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プロトンポンプ阻害薬 (PPI) が登場し,胃潰瘍に対す る除菌療法の効果が確立されるに至って,漢方薬は消 化器症状に対してはもう必要ないのではないかとまで 言われたこともある。ところが,近年は PPI 無効の胃食 道逆流症が意外に多いことが判明し,六君子湯が奏効 した症例が報告されるなど,消化器症状に対する漢方 薬の臨床効果が見直されつつある。
腹部の痛みに対する漢方薬として鑑別すべき方剤 は,半夏瀉心湯・柴胡桂枝湯・黄連湯・小半夏加茯苓湯・
調胃承気湯・桂枝加芍薬湯・安中散・平胃散・五積散など であろう(表)。この中にあって,黄連湯はとりわけ胃 部痛に有効な薬である。茯苓飲・人参湯・四君子湯・六君 子湯も候補としうるが,これらの方剤の適応は胃もた れ感が主であり,痛みまで改善できることは少ない。
■解説■
冷えのぼせの傾向があって胃部痛があれば,まず黄 連湯を選択すべきであろう。この症例は急性期である が,慢性期の胃部痛であっても同様に用いることがで きる。黄連湯は漢方初学者にはなじみが少ないかもし れない。通常の治療に抵抗する胃部痛に対しても一定 程度有効である。特に,足の冷えとのぼせ(気逆)のみ られる症例には即効性があるのでお勧めする。
胃の痛みだけであれば,安中散にも優れた即効性が ある。方中の延胡索には鎮痛作用がある。通常の「胃薬」
のように用いることができる。
嘔気を伴った胃痛に関しては,小半夏加茯苓湯も候 補になる。同薬は妊婦のつわりの薬として知られてい るが,胃痛を改善できることはあまり知られていない。
腹の痛みといえば,桂枝加芍薬湯が頻用されるが,胃 よりは腸の痛みが適応である。
処方選択の考え方
1.小太り・胃部症状・平生腹力中等度→少陽病期
2.肥満傾向・脈が緊張中等度より弱・腹力中等度→著しい虚ではない・虚実間より虚証 3.胸脇苦満等ない→柴胡剤を否定
4.胃部痛あり・腹中雷鳴なし・下痢なし→半夏瀉心湯・生姜瀉心湯を否定 5.足冷え・顔ののぼせ→気逆(上熱下寒)→黄連湯
経過
同エキス剤(3包分3)を処方したところ,1服目より胃がすっきりし,
同時に足が温まった。
服薬 3 日にて胃部痛が軽快した。黄連湯は3カ月服用して終了とした。
消化器症状に対する漢方薬の運用 本症例の証の検討
黄連湯の構成生薬は,黄連・半夏・人参・甘草・桂皮・乾 姜・大棗である。
『傷寒論』(太陽病篇)には「傷寒胸中に熱あり。胃中に 邪気あり。腹中痛み,嘔吐せんと欲す者。黄連湯,之を 主る」と記載されている。
主薬である黄連はキンポウゲ科オウレンの根茎であ る。成分の1つであるベルベリンは現代医薬品として も有名である。薬効としては,中枢神経抑制作用があ り,興奮を鎮めることができる。消化器系については,
抗潰瘍作用・運動調整作用・抗菌作用が,また抗炎症作 用がそれぞれ報告されている。
適応は,急性胃炎・消化不良などで,吐き気・嘔吐・胃 痛・胃もたれのある場合に用いる。漢方医学的には少陽 病期,虚実間証とされる。構成生薬では半夏瀉心湯に似 ているが,黄連湯の適応は胃部痛と上熱下寒(のぼせと 足の冷え)の症例であり,半夏瀉心湯証の腹中雷鳴・下 痢はみられない。また半夏瀉心湯は痛みよりも不快感 が主である。
黄連湯の主薬である黄連は,黄芩とともに漢方医学 的には清熱(炎症を抑える)薬として知られており,瀉 心湯類 *・三瀉心湯 ** では一緒に配合されている。
黄連は横隔膜より上の熱を去り,黄芩は横隔膜より 下の熱を去るといわれている。さて黄連湯には黄芩が 配合されていない。この方剤の目標が腹痛・嘔気を伴っ た「胸部」の熱を去ることにあるからである。
「良薬口に苦し」の薬とはおそらく黄連のことであ る。黄連の苦味は,証に合っていると心地よく覚える ようである。一方,何回服用を試みてもこの苦味になじ めない患者は,証に合っていない可能性がある。味は 証の合否を判断する上で大切な情報なので,苦味がつ らかったか心地よかったかを問診してみるとよい。
また副作用として,黄芩による肝機能障害は注意し ていただきたい。筆者は証に随った治療を心がけてい るが,投与例の1%にこの副作用を経験している。これ までの症例については,薬剤の中止により全例ただち に回復しており,重篤な状態まで至った例はないが,本 誌読者には黄芩を含有する漢方薬を用いるときは投与 1〜3カ月後に 1 回は肝機能検査を行うことをお勧め したい。
黄連湯について
表 腹痛に用いる漢方薬
方剤名 ポイント 漢方医学的診断(六病位など)
半夏瀉心湯 胃部症状・腹中雷鳴・下痢 少陽病期・虚実間証
柴胡桂枝湯 胃部痛・自汗傾向 少陽病期・虚実間証・胸脇苦満・脈浮弦弱
小半夏加茯苓湯 嘔気・胃部痛 少陽病期・虚証
茯苓飲 食後胃もたれ・胃部振水音 少陽病期・虚証・心下痞鞕
調胃承気湯 胃部痛・便秘 陽明病期・実〜虚実間証
桂枝加芍薬湯 腹痛・下痢・裏急後重 太陰病期・虚証・腹直筋緊張
人参湯 胃部痛・冷え・唾液過剰 太陰病期・虚証・心下痞鞕
安中散 空腹時痛・胸やけ (太陰病期・虚証)
平胃散 胃もたれ・胸のつかえ 気滞・水滞(少陽病期・虚証)
五積散 上熱下寒 気逆・水滞(太陰病期・虚実間証)
黄連と黄䊫の違い
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ず,鎮痛作用に優れた芍薬が含まれていない。芍薬には
「船のイカリ」のような役割があるとされている。すな わち,薬の作用する部位が,方剤に芍薬が含まれると腹 へ(桂枝加芍薬湯),芍薬が抜かれると胸へ(桂枝去芍薬 湯)と,それぞれ変化するのである。
甘草・桂皮の2味は,気逆に対する漢方薬の基本型 である。これに生姜・大棗の「胃薬」が加わった「桂枝去 芍薬湯」の適応は「胸満」とされる。黄連湯だけでなく,
柴胡桂枝乾姜湯・柴胡加竜骨牡蛎湯・炙甘草湯などでは この構成を有しており,これらの方剤の証においては
「胸満」があってよい。「桂枝去芍薬湯」に芍薬が加わっ
このような処方構成の考え方は漢方医学独特のもの であり,一度理解しておくと,さまざまな漢方薬の適応 病態と発現しうる症状を把握しやすくなる利点がある。
今回は黄芩と芍薬という,黄連湯に含まれていそう で,含まれていない生薬を述べることで,この方剤の漢 方医学的な処方意図(方意)の解説を試みた。読者の漢 方医学に対する理解が深まれば幸いである。
【注】
* 瀉心湯類:三黄瀉心湯・黄連解毒湯・附子瀉心湯 ** 三瀉心湯:半夏瀉心湯・生姜瀉心湯・甘草瀉
症例:78 歳,女性。
主訴:のどの違和感・口内違和感・舌の荒れ・咳。
現症:身長 139cm,体重 47kg,小太り。
漢方医学的所見:舌:淡紅・微黄苔。腹証:太鼓腹・右胸脇 苦満(+)。六病位:少陽病。
現病歴:15 年ほど前より口内炎ができやすく,ステロイド 剤を塗布していた。数年前よりのどの違和感・舌の荒れ・食 欲不振がある。 耳鼻科で咽喉頭異常感症,外科で慢性胃炎 として治療されていた。 2009 年5月よりのどの違和感があ り,それを主訴に7月に初診。咽頭は軽度発赤。話を始める と咳払いが多くなる。すでにカルボシステイン・クラリスロ マイシン・塩化デカリニウム・プロトンポンプ阻害薬が処方 されていた。
治療と経過:長年の愁訴は梅核気と捉え,半夏厚朴湯(TJ-16)
7.5g/ 日とした。9月再診時,だるい・舌がザラザラする・
朝起きたときに特に気になる・ご飯もまずい,と訴えた。右 胸脇苦満(+)。肝鬱化火・脾気虚と判断し,半夏厚朴湯か ら柴胡桂枝湯(TJ-10)7.5g/ 日に変更した。その後ものど の違和感は続いた。柴胡桂枝湯に麦門冬湯(TJ-29)・加味 逍 遙散(TJ-24)・六味丸(TJ-87)・当帰四逆加呉茱萸生 姜 湯(TJ-38)・加味帰脾湯(TJ-137)を合方したが,いずれ も著効には至らなかった。2010 年7月より抗うつ効果のあ る香附子を含む香蘇散(TJ-70)7.5g/ 日とした。のどの調 子はよくなり,舌の苔も少ないと,初診以来はじめて手ごた えのある話をしてくれた。舌に薄い白苔と右胸脇苦満はある ため柴胡剤は中止できないと考え,虚証タイプの柴胡桂枝乾 姜湯(TJ-11)7.5g/ 日とした。10 月再診時には,のどの違 和感は訴えるものの,表情は明るくなり畑仕事にも行けるよ うになったと話してくれた。咳払いはなくなった。口内炎も 再発しない。
考察:15 年ほど前の口内炎に始まり,のどの違和感・咳で抑 うつ状態に陥っていたが,柴胡剤と理気剤で良好な経過となっ た1例である。香蘇散の適応病態は,脾胃気滞および気滞を 伴う表寒感冒とある。遷延した感冒様症状には,うつ的傾向 がしばしば併存してくるため,理気剤としての香蘇散は有用 であったと思われるが,さらに胸脇苦満を呈していた本症例 では,柴胡剤を併用したことで治療効果が上がったと考える。
症例:71 歳,女性。
既往歴:特記すべき事項なし。
現病歴:69 歳時に夫が他界。その後,独居生活を送るも 70 歳時より徐々に抑うつ気分・意欲低下・食欲不振・不眠など の症状が増悪。「死にたいし,生きていく力もない」と希死 念慮が認められ,2010 年 8 月 18 日当院当科を受診。同日 当院任意入院となった。
漢方医学的所見:脈診は中間証。舌は淡紅色,歯痕はない。
腹診で腹力中等度,胸協苦満(−),腹直筋の緊張(+),振 水音 ( − )。
処方と経過: 初診時から抑うつ状態が強く,ミアンセリン 40mg, ミ ル ナ シ プ ラ ン 60mg, ト ラ ゾ ド ン 50mg, セ ル トラリン 100mg を主剤とした薬物療法を行うも抑うつ気 分・希死念慮の改善を認めず,増強療法としてバルプロ酸 800mg やオランザピン 5mg などを使用するが効果現れず。
有害事象として排尿障害・便秘・錐体外路症状などが出現す るなど ADL は徐々に降下。クロミプラミン 100mg による 単剤加療に切り替えたが,希死念慮による自傷が認められた ため,11 月 23 日より抑肝散(TJ-54)7.5g/ 日を開始。明 らかな副作用はなく継続したところ,約 2 週間で「迷惑を かけているけれど,死にたいとは思いません」「体の調子も 良いし,気持ちも落ち着いてきています」と話すようになり,
抑うつ気分・希死念慮および情動失禁による流涙も改善し,
現在も満足して処方を継続している。
考察:抑肝散は幻覚・妄想・うつ状態・意欲の低下・睡眠障 害など認知症の周辺症状に有効であるとの報告がなされてい る。7つの生薬で構成されており,柴胡・釣藤鈎は鎮静・自 律神経調整作用を有し,蒼朮・茯苓の利水作用および当帰・
川芎の血流改善作用と併せて抑うつ気分・意欲低下・情動失 禁はすみやかに改善したと考察された。しかし,希死念慮の 改善作用については論議されておらず,今後の症例のさらな る蓄積を要すると考えられた。
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堺澤和泉
厚生連新町病院内科(長野市)