第3章 研究活動
6. ブレインウェア研究開発施設の目標と成果
ブレインウェア研究開発施設は、本研究所附属研究施設として平成16年4月の研究組織の改 組・再編と同時にブレインウェア実験施設として新設され、その後、平成26年度概算要求の採択 を機に、平成26年4月にブレインウェア研究開発施設と名称変更した。その目的は、電脳世界と 時々刻々複雑に変化する実世界をシームレスに融合する次世代情報システムを、世界に先駆けて実 現する基盤技術の創製とその応用分野を展開することである。そのために、本研究所及び本所と密 接な関係にある本学電気・情報系の各研究分野の研究成果と全国のブレインウェア分野の研究者の 英知を結集して研究を行う。
この施設は、適応的認知行動システム研究部(認識・学習システム研究室)、自律分散制御シス テム研究部(実世界コンピューティング研究室)、脳型 LSI システム研究部(新概念 VLSI システ ム研究室)の3研究部構成に加えて、ブレインアーキテクチャ研究部の整備が予定されており、関 連各研究分野の協力の下に、研究及び施設の運営を行う。
<施設の目標>
実世界コンピューティング研究室:生物は、自身の身体に持つ膨大な自由度を巧みに操り、自己 組織的に振る舞いを生成することで、非構造的かつ予測不能的に変動する実世界環境に対してリア ルタイムで対処している。本研究室では、自律分散制御を中核的な概念に据え、生物のようにしな やかかつレジリアントに実世界環境に適応可能な「生き生きとしたシステム」の設計原理の理解と その知的人工物システムへの実装方策の構築を目指す。
新概念VLSIシステム研究室:配線数、電力消費及び材料特性ばらつきに起因する信頼性低下が超 微細VLSIにおいて益々問題となる。そこで本研究室では、従来の延長上にはない新しい概念に基づ
ブレインウェア研究開発施設
くVLSIアーキテクチャに関する研究、すなわち不揮発記憶機能を有する新デバイスを演算回路に分 散配置させることで高性能性・多機能性と高信頼性の両立を可能にする不揮発性ロジックインメモ リVLSIアーキテクチャなど、高性能VLSIプロセッサの実現に関する研究を推進し、従来技術の問題 を全く新しい視点から解決する新概念VLSIコンピューティングパラダイムの実現を目指す。
認識・学習システム研究室:人間は、環境の中で頻繁に自らの身体部位を動かしながら、視覚情 報や触覚情報といった複数の感覚情報から外界を認識し、その認識に基づいて複雑で多様な行動を 効率的かつ適応的に行うことができる。本研究室では、このような人間の認知行動システムが示す 適応的な情報処理原理とその機能を実験的に解明し、その知見に基づいて脳内で認識・学習する過 程のモデル構築を目指す。
<2015年度の主な成果>
実世界コンピューティング研究室:2015 年度の主たる研究成果は以下の通りである:(1)ヘビは,地 面の凸部を「足場」として活用しながら効果的に推進することが可能である.この振る舞いは,従来 のロボットにとって推進の阻害要因である環境の非構造性を逆に利用して推進しているという点で興 味深い.本研究では,環境からの「手応え」に基づく自律分散制御則を提案し,それをヘビ型ロボッ トに実装して,上記ヘビの振る舞いを再現することに成功した.本成果は非構造環境下を自在に推進 可能なロボットの実現に際しての基盤技術となることが期待される.(2) 四脚動物は,移動速度や環 境,さらには動物種に応じて多様な運動パターン(歩容)を示す.これまでの研究を通して,このよ うな多様な歩容を再現する脚間協調モデルを提案し,ロボット実機を用いていくつかの歩容を再現す ることに成功した.本年度は特に高速領域への歩容遷移の実現を目指し,その背後に潜む力学構造の 解明を試みた.(3) 「手応え」という概念に基づくことで,二脚歩行ロボットの各関節の制御則を統 一的に記述する方法を提案した.提案する手法は,これまでのアドホックな二脚歩行の CPG 制御の設 計法とは一線を画する手法であり,高い環境適応性を示すことを確認した.
新概念 VLSI システム研究室:2015 年度の主な研究成果は以下の(1)と(2)の通りである:(1)従来の SRAM ベース Field-Programmable Gate Array (FPGA)における消費電力問題を解決する方法として,本 研究グループでは,不揮発性記憶素子 (MTJ: Magnetic Tunnel Junction)を利用して,上述した FPGA における問題の解決を図っている.本年度,①ブロックレベルパワーゲーティング技術の考案,およ び②その実チップ試作による原理性能の実証を行った.FPGA の基本構成単位である Tile は 4 つの機能 ブロックで構成されるが,各ブロックは Tile の動作モードによって未使用状態となる.ブロックレベ ルパワーゲーティング技術はこれらの点に着目したもので,動作モードによって適応的に未使用ブロ ックの電源供給を遮断することで各 Tile の待機電力消費を最小化可能である.さらに,提案の不揮発 FPGA ではロジックインメモリ構造の活用による回路コンポーネント共有化により,リーク電流自体の 削減も可能となる.実際,提案の不揮発 FPGA では,従来の SRAM ベース FPGA で全体の 75%を占めてい た待機電力が 97%削減され,その結果全体で 81%の消費電力削減を達成している.また,(2)脳の第一 次視覚野の受容野の反応に近似できるガボールフィルタは,高い特徴抽出能力を持つことから様々な アプリケーションに用いられている.一方で,その演算処理に非線形演算であるガウス関数や正弦関 数が必要であることから,ハードウェア量が膨大になってしまう問題があった.そこで,ガボールフ ィルタに必要な非線形演算をコンパクトにハードウェア実現する手法として,ストカスティック演算 に基づく近似アルゴリズムを考案した.実際に提案アルゴリズムをハードウェア実現し性能評価を行 った結果,0.13um CMOS プロセスにおいて従来方式と比較して,処理速度を同等に保ちつつ面積を 78%
削減できることに成功した.また,脳型 LSI システム実現の例として,提案方式を FPGA 上に実装をし,
ガボールフィルタのリアルタイム処理を実現した.
認識・学習システム研究室:我々が開発した速い動きと遅い動きの処理機構を分離できる運動残 効の実験テクニックを利用して、速い動きと遅い動きの処理機構の各々が追従眼球運動の駆動とど のような関係を示すかを調べた。その結果、運動知覚を生成する機構と追従眼球運動を駆動する機 構は運動信号を共有していることが示された。手の能動的な動きに着目し、能動的に手が動く場合 と受動的に手が動かされる場合で、触覚に特異的な動き表象が現れるかどうかを調べた。その結果、
触覚に特異的な回転非依存表象は、能動的に手を動かしたときのみ現れ、受動的に手を動かされた 場合は、その表象は消失した。これより、触覚に特異的な動き表象を生成するには、能動的な動き が必要であることが示された。
ブレインウェア研究開発施設
認識・学習システム研究室
人間の認識・学習機構の理解
(高次視覚情報システム研究分野 教 授 塩入 諭)
適応的認知行動システム研究分野 准教授 松宮 一道
(聴覚・複合感覚情報システム研究分野 准教授 坂本 修一)
<研究室の目標>
情報通信技術は,社会活動の基盤となるコミュニケーションを支えている.近年の情報通信技術の急 速な進歩に伴い,人の行動に内在する意図や感情も考慮した新たな情報通信環境による,質的に異なっ たコミュニケーションの実現が期待されている.このような情報通信環境の構築には人間の外界認識に 関わる認知機能の理解が必要不可欠である.本研究室では,外界から入力される様々な情報を人間が 統合処理し脳内で認識・学習する過程を明らかにし,その知見に基づいてこれまでとは質的に異なっ た情報通信環境を構築するための感覚情報提示の設計原理の確立,および,脳型 LSI など神経細胞を 模擬するハードウェアへの実装を目指して研究を進めている.
<2015年度の主な成果>
1. 知覚と行動の関係:運動知覚と追従眼球運動における視覚運動情報処理機構の共有
視覚対象が動いているとき,我々はその対象物を滑らかな眼球の動きで追跡することができる.
この追従眼球運動は視覚対象の動きがあるときのみ生じ,その場合,運動知覚も同時に伴う.これ まで多くの研究が運動知覚を生成する機構と追従眼球運動を駆動する機構は運動信号を共有して いるかどうかを調べているが,未だにその問題は解決されていない.我々は,最近,運動知覚に関 する処理機構において,速い動きを処理する機構と遅い動きを処理する機構が視覚系の中で分離し ていることを示した.しかし,運動知覚と追従眼球運動の関係を調査した過去の研究はすべて,速 い動きと遅い動きの乖離を考慮せず実験を行っていた.そこで本研究では,我々が開発した速い動 きと遅い動きの処理機構を分離できる運動残効の実験テクニックを利用して,速い動きと遅い動き
ブレインウェア研究開発施設
の処理機構の各々が追従眼球運動の駆動とどのような関係を示すかを調べた.その結果,速い動き と遅い動きの両方において,運動知覚と追従眼球運動は刺激変化に対して類似した効果が示された.
この結果は,視覚系の分離されている速い動きの処理と遅い動きの処理の両方において,運動知覚 を生成する機構と追従眼球運動を駆動する機構は運動信号を共有していることを示唆している.
2. 触運動の回転非依存表象は,能動的な手の動きによって誘発される
我々は,字を書いたり,絵を描くために手を動かす.このような状況では,我々の知覚システム は,視覚と触覚の両方から同時に感覚情報を受け取る.過去の研究は,視覚と触覚には共通の脳内 表象が存在することを示唆しているが,これらの研究は物体表象に焦点を当てており,動きの表象 についてはほとんど調べられていない.視覚処理においては,行動を制御する機構と物体を認識す る機構は脳内で乖離していることが示唆されているため,動きの表象は物体表象と異なっている可 能性がある.実際に,我々は心的回転課題と呼ばれる現象を利用して,動きの表象においては視覚 と触覚で異なった表象を持つことを発見した.しかし,視覚と異なる触覚に特異的な動きの表象が,
どのように生成されるのか,その発生機序は不明であった.そこで本研究では,手の能動的な動き に着目し,能動的に手が動く場合と受動的に手が動かされる場合で,触覚に特異的な動き表象が現 れるかどうかを調べた.その結果,触覚に特異的な回転非依存表象は,能動的に手を動かしたとき のみ現れ,受動的に手を動かされた場合は,その表象は消失した.これより,触覚に特異的な動き 表象を生成するには,能動的な動きが必要であることが示された.
<職員名>
教 授(兼) 塩入 諭(2005年より)
准教授 松宮 一道(2014年より)
准教授(兼) 坂本 修一(2011年より)
<プロフィール>
松宮 一道 2000年3月 東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻博士課程修了。同年 4月 カナダ・ヨーク大学視覚研究所博士研究員。2002年1月 東京工業大学大学院工学研究科像情報 工学研究施設研究機関研究員。2004年1月 ATR人間情報科学研究所専任研究員。2005年4月 東北 大学電気通信研究所助手。2007年4月 同助教。2014年7月 同准教授、現在に至る。視知覚と行動 の相互作用に関する心理物理学的研究に従事。Distinguished Contributed Paper Award of Society for Information Display (2010年)。日本視覚学会・鵜飼論文賞受賞(2012年)。
< 2015 年度の主な発表論文等>
[1] Matsumiya K, Shioiri S: Smooth pursuit eye movements and motion perception share motion signals in slow and fast motion mechanisms. Journal of Vision 15(11):12, 1-15, 2015.
[2] Matsumiya K, Takahashi M, Kuriki I, Shioiri S: Active movements generate rotation-independent representations for haptic movements. Interdisciplinary Information Sciences 21(2), 115-123, 2015.
[3] Naoya Onizawa, Daisuke Katagiri, Kazumichi Matsumiya, Warren J. Gross, Takahiro Hanyu:
“Frequency-Flexible Stochastic Gabor Filter”, 2015 IEEE International Conference on Digital Signal Processing (DSP), Singapore, July 21-24, 2015.
[4] 松宮一道:“高次知覚過程における触覚と視覚の相互作用”,触覚認知研究ワークショップ,東京都・東 京女子大学,2015年11月7日 [招待講演].
[5] 伊師華江,松宮一道:“L字型画面で呈示された映像に対する理解感及び視線停留”,電子情報通信学会 技術研究報告(ヒューマン情報処理),HIP2015-88, pp.1-4, 2015.