格における粘着性の有無であり、金融緩和やインフレ期待の喚起とい った政策ショックが価格の粘着性に与える効果が検討されている。これを本研究の問題意識 に置き換えると、税制が価格粘着性に与える影響の有無ということになる。増税は税込み価 格をほぼ確実に変更させるが、税抜き価格に注目すると、完全転嫁ケースでは課税前後の価 格には変更が無く、価格が改定されることは無い。一方、製造企業やスーパーが過剰転嫁や 過小転嫁を選択すると、税抜き価格が変更されるので、これは価格の粘着性が低下したこと を意味する。価格転嫁に関しては、これまで消費者への転嫁割合といった転嫁の規模を中心 的に検討してきたが、価格の持続日数の分析からは異なる情報を得ることが期待できる。
本章では、以下のように議論を進める。第2 節では、先行研究のサーベイを行い、実証分 析におけるマイクロ価格データの利用法を確認する。第3節では、本章において使用するPOS データを説明したうえで、2014年1-7月から消費増税前後の価格設定に関する詳細なデー タ分析を行う。第4節で、本章において推定する計量モデルを設定し、推定結果を報告する。
第5節は、本章のまとめである。
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4.2 先行研究
4.2.1 日本の実証研究
渡辺・渡辺(2016)は、価格の硬直化とデフレ長期化を幅広く考察した研究であり、諸外 国では価格上昇率を2%前後にするのが世間相場とされる一方、日本では価格上昇率をゼロ とすることが「標準状態」とされ、これがデフレ脱却を難しくしているという。渡辺らは消 費増税が価格に与える影響については言及していない。そのため企業が消費増税を価格引き 上げのチャンスととらえて完全転嫁や過剰転嫁が実現したのか、それとも税込み価格ですら 伸び率ゼロパーセントであることが標準とされ、過小転嫁が志向されたかについては分から ない。本研究における前章までの検討を考慮すると、両者いずれもが存在しており、産業セ クター間では差異があった模様である。
マイクロデータを用いた先行研究に関しては、すでに第3 章においてサーベイした通りで ある。第 3 章では、倉知,平木,西岡(2016)、Abe and Tonogi(2010)、Suto, Ueda and Watanabe(2014)、上田・須藤・渡辺(2016)、今井・渡辺(2016)を取り挙げたが、いずれ もCPIデータの個票やPOS データを分析することから、商品別の価格の改定頻度や諸外国 との比較、新製品の影響などの考察から日本における価格粘着性の性質を検討している。価 格の粘着性と生産指数や失業率などのマクロ経済変数の関連性について調べるといった研究 も存在する。
上記以外の先行研究は次の通りである。阿部・外木・渡辺(2008)は、企業アンケートか ら日本企業の出荷価格に関する粘着性の強さを見出し、POSデータから流通企業における末 端価格の頻繁な価格変更を見つけている。水野・渡辺(2008)は、オンライン市場における 値付け行動をフラクタル分析によって解明している。さらに、水野・渡辺・齊藤(2010)は、
「価格.com」における出店者の最低価格の値付け行動を検討している。企業は競合企業の値 付けを参考にしつつ目標価格を決めており、それに向けて小刻みに価格を改定していくとい う。また、時間を通じた価格の下落現象は、一様に分布するものではなく、ある時期に集中 して発生し、その後はしばらくの収まるという。宇野・永沼・原(2017)は、日銀短観の個 票データを用いて企業のインフレ予想形成を分析したものだが、それによると企業のインフ レ予想の見直しの頻度は低いとのことである。
価格の改定頻度は、F=改定日数/営業日数という算式で定義され、これはある期間における 総日数(日次データを想定)に占める価格が改定された日数の割合である。つまり、価格改 定が頻繁になるほど改定頻度F は上昇して1.0 に近くなる。価格の平均持続日数は、T=1/F という改定頻度の逆数として定義される。先行研究では、この2つの指標を用いて価格の粘 着性が分析されることが多い。本研究でもこれらの算出を試みたい。
85 4.2.2 諸外国における実証研究
諸外国における実証研究については、すでに第3章においてKlenow and Malin(2010)によ るサーベイ論文やÁlvarez et al.(2005)、Dhyne et al.(2006) 、Stahl(2005)による実証分析を 概観した。Álvarez et al.(2005)によるハザード関数の推計結果によると、その形状は右下が りである。つまり価格改定の程度(ハザード比)は改定直後に最も高く、その後は低下する が、一定間隔で上昇する時点がある。後者の性質は価格改定が時間依存型(価格が定期的に 改定されるもの)であることを意味する。Stahl(2005)は、消費者物価がマークアップ原理に 従うならば、生産者価格の改定が価格の硬直性に影響すると指摘した。しかし、ドイツの金 属産業に関する実証分析(ロジットモデル)によると、生産者価格はコスト変動に影響され るような状態依存型ではなく、定期的な価格変更に左右される時間依存型だという。ハザー ド関数の推計については、当初価格と持続期間の終期の価格改定について、(上昇‐上昇)、
(上昇‐下落)、(下落‐上昇)、(下落‐下落)という4 タイプに分けて分析している。この うち(上昇‐上昇)については時間依存型(つまり定期的な価格改定)であり、それ以外は 状態依存型(つまり需要減などに対応したもの)となっていた。
本章で新たに追加し参考とすべき研究としては以下がある。Nakamura and Steinsson
(2008)は、アメリカにおけるメニュー価格モデルを検討している。消費者物価および生産者
価格について政府データを用いることで、価格の改定頻度と変化率を詳細に計測している。
特売の存在は価格の改定頻度を顕著に上昇させている。また、価格の持続期間に関して生存 時間解析を実施しており、毎期の生存率をとったグラフの形状が右下がりであること(つま り、改定直後の方が価格改定されやすい)、グラフの形状はある期間を過ぎると一時的にフラ ット化すること(つまり、定期的な価格改定という時間依存型を示唆する)を見出している。
Jonker et al.(2004)は、オランダにおける1999年から2003年にかけての付加価値税の増税 に関して、税率の引き上げの大部分が消費者物価に転嫁されたという結果を得ている。推定 モデルは消費者物価指数の個票を用いた生存時間解析(Cox モデル)であり、商品タイプ別 の転嫁の違いを検討している。前月、当月、翌月ダミー変数を用いて、月別のハザード比に 変化があったかどうかを分析し、当月価格には影響するが、他月には影響が少ないこと(つ まり増税を契機とする状態依存型の価格改定が増税当月にあったこと)、増税時にはサービス 品では2 カ月先まで影響することを分析している。オランダに加えて、諸外国の研究に言及 することにより、スペイン、ベルギーでもオランダと同じくVAT 増税は、税込み価格の上方 への改定頻度に影響を与えたという。ここでモデル推定ではなく、価格データの変化率の分 析から、転嫁の大きさ(サイズ)は小さかったと指摘している。つまり、VAT は価格改定の 契機になるが、完全転嫁ではなかったのである50。
Bunn and Ellis(2012)は、イギリスのCPI(月次)、スキャンデータ(週次)を分析しており、
EU諸国よりは価格の改定頻度が高いこと、スーパーにおける改定頻度の高さはアメリカと同 じであり、スキャンデータを分析対象とすることにより、企業の価格設定行動への理解が深 まるとしている。食品の改定頻度がサービス品よりも高いことはイギリスでも同じである。
50 Jonkerらは、「他国におけるVATによる価格効果を、さらに知ることはとても興味深いこと」と指摘している。