第 2 部 分析と検討
Ⅴ. ヒト胚に関する論点
(2)ヒト受精胚と胎児との社会的位置付けの整合性
報告書案では、社会規制を行うに際して、ヒト受精胚に対して既存の法規定に類推の根拠を 求めると以下の通りであるとしている。刑法は胎児を人としての保護対象とはせず、民法も胎 児に相続や遺贈、不法行為に基づく損害賠償請求についてのみ、出生が見込まれる場合に遡っ て権利を認めるのみであるので、胎児の前段階の胚を「人」と同様に考えることは、いずれの 既存法とも整合性がない。
(3)ヒト受精胚を使用する目的
報告書案では、ヒト胚使用について以下の通り述べられている。
a.医療・研究
① 生命倫理専門調査会は生殖補助医療の在り方、意義、是非等の検討を除外する。その中で 生殖補助医療の最大の問題点を余剰胚であるとし、「余剰胚を認めないとの見解はとれな い」としている。また、着床前診断については一定の範囲で認める見解を示している。
②ヒト受精胚に対する遺伝子治療は行政の「遺伝子治療臨床研究に関する指針」で禁止してい る。また、再生医療は、将来的な臨床応用を目指しているとしている。
③ヒト受精胚を人の生命の萌芽とする立場から、研究のために作成することは原則として許さ れないが、その研究にヒト受精胚の価値をはるかに凌駕するような極めて大きな価値が認め られる場合は人間の尊厳を損なうとは言えず、そうしたヒト受精胚の作成が許される場合も あると考えられる。すなわち、限定的な目的のために、研究目的のヒト胚作成を許容する。
その目的としては、生殖補助医療の研究、難病の研究、発生学的研究の目的が挙げられる。
生殖補助医療研究、発生学的研究のためには従来からヒト受精胚の作成が行われてきた。
b.医療・研究以外
医療・研究以外の目的で、ヒト胚の価値を越えるような利用法は当面想定できない。
(4)余剰胚
報告書案では、余剰胚は生殖補助医療に付随して生じる、挙児を得るための使用目的のなく なったヒト胚であり、生殖補助医療は広く国民の間に定着した医療と見なし得るとして、余剰 胚が生じることを一律に否定することは困難であるとしている。
(5)ヒト胚使用の期限
報告書案では使用可能なヒト受精胚の受精後日数の期限に関する明確な方針の提示はない。
3.ヒト胚の取扱いの在り方
報告書案では次のように述べられている;ヒト胚は人間の尊厳の投影を免れない存在であり、
したがって、人間の尊厳の理念にふさわしい取扱いをしなければならない。なおかつ、受精胚 の作成・使用を一定の範囲に限定して認めるには、その適正を確保する必要がある。規制を規 律する方法については法やガイドライン等、いかなる方法が適当か検討が必要である。
4.特定胚の取扱いの在り方
(1)人クローン胚
報告書案では人クローン胚についても、人工的にのみ作成される胚であるが、子宮内へ移植 すれば、個人を誕生させる可能性が否定できないことから、受精胚と同等とみなして取扱うべ きであるとしている。
また、人クローン胚の目的を限定した研究に対しては、ヒト受精胚と同等な基準で考え、研 究を許容することが原則であるとしている。同時に、人クローンに対する再生医療を目的とし た使用に関しては、報告書案では、次の二つの案で検討することとしている。
1案:ES細胞研究の成果を見て再検討する。
2案:適正な基準による管理に必要な制度が整備された後に実施を認める。
(2)その他の特定胚
報告書案では特定胚作成・使用の可否は、人の萌芽とみなされるか否かが一つの重要な判断 の要件と考えられている。また、それを用いた研究等に有益性があるか否かも判断の要素であ るとする。さらに、ヒト受精胚の取扱いの在り方が定まると、それとの整合性を図ることが必 要であるとしている。
「ヒト胚分割胚」、「ヒト胚核移植胚」、「ヒト集合胚」は母胎に移植すれば人になる可能性が ある点から、ヒト受精胚の取扱いとの間で倫理的差異はない、としている。「ヒト性融合胚」
に関しても、同様な見解を示している。
一方、「ヒト性集合胚」ならびに「ヒト動物交雑胚」は、動物―ヒトのキメラ、交雑胚であ ることから、それより生じる個体もヒトではなく、したがって「人の生命の萌芽」ではないと している。しかしながら、これらの胚と核移植を併用した場合に生じる可能性につき、それら 胚の実質的な性格を踏まえて検討すべきとしている。
「動物性集合胚」「動物性融合胚」は原則「人の生命の萌芽」ではないとするが、これらに 関しても、前項同様、これらの胚と核移植を併用した場合に生じる可能性につき、それら胚の
実質的な性格を踏まえて検討すべきとしている。
以上の点を踏まえて、「ヒト胚分割胚」、「ヒト胚核移植胚」「ヒト集合胚」については、ヒト 受精胚と同様な取扱いの在り方を基本とし、ヒト受精胚の基準同様、有益性の大きさに応じた 比較衡量による使用の可否の判断を行う必要があるとしている。「ヒト性融合胚」についても ヒト受精胚と同様であるとするが、科学的に未知の要素も多く、科学的知見の進歩に合わせて 検討を継続する必要があるとしている。
「ヒト性集合胚」、「ヒト動物交雑胚」、「動物性集合胚」、「動物性融合胚」については、核移 植技術との組み合わせや材料とされる細胞の位置付けを考慮した上で、継続的な検討が必要で あるとしている。
5.制度的枠組み
報告書案では、適正な基準に基づくヒト胚の取扱いにおける様々な規制の必要に対応するよ うに、「法律」、「国のガイドライン」、「学会等のガイドラインによる自主規制」のそれぞれの 特性を踏まえつつ、様々な規制に対応する第三者的な公的機関の設置について検討することが 必要であるとしている。
6.主要な論点
以上に俯瞰した通り報告書案で主要な論点となっているのは、以下の項目である。
・ヒト受精胚を「人」と「モノ」の間に位置づけたとして、法的整合性の中で、研究目的の 作成や使用をどのように取り決めるのか。
・研究目的のヒト胚、特にヒト受精胚作成の可否。
・治療・研究目的の人クローン胚作成・使用の可否。
・ヒト受精胚の取扱いの場面としての着床前診断の在り方。
・ヒト胚の取扱いに係る制度的な枠組みの在り方。
1.はじめに
par.58.ヒト胚の取扱いに関する社会的諸要素
ヒト胚が関わる生命倫理問題の解決や、取扱いの方針を決めるに際しては、その背景となる 様々な要素を考慮しなければならない。様々な要素とは、およそ以下のような諸点である。
①文化的基盤、②個人的倫理観、③生命科学技術に関する知識の普及、④生命科学技術それ自 体が有する不確定性・予測不可能性、⑤生命科学技術の規制に関する社会的信頼性、⑥規制に 従った実施の確保、⑦リスク管理と情報の取扱いに係る倫理委員会の在り方、⑨商業化と成果 の社会還元、⑩個人に止まらない生命科学技術の影響、⑪試料の提供等、あるいは新規に出現 した親子関係等に関わる人権の保護。[参考-5]を参照。
par.59.社会的規制と個人的倫理観の区別
ヒト胚の取扱いの在り方については様々な個人的倫理観の立場があることを認識した上で、
施策においては、社会的受容を尊重し、社会的信頼を得ること、特定の個人的な倫理観の偏重 を排すること、実効性のある管理の枠組みを置くことなどが必要である。つまり、個人的倫理 観のレベルと社会における法的規制のレベルとを、区別して取扱うことが枠組みの基本骨格で ある。同時に、様々な価値観(ある事柄がある個人の人生において有する意味の重みは、個人 ごとに様々に異なるものと考えられる)があることを認識して、真摯に、きめ細かく対応する 施策、すなわち、個別対応が可能な柔軟性のある規制様式でなければならない。
ヒト胚に対する個々人の倫理観が様々であることから、それら倫理観と社会的規制とを、ど のように整合させるかは重要な課題である。個人的道徳・倫理観を、どのように法律を始めと する社会的規制に反映させるかを検討する際には、次の諸点について倫理的、法的考察を行う 必要があると考えられる。
①個人の倫理観における多数意見を明確にすること(同時に少数意見について把握する)。
②法的規制が行われた場合にその規制がもたらす利益に対し、関係者が受ける侵害の範囲が、
社会的に許容できるかどうかを判断できること。
③その法規制が、既存の法体系・社会秩序と整合的であること。
なお、本項の関連事項を [参考-6]、及び [参考-7]に示した。