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ネパールのバディカースト(売春カースト)の実態と 差別構造の解消への課題

バディは、社会の最下層に位置する不可触民のダリットの一つのカーストであり、

ネパールの西部方面のいくつかの郡にコミュニティを形成して居住している。バディ コミュニティの女性たちは、売春を職業としてきたが、現在では、政府が「売春禁止」

をし、取り締まりを厳しくしているため、多くのバディはレンガ運びや、家屋の建設 の手伝いなどの日雇労働に転職している。

本章では、ネパールのカースト制度とバディカーストの職業的背景、フィールドワ ークによるバディコミュニティの実態、差別構造の解消に向けた取り組み、今後の課 題と次世代の新たな歩みについて論述する。

第1節 ネパールのカースト制度とバディカーストの職業的背景

ネパールのカースト制度のなかで、売春を生業として位置づけられることになって いったバディカーストの職業的背景について、ヒンドゥー文化の基盤となっているカ ースト制度とダリットの形成過程(第 2 章、第 1 節参照)と関連して検討する。

1. ネパールのカースト制度の法的導入とダリット(不可触民)

カーストとは、ポルトガル語で家柄、血統を意味する「カスタ」に由来する語であ り 、 上 ほ ど 浄 性 が 高 い と い う 浄じょう の 階 層 制 度 で あ る ( 山 下 2004:17-28 、 辛 島 1992/2006: 136-142)。一般にはカーストというと、上からバラモン( ブラーマン:祭 司階層)、クシャトリア(軍人、武人階層)、ヴァイシャ(一般庶民、商工人)、シュード ラ(奉仕者階層、奴隷)という四種姓 (ヴァルナ)の意味に理解されることが多いが、シ ュ ー ド ラ の 下 に は こ れ ら の 階 層 の 外 に お か れ た 不 可 触 民 で あ る ダ リ ッ ト が 存 在 し た

(沖浦他 2004: 105-116)。

ネパールでは、古代から断続的にインドか ら流入したヒンドゥー教徒によって、多 数のエスニック・グループがヒンドゥー化してきた。12 世紀以降、イスラム教徒がイ ンド大陸に侵入したことにより、彼らから逃れたヒンドゥー教徒(ラージプート族を 含む)は、西、南ネパールの山岳・丘陵地帯 に大規模に流入した。それゆえ中世以降、

歴代の王朝はヒンドゥー化を推し進めた(畠 2007:37-93)。

その後、ジャンガ・バハドゥル・ラナ宰相は強力な中央集権国家を建設 するために、

1854 年に旧民法典ムルキ・アイン(Mulki Ain)を定め、カースト制度を初めて法的に 導入した。この法典により、すべての国民がカースト・ヒエラルキーに組み込まれた。

本来カースト制度を持たなかったチベット・ビルマ語族(原始宗教とチベット仏教徒)

のモンゴロイド系のエスニック・グループ(マガル、グルン等)も高カーストと低カ

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ーストの中間に位置づけられ、カースト的な枠組み の中に強引に引き入れられていっ た(畠 2007:37-93)。

ネパールの社会はこのようにカーストとエスニック・グループが、複雑に折り重な って構成された社会となった 。パルバティ・ヒンドゥーのカーストでは、バフンがブ ラーマンに、チェトリがクシャトリアに相当する 。しかし、ヴァイシャの階層は完全 に欠落し、シュードラも少人数のガルティと呼ばれるカーストのみ となっている。そ の 最 底 辺 に 置 か れ た ア ウ ト カ ー ス ト と し て 不 可 触 民 の ダ リ ッ ト が 存 在 す る ( 三 瓶 1997:79-110 頁、表 24 参照)。

カースト差別は 1963 年に禁止された(畠 2007:77)とはいえ、法として 105 年間存 在し続けた事実は重く、今も人々の生活文化の中に深く浸透している。

2.ダリットに対する差別の現状

ダリットは、ネパール全人口の約 13%(2011 年国勢調査)を占め、26 種のダリッ トカーストがある(NGO FEDO の調査)。不浄な存在、穢れた存在として差別( シュレ スタ 2002)を被っており、①水場への接触・接近禁止、井戸の制限、住居の隔離 ② 寺院、ホテル、店、食堂など公共の場所への入場禁止 ③祝宴などでの高位カースト との同席の禁止 ④清掃業・糞尿や動物の死体処理などの差別的労働、職業の機会に おける差別 ⑤残虐な暴力や殺人という社会のさまざまな場で差別を受けている(第 2 章、第 1 節)。

このように、カースト制度による 社会の階層化と差別的処遇は、ダリットカースト の宗教的儀式・儀礼、村のボス支配、人々の意識の中に 現在も存続している。女性は 特 に 男 性 の 従 属 的 存 在 と 教 示 さ れ 、 刑 罰 や 婚 姻 の 範 囲 も 規 定 さ れ て い る ( 畠 2007:43-69)。生活文化に深く刷り込まれた差別化は、女性の教育、保健医療 や社会的・

経済的参加の機会等のアクセスのなさ 等、社会開発の深刻な阻害 要 因とな って いる 。 また、ヒンドゥー教には輪廻という考えがあり、前世の行いによって、現世で生ま れてくるカーストが決まると考えられている。自分自身の持って生まれた義務を尽く すことをヒンドゥー教では、カルマ(karma)といい、自分の運命として義務を守って いくこと、実践していくことを意味する(第 2 章、第 1 節、山下 2004:17、辛島他 1992/2006:243)。こうしたヒンドゥー教の輪廻の考え方が、女性たちの自立を阻んで いる。

3.バディカーストの職業的背景

バディは、前述のとおりダリットの一つのカーストであり、ネパールの西部方面の 郡に点在して居住している。2011年の国勢調査によると、バディの人口は38,603人(男 性18,298人、女性20,305人)であり、このうち売春を強いられている女性は筆者の調 査では、現在、1%以下に減少している。

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表24 ネパール独自のカースト制度と社会構造

身 分 階 層 カースト/エスニック・グループ 従来の四種姓

<第 1 階層>

タガダリ(Tagadhari)

「聖紐を身に付けたもの」または

「2 度誕生するカースト」

バフン(ブラーマン 司祭)

ラージプート

チェトリ(クシャトリア 軍人)

他のネワール高位カースト ☆

ブラーマン

クシャトリア

<第 2 階層>

マトワリ(Matwali)

「酒を飲むもの」

カーストを失うこと のないマトワリ

ネワールの諸カースト ☆ マガル ★ グルン ★

ヴァイシャ

シュードラ カーストを失いうる

マトワリ

ボティア(チベット系の人々) ★ リンブー ★ シェルパ ★ キラーティ ★ スヌワール ★ チェパン ★ マジ(漁師) ★ クマール(壷作り) ★

<第 3 階層>

水を受け取ることはできないが、接触しても 清める必要のないカースト

(不浄なれど可触のカースト)

ムスリム

ドビ(タライの洗濯屋)

テリ(タライの油搾り)

カサイ(ネワールのと殺業) ☆ クスレ(ネワールの弔いの楽師) ☆

カースト外 ダリット

<第 4 階層>

水を受け取ることはできなく、接触すれば聖 水で清める必要のあるカースト

(不浄で不可触のカースト)

サルキー(皮なめし工)

カミ(鉄鍛冶)

ダマイ(仕立屋、婚礼の楽師)

ガイネ(ネワールの漁師) ☆ バディ(売春)

出所:「ネパールのカースト/エスニック・グループについて」より

Khanna、K.N.&Sudarahan、K.N.“Encyclopedia of South Asia:Nepal”

(一部、名和、石井論文を参照、従来の四種姓については、畠博之氏の意見も参照)

(☆は、ネワールのカースト、★は、エスニック・グループを示す。) 筆者作成

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バディの歴史的背景(バディ、プスパ 2007: 19-20)をみてみると、その起源は中 西部地区のサリヤン郡のサンコットとファラバンだと考えられている。しかし、その 後、そこから徐々に拡散し、現在はバケ郡、バルディア郡、スルケット郡、ジャジャ ルコット郡、ロルパ郡、ルクム郡、ピュータン郡、ダン郡を通ってカイラリ郡、カン チャンプール郡、ダイレク郡、アチャム郡、ドティ郡、バイタディ郡、ダデルドゥラ 郡などの極西部や中西部の郡に居住している。

150 年前にインドから王とともに当時の藩王たちが歌や踊り、娯楽のためにバディを 連れて来たといわれている。このカーストの主な職業は、マーダル(ネパールの民族 楽器である太鼓、写真 57)を作ったり、漁の網などを作ったりして村々で行商するこ とであり、その傍ら歌や踊りをすることであったという。ヒンドゥー教を主な信仰と し、言語はネパール語(カース語)を話し、ある時にはカーム語も話していたとされ る。定まった居住地を持たず、移動し物乞いをしながら河原に掘っ立て小屋を建てて 住んでいたといわれる(バディ、プスパ 2007:19-20)。

そして、ネパールに22~24の王国が分立していた頃、バディは、国王や藩王、地主

(ムキヤ)の子どもたちの結婚や出生に関わる儀式の際に、幸運を呼ぶために彼らの 家で歌や踊りを披露し、娯楽を提供して報酬を得ていた。しかし、次第に支配的立場 にある者から性的暴行を受けるようになっていった。そのことに抗議をすると、たち まち死刑が言い渡された。このようにして、歌や踊りの裏に性的搾取 が行われていた。

105年間のラナ専制時代から30年間のパンチャヤート制度1)時代(1972年~2002年)ま で続けられてきた(バディ、プスパ 2007:19-20)。

ラジオやテレビが国民生活に普及するにつれて、家にいながら歌、音楽、踊りや娯 楽を楽しめるようになり、バディコミュニティ独自の歌や踊りの仕事は下火となって いった。しかし、王制のもとで、長らくバディの政治的、教育的な権利や機会は意図 的に奪われ、教育の意識の欠如から性的搾取は続けられてきた。現在のバディコミュ ニティまで、8世代に及ぶ。このようにしてバディ女性たちは一家の収入のため、自 分の家で性労働の仕事に就かざるを得なくなり、その結果、父親が認知できない子ど もたちが生まれるようになった。ネパールの法制度では、父親を 特定できない子ども は出生届を出せないため、売春で生まれてきた子どもは市民権を得ることが困難とな り、学校に入学できないという問題が生じた (Bhadel 2008)。

2007年8月には、西部方面から300名のバディが首都カトマンドゥに集結(Community Support Group, Kailali)し、政治参加、教育、土地提供、就労機会の提供などの要 求を掲げて、官庁、大臣公邸前などで大々的なデモを行った。その結果、 2007年11月 にはこれらの要求が閣議通過し、バディコミュニティも社会の変化の流れの中で、 売 春カーストとしての意識や行動を変化させるようになってきた。