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シグナルとシンボルの論理

ドキュメント内 学校における創作ダンス教育の原理的考察 (ページ 35-43)

第1章 「表現」をめぐる問題-予備的考察:枠組みの設定

2. シグナルとシンボルの論理

2.1 論理的な意味と心理的な意味

前節の最後に「イメージをとらえて自己を表現したりする」という言い回しを引用し たように、この言い回しには、この領域の抱える根本的な問題が潜んでいる。「自己を 表現したりする」という言い回しは、学習者を想定した「自己」を対象とした表現につ いて書かれていると読み取れるのであるが、「イメージをとらえて」のイメージとは何 のイメージかと問うてみると、「自己」以外にも「テーマ」や「題材」といったものが 挙げられるからである。つまり、上記のような事例は「表現」にかかわる曖昧な用語の 使用であるといえる。本章で立てた「ダンス教育において『表現する』とはどういうこ とか」という哲学的な問いに立ち戻ってみると、その対象についても様々な可能性が考 えられる曖昧な用語の使用がなされてきたのである。

普段、「何かを表現する」というような言い回しを我々はいろいろな場面で口にして いる。ダンス教育においても、「動物を題材にして表現してみよう!」といった指導者 からの投げかけはよく聞かれるところである。この投げかけは、学習者たちが動いて表 現活動を行うように促している指導言語であることには間違いがないであろう。だが、

この場合の投げかけが、先の「自己」を対象とした表現を促しているのかと問うてみる と、自己以外の「動物」もまた対象とされている可能性があることに気付くのである。

このような根本的な問題について、ランガーは、「意味の論理的な面と心理的な面が『意 味する』という曖昧な動詞によって完全に混同されている」13)と指摘する。なぜなら、

言葉にせよ、動きにせよ、言葉を口にした主観や動く主体注3)が意味するととらえられ る一方で、言葉や動き自体が意味するととらえることもできるからである。ダンス教育 についてみれば、学習者が表現するととらえられる一方で、ダンス(作品)が表現する ととらえることもできるということになる。

ランガーの主張によれば、意味においては、最も単純な場合にも、何かを意味するサ

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インと意味される対象とサインを用いる主観がなければならない。つまり、サイン・対 象・主観という三つの項が必要である。ダンス教育の場合に置き換えてみれば、何かを 表現するダンスと表現される対象と表現する学習者あるいは指導者が主体として想定 されることになる。ランガーは、この三項すなわちサイン・対象・主観を項としてとら え、考察を進めている。ランガーによれば、「意味は性質ではなく、項の機能なのであ る」14)。ダンス教育に置き換えてみれば、ダンス(作品)注4)、対象、そして学習者あ るいは指導者を項としてとらえることによって、表現を機能としてとらえることができ ると考えられる。

また、ランガーは、「機能とは中心となるある項に言及することによって眺めた場合 のパターン」であるとし、「我々がその与えられた項をその周辺の他との関係において みる場合に現れてくる」15)と指摘している。前述した「論理的な意味」は何かを意味す る項を中心に眺めたパターンであり、心理的な意味とはその項を用いる主観を中心とし て眺めた場合のパターンであると理解できる。ランガーのいうパターンとは、われわれ がその与えられた項を中心に眺めた場合に、その周囲の他の項との全体的関連として立 ち現れるものである。ダンス教育に置き換えてみれば、ダンス(作品)を中心に眺めた 場合が論理的な表現であり、「ダンス(作品)が表現する」場合についての考察が可能 になる。また、学習者あるいは指導者といった主体を中心に眺めた場合が心理的な表現 であり、「学習者が表現する」場合についての考察が可能になる。このようなとらえ方 にもとづき、それぞれを中心に眺めた場合に他の項との全体的関連として立ち現れるパ ターンについて考察していくことが今後の課題となるだろう。本章では、予備的考察と して、この全体的関連をとらえる枠組みを提示することからはじめていく。

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2.2 シグナルとシンボルの差異

先に挙げた項の機能なかの「サイン」について、ランガーはシグナルとシンボルに明 確に区別している。ランガーによれば、シグナルは、主観・シグナル・対象の三項で機 能するのに対し、シンボルが機能するには、主観・シンボル・表象・対象の四項が必要 である。16)ランガーはそれについて次のように述べている。

シグナルとシンボルの相違は関連付けの相違、つまり意味機能の第三者である主観 とそれらの用い方の相違である。シンボルが対象を表象するように主観を導くのに対 し、シグナルは主観にその対象を知らせるのである。17)

ここでランガーが指摘するシグナルとシンボルの機能の差異は次のように理解でき る。すなわち、シグナルの場合には、シグナルと対象が一対一対応であるのに対し、シ ンボルは、対象についての表象の伝達手段であり、表象によって、対象を理解させるの である。 ランガーが、「シンボルを使用する力-言葉の力」18)と述べている言語を例と して、シグナルとシンボルの差異を確認していくことにする。

我々は、直接的にある事物を指すために、言語を使用する場合もある、つまり、シグ ナルとしての使用である。例えば、「りんご」と言うことによって、直接的に「りんご」

を指し示すことができる。一方、たとえ目の前にりんごがなくとも、「りんご」につい て語ることができる、つまりシンボルとしての言語の使用である。これについて、ラン ガーは次のように説明している。

或る事物や状況を表象することと、はっきりと「それに反応すること」あるいは、

それの現前に気付くこととは同じことではない。事物について話すとき、われわれは、

事物そのものではなくて、事物についての概念をもつ;そして、シンボルが直接的に

「意味する」ものは、概念であって、その事物ではないのである。概念に向けての振

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る舞いは、ことばが通常引き起こすものである;つまり、これが思考の典型的な過程 なのである。19)

この記述をもとに、先のりんごの例について再確認すると、シグナルとして「りんご」

を使用した際には、りんごという目の前にある事物(対象)に気付いたり、りんごとい う対象を直接的に指示していると考えることができる。それに対して、シンボルとして 使用する場合には、「りんご」が『意味する』のは、りんごの概念であって、「りんご」

という対象そのものではないということになる。このようなシンボルとしての言語の使 用によって、われわれは、昨日食べてしまった「りんご」についても語ったり、思い出 したりすることができるのである。特に、シンボルを中心にした関係について、ランガ ーは、シンボルと表象との関係を内包(含蓄)作用、シンボルと対象との関係を表示作 用と呼んでいる20)。このシグナルとシンボルの差異については、塚本21)によってわか りやすく図示されている。ここでは、塚本の図をもとに、本研究での考察において比較 しやすい図を改めて作成し、ここに示しておくことにする。

まず、シグナルの機能については、下記のように図示することができる。

図 1 シグナルの機能

主観

シグナル 指し示す 対象

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そして、シンボルの機能については、次のように図示することになる。

図 2 シンボルの機能

シンボ 表象 ル

主観

対象

内包作用

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3.ダンス教育におけるシグナルとシンボルの次元

前節で示したように、シグナルとシンボルの機能の基本的な差異は、表象の項の有無 としてとらえることができる。ここで本研究が対象とするダンス教育に立ち戻ってみれ ば、「イメージ」という用語で呼ばれているものを「表象」として想定することができ る。そして、その項が介在するか否かによって、シグナルの次元にある活動とシンボル の次元にある活動を区別することができるであろう。ここで、学習者を主体の項に、ダ ンス(作品)すなわち動きの集合体をシグナルの項に、「表現されるもの」を対象の項 に位置づけると想定すると、シグナルの次元は図3のように示すことができる。シグナ ルの次元にあるダンス作品の機能は、表現される対象を指し示すという全体的な関連と して理解することができるであろう。

図 3:シグナルの次元にあるダンスの機能

また、塚本が指摘しているように、芸術シンボルは表象を含蓄するが、対象を表示は しないのであり22)、対象も表象もシンボルと離れて存在することはできないのであるか ら、そのこともふまえて、シンボルの次元にあるダンスの機能を図示すると図4のよう になる。シンボルの次元でとらえられるダンス作品の機能は、イメージつまりは「表象」

主体

(学習者)

シグナル

(ダンス)

対象

(題材)

指し示す

ドキュメント内 学校における創作ダンス教育の原理的考察 (ページ 35-43)

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