第 2 部 分析と検討
Ⅵ. ヒト胚に関する論点についての考察
1.はじめに
par.58.ヒト胚の取扱いに関する社会的諸要素
ヒト胚が関わる生命倫理問題の解決や、取扱いの方針を決めるに際しては、その背景となる 様々な要素を考慮しなければならない。様々な要素とは、およそ以下のような諸点である。
①文化的基盤、②個人的倫理観、③生命科学技術に関する知識の普及、④生命科学技術それ自 体が有する不確定性・予測不可能性、⑤生命科学技術の規制に関する社会的信頼性、⑥規制に 従った実施の確保、⑦リスク管理と情報の取扱いに係る倫理委員会の在り方、⑨商業化と成果 の社会還元、⑩個人に止まらない生命科学技術の影響、⑪試料の提供等、あるいは新規に出現 した親子関係等に関わる人権の保護。[参考-5]を参照。
par.59.社会的規制と個人的倫理観の区別
ヒト胚の取扱いの在り方については様々な個人的倫理観の立場があることを認識した上で、
施策においては、社会的受容を尊重し、社会的信頼を得ること、特定の個人的な倫理観の偏重 を排すること、実効性のある管理の枠組みを置くことなどが必要である。つまり、個人的倫理 観のレベルと社会における法的規制のレベルとを、区別して取扱うことが枠組みの基本骨格で ある。同時に、様々な価値観(ある事柄がある個人の人生において有する意味の重みは、個人 ごとに様々に異なるものと考えられる)があることを認識して、真摯に、きめ細かく対応する 施策、すなわち、個別対応が可能な柔軟性のある規制様式でなければならない。
ヒト胚に対する個々人の倫理観が様々であることから、それら倫理観と社会的規制とを、ど のように整合させるかは重要な課題である。個人的道徳・倫理観を、どのように法律を始めと する社会的規制に反映させるかを検討する際には、次の諸点について倫理的、法的考察を行う 必要があると考えられる。
①個人の倫理観における多数意見を明確にすること(同時に少数意見について把握する)。
②法的規制が行われた場合にその規制がもたらす利益に対し、関係者が受ける侵害の範囲が、
社会的に許容できるかどうかを判断できること。
③その法規制が、既存の法体系・社会秩序と整合的であること。
なお、本項の関連事項を [参考-6]、及び [参考-7]に示した。
2 . ヒト受精胚の位置付け
(1)ヒト受精胚の生物的・倫理的・法的な地位の前提
par.60.ヒト胚に関する「普遍的な倫理観」の困難
生命倫理専門調査会での議論や、ヒアリング等の結果(内閣府(2002))を参照すると、多く 見られる意見は、ヒト受精胚を個人と同等と見なすことは道徳的にも法的にも整合的ではない とする意見である。その上で、例えば、「人の生命の萌芽」という個人と連続する存在である という感覚を尊重する姿勢がみられている。
上記のような立場を、社会の緩い共通感情と述べることはできる。しかし、個々人のレベル に目を転じれば、ヒト胚についてどのような倫理的位置付けを持ち出したとしても、個人的倫 理観の様態は、価値観、道徳観、ある人が置かれた状況に依存した価値の優先順位等によって 様々となると考えられる。したがって、ヒト胚の取扱いに「普遍的な倫理観」を求めることに は困難がある。同時に、社会において単一な合意に執着することは、個人の思想や良心の自由 を制約し、憲法上の重要な概念である「個人の尊重」を侵害する危険を包含する。
par.61.科学技術の進歩によってもたらされた新たな認識
わずか0.1mmのヒト胚は、科学技術の進歩がなければ、認識されることも、操作されるこ ともなかった。科学技術が広げる様々な新たな視野と認識を追いかけるかのように、社会の中 で、多様な倫理観が形成されてきている。その意味で、ヒト胚尊重の理念は、科学技術によっ て認識されるようになった新たな価値体系であり、同様に、個人的感性、個人的倫理観に依拠 して時として宗教的意識にも似た感覚さえ与えている。
生命倫理的問題には、個人の多様な倫理的価値観を基盤とした思想的・理念的側面と、一方 で、規制や管理の在り方を決める社会制度の側面とがある。社会の中で、現実にヒト胚を取扱 う医療が拡大し、ヒト胚を使用する研究の展開、要請が高まる現在、わが国の社会に求められ ているのは、ヒト胚の適正な管理と生命倫理問題の解決とを実現する社会制度の構築である。
par.62.権利主体としての個人とヒト胚
ヒト胚はヒトの発生に必要な存在ではあるが、決して権利主体としての個人との比較におい て十分な存在ではない。私たち自身を遡れば、確かに、唯一つの精子や卵子に行き着くものの、
個々の精子や卵子に対して、社会的な規制を及ぼすべきものではない(例外的に規定し得るの は、生殖補助医療における医療としての行為の範囲に留まる)。
人間とはいかなる存在か、という問いには哲学的、倫理学的立場から普遍的に定義づけるこ とができないが、人間の社会的な行為を法的に定めることはできる。権利主体である個人の尊 重については、現在、社会に認知された法的根拠が存在していることは明確である。ヒト胚に ついても、社会的にいかなる規制の中で取扱われるべき存在であるかを規定することは可能で
ある。本報告では、ヒト胚という存在の位置付けとして、社会における規制との関連で、ヒト 胚をどのような規制政策の中で取扱うかを明確にすることを主題として、政策的な検討を行う 立場をとっている。
(2)ヒト受精胚と胎児との社会的位置付けの整合性
par.63.ヒト胚も胎児も、保護されるべきである。しかし、合理的理由によって、個人のため に滅失・使用されることが許容されるべきである。
権利主体としての個人との比較衡量において、ヒト胚も胎児も個人と比べて劣位にあること は、法的に明確である。それゆえ、個人からの要請によって、ヒト胚も、胎児も滅失すること が在り得る。ここに述べた個人の優位性に関しては、社会の中に異論がある。しかし、ヒト胚 の使用を制限することが個人一般の権利、公益、社会秩序を侵害し得る可能性を考慮すれば、
ヒト胚の社会的な保護の程度と、ヒト胚を使用したい個人からの要請との間における比較衡量 による社会的判断が求められる事例が生じる。
既に述べたように(par.16)ヒト胚の使用に関する倫理観には、人の尊厳、人の生命の道具 化、不確定性への懸念などが関連している。これらを基盤としてヒト胚の取扱いの在り方の制 度化を根拠付けるものとして、人の尊厳、公序良俗、公益の侵害などをヒト胚保護の法益とす ることが、法律論においては可能ではあろうと考えられる。しかしながら、例えば、人の尊厳 の意味自体の相違から生じている対立(par.16)があるにも拘わらず、それらの一般的な法益 を持ち出すことでは、議論の収束のための本質的な解決にはならず(「人の尊厳」の意味に明 確な社会的合意はない)、それゆえ規制根拠(保護すべき法益)の解釈が恣意的となることは 避け難いといえる。つまり、例えば「人の尊厳」を法益として、ある程度のヒト胚保護が必要 であるという法形式が採用できるとしても、「ヒトの尊厳」からは、ヒト胚の取扱いの在り方 の中で問題となっている本報告で取扱う課題について、演繹的に回答を得ることはできない。
また、ヒト胚は、現行の法律に明確な規定がなく、かつ自律的な権利主体として確立した個 人とは異なることから、ヒト胚を敢えて財物として取扱うことで、現行の法的な保護対象とな り得るという意見もある。しかしながら、ヒト胚には通常の財物としてではなく、特別な取扱 いの在り方を取り決めるべきとする要請があること、特に体内に移植されるヒト胚の場合には、
それをどのように取扱うかということが、そのヒト胚から生じる個人の存在に重大な影響を与 えるという点で、財物と大きく異なるのであり、この点については、今までにも述べてきた通 りである。
このような状況を考慮して、ここではあくまで、普遍的に法的に位置付けが明確である個人 の尊重と権利とを基盤として、個人の行為として、ヒト胚の取扱いがどのようであるべきか、
その取扱いの在り方が、個人にどのような影響を及ぼすことになるのか、その中で、ヒト胚に 対する個人的倫理観との関係で、法的規制がどのようなスタンスとなるのか、そして、これら を考慮した社会制度のあり方がどのようであるべきかに、論を限定する。