すべての生物は 2 つのレベルの因果関係の下で生きている。一つは自然に存在する 因果関係のレベルである。このレベルの因果システムは最も基盤的で普遍性が高く,
J. ジェインズは,イリアスをはじめとするギリシャの叙事詩を分析して,この時 代のミケーネの英雄達は心の中にある神の声にしたがって行動していた,という仮説
を立てている。この神の声を発する心をジェインズは「二分心」と呼んでいる(ジェ インズ,1976 )。彼は,神の声を聞きそれにしたがって行動することが BC2500 年頃
まであったとする。二分心が崩壊して神の声が聞こえなくなったのは,バビロニアの ハムラビ王からアッシリアのトゥクルティー王に支配権が移って強権が確立した頃で あり,神の声が消えた後は占いとか神託という形で続いているという。
これについては,筆者はジェインズが分析した旧約聖書に見られる二分心の消滅を 追跡して,ジェインズは文書の目的と書かれた環境という重要な因子を無視している,
という否定的な結果を得ている(市川,2009)。
ここでは,彼の言うところを,ギリシャの叙事詩の時代には個人神が大きな意味を もっていたことを示す資料として受けとめる。
未知の因果関係の原因を担う神
以上のことから,人は心像として神を創りそれに未知の因果関係の原因を担わせた という仮説を考えることができる。心像である神は物的な存在証拠を残さないので,
考古学的資料は傍証に留まる。しかし,この仮説を支える幾つかの記録と事実がある。
時代の順に記す。
第一に,神への請願および神託がシュメル都市文明( BC 3500-3000 頃)において 始まっていたことがある。チグリス ・ ユーフラテス両河は暴れ川で氾濫の起き方は急 であり予測不能であった。この氾濫は神の意思であるとして,神への請願および神託 を聞くことが行われた。未知の原因を神が背負うことの現れと言える。
請願および神託は古代文明に留まらず長くかつ広く行われている。農耕の収穫ある いは戦争の結果について神の神託を聞くことは普通のことであった。日本においては,
現在でも建設事業の開始などにおいて安全を神に請願し,個人が家族の健康,商売繁 盛,入試合格を神に祈願することが普通に見られる。
第二に,旧約聖書の記述が挙げられる。そこでは,イスラエルの民に起きる不幸は,
イスラエルの民の中にヤハウエとの契約に反する人がいることをヤハウエが罰するこ とである,として歴史( BC9 ~ 2 世紀)が綴られている。実際は,イスラエルの民 がいたカナンの地が,古代チグリス・ユーフラテス文明と古代エジプト文明の回廊の 位置にあるという地政的原因により起きた異民族の侵入を,ヤハウエの意思と考えた ことは,神に未知の原因を求めたことに他ならない。
第三に,神の進化がある段階に留まった宗教をもつ社会の人々の行動に見られる。
考古学者トール・ヘイエルダールのイースター島の調査記録の中に,イースター島の 住民の一人ひとりが一般名アクアクという個人神をもち,アクアクの能力の高さが人 の間の紛争を解決する記述がある(ヘイエルダール,1985)。
A と B 二人の主張が対立したとき,アクアクの能力が高い人の主張が通る。アク アクの能力は,例えば次のようにして判定される。次にあの木陰から出てくる人は男
か女か,A のアクアクは男といい B のアクアクは女というとき,彼らは木陰から人 が出てくるのを待つ。男が出てくれば A の主張が通る。
これはかけ4 4ではない。アクアクの能力の違いである。個人神アクアクは未知の因果 関係の原因であり結果を支配している。A,B どちらの個人神がその場を支配してい るかがこれで定まる。興味あることに,アクアクの力は紛争の事案ごとに比較され,
恒久的な序列を付けないという。独裁者を生まない知恵であろう。
以上により,神が因果関係の未知の原因を背負って一人ひとりの心像として生まれ たという仮説が検証できたとする。
科学は普遍を,神は個別を観る
18 世紀末以来の自然科学は,自然に存在する事象の因果関係を明らかにしてきた。
因果関係の未知の原因を担う神という見方からすれば,これは神の領域への自然科学 の侵蝕である。神の領域は科学の進展と共に次第に狭くなるのだろうか? それにし ては初詣はますます盛んで,受験時期には合格祈願の絵馬のかけ場所に神社が苦労す る程である。
中井の統合失調症,私の体験,ジェインズの二分心,そしてイースター島のアクア クを通じて,現代における科学と神の任務分担が読み取れる。
自然科学は,不確定な事象を確率事象と見なして確率測度を導入する。筆者は,若 い頃になけなしの金をはたいて高いカメラを買い込んだとき 2,3 日で故障した経験 をもつ。メーカーに修理を持ち込むと「こんな故障は何千台かに 1 台です」といわれ て「私にとっては 1 台買って 1 台,100%の故障だ」と思ったことがある。
科学はメーカーに何千台かに 1 台という低い故障確率を保証する。神は筆者が何千 台かに 1 台の故障するカメラを買うか買わないかを定めてくれる。科学と神の役割は 見事に相補的である。科学は一人ひとりを無限にいる人の一人と見なして取り扱う。
神は一人ひとりに向き合って不確定な事柄の面倒を見てくれる。
ここに人と社会に関する学問がもつ意味が存在する。人と社会について普遍な知識 を追う科学としての途と,個人と向き合ってその人が関わる事象を対象とする学問と を区別する必要がある。近年は,個人に向き合う領域にまで自然科学が侵入している。
精神疾患の臨床医である筆者の娘から,最近は患者の個人的および社会的背景にまで 立ち入って患者に向き合うと治療効果が高まる,という話を聞くとその感を強くする。
宗教への変容
神の心像は一人ひとりの脳に生まれる。神の心像は筆者の経験に見る様に極限的状
況にあっては何であって4 4 4 4 4もよい。他の人がもつ神の像,とくに祈る効果があるとされ る神の像に祈ることは有効と考えられよう。
古代において未知の因果関係は充ち満ちていた。未知の原因を担って結果を支配す る神の存在は,極限的状況を経験しない人々にも有用であったろう。これにより社会 の人々に共通する神の像が形成される。これが自然宗教である。
ここにおいて,偶然にせよ祈る効果を現出させた人,あるいは説得力のある論理の 下で特定の神の像を語る人の言葉は多数の人々に浸透する。創始者が創りだす創唱宗 教の誕生である。
多くの人々が同じ神の心像をもつとき,神の居場所を脳の外に出して自然の天や山 や森をあて,あるいは協同して建物を造り,そこで神に祈って心の平安を得たり望む 事態の実現を祈ることは自然な行為である。こうして神は今日の姿となる。
多数の人々が同じ神の心像をもつ宗教の形を取るとき,神は,一人ひとりに向き合 う役割に加えて,人々に世界観を与えその下での生き方を教えるようになる。とくに 創唱宗教が説得力のある論理を作るときにこれが著しい。神が教える世界観とその下 での生き方にしたがうとき神がそれを「よし」とする,と思うのもまた自然なことで ある。こうして神は今日の役割を担うことになる。
多神と一神を問わず,神話の多くに天地創造神話があり,それが世界観の基盤を作 っている。この世界観は社会の人々に一体感をもたせ,その社会の生き残りに貢献す る。神が与える行動規範は社会の内紛を抑制して社会の存続に貢献する。社会が存亡 の危機に瀕したとき,ヤハウエ信仰(ユダヤ教)の民に見るように,神はその名の下 で人々を結集させ,難局を克服し生き延びる機会を大きくする。
E. B. タイラーは,森羅万象に精霊が存在してそれが成長して神となったアニミズ ムが宗教の起源であるとした。この論考での仮説から,精霊は因果関係の原因を担う。
原初の時代にはほとんどすべての因果関係の原因は未知であった。ヒトが認識できる すべての事象について,それをもたらす原因が必要になる。そのために森羅万象につ いて精霊が必要であったろう。
(説得力ある神の像の発生と伝播)
説得力のある論理の下に特定の神の像を語る人の言葉が宗教に反映された例がある。
古くかつ影響するところが大きかった宗教に,アフガニスタンの北部に生まれたザラ スシュトラ1)が称えたゾロアスター教がある。
ゾロアスター教の世界観は善悪 2 神対立の二元論である。善神アフラ・マズダは宇 宙の創造神であり生命と英知を担うものとされ,悪神アンラ・マンユは破壊,死,虚 偽を背負うものとされた。人は生前それぞれの考え方にしたがってアフラ ・ マズダか アンラ・マンユと共に過ごし,死んではそれぞれの下にある世界にいる。数億年の後