フランスの植民地支配は、メコン川を政治的な国境線のみならず、言語の「国 境線」へと変化させた。そうしたなか、19 世紀末より、シャムがタイ語・タイ文 字の普及をとおして、メコン右岸のラーオ人の「タイ人化」を進めていたことは、
すでに述べたとおりである。一方フランスも、ラーオ語をシャム語とは明確に異 なる言語として「つくりあげる」ことで、シャムの失地回復要求を退け、メコン 左岸、すなわち「ラオス」の植民地支配を正当化しようとしていた。そしてこのこ とは、ラオスでは国民語をつくるための基礎となる部分が当初、支配者であるフ ランス人によって担われることを意味していた。フランスは、ラーオ語を衰退さ せた原因をシャムとの戦乱に求め、消滅寸前のラーオ語をシャムから守る「保護 者」として自らを描き出し、植民地支配の正当化を図った。その際、注目されたの は、ラーオ語の正書法をシャム語の正書法と差異化することであった。
本章ではラーオ語の正書法をめぐる動きを中心に、フランス人からラーオ人へ とラーオ語を「つくる」作業が受け継がれていくさまを、みていくことにしたい。
ラーオ語の正書法をめぐっては、植民地時代以降、様々な立場から多様な意見が 出されてきた。それらを大きくまとめると、発音するとおりに綴るべきだとする 音韻型の正書法、パーリ語、サンスクリット語からの借用語に関しては、そのも との形を綴りに反映させるべきであるとする語源型の正書法の2つにわけられる。
特に前者は、語源型の正書法を採用しているタイ語の正書法との差異化を意識し た方法といえるが、しかし後者にしても、決してタイ語の存在を意識していない わけではなかった。ここでは前提として、最初に正書法の各方法について具体例 を示して解説したあと、それぞれの方法の背景に隠された諸事情をさぐっていく ことにしたい。
3-1
ラーオ語正書法とタイ語正書法
まずは語源型正書法と音韻型正書法について、ラーオ語とタイ語の正書法を比 較しながら、解説していくこととする。ラーオ語とタイ語の語彙には、純ラーオ 語(Kham Lao Doem)、純タイ語と呼ばれるもとからの語彙と、主としてパーリ語、
サンスクリット語などからの借用語彙がある27。語源型正書法とは後者、すなわち 借用語に関して、もとのかたちを反映させた正書法のことであり、タイ語ではこ の方法を採用している。一方、音韻型正書法とは、借用語であれ、純ラーオ語で あれ、発音するとおりに綴る方法であり、現在のラーオ語の正書法はこの方法を
27 そのほかクメール語、中国語、ベトナム語からの借用語や英語、フランス語など欧米言語からの 借用語がある。
採っている。
ラーオ語とタイ語の表記には、それぞれラーオ文字、タイ文字と呼ばれる独自 の文字が用いられている。両文字は非常によく似た形をしており、ラーオ文字に は 26 字(27 字)28、タイ文字には 42 字の子音字がある。タイ文字の直接の起源は、
13 世紀末にスコータイのラームカムヘーン王によってつくられた、スコータイ文 字とする説が有力である29。しかしラーオ文字に関しては、スコータイ文字から派 生したとする説や、それ以前に、すでにラーオ文字のもととなる文字が存在して いたとする説など様々で、この背景には、タイ文字からラーオ文字が派生したと は考えたくないという、ラオス側のナショナリスティックな感情が隠されている。
例えばマハー・シラーは、フランス極東学院の考古学者で、植民地時代にバンコ クの国立図書館の館長をしていたジョルジュ・セデス(George Coedès)が著書『タイ 文字の歴史Tamnan Akson Thai』のなかで、ラームカムヘーン王以前に、異なる様 式のタイ文字が存在したと記しているのを引き合いに出し、次のように述 べてい る。
ラーオ文字の歴史について、未だにはっきりしたことはわかっていない。しか したしかなことは、我々ラオス国民 Sat Lao は、昔から、尐なくとも何百年、あ るいは何千年も昔から(タイのラームカムヘーン王以前から)自らの文字をもっ てきた国民であるということである[Sila 1995:4-5]。
そして「それゆえ、我々は我々の国民が国民の文字Nangsue Pacham Satを持って いることを誇りに思うべきである」として、ラーオ文字がタイ文字よりも古い文 字であることを強調している30[Sila 1995: 5]。ラームカムヘーン王の碑文について は、近年、モンクット王による偽造とする説も出ており、タイ文字とラーオ文字 の歴史について、実際にはまだ不明な点が多い。しかしいずれにせよ、タイ文字 もラーオ文字もさらにさかのぼれば、古代インドのブラフミー文字を起源として おり[町田 2001: 7]、それが東南アジア大陸部へと伝播する過程において、独自に 発展を遂げてきたものであるということはできるだろう。
タイ文字の子音字がラーオ文字より 16字も多いのは、タイ語の表記に必要な文 字以外に、サンスクリット語とパーリ語のもとの音 に対応させるための同音異字 が多く存在しているためである[表3-1]。
28 純ラーオ語、パーリ語、サンスクリット語からの借用語に用いられる文字数は26字であるが、
現在、欧米語の表記に関して、1975年以降廃字となっていた/r/の子音字を復活させる傾向にある。
29 1292年の銘のある、スコータイのラームカムヘーン王の碑文が、現存する最古のタイ文字とさ
れ、碑文には、ラームカムヘーン王がタイ文字をつくったことが記されている。
30 しかし実際にはセデスは原タイ文字(Akson Thai Doem)の存在に言及しているものの、スコータイ 文字からラーオ文字、シャム文字、トンキン文字が派生したとの説をとっており[Coedès 2507(1964)]、
マハー・シラーの仮説の論拠にセデスを引用することには無理がある。
[表3-1] ラーオ文字・タイ文字対応表
国際音標 ラーオ タイ 国際音標 ラーオ タイ
1 ກ ก 15 ຎ ป
2 ຂ ข 16 ຏ ผ
3 ค ฆ 17 ຝ ฝ
4 ຄ ง 18 ຐ พ ภ
5 จ 19 ຑ ฟ
6 ຆ ส ศ ษ 20 ຒ ม
7 ງ ซ 21 ຓ ย
8 ຈ ย ญ 22 ຣ ร
9 ຉ ด ฎ 23 ລ ล ฬ
10 ຊ ต ฏ 24 ວ ว
11 ถ ฐ 25 ດ ห
12 ທ ท ฑ ฒ ธ 26 ຕ อ
13 ຌ น ฌ 27 ຮ ฮ
14 ຍ บ
*8の//はタイ語には存在しない子音である。この音はタイ語ではふつう、//に対応するため、こ
こではタイ文字ย ญを入れた。例) 「難しい」ຍາກ//(ラーオ語)ยาก//(タイ語)。このほか、
タイ文字にはラーオ文字の子音字に対応しない、//を表わす子音字ช ฉ ฌがある。これはラーオ 語では//に対応することが多い。例)「象」ຊ້າງ//(ラーオ語)ชาง // (タイ語)。
例えば、ラーオ語でもタイ語でも「銀行」は“タナカーン”という。これはパ
ーリ語のdhana(財)とagāra(家)を合成して出来た語である。現在、ラーオ語
では発音のとおりに thanaakhaan と綴るのに対し、タイ語では dhanaagaar、すな
わち dhana+agaar と綴り、表記から語源の音を辿ることができるものとなってい
る[表 3-2]。また「動物」は両言語ともにサンスクリット語の sattva(衆生)から
の借用語“サット”である31。しかしラーオ語では sat と綴るのに対し、タイ語で は satv と綴り、語末の文字を黙音字とすることで、ここでも語源の形が残されて いる。サンスクリット語ācārya(阿闍梨)を語源とする「教師」“アーチャーン”
も、ラーオ語では aacaan であるが、タイ語では aacaary となり、末子音字 r と語 末の黙音字にやはりもとの形が残されている32。
31 パーリ語ではsattaというが、タイ語ではサンスクリット語の音が綴りに残される形となってい る。
32 パーリ語ではācariyaという。
[表3-2] 借用語の正書法比較: が語源を表わしている
ラーオ語 タイ語
銀行
mtok7ko
//ธนาคาร
// 動物laf
//สัฅว์
//先生
vk9ko
//อาจารย์
//
*ธนาคารの頭子音字ธ はタイ文字でパーリ語を表記する際、パーリ語のdhに、คはgに対応する文字であ
る。表2の12を見ればわかるように、khに対してタイ文字には2つ、thには4つの同音異字が存在している。
これらはパーリ語を表記する際にはそれぞれ異なるパーリ語の子音に 対応する。์์ は黙音字符号。
このように、綴りに語源を反映させたタイ語の正書法は、ラーオ語の正書法と 比べてはるかに複雑なものとなっている。例えば、ラーオ語とタイ語の末子音は、
ともに/であるが、ラーオ文字では基本的に各末子音に対応
する子音字(末子音字)が1文字であるのに対し33、タイ語には基本末子音字のほ か、いくつもの特別末子音字があり[表3-3]、「カラン」と呼ばれる黙音字符号も用 いられる34。
[表3-3] タイ文字・ラーオ文字の末子音字
末子音 ラーオ文字 タイ文字
ຍ บ ป ผ พ ภ ฝ ฟ
ຉ จ ช ฉ ฌ ซ ส ษ ศ ด ฎ ต ฏ ฐ ฑ ฒ ถ ท ธ
ກ ก ข ค ฆ
ຒ ม
ຌ น ณ ร ล ฬ
ຄ ง
ວ ว
ຈ ญ ย
しかしその反面、こうした複雑さゆえに、タイ語の正書法では、同音異義語の 区別がラーオ語よりもつけやすいものとなっている。例えば、先の“サット”は satv と綴ることで、同じ発音で「正直」を意味する saty(y が黙音字)との区別が一 目でつけられるようになっている[表 3-4]。一方、ラーオ語ではどちらも sat と綴
33 //は短母音の場合にあらわれ、対応する末子音字は存在しない。
34 黙音字符号(カラン)は表3-2、3-4を参照のこと。
るため、文脈から意味を判断する必要がある。しかしラオスにおいても、現在の 正書法に統一されるまでには、語源型正書法を支持する勢力、音韻型を支持する 勢力、その折衷型のような方法を支持する勢力など、様々な意見が存在していた。
[表3-4]
ラーオ語 タイ語
動物
laf
สัฅว์正直
laf
สัฅย์現在のラーオ語の正書法は内戦期、パテート・ラーオが解放区で用いていた正書 法を、革命後に新政権が全国へと普及させたものなのである。
それでは、次節ではまずはフランス人が、どのようにラーオ語とタイ語の関係 を序列化し、自らを「保護者」として位置づけていったのか、みていくことにする。
3-2
フランス人による「ラーオ語」認識―言語の序列化
3-2-1
フランス人によるラーオ語出版物
1880 年代に入り、新たにアンナンとトンキンを保護領としたフランスが、植民 地拡張政策に乗り出すと、シャムとの間で熾烈な領土争いが繰り広げられていく。
シャムとの国境交渉を有利に進めようとしたフランスは、国境調査のためのミッ ションをラーオ地域へと派遣し、多分野に渡る膨大な調査報告書が作成された。
将来の植民地化を前提とした、この一連のミッションにおいて、言語や碑文、年 代記などに関する調査も実施され、1890年代には、立て続けに 4 冊のラーオ語の 辞書が出版されている。
筆者の知る限り、フランス人によって編纂された、最も古いラーオ語辞書は、
ハノイのイエンフー通訳学校(Collège des Interprètes de Yên-Phu)の校長であったト ー ピ ン(Taupin)が35、1891 年 に サ イ ゴ ン で 出 版 し た 『 ラ ー オ 語 小 辞 典 Petit Vocabulaire Laotien』である。トーピンは、1887年から88年にかけての数ヶ月間、
ラーオ語の学習とコラート平原についての情報収集のため、ウボンに滞在してい
た36[Ivarsson 2008: 36]。1893年には、この辞書の第二版が『フランス語・ラーオ語
小辞典Vocabulaire Franco-Laotien』とタイトルを変え、ハノイで出版されている。
タイトルに「フラ ンス 語」という言葉が 含ま れていないも のの、初 版もフラン ス 語・ラーオ語の辞典であり、ともにラーオ文字ではなく、ローマ字による表記が
35 トーピンの身分は第二版出版時(1893年)のものである。筆者が入手した初版には「前書き」の ページが欠落していたが、第二版に初版の前書きがそのまま引用されており、そこには1889年サ イゴンと記されている。
36 ウボンは現在の東北タイ南部にある。