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第 3 章 コミュニティワークの理論形成期

第 5 節 小 括

戦 後 、公 的 機 関 の 社 会 福 祉 サ ー ビ ス 提 供 に お け る 責 任 範 囲 が 明 確 に な る に つ れ 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 専 門 性 の 確 立 が 求 め ら れ た 。 そ の こ と と 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 発 展 は 無 関 係 で は な く 、 し か も 、 ヤ ン グ ハ ズ バ ン ド の ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 概 念 が 政 府 に 受 け 入 れ ら れ た こ と が ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 分 野 で の コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 発 展 に 影 響 を 及 ぼ し た と い え る 。 地 方 自 治 体 に お け る 福 祉 サ ー ビ ス の 提 供 に お い て 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 実 践 は ほ と ん ど み ら れ な か っ た が 、 ヤ ン グ ハ ズ バ ン ド が 推 進 し た ジ ェ ネ リ ッ ク ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 枠 組 み に お い て は 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク が ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 一 つ の 方 法 論 と し て 位 置 付 け ら れ て お り 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 に お い て コ ミ ュ ニ テ ィ オ ー ガ ニ ゼ ー シ ョ ン 理 論 の 導 入 が み ら れ た 。 ま た 、NISWが コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 教 育 ・ 訓 練 コ ー ス を 開 設 し 、 高 等 教 育 機 関 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク 教 育 の 不 足 を 補 っ た り 、ク エ ン ス ラ ー や NCSSが ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 一 方 法 と し て コ ミ ュ ニ テ ィ オ ー ガ ニ ゼ ー シ ョ ン 論 を 出 版 し た り と 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 理 論 研 究 や 教 育 ・ 訓 練 な ど 、 学 術 的 に は 1960 年 代 の 半 ば に は ソ ー シ ャ ル ワ ー ク と 結 び つ い て い っ た (Thomas 1983)。

一 方 、 地 域 再 生 政 策 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 実 践 は 、 ニ ュ ー タ ウ ン に お い て 、 地 方 社 会 福 祉 協 議 会 や コ ミ ュ ニ テ ィ セ ン タ ー な ど が 中 心 に な っ て 展 開 さ れ

た 。 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 方 法 自 体 は 住 民 の 自 助 グ ル ー プ や ニ ー ズ の あ る 人 々 の グ ル ー プ 、コ ミ ュ ニ テ ィ ア ソ シ エ ー シ ョ ン の 組 織 化 、ボ ラ ン テ ィ ア の 育 成 な ど で 、 両 大 戦 間 期 と さ ほ ど 違 い は な か っ た が 、 コ ミ ュ ニ テ ィ セ ン タ ー が 1944 年 の 教 育 法 に よ り 法 制 化 さ れ た こ と な ど 、 実 践 面 で は 教 育 分 野 と の か か わ り を 深 め て い っ た 。 ま た 、 理 論 面 で も バ ッ テ ン ら 教 育 分 野 出 身 で 、 植 民 地 の コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト に 携 わ っ た 人 々 が 、 コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト を 理 論 化 し た こ と に よ り 、 英 国 内 で も コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト 理 論 が コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 基 礎 理 論 と な っ た 。し か し 、教 育 分 野 で の 理 論 的 発 展 は こ れ 以 上 み ら れ ず 、 1970年 以 降 は ユ ー ス・コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク と し て 青 少 年 の コ ミ ュ ニ テ ィ 教 育 の 領 域 に 収 斂 さ れ て い っ た 。

英 国 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ オ ー ガ ニ ゼ ー シ ョ ン や コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト の 理 論 形 成 の 背 景 や 過 程 を た ど る と 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク は 1950 年 代 か ら 1960年 代 中 葉 に か け て 、そ の 概 念 が 形 成 さ れ つ つ あ っ た と い え る 。し か し 、研 究 や 教 育 ・ 訓 練 に は 統 一 し た 見 解 が な く 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク と 教 育 の そ れ ぞ れ の 分 野 で 行 わ れ て い た こ と か ら 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 共 通 概 念 が 定 着 す る の は 次 の 時 代 を 待 た な け れ ば な ら な か っ た 。 し か し 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク や 教 育 分 野 で そ れ ぞ れ 展 開 し て い っ た こ と が 次 の 時 代 で 統 合 さ れ 、 コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク の 概 念 が 認 知 さ れ て い く こ と か ら 、 こ の 時 代 は 今 日 の コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク が 学 術 的 な 理 論 や 教 育 ・ 訓 練 の 基 礎 を 形 成 し て い く 段 階 で あ っ た と 位 置 づ け る こ と が で き る の で は な い だ ろ う か 。

≪ 注 ≫

正 式 名 称 と 発 行 は HMSO(1942) Social Insurance and Allied Services, Cmnd 6404. で あ る 。

国 民 総 所 得(GNP)は 、1950年 に は 11,636 ポ ン ド 、1955 年 に は 16,784 ポ ン ド 、1961年 に は 24,391 ポ ン ド と 確 実 に 増 加 し た (Sleeman 1973)。

1950年 、ヨ ー ク に 戻 っ た ラ ウ ン ト リ ー は 社 会 調 査 を 実 施 し た 。彼 は 翌 年 発 表 さ れ た『 貧 困 と 福 祉 国 家 』(1951 年 )の 中 で こ の 数 字 を 示 し た(Rowntree 1951)。

海 の 安 全 に 関 す る サ ー ビ ス を 提 供 す る 団 体 で あ る 。

自 然 保 護 、歴 史 的 建 造 物 な ど の 保 護 を 目 的 に 設 立 さ れ た 民 間 非 営 利 団 体 で あ る 。

エ イ ジ コ ン サ ー ン (Age Concern) の 前 身 で あ る 。

第 二 次 世 界 大 戦 中 の 社 会 福 祉 に つ い て は 、テ ィ ト マ ス(Titmuss 1950)を 参 照 し た 。

ヤ ン グ ハ ズ バ ン ド 報 告(Younghusband 1947)の 調 査 に よ る と 、ロ ン ド ン・カ ウ ン テ ィ 議 会 に お い て 、 教 育 主 事 部 (Education Officer’s Dept.) に ア フ タ ー ケ ア 訪 問 員 12名 、 児 童 ケ ア オ ー ガ ナ イ ザ ー67名 ・ 里 親 委 託 訪 問 員 12名 、 公 衆 衛 生 部(Public Health Dept.)に 精 神 障 害 者 の 監 督 と ア フ タ ー ケ ア 担 当 ワ ー カ ー36 名 ・ 精 神 病 院 担 当 お よ び 退 院 者 の ア フ タ ー ケ ア と 地 域 ケ ア 担 当 精 神 ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー21名・医 療 オ ー ガ ナ イ ザ ー90名 、そ し て 社 会 福 祉 部(Social Welfare Dept.) に 医 療 ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー81名 、と 様 々 な 部 署 に ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー が 雇 用・配 属 さ れ て い る 。

1940年 に 発 表 さ れ た 工 業 都 市 の 人 口 分 散 に 関 す る バ ロ ー 報 告 書(Barlow 報 告 書 )1930 年 代 か ら 40年 代 に か け て イ ン グ ラ ン ド と ウ ェ ー ル ズ 地 方 住 宅 は 不 足 し て お り 、 両 地 域 に 建 設 さ れ た 270 万 戸 の 住 宅 は 、 全 国 で 建 設 さ れ た 住 宅 全 体 の 3 分 の 1 に の ぼ っ た 。 都 市 部 の 人 口 は 過 密 状 態 に な り 、 特 に ロ ン ド ン は そ う で あ っ た 。 バ ロ ー 報 告 書 は 、 北 イ ン グ ラ ン ド と 南 ウ ェ ー ル ズ の 人 口 格 差 や 地 域 間 の 失 業 率 に 開 き が あ る こ と を 問 題 と し 、工 業 都 市 の 分 散 を 提 言 し た(Cullingworth and Vincent 2002)。

1 0 ア ス ワ ッ ト 委 員 会 に よ る 『 社 会 正 義 の 都 市 計 画 』 は 、 第 一 に 土 地 利 用 の 決 定 は 、 現 状 利 用 へ の 追 従 で は な く 、 地 方 自 治 体 が 公 益 上 最 も ふ さ わ し い 土 地 利 用 を 選 び 、 強 制 買 収 す る 権 限 を 全 面 的 に 持 つ べ き だ と 提 言 し た 。 第 二 に 、 土 地 買 収 の た め に は 、 政 府 の 決 定 に 伴 い 、 地 価 の 下 落 し た 住 宅 に 住 ん で い る 人 々 に 対 す る 補 償 と 、 地 価 の 上 昇 し た 人 々 に 対 し て 、 負 担 が 増 し た 税 金 を 政 府 が 負 担 し て あ げ る こ と が 必 要 だ と 提 言 し た 。 こ の 委 員 会 報 告 は 、 土 地 利 用 と そ の コ ン ト ロ ー ル 、 お よ び そ れ に 伴 う 地 価 変 動 の 補 償 吸 収 問 題 を 分 か ち 難 い 一 つ の 課 題 と し て 捉 え 、 技 術 的 解 決 を 示 し た 。 ま た 、 こ れ が 労 働 党 の 中 央 集 権 型 土 地 政 策 の 出 発 点 に な っ た

(Cullingworth and Vincent 2002)。

1 1こ れ は 、 田 園 部 の 土 地 利 用 の 在 り 方 を 検 討 し た も の で あ る 。

1 2 CCETSW の 研 究 会 に お い て は 、す べ て の コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク が ソ ー シ ャ ル ワ ー ク と 見 な す こ と は で き な い が 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー が コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー ク を 実 践 し て い る 事 実 が あ る こ と か ら 、 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク の 一 方 法 と 見 な す べ き だ と 述 べ て い る (CCETSW 1975)。

1 31971年 に 既 存 の 訓 練 機 構 を 統 合 し 、 中 央 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 研 修 協 議 会

(Central Council for Education and Training in Social Work: CCETSW) が 設 立 さ れ た 。CQSWと CSSの 認 定 機 関 で あ っ た 。 な お 、CCETSW は 2001年 に 解 体 さ れ 、 す べ て の 社 会 福 祉 に 関 わ る 職 種 を 対 象 と す る 社 会 的 ケ ア 総 合 審 議 会

(General Social Care Council) に 統 合 さ れ た 。

1 4 NCSS は 1961年 に 『 コ ミ ュ ニ テ ィ オ ー ガ ニ ゼ ー シ ョ ン (Community Organisation: Work in Progress)』 を 出 版 し た 。

1 5 「 コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト 」 と い う 用 語 が 国 際 的 に 用 い ら れ る よ う に な っ た の は 、1947年 に 開 か れ た ア フ リ カ に 関 す る 行 政 問 題 の 討 議 を 行 っ た 、ケ ン ブ リ ッ ジ 会 議 以 降 の こ と で あ る と 言 わ れ て い る 。 こ の 会 議 に お い て は 、 コ ミ ュ ニ テ ィ デ ィ ベ ロ ッ プ メ ン ト 、あ る い は 大 衆 教 育 と は 、「 コ ミ ュ ニ テ ィ の 積 極 的 参 加 と 可 能 な 場 合 に は そ の イ ニ シ ア チ ブ に よ っ て 、 コ ミ ュ ニ テ ィ 全 体 の よ り よ い 生 活 を 増 進 す る こ と を 意 図 し た 活 動 で あ る 。 し か し 、 そ の イ ニ シ ア チ ブ が 発 揮 さ れ な い 場 合 に は 、 コ ミ ュ ニ テ ィ の 積 極 的 な 反 応 を 得 ら れ る よ う に 、 特 別 な 技 術 に よ っ て 刺 激 し 、イ ニ シ ア チ ブ が 高 め ら れ る よ う に す る べ き で あ る 。」と 定 義 さ れ た( 園 田 1978)。

1 6 ブ ッ カ ー は カ ナ ダ の 教 育 分 野 出 身 で 、コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー カ ー と し て 働 い た 後 、 英 国 に 移 り 、1964年 に 北 ケ ン ジ ン ト ン 家 族 研 究 事 業 に コ ミ ュ ニ テ ィ ワ ー カ ー と し て 参 加 、 こ の 体 験 を も と に 教 科 書 を 出 版 し た (Baldock 1980)。

1 7 北 ケ ジ ン ト ン 地 区 に は 西 イ ン ド 諸 島 か ら の 移 民 が 多 数 定 住 し て い た 。 こ の 暴 動 は 、 経 済 停 滞 に 伴 い 、 た び 重 な る 移 民 へ の 襲 撃 の 末 に 起 こ っ た も の で あ っ た 。

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