第4章 米国に見る内部者取引規制の構造
2. コモン・ローにおける内部者取引規制
1933、34 年法以前の裁判所の考え方を大まかに整理する266。連邦諸法制定以 前の状況下では証券取引規制だけを目的とした法律がなかったため、コモン・
ローの不法行為として相対で行われた不正取引の責任を追及していこうとした 論理構成である。
一般的な考え方は三つに分かれる267。会社役員、取締役が自社株を購入する場 合 に つ い て 多 数 説 ( 狭 義 ル ー ル ) は Carpenter v.Danforth 52Barb.581
(N.Y.Sup.Ct 1868)268 The Board of Commissioners of Tippecanoe Country v. Reynolds Supreme court of Indiana 44 Ind. 509;1873 等の各判決に見られ るもので、不法行為が成立するには、ただ単に売買行為の当事者間に会社の役 員等と株主との関係が存在することだけでは私的義務・信認義務違反を認めず、
通常の事件と同じく会社役員に積極的行為・虚偽表示が必要であるとする。し
P5(2002)
262 小立敬「米国における金融規制のあり方とプリンシプルの議論」野村資本市場クォータリー 2008 年 SPRING 号 83 頁 金融機関が単一の規制当局を選択できる免許(チャーター)の創設な どの動き紹介するもの
263 Thomas Lee Hazen David L.Ratner Securities Regulaton (9th ED) P10(2006)
264 金融審議会第 1 部会第 22 回会合(平成 16 年 12 月 1 日)事務局大森市場課長「連邦法の不公 正取引規制といっても、相場操縦と詐欺的なことをするなとしか書いていないので、州法の一 般的刑罰規定とそんなに違わないことが、そのスピッツァー(州司法長官・後にニューヨーク 州知事に就任するが、女性問題のスキャンダルで辞任している)活躍の余地を与えているよう です。彼によると、市場の唯一のルールメーカーはSECだが、SECのルール執行の空白を 州当局が埋めているということだそうで、実際にもスピッツァーが一暴れした後、その分野の 規則をSECが後追いでつくるとか、民事救済はSECと州当局が共同で行うといった関係に ございます。こうした関係をスピッツァーはニューフェデラリズムと呼んでいる」と紹介して いる。
265 前掲(注 8)P9
266 Louis Loss=Joel Seligman Fundamentals of Securities Regulation(5th ED)P927(2004)
267 北山茂 「インサイダー取引と法の理論―アメリカにおける―」企業法研究12号92頁(2000)
268 被告ダンフォースは銀行の取締役、受託者の一人であったが、その銀行株 166 株を原告カー ペンターから購入した。原告は、当該売買を無効とし、詐欺やそれらの影響により売買が行 われなければ保持していたはずの権利や配当を回復することを訴えた。判決は、そのような 委託者と受託者の関係はないとするものであった。
たがって積極的行為が見られない限り、保有していた株式を売却した者が会社 役員の責任を問うのは困難となる。信認義務については、一般的に認められる のではなく会社役員が行う自社との取引及び自社のための取引において自社及 び株主に対して信認義務があるとする。即ち、会社役員は会社の財産に関する 行為、経営に係る事項は株主に対して信認義務を負う。株式の購入については、
購入した結果について会社の財産に係る行為として株主から信認義務違反行為 の責任を問われることがあるが、自社株の株主から株式を購入する場合には、
株主には会社役員に対し、他の商品同様に売却するか否かの選択権があり、単 に株式が取引の対象となっていることだけで 2 者の間に信認義務が存在するこ とはないとする。要は、不実記載、積極的な隠匿がなければ責任なしとする立 場である。
少数説(信認義務者ルール)は Oliver v.Oliver 118Ga.362;45 S.E.232(1903) 等に見られる立場で、会社役員の不作為・沈黙269でも株主に対し不法行為が成立 するとする立場である。会社の内部者である役員には株主との関係について、
単純に土地などの商品とは異なり、株式についてはその価格資産価格について 会社役員の役割、行為が重要な影響を与えるものであり、したがって厳密な意 味での信認義務関係はないが、それに類する義務関係が認められ、株価に影響 が出るすべての重要事項について開示する責任ありとする。
更に両説の中間ともいうべき折衷説(特別事実理論・ SPECIAL CIRCUMSTANCES DOCTRINE)Strong v. Repide,213 U.S.419(1909); 29 S.Ct521;53 L.Ed.853;U.S
(1883)Fox v.Cosgriff,66 Idaho 371,159 P2d 958,969-70 (S.C.Cal 1945)270が ある。一定の特別の状況があれば、不作為・沈黙でも義務違反が成立するとの 立場である。具体的には内部者が会社内におけるその地位にいることから、取 得した会社に関する特別な情報が考慮される場合に開示の義務があるとする立 場である。
(1)19 世紀の証券取引規範
●「買主、注意をせよ」―多数説
一般的に 19 世紀の商業取引における当事者間に適用される法規範として、
「買主、注意をせよ」(CAVEAT EMPTOR)という考えの下に、州の判例の大部分は 情報の格差だけでは不法行為による損害賠償請求権を認めなかった271。取締役、
役員等の会社内部者が重要な未公開情報を利用して個人的な利益を得ることを 禁止する義務は課せられておらず、当時の通念(CONVENTIONAL WISDOM)ではそ うした利益は“役得”であり「通常の報酬」(NORMAL EMOLUMENT)272といわれて いた273。
269 柏木昇「オヘーガン事件とアメリカにおける重要非公開情報の秘匿による内部者取引禁止の 理論」法学協会雑誌1 15巻3号324頁(1998)
270 前掲(注12)93頁
271 デニス S.カージャラ「セミナー・アメリカ証券法」80 頁 商事法務研究会(1991)
272 Thomas E.Geyer Insidertrading:Evolution、Prevailing Theories and Recent Developments P1 (2003)(www.baileycalieri.com)
273 ローランド・シュミット (訳)二本柳 誠「ヨーロッパにおける資本市場の刑法的保護」『季刊企業と
当時の多数説を採る判決の代表例であるティぺカヌ郡委員会対レイモンド事 件274を見ることにする。原告のティぺカヌ郡委員会は、1865年6月24日所有して いたファイエット・インディアナポリ鉄道会社の株式一株額面50ドル、570株分 総額28,500ドルを額面より10%安の総額25,650ドルで同社レイモンド社長に売 却した。ところで同社の鉄道事業の初期投資は、主に社債の発行によって営ま れ、業績は好調でその利益によって社債は既に償還されており、借入金の返済 も遅延はなかった。しかしながら、レイモンド社長は個人的にティぺカヌ郡委 員会からその株式を購入するに際し、こうした会社の財務状況等を同委員会に 対し明確にしなかった。加えて同鉄道会社は、無配が続いており、株価も額面 割れしていた。その結果、レイモンド社長は1865年6月24日に当時の時価(額面 より10%安)と考えられた25,650ドルで購入できたものである。実際には、同 社の資産は、負債の11倍にも積み上がっており、実勢価格は、342,000ドルにな っていた。結局、レイモンド社長は当時売却交渉をしていたインディアナポリ ス・シンシナシティ鉄道会社に鉄道事業を2,500,000ドルで売却275した276。そこ で原告は、会社の役員が会社の財務状況等を隠して取引を行ったことは、株主 に対する信認義務に反するとして実勢価格との差額315,300ドル277の賠償を求め たものである278。
インディアナ州最高裁判所は、詐欺行為はなかったとする。会社の役員は一 般的に株主に対し信認義務を負うが、それは会社の事業や財産の処分、会社の 利益のために取引を行った場合に限られる。単に株主から株式を購入する場合 には、当該株主に対し信認義務を負わない。取引の相手方がその会社の株主で 当該会社の株が取引の対象となっても、他の商品と同様に株主は売却の自由を 有しており、役員の統制は及ばない。したがって、株価に影響を及ぼす情報等 の告知義務はなく、責任を負わないとするものであった。
以下当該判決文をみる。
「弁護人の主な主張から我々は次の疑問が生じる279。即ち、被告人が会社の取 締役、社長だからといって受任者として、その株主に対し会社との関係やその 関係で得た情報を有利に利用することをしないにも関わらず原告が入手してい ない株価に影響を与えるすべての重要事実を開示し、公正かつ適正な価格でそ
法
創造』紀要8号51頁(2006)では約500年前(1474年)に出版されたANTONIUS FLORENTINUSの手引 き書では、ベネチアの商人が為替相場操縦とインサーダー取引を行うことは、罪(SUNDE)で あるとされていたとの解説もある。
274 The Board of Commissioners of Tippecanoe Country v. Reynolds. Supreme court of Indiana 44 Ind. 509;1873 Ind
275 売買の法的性格は第 1 順位抵当権付信託受益権販売と見られる。
276 Id.at510
277 差し引き賠償額は 342,000 ドル−25,650 ドル=315,300 ドルではないか。1,000 ドルの差が ある。
278 Id.at511
279 Id.at513
の株式を購入する義務を負う必要があるのだろうか。…当法廷はこれまでの判 例に従い、本件において信認義務関係は認められないと判示する。多くの判決 で示されているが、会社の取締役は株主の信認義務者であり、両者の間には信 認義務者と委託者の関係があるとされる。しかし、注意すべきは適用が認めら て然るべき関係があった事件について述べられたものであり、決してすべての 訴訟事件について適用されるものではないことである。会社やその事業経営に よって所持される土地や現金、有価証券、株などの会社資産に関する場合には 取締役が株主の受託者になることは明らかである。会社の財産に関する会社の 取締役の行為は程度の差はあるが会社の株主一般に影響を与えることになる。
そのような場合においてこれまでの裁判で信認義務関係があると判示されてき ている。」
「個人によって所持されている会社の株式はその個人自身の私的財産であり、
個人の判断により売却や処分が出来る。その際、会社や会社の役員の如何なる 制約も受けない。株式は日常取引される何処にでもある商品であり、市場で取 引される他の商品と同様に売買されるものである。取締役は、株式の処分を勝 手に制約したり規制したりすることはできないし、売却や移転行為を取消す義 務を負っていない。このような理解からは訴訟提起は認められない。個人の株 主はその株式を土地や他の資産と同じく当該会社の取締役の制約や規制を受け ことなく、所有することが可能である。280」と判示した。
要は会社の取締役として会社財産等の責任を株主に対し取締役は負っている。
しかし、自社株の所有者から購入する際、購入すれば所有者は何ら会社財産と は関係がなくなるのでそうした株主に対し信認義務を負うことはないとする。
したがって株式も他の商品と同様、取引における駆け引きは通常認められ、重 要事実の開示や公正適切な価格で購入する義務はないとする。
●一律に会社役員は株主に信認義務を負う―少数説
他方、上記見解と異なる立場を採る少数の例外的判決がある。具体的には 1903 年のジョージア州最高裁判所が下した判決で、オリバー対オリバー事件281と呼ば れている。本件では同族経営会社の株式譲渡に関し、情報の秘匿が問題にされ た。事実関係としてジョンとフレッドのオリバー兄弟は、共同でジョージア州 の各地に複数の会社を設立し、長年に亘り経営を行ってきた。兄弟の間では会 社支配に対する関係は対等とすることになっていた。兄弟の一人ジョン・オリ バーは、そのうちの一つの会社について経営を任されていたが、今後こうした 綿実油絞り機プラントで利益を出すことは困難であると判断し、適正な価格(一 株 110 ドル)で売却する機会があれば速やかに実行に移せるようにするため、
他の株主(フェッド・オリバー)から持分を譲り受けておく必要があると考えた。
1901 年 6 月にその旨フェッド・オリバーに申し入れ、一株 110 ドルで株式を購 入したものである。その後、同社は同年 8 月にバージニア・カリフォルニア化
280 Id.at515
281 Oliver v.Oliver 118Ga.362;45 S.E.232(1903)